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第五章 十話 新人さんは不器用さん

 ティータイムを終えた、昼下がりのことだ。

 突如として悲鳴が屋敷のラウンジに鳴り響いた。


 そう()()()()()のだ。

 誰かが()()()()()のではなく、()()()のだ。


 それは即ち、悲鳴の主は人ではなくて、物であることを意味していて。

 事実、舶来物の真っ赤な絨毯の上には、哀れにも粉々になった、磁器のティーセットが散乱していた。

 言うまでもなく、さきの悲鳴の主はこいつである。

 

 幸いなのはお茶を飲み終えていたから、ポットもカップも空っぽであったことか。

 もしお茶が残っていたのならば、絨毯に染みてしまい、被害はもっと大きくなっていただろう。


 ティーセットが独りでに割れる、なんてことはありえない。

 誰かが落とさない限りは壊れないのだ。


 一体誰が茶器を割ったのか?

 答えを欲するのならば、バラバラになった磁器から、つうと視線を上げれば判明する。


 ずっとくたびれていた服だったせいか。

 真新しいシャツとパンツを着ているだけで、猛烈な違和感を身に纏わせている少女、エリー・ウィリアムズが犯人であった。


 そのエリーであるが、口はぽかんと半開き。

 呆気にとられた、と表現すべき顔。

 目の前のことを上手に理解できていない、といった感じ。


 しかし、時を負う毎に、そんな驚ききった顔はみるみる青ざめていった。


「やっべ……ま、また割っちゃった……」


 小さくエリーが呟く。

 また、と彼女は言った。


 そうだ。

 エリーが皿や茶器を割ったのは、今回が初めてではなかった。

 むしろ常習犯であった。


 殿下の薦められるまま、彼女をアリスの後輩として採用したのであるが、このエリー、とてつもなく不器用であった。


 野菜を切ろうとすれば、刃が滑って切るべき野菜がどこかにすっ飛び、洗濯をすれば衣服を破き、食器を運べば、かくの如し。

 なかなかのポンコツぶりを披露してくれていた。


「おーう。またですか、新人ちゃん」


 茶化しの音色が多分に含んだ一声が、机を挟んで対面から聞こえてきた。

 ヘッセニアのものだ。

 エリーを責める風ではない。

 でも、ヘッセニアは慌てるエリーの様子を見て、楽しんでいるようである。


 その証拠に口元には意地の悪いにやにや。

 なんともいい性格をしているものだ。


 さて、そんな意地悪な笑みを向けられている、当の本人は。


「ああ、ちょっと待った。素手で欠片を拾わないで。尖ったところで、手を切るから」


 おもむろにしゃがみ込んで、そのまま割れた破片を拾おうとしていた。


 俺の制止の声に彼女は素直に反応。

 指先が欠片に触れる寸前、ぴたりと動きを止めた。


 エリーはこちらを見る。

 その目色はやはり落ち着きが見られなくて。

 どう動いてこの事態を処理したらいいのか、それがわからないようだ。


「それじゃあホウキで掃いてしまおう。それなら手を使う必要はないだろう?」


「わ、わかった。でも……ラウンジで使うホウキってどこに」


「ここにありますよ。どうぞ、エリーさん」


 エリーがホウキはどこだと、また冷静さを失う予兆を見せた、まさにそのとき。

 本当に素晴らしいタイミングでアリスからのこの助け船。

 どうやら後輩がセットを割った時点で、ホウキの準備をしていたようだ。


「よし。俺も手伝うよ」


「いいえ。大丈夫ですよ。どうかそのままで。これは私とエリーさんで十分ですから」


「そう? なら、いいけど……」


 片付けに加勢しようとするも、アリスにやんわりと止められた。

 ソファーから浮かせた腰を、また落とさざるをえなくなる。


 お茶を飲み終えたこともあって、手持ち無沙汰となる。

 やることもなく、ホウキを使って磁器の欠片をひとところに集める二人を眺めた。


 彼女たちはただ漫然と、散らばった破片を集めているわけではないようだ。

 アリスはエリーに絨毯の上での、上手なホウキの使い方をエリーにレクチャーしていた。


 やりかたを教わったエリーは、いかにも不器用で、かたい動きでホウキを動かす。

 しかし見た目とは裏腹に、動き方自体は要点を摑んでいるようだ。

 繊維に絡め取られることなく、そこそこ上手にティーセットの破片を片付けることができていた。


 問題はなさそうだ。

 まずは一安心。


 ぼうと、そんな風に二人の片付けを見ていると、ふと視線を感じた。

 視線は対面からだ。

 その源に目を向けてみると、ヘッセニアがさきの意地悪顔を、俺へと向けていた。


「なにさ。ヘッセニア」


「いやあ。なんとも過保護なことだなあ、って思ってさ」


「過保護になるのは当然だろう? あんなことがあったんだから。また、無理させて倒れたら大変だ」


「いやいや。違う違う。アリスにって意味じゃなくてさ。エリーに対して過保護って言いたいの」


「エリーに?」


 思ってもみなかった言葉だ。

 最近の彼女へ対する態度を振り返ってみる。


 特に厳しくも当たっていなし、ヘッセニアが言うように、甘やかすつもりはなかったはずだ。


 だから、ヘッセニアがなにをもって、俺がエリーに過保護であると言ったのか。

 それがまるっきりわからなくて、ますます首を傾げてしまう。


「やれやれ、自覚はなしですか。こりゃ重症だ。君たち将来、とんでもない親馬鹿になること受け合いだよ」


「君たち? どうして複数形なんだい?」


「そりゃアリスも十分過保護だからよ。あの娘、愛嬌あるから許せるけどね。普通雇った使用人が、こんなにヘマ連発しているのならば、激詰めするもんよ」


「む」


 それを言われるとたしかに苦しい。

 雇用関係にある以上、エリーにはきちんと給料分の働きをする義務がある。


 そして彼女がそれに見合う働きをしているのか、と言われれば、それは否。

 料理も洗濯もダメで、辛うじて掃除ができる程度の体たらくなのだ。

 気の短い雇用主であるならば、契約解消されていてもおかしくはない。


 そう。

 俯瞰してみれば、エリーはまったく役に立ってはいないのだ。


 それなのに注意もしないなんて、なんともまあ、甘すぎる。

 ヘッセニアが言いたいこととは、これであろう。


「……たしかにそう言われると。俺もアリスも彼女に対して甘いのかもしれない。でも」


「でも?」


「自分でも不思議なことなんだけどさ。どんなにヘマしても、エリーを責める気にはなれないんだよ。危険な真似するとか、悪いことするとか。そんなことじゃない限りは怒れそうにないんだ」


「おやおや。マジで親心が芽生えてるじゃん。ま、それも無理もないかもね。だって、あの娘、似てるし」


「似てる? だれに?」


「ふとした瞬間、アリスに」


「似てるぅ?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 ヘッセニアの言うことがあまりに突飛であったが故に。


