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第五章 十一話 残る戦友

 曇り空と雨がぱらつく日が多いのが、王国の気候の特徴である。


 どんよりとした天気というのは、それだけでちょっぴり気分が下がってしまうもの。

 ねずみ色の雲は、人間の心模様も空と一緒に暗いものにしてしまうのだ。


 朝目覚めて、カーテンを開けたら鈍色の空が出迎える――

 なんて一日の始まりは、たしかに気持ちのいいものではない。


 ともすれば、天気が優れない日というものは、誰しもが勘弁して欲しいと願うもの。


 しかしながら、たった一つの季節に限って言えば、そのセオリーは当てはまることはない。


 その季節とは夏だ。

 そう。

 丁度、今の季節。


 厳しい日差しを遮ってくれる、天然のオーニングとして機能してくれるが故に、逆に喜ばれる。


 今日関してもそうだ。

 どんよりとした典型的なキングス・ウェザーのおかげで、今訪れているゾクリュの街は、シャツを腕まくりする程度で汗が引く暑さであった。


 そんな過ごしやすい街の空気の中、アリスと共に歩く。

 昼下がりと呼ぶには、些か時を重ねてしまった頃合い。


 街の人々はランチを終え、各々の職場なり居場所なりに戻ったせいか、人の出は控え目であった。


 そして、俺たちが夜店通りに入ると、人足は一層乏しいものとなる。


 当然だ。

 夜店通りのピークは夕方を過ぎてから。

 太陽が元気なときは、寝静まっているのが常である。


 わざわざ許可をとって街に降りてきて、にも関わらず、活気とは程遠い場所に足を運ぶ理由はなにか。


 かいつまんで言ってしまえば、詫びを入れに来たのである。

 この地で店を営む戦友に。


 目的地にたどり着く。

 つやつやとなるまで真っ赤に塗られた扉を押す。

 扉にかかったクローズの札を無視して、店の中へ。


 ランチを捌き終えたばかりだからろうか。

 揚げ物の油のにおいが、ふわりと鼻腔をくすぐった。


「お客さん。扉のプレート見えなかったのかい? もう閉店……ってウィリアムとアリスじゃねえか」


 クローズの表示を無視したこと。

 そのせいで不機嫌な声をあげたのは、ここの店主である大男、ギルトベルトであった。


 掃除中であったのだろう。

 大きなその手にはモップが握られていた。


「やあ。閉店中の方が忙しくないと思って来たのだけれども、どうやらそうでもないようで。ごめん、考えが足りなかった」


「いや、今は暇だよ。メシ時や夜に比べりゃ、仕事なんてないようなもんだ。だが、まあ、なんでこんな時間にやって来たんだ?」


「アリスがね。どうしてもって」


 その言葉を合図にしたらしい。


 俺の一歩後ろに立っていたアリスが、一歩、二歩を踏み出す。

 俺の前へ。

 そしてずっと手に持っていた、大きなバスケット。

 これをギルトベルトに差し出して。


「先日は申し訳ありませんでした。急に来訪をキャンセルをしてしまいまして。せめてものお詫びの印に……と」


「へっ?」


 アリスは言葉と共に深々と頭を下げた。


 それはギルトベルトにとっては、予想外の動きであったのか。

 ぽかんと口を開け、いかにも呆気にとられた面持ちとなる。


 そしてアリスはその隙を突く。

 なんだか気が抜けた様子のギルトベルトにバスケットを押しつけて。


 ギルトベルトもアリスのされるがまま。

 モップの柄を脇に抱えて、まんまと贈り物を受け取ってしまった。


 数瞬経って、二、三回頭を振って、彼は我に返る。


 そしてバスケットを押しつけ返す。


「いやいや。詫びなんていらんし、返って悪いわ。体壊しちゃ元も子もないんだからな。あの状況じゃあ来なくて当然だ」


 だが、ギルトベルトのその動きは、いささか遅きに失していた。


 アリスは渡し終えるや否や、手を引っ込めて、颯爽に返品拒否の姿勢を表明。


 そればかりか、無言で顔にニコニコを浮かべる始末。

 表情にトゲはこれっぽちもないのに、どういうわけか。

 有無を言わさぬほどのプレッシャーがあった。


「……では、いただきます」


「はい。どうぞ。アップルパイですよ。どうぞ、皆さんでご賞味下さい」


「じゃあ、まかないのデザートとして、いただこうかと思います……」


 バスケットとアリスに視線を行ったり来たりさせたあと。

 敗色濃厚なのを悟ったか。

 こうしてギルトベルトはアリスの笑顔のプレッシャーあっさり屈した。


「……なに、ニヤニヤしてるんだよ。ウィリアム」


「いやあ、なんでも? きっとギルトベルトは結婚したら、尻に敷かれるタイプなんだなって思ってさ。ちょっとした暗い愉悦をば」


「お前に言われたかねえわ。現在進行形で尻に敷かれてるくせに」


「ははっ。いいジョークだ。負け惜しみが含んでなければ、よりよかったのに」


「いいジョークって……お前。それ本気で言ってるのか?」


「ジョークじゃなかったなんだって言うんだい? 同じこと返すけど、さっきのまさか本気?」


「うん……いや。ああ。もういいや。自覚がないのならそれでいいよ。俺の負け惜しみってことで」


 負け惜しみ、と指摘されて、答えに窮したか。

 ギルトベルトは急に口ごもり、歯切れが悪くなる。


 なぜだか憐れみの視線を俺に寄越していることが、少し気がかりだけど。

 でも、そろそろギルトベルトを茶化すことは止めておこうか。


 掃除も一段落終えて、一息つこうとしているように見える。

 こんなとき、来客があってはちゃんと休めないだろう。


 アリスに目配せをする。

 彼女はそれを見逃さなかった。

 小さく首肯。


 その頷きを見届けて俺は、半身になる。

 先ほど開けた扉に手をかける。

 退出の準備。


「なんだ? お前たち、もう帰るのか? 折角ここに来たんだ。まかない作ってやるから、ゆっくりしていけよ」


「その気持ちはありがたいけどね。でも俺たちが居たんじゃ、そっちがゆっくりできないだろう。まして、夜にも仕事があって大変なのに。お暇するのがスジってもんだよ」


「そんな気なんて遣う必要ないのに。ああ。あとそれとな」


「うん?」


「その扉から一歩……いや二歩か。下がっておけ」


「え?」


 アリスの手を引いて一歩、二歩下がる。

 

