第五章 十四話 お断りします
今朝は、ほとんど数日前のそれと同じようなものであった。
それとは、クロードとフェリシアを呼んで、新主教について話し合ったあの日である。
つまり、今日も今日とて、屋敷で話し合いをしている真っ只中であった。
とはいえ、あくまで近似であって符合ではない。
あの日と今日とでは、いくつかの相違点があった。
その一つが天気だ。
先日は雲一つない典型的な夏日であったが、本日は打って変わって、王国らしい空模様。
おまけに、夜中に雨が降ったせいだろう。
朝からとても蒸していて、纏わり付くような暑さであった。
また、面子も先日とは異なっている。
クロードとフェリシア。
親交があって、お互い同じ立場でものを語れるあの日に対して。
今日は交流はあるもののプライベートでの交流はなく、立場も先方が上な人物であった。
社会的な地位においても、軍隊的な意味でも上位。
あとはこの間は部屋の外で待機していたアリスが、今日は扉のすぐ傍に立っていることか。
立ち話でもいいから、話を聞きたいと彼女が望んだのである。
彼女も分隊員である以上、まったくの無関係な話題というわけでもない。
アリスの望みを断る理由はなかった。
「……なるほど。分隊のお仲間が新主教に、ですか。しかも先ほど言われた、選民思想に満ちているならば。こりゃ宗教と言うよりも、セクトと言った方が適当ですかねえ」
「ええ。それもただのセクトではありません。私が聞いた限りでは、破壊的セクトとしか思えない節があります。可能性での話ですが、人々に害を成すやもしれません。フィリップス大佐。どうか先ほどの提案を、上層部に」
破壊的セクトやも知れぬ宗教団体に、分隊員が加わってしまった。
この事実を伝えるために、フィリップス大佐を応接室に呼び込んだのだ。
勿論、その目的陸軍省に情報を伝達し、全国的な新主教の立ち入り調査を実現させることにある。
ファリクには悪いが、彼の安全を強引にでも確保させてもらう。
冤罪でゾクリュに来た身としては心苦しいが、実際には犯していない罪で、彼の引き渡しを教団に要求するのだ。
教団が拒否すればそのまま捜査。
認めて引き渡しても、彼の栄養状態が疑わしいだのなんだのとケチをつけて、監査を入れさせる。
たった今、大佐に提案したことを簡単に述べれば、そんなものだ。
さて、陳情を受けた大佐の様子や如何に。
大佐は両手を頭の後ろに持っていく。
そして、背もたれに思い切り身を預けて、天井を眺めた。
直前に放り入れたアリス謹製のフィナンシェを頬張りつつも、その口からは重たげなうめき声。
いかにも悩ましげな声色。
反応は芳しいものでは、ない。
「なにか……気になる点でもあるのでしょうか」
「うーん。たしかに今の話聞いちゃ、彼らを一度は調べなきゃなあ、とは思いますよ。でもね。ちょーとウィリアムの言っていたやり方では、速さが足りないかもなあ。とも考えちゃって」
「速さが足りない、ですか?」
天井に向けていた顔面を引き降ろして、大佐は俺を直視。
そして懐から一通の封筒を引っ張り出した。
案の定、皺だらけのそれを俺に手渡して、大佐はまたフィナンシェに手を伸ばす。
彼の顔がなにやら渋い理由。
それはこの封筒の中にあるようだ。
一言断りを入れて、俺は封を開けた。
「写真、ですか? 風景の。いや、これは……建築現場の?」
封じられていた代物は写真であった。
例えば協会の鐘楼のような、高所にて撮影されたものだ。
画面の六割を占める、あまり再生の進んでいない平原を鑑みるに、これはゾクリュ郊外を写したものだろう。
俺が建築現場だろう、という推測を下した要因は、画面構成の残り四割にあった。
荒れた地面を掘り返す人々。
スコップ、ハンマー、つるはし。
地面にへばりつく人々は、例外なくそのいずれかの道具を手に携えていた。
突き固められた地面に突き刺さる柱。
そして行程を踏み、建物の面影がほんのりとのぞき始めた柱と梁の組み合わせ。
そいつらを取り囲むように存在する、仮住まいの場であろう、テント群――
十人見たら十人が俺と同じ結論を下すだろう。