 しかし、俺の声は自分の思っているよりもずいぶんと大きく出てしまったようだ。

 観察の対象であったアリスとエリーが作業の手を止めて、こちらを見たことがその証拠であろう。


 二人分の訝しみの視線。

 それを愛想笑いでいなして、なんとか誤魔化す。


 そして誤魔化しがてら、ヘッセニアが似ていると称した二人を比較する。

 何度も二人を見比べてみる。


 大きくつぶらな碧眼の持ち主のアリスと、切れ長な深紅の瞳をもつエリー。

 まぶただって二重と一重で綺麗に分かれている。


 鼻にしてもそうだ。

 アリスと比較して、エリーのものはいささか低い。


 このようにとてもではないが、共通性は……


「……ないな。似てる? どう見ても俺には似ていると思えないのだけれども」


「だろうね。あの娘、君にも似ているから。アリスの特徴だけを見出そうとしたら、そりゃね」


「俺に? まあ、たしかに髪の毛の色はそっくりなのは認めるけど。でも、それ以外は微妙じゃないか?」


「そうじゃなくて。なんと言ったらいいのかな。雰囲気が似てるってやつ? なんとなーく、君とアリスを足して割ったような感じがするわけ」


「おいおい。雰囲気が似てるって」


 自信たっぷりに似ている、と断言した割には、ずいぶんとふわふわとした根拠である。

 具体例を上げられない以上、あくまでヘッセニア個人の感想とみなしてよさそうだ。

 話半分に聞いてやるのが適当な対応であろう。


「むー。本当に似ているんだってば」


「はいはい。似てる似てる」


「うわ……生返事。絶対信じてないじゃん、それ」


 急に態度がぞんざいになったことを、敏感に感じ取ったか。

 ヘッセニアは、両手をぶんぶんと振り回す幼い動きで抗議の意を表明。


 例によって子供返りを引き起こしたヘッセニアを尻目に、二人の使用人たちは、どうやら片付けを終えたらしい。


 回収した欠片を捨てるために、ラウンジから退出。

 磁器の破片がたっぷり乗ったちりとりを、エリーがおっかなびっくり運ぶ。

 そろそろと覚束ない足取りでラウンジを後にする。


 ちょっとした段差に躓いて、再びティーセットだったものをぶちまけたりしないか。

 そんな不安を抱いてしまうくらいに、怪しい足運びであった。


「……ねえ。ウィリアム」


 二人がラウンジから居なくなったこと。

 それをしっかりと確認してから、ヘッセニアは声を潜めて、俺に問いかける。


 声色、そしてわざわざ俺と二人っきりになったタイミングで、問い直すところから察するに。

 さきの二人には知られたくない、そして結構深刻なことを話したいようであった。


「お節介だとは思うけれどね。エリーには少し用心した方がいいよ」


「そうだね。彼女が食器を運ぶときは、舶来の代物を使わないようにしておこう。いや、むしろ木製の皿とかがいいかな? それなら割れないから」


「そうじゃない。なにか物騒な動きをしているかどうか。それを気にしなさいって言ってるの」


「物騒? 刃物を使わせない、とか?」


「違う。例えば……あの娘が過激な種族主義や統合主義と接触していないか。その有無を気にするとか」


「なっ」


 それも思いもよらぬ発言であった。

 それ故俺は絶句した。


 つまりヘッセニアはこう言いたいのだ。

 彼女が物騒な連中のスパイかもしれない、と。


「なにを言ってるんだ? 君は?」


 当然その考えには頷けなかった。

 そもそも、この屋敷にスパイを送るってこと時点で妙な言いぐさだ。

 あまりに突飛すぎて、彼女の正気を疑ってしまった。 


「まだ彼女は十三か十四だよ? そんな物騒なことに手を染めているはずがないじゃないか」