 どうして、そんなことを――


 それを聞く前に指示に従ってしまうのは、長年の軍隊生活による賜物だろう。


 力任せに扉が開かれる。

 それは二歩目を刻んだのと同時に起こったことだった。


 反応していなかったら、体のどこかに扉がぶつかっていただろう。

 衝突は避けられたが、俺もアリスも少しだけびっくり。

 そしてそれは、扉を開けた方も同じであったようだ。


「ぬあっ。び、びっくりした……ウィルのあんちゃんと、アーちゃんじゃない。どったの? 閉店しているここに居るなんて」


 シニオンにした灰色髪。

 そして同色の瞳。

 魔族だ。


 先日、不運にも無国籍亭襲撃事件に巻き込まれてしまった戦友、フェリシア。

 閉店中のこの場所に足を踏み入れたのは彼女であった。


 フェリシアは扉を開けたら、思いもよらぬ人影を見て、ぎょっとしていた。


 だが、そんなフェリシアの今の姿を見て、俺もアリスも再び驚愕してしまった。


「え、ええ。この間私が風邪で倒れてしまったときの、そのお詫びに来たのですけれど……えっと。その? フェリシアさん?」


「なあに。アーちゃん」


「……もしかして、その格好でここまで?」


 いかにも聞きづらいといった体で、アリスが問いかける。

 その格好は何事かと。

 本当にそれで外を出歩いたのか、と。


 今のフェリシアの身なりをもう一度よく見てみる。


 髪は簡単にシニオンにしている。

 これはいい。


 問題は、その服装。

 袖と裾の長い、ゆったりとしたベージュのネグリジェ。

 つまりは寝間着。


 そんな格好した年頃の少女が、あろうことか扉の向こうからやって来たのだ。

 唖然してしまうのは無理からぬことであった。


「あー。ま、だらしない格好だけどね。ぼくの家、すぐ近くだから問題ないよ。外に出るの一瞬だしね」


「でも……どうして、そんな格好なのでしょうか?」


「そりゃ、ついさっき起きたからね。それよりも……おいちゃーん! 居るー?」


「はいはい。んな大声出さなくても聞こえてるよ。メシだな? 待ってろ、今ムウニスに頼んでくるから」


「あ、あと新聞もお願い」


「はいよ」


 モップを手にしたままギルトベルトは裏へと消えてゆく。

 言葉通りフェリシアが来たことを、ムウニスに伝えるためだろう。


 対するフェリシアはまったくためらう様子なく、手近な席に腰を下ろして。

 とても大きなあくびを一つかましていた。


 それにしても、である。

 今のフェリシアとギルトベルトのやり取りには、奇妙なものであった。


 閉店中にも関わらず、我が物の顔で入ってきたフェリシア。


 ギルトベルトはその行いになにも言わず、それどころか彼女のために料理を作ると言う始末。


 まるで常連客(実際そうなのだが)のようなやり取りだ。

 これを閉店中にやったのだ。


 二人、というか彼女と店の間になかがあったとしか思えないやり取り。

 色んな邪推が浮かび上がってしまう。


「んー? どうしたの? あんちゃん。思案顔しちゃって」


「実際なかなか興味深いやり取りだったからね。いつもこんな感じで、閉店中でも構わずご飯食べに来るの?」


「まあね。それがぼくとこのお店と交わした契約だし」


「契約?」


「ああ。この物件な。フェリシアが見つけてくれたんだよ」


 フェリシアへの恐ろしく遅いモーニングコーヒーを持ってきたギルトベルトがそう言う。


 彼はついでに、二つのワインもフェリシアの居るテーブルに置いた。