だからこそいまいち掴めない。
大佐がこのタイミングで写真を手渡した意図が。
そして俺の提案に対して、渋っ面を作るに値する理由が、この写真にあるようには思えなかった。
「この写真がさきの話題……新主教とどのような関係が」
「これね。その場所でなにやらトンテンカンやってる人たちはね。新主教の人たちなんですよ」
「……なんですって」
大佐に言われて、つぶさに写真を見る。
中止すれば、作業している人の中に、あの小汚いローブ姿の出家者を確認できるかと思ったけれど、それは能わず。
遠所から撮影したこと、そして写真の粒子の粗さも相まって、人々の風体を確認することはできなかった。
「この屋敷から見て……丁度街を挟んで正反対のところでしょうか。数日前に彼らが突如としてやってきて、建設をはじめたのですよ」
「突然に? 目的はなにでしょうか? いや、そもそもこの建築物群。国の許可をとって作っているのでしょうか?」
「許可は得ているようですよ。僕もびっくりして、確認してみましたから。それでね。目的なんですが……」
どうにもこれからが本題であるらしい。
大佐は先日同様に饗されたアイスティーを傾けて、一度話に間を作った。
「このゾクリュに教会を拵えるようなのです」
「教会?」
「それも相当大きな教会なようですよ。他の宗教であれば、本拠として使えるくらいに」
「つまり、ゾクリュを本拠にしようと。それが目的?」
「いや、それはないでしょう。教義に反しますから。曰く、ひとところに留まってしまうと、多くの人々に救済をもたらすことが難しくなる。その時々に、一層救済が必要な所に赴くことを是としているようですから」
「……と、すると。今のゾクリュがこの世で一番救済が必要な場所である。彼らはそう考えている、と?」
「でしょうねえ。恥ずかしいことに、そう思われても仕方がないような最近でしたから」
がしがしと頭を掻く大佐の口の端は、嘲りの角度でつり上がっていた。
自嘲の笑みだ。
乙種騒動、無国籍亭襲撃事件、そして種族主義による邪神開放事件。
まるで戦中に戻ったのかと思わせるほどに、最近のゾクリュは騒がしかった。
それらの騒動を守備隊として発生を防げなかったことに、大佐は恥入っているようだ。
「しかし、一連の事件の未然抑止は難しかったと思いますよ。ゾクリュ守備隊の規模では」
「そう言ってくれれば、幸いです」
励ましのやりとり。
お互い社交辞令染みた会話はおいておこう。
写る人々が信徒である、ということで、写真がたしかに新主教と無関係でないことは明らかになった。
しかし未だに謎の部分もある。
どうして大佐が、俺の提案では速さが足りない、と断じた理由が明かされていないのだ。
「……ここからは、公式な情報ではありません。独自のルートで仕入れた情報な上に、裏が取れていないので、確証もありませんが……まあ聞いて下さい」
そして、今からその理由を語るのだろう。
大佐は両手を組んで、独り言染みた口調で物語りはじめた。
「彼らはゾクリュに来る前は、王都で活動をしていたのですが……その間、王都の裏世界であることが話題になっていたのですよ」
「話題、ですか?」
「ええ。結構物騒な話題ですよ。悪い軍人の小遣い稼ぎのせいで、裏世界に流れるモスボール化した小銃や拳銃。あるときから、こいつの流入がぱったりと途絶えたようなのです」
「それはいいことなのでは? 横流しする輩を摘発できた、ってことなんでしょうから」
「僕もその話を聞いたときはそう思ったんですよ。でも……そうじゃなかった。最近ではまた、流入がはじまったようでしてね。その上流入量も、途絶える前となんら変わりがなかったんです」
「……それは妙な話ですね。もし摘発があったのならば、横流しをやってる連中は慎重になるはず。バレないように少しずつ売るようになるから、その量は一時よりも少なくなる。そのはずです」
「その通り。裏世界の住民もこの奇妙な現象に首を傾げてましてね。で、彼らは聞いたらしいのですよ。その悪い軍人たちに。横流しが一時期滞った理由はなにか、ってね。そしたら……」
「そしたら?」