「自分の初陣を忘れてしまったの? 十一のときだよね? アリスだって分隊に入ったのは十四のときだ。ロクでもないことをするのに、年齢は関係ないってこと。それは自分で証明しているじゃない」


「でも、それは戦争中のことだ。今は戦後だよ? そんなことがあり得るとは思えない」


「いくら戦争が終わったといってもね。まだ世界は、子供が子供らしく送るだけの平穏を取り戻していないよ。時代はいまだ混沌としている」


「でも、その証拠はないじゃないか。今日この日まで、エリーが怪しい素振り見せたことがある?」


「これからやるかもしれない、って話よ。だって考えてみなさいよ。あんな要領の悪い娘がだよ。どうやったらここまで無事に一人旅を続けられたのか、不思議じゃない? もし、彼女が悪い連中の世話になっていたのならば、庇護の見返りにスパイをやってもおかしくない」


「……ヘッセニア」


「食うために子供でも悪事に手を染める。残念ながら今の世の中じゃ、それはザラなの。特に子供には、性善説を当てはめたいのが人情だけど。ここは冷静になって、用心して。一度彼女の身辺を洗って――」


「ヘッセニア!」


 意図しなかったほどに大きな声が出てしまう。

 ヘッセニアが大きく目を見開いて、驚いてしまうくらいの声量であった。


 自分でも驚いた。

 多分俺も、ヘッセニアと同じように目をまん丸にしていることだろう。


 たしかにこちらの話を聞かず、自身の推測を披瀝する彼女には、苛立ちを覚えていたけれど。

 ここまで強い口調で言うつもりはなかった。

 自分の制御を超えて、怒鳴り声を上げてしまったということは。


 自分でも思っている以上に、怒りを覚えていたのだろう。

 根拠のない疑いをエリーにかけることに。


 なぜそんな怒りを抱いたのか。

 それはわからない。

 でもなぜか憤りを覚えたのだ。


 かくして、ラウンジにはしじまが訪れる。

 人を怒ってしまった、人を怒らせてしまった。

 だからお互い話しづらい。

 気まずい無音だ。


「……そこまできつく言うつもりはなかったんだ。ごめん」


「……いいえ。私も自分の考えばかり口にしすぎた。私自身が冷静になれてなかった」


 謝罪を交わすも気まずさは払拭されない。

 この手の雰囲気ってのは、しばらく場に停滞してしまうものだ。

 

 とは言え、いつまでもこんな空気を漂わせたままもよろしくない。

 そろそろアリスとエリーがラウンジに戻ってくる頃合いだ。


 帰ってきたら、俺とヘッセニアとの間に奇妙な距離感があったのならば、要らない心配をされかねない。

 少しでも柔らかい空気にしなければ。


 ヘッセニアの主張もある程度受け入れた態度も示さねば。

 

「……エリーは殿下がスカウトしたんだ。いくらあのお方と言えど、連れてくる前に経歴は調べたはず。そうだろ?」


「うん。それは、そうだと思うけれど」


「なら、きっと大丈夫だ。それに、都合がいいことに、今、この屋敷には国憲局員も居る。調べ事ならお手の物だ。なにかあったらレミィに相談する。そうするからこの場は納めてもらえないかな?」


「……そうだね。それなら、いいよ」


 よろず自分の欲求に素直なヘッセニアなれど、ここで意固地になったら、また空気が悪くなるということを理解しているらしい。


 先ほどの頑固さは鳴りを潜めて、今度は素直に頷いた。


 一応の手打ちは済んだことが要因だろう。

 気まずさの残り香はまだあるけれど。


 戻ってきた二人にそれを気付かせないくらいにすることができたはず。


 少なくとも俺はそう信じていた。

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