 ちらと俺とアリスを見たあたり、これは俺らのために持ってきたらしい。

 どうやら、帰るタイミングを逸してしまったようだ。


 流石に一口もつけずにお暇するのは、それこそギルトベルトらに悪いだろう。

 アリスと一緒に苦笑いを浮かべつつ、フェリシアの朝食に相伴する。


「契約ってことは……なに。フェリシアは今、不動産仲介を仕事にしてるの?」


「ううん。違う違う。探偵というか。まあ、そんな情報を扱う仕事をやってるんだけど。仕事中にいい物件を見つけたんで、おいちゃんに教えてあげて。そして、交渉もぼくが代わりにやってあげたってわけ」


「で、その見返りとして、コイツの昼食を毎日タダで作ることになった……ってことよ」


「ずいぶんと太っ腹だね」


「安い対価さ。周りの店には言えないくらいに格安で借りられたからなあ。ほんと、フェリシアの交渉能力には本当に助けられたぜ」


「そうだ、そうだー。もっと褒めろ。ぼくの自己承認欲求を満たしたまへー。それはそうと、おいちゃん。新聞は?」


「はいはい。待ってな」


 また、ギルトベルトが裏へ消えてゆく。

 今度はフェリシアがリクエストした新聞を持ってくるために。


 新聞を求めた当人は猫舌であるのか。

 香ばしい湯気を漂わせるコーヒーを、ふうふう息を吹きかけて冷ましていた。


「そっか。そんなことがあったんだ。で、俺が気になるのはね。探偵みたいなことやってる、ってことなんだけど」


「んー? ほら。ぼくは魔族だから。情報網ってのは手広く持ってるんだ。で、それを有効活用しよう、と思ったら、情報屋や探偵みたいなことが一番お金になると思ってね」


 定着魔法で魔道具を拵えて、それを売る。

 魔族はそうすることで、力を蓄えてきた歴史がある。


 それ故彼らは商売のための、独自の情報網を持っていることが、往々にしてある。


 その情報網は親から子へ引き継がれることもあるそうだ。

 魔族の国ではその場合、情報網の相続に税金が発生するというのだから驚きだ。


 つまり情報を手に入れる手段。

 これは一種の資産である、と見なすまでに、彼ら魔族は情報というものを重視しているのだ。


 とすれば、なるほど。

 フェリシアが王国で情報業を営むのは、悪くない選択かもしれない。


 だが、しかし、である。

 彼女が危ない情報を手に入れたとき、その身に危険が及ぶのではないのか、という心配はあった。


「でも、あんまり危ない橋は渡らないようにして下さいよ。流石にちょっと心配ですから」


「ご心配どうもありがとう。でも大丈夫。本当にやばくなったら、守備隊に情報売りつけて、仕事をぶん投げるから」


「……危ないときでもお金儲けは、しっかりと考えるのですね」


「当たり前じゃん。だってお金は大事だよ? お金があれば出来ることも増えるし。あって困ることはないからね」


「ま、その損得勘定の聡さ故に、俺らはここを格安で借りられて、助かったわけだけどな。ほれ、新聞と……お前への郵便物だ。またここに届いてた」


「うげ。郵便配達員、また住所間違えたの? ぼくの家はここの真裏だって、何度も言っているのにぃ。もお」


 二つの紙製品が、ぶつくさ文句を言うフェリシアの前に置かれた。

 ご所望の新聞と、誤配送されたという封筒の二つ。


 封筒はなかなかに大きな代物であった。

 二つ折りされた新聞紙の、丁度半分くらいの大きさ。

 厚みもある。

 そこそこ紙幅のある書類が入っているのだろうか。

 