「みな一様にこう口を開いたらしいのですよ。横流しを止めた記憶はない。なくなったと言われるその間も、きちんと密売をしていた、ってね」
「それは……つまり」
「ええ。そうです」
身を乗り出すでもなく、声を一層張り上げるでもない。
取り立てて言葉を強調する意図、大佐にはそれが見られなかったのに。
「横流しが少しの間、堰き止められていた。どっかの誰かが、ひたすらに買い漁っていたから。つまりはそういうことです」
静かに気もなく、普段通りの話し方だったのに。
大佐のその言葉は、不思議と心の深いところまで入り込むようであった。
「……新主教がその犯人である、と? もしかしたならば、彼らは武装しているかもしれない。と、いうわけですか?」
「しつこいようですが確証はないですよ。でも、彼らが王都で活動した時期と流入が滞った時期。そして再び流れはじめた頃合いと、彼らがゾクリュにやってきた日。これがぴたりと合致するんです。怖いくらいに」
正規な調査ではないために、確証性はたしかにない。
本当にただの偶然であることも否めないし、実際その可能性の方が大きいだろう。
だがしかし。
もし、万一そうであったのならば。
「なるほど、速さが足りないと言ったのはそのためですか。独断で構わないから、今、ここで彼らが本当に物騒か否か。それを確かめなければならない、と?」
「実際武装の可能性は否定できないし、もしされてたら困るでしょう? 僕はまたゾクリュで発砲沙汰が起こるなんて、もううんざりなんですよ」
「たしかに」
大佐の意見には心から同意する。
平和となったはずなのに、なにかと銃声と硝煙のにおいと縁のある、戦後のゾクリュ。
非日常的象徴のコンビはもう先日の事件で最後にしたい。
そのためにも、いち早く対応しなければならないのだ。
俺の提案を上層部に届けている内に、彼らの準備が完了してしまったら。
それは折角のチャンスをみすみす見逃した真似でしかない。
また発砲事件がゾクリュで起こってしまうだろう。
大佐が速度が足りない、と評したのはこれを恐れるが故のことなのだ。
「なら、大佐の考えるスピード感がある対処方法。それをご教授していただけませんか?」
「危険ですけれど、簡単ですよ。突然建築現場を訪ねればいいのですよ。現在武器を持っているならば、絶対にテントに入れないでしょうし。それに……」
「もし、上手に隠せても。訪れた者が戦場を知っている身であれば、嗅ぎ取れるはず、ですか? 武器の置いてあるにおいを。何故なら戦場のキャンプと、今の現場は似ているから」
「その通りです」
また新たに手に取ったフィナンシェを弄びながら、フィリップス大佐は肯んじた。
今の大佐の肯定には、言外にオファーも含まれていたことを、俺は見逃さなかった。
やってくれますか?
彼の誘いとはそんなもの。
戦場を知っていて、なおかつ、万一荒事があっても切り抜けられる経験を持っている者。
彼の対策に求められる人物像とはそれである。
そして、不肖の身ながらその条件に俺は合致していた。
これは一種の潜入捜査でもある。
先日のレミィの件を見るように、その手の仕事というのは常に危険が付きまとうもの。
本来であれば受諾をすることに足踏みをして然るべきであろう。
しかしながら、俺は迷わない。
この仕事にはゾクリュの平穏となによりも、戦友のファリクの無事がかかっているかもしれないのだ。
他人の安寧と俺の命。
その二つを天秤にかけて、どちらに傾くか。
今更言及する必要もあるまい。
だから俺は居住まいを正して。
是非やらせてくれ、と頷く――
「申し訳ありません。お断りします」
――その前に、声が響いた。
拒絶の言が応接間に生じた。
もちろん、その主は俺ではない。
まさかの事態であった。
俺と大佐は、ぱちくり、まばたきしながら見合わせて。
そして驚き隠せぬ表情のまま、彼女を見た。
これまでずっと黙って扉の近くに控えていて。
そしてにわかにくちばしを挟んで、拒否の言葉を紡いだアリスを。
彼女はいつものにこやかな表情ではなくて。
眉間に眉を寄せ、見たこともないようないかめしい顔を作っていた。