「ずいぶんと大きな封筒だね」


「うん大判写真。ちょっとさ。お金になるかもしれない情報を手に入れたんでね。その下調べとして、写真屋に撮影をお願いしたんだよ」


 誰かの調査依頼ではなく、それ故秘匿義務もないからだろうか。

 フェリシアは早速封を開けて、テーブルの天板ほどの厚みのある紙束、いや写真束を取り出した。


 大判写真と言っていたとおり、一枚がかなり大きい。

 共和国の油絵規格でいうところの、人物型の二号ほどはありそうだ。


 一枚一枚めくりながら、フェリシアは写真に目を落とす。

 一枚にかける時間は短い。

 被写体がちゃんと写っているかどうか、それだけを軽く確認しているようだ。


 妙な写真は混ざっていないらしい。

 彼女の写真をめくる手は快調に動き続けていた――


 ――のであるが。


「……うっそ。マジで?」


 ぴたり。

 めくる手が止まる。


 そしてぽつり。

 口ずさむ。

 写真に写っているモノが、いかにも信じられぬ、といった口調だ。


 顔付きもぽかん。

 口を半開きにして、いかにも呆然唖然。


 どうやら写真には、ただならぬモノが写っていたようだ。


「フェシリア? どうしたの?」


「ん。ああ……ちょっと厄介なことになりそうっていうか……。そうだ。ねえ、二人とも。あのドワーフのあんちゃん。今、どこに居るかを知ってる?」


「いや、全然。プライベートの問題は不干渉、って暗黙の了解が分隊にはあったから。戦後の足取りは全然知らなかったんだよ。アリスはどう?」


「ええ。私も。この街で再会した皆さんにしたって、まったくの偶然ですし。ファリクさんがどこに居るのかの見当は……」


「……そっかあ」


 フェリシアが言うところの、ドワーフのあんちゃんとは、分隊員の一人であった。

 名をファリク・スナイという。


 なかなか真面目な奴で、任務においては超がつくほどの堅物であった。


 しかしながら、どうしてこのタイミングでフェリシアはファリクの話を持ち出したのか。

 はじめはそれがわからなかったけれど。


 だが、ファリクの行方はわからない、と告げたとき。

 行方を問うたフェリシアの顔色、それがまったく優れないことから、俺はなんとなしに悟ってしまう。


 彼女が奴の行方を聞いたわけと、彼女を唖然とさせたその写真の被写体を。


「……分隊、いやファリクがらみ? その写真」


 フェリシアの返答はなかった。

 代わりに手に持つ写真を俺とアリスに差し出す。

 格好つけたがりのバーテンのように、テーブルを滑らして寄越す。


 すうと滑ってやって来た、きっと現像して日の浅い大きな写真。

 俺はアリスとほとんど同じタイミングで、視線を落とす。


 そこには。


「……どう思う? アリス」


「……ファリクさんですね。どう見ても。でも……」


 ファリクが居た。

 セピア色の画面に映っているのは間違いなくファリクだ。


 ドワーフ特有の小さくとも骨太で、がっちりとした体つきは未だ健在。

 ヒゲと髪は手入れを怠っているのか、伸び放題でどちらもぼさぼさ。

 でもヒゲの下の頬は極端にやつれている風には見えない。


 写真で見る限りでは健康そうだ。


 だが、ああ良かった、と安堵のため息をもらすことはできない。

 何故であるならば。 


「……なんだこの服装? ローブか? これ?」


 服装がどうにもおかしい。

 写真のファリクはフードを目深に被って、ぶかぶかで、つぎはぎだらけのローブに身をくるんでいた。


 正直、かなりみすぼらしい身なりだ。

 その見てくれは物語に出てくる、流浪の世捨て人のよう。

 清潔さがこれっぽっちも感じられない。


 どうして、こんないかにも不景気な格好をしているのか。

 どうやら、その答えはフェリシアは知っているらしい。


 魔族の少女は小さくふうとため息をついて、そして。


「法衣だよ、それ。今、流行ってる新興宗教の。しかも、どうにも出家しているみたい。ファリのあんちゃんの着てるそれ、出家信者のものだから」


 フェリシアは一息にそう言った。


再会していない、分隊の最後の戦友がどうやら新興宗教に傾倒しているようだ。

彼女の言うことの意味とは、つまりはそういうことだった。

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