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第五章 六話 彼女の名演技

「アリス!」


 アリスの部屋の扉を開けて、開口一番に彼女の名前を呼ぶ。

 返事はなかった。

 

 良く片付けられた部屋。

 その壁際に置かれたベッドの傍。

 そこにアリスは居た。

 メイド服のままでそこに居た。


 アリスは膝を床について。

 そして上体をあずけるように、ベッドにもたれかかっていた。

 肩を上下させていた。


 呼びかけに反応せず、とても荒い呼吸。

 具合は相当に悪そうだ。


「ごめん。入るよ!」


 返事を待たず部屋に入り込む。

 きっと彼女には声が届いていないだろうし、なによりも、今は時間が惜しい。


 アリスの下へと駆け寄る。

 手を伸ばせば届く距離。

 しかし、それでも彼女は気がつかない。


 眉間にしわを寄せ、目をきゅっと閉じているだけ。

 本当に。本当に苦しそうな表情。


 少しでも彼女を楽にさせなければなるまい。

 俺はアリスを抱え上げて、ベッドに横たえる。


 アリスの額に手を当てる必要もなかった。

 彼女を抱えたときにわかった。

 服越しでもわかった。

 高いその体温が。


「ウィリアム! アリス、どう?!」


 まず遅れてやって来たのはヘッセニアであった。

 彼女がやってきたことに、なんとなく安心するのは、白衣を着ているからだろうか。

 でも、ヘッセニアは医者ではない。

 だから、この安心感は間違いなく勘違い。


「熱が高い。意識はほとんど昏睡。ついさっき発熱が始まった、とは思えない」


「朝からずっと熱があったってこと? でも……」


「ああ。そうだ」


 朝起きてから今この時まで。

 今日この日を思い返す。

 アリスの様子を思い出す。


 気になるところはまったくなかった。

 いつも通りのアリスであった。

 きっと具合が悪かったのに。

 それを表に出さなかった。

 つまり。


「隠してたんだ。具合が悪いことを。俺たちに悟られないようにしていたんだ」


 下唇を噛む。

 悔しかった。

 いつも一緒に居るはずなのに。

 彼女の演技に気がつかなかった俺が。

 洞察力の乏しい俺が。

 本当に憎たらしかった。


「こっちです! レミィさん!」


「到着。すまない。動きづらくて」


 気合いの入ったドレスを来た弊害。

 そしてここに居着いてまだ時間が経っていないためか。

 ヘッセニアから大分遅れて、しかも、アンジェリカに案内されてやってきたのは、レミィであった。


「意識。ない?」


「多分。呼んでも反応しない。とても苦しそうだ」


「私が見たときは、まだ、受け答えはできたのにっ。ど、どうしましょう? どうしたらっ」


 慌てふためくのはアンジェリカ。

 いつもしっかりしていて頼りになるアリスが急に倒れたのだ。


 しかも倒れたアリスを見つけたときは、まだ話を交わせたというのだ。

 つまりアンジェリカはアリスの容態が悪化してしまっている様子を、まざまざと見せつけられていることになる。

 平静さを失って然りな状況だ。


 だが、このまま慌てるだけでは、アリスの体調はなにも良くはならない。

 まず、やらなくちゃいけないことは。


「アンジェリカはヘッセニア、レミィと一緒にアリスを寝間着に着替えさせて。ずっと楽になるだろうから」


「わ、わかりましたっ。でも……一体寝間着はどこにあるのでしょうかっ?」


「アリスには悪いけれど、クローゼットを開けて探してしまおう。それでも、もしなかったら……そのときは、そうだね」


 ちらとヘッセニアを見る。

 いや、正確に言えば俺が見たのは――


「もし見つからなかったら。そしたらヘッセニア、君が羽織ってる白衣を着せてやってくれないか?」


 ――彼女の白衣だ。


 高身長の範疇に入るアリスと、小柄なヘッセニアではサイズは当然合わないだろう。

 だが、幸いなことにヘッセニアの着ているそれは、裾を引きずらんとするくらいに丈が長いもの。

 多分アリスの身長でも問題はないはずだ。


 唯一の懸念はヘッセニアの頑固が、空気を読めずにここで炸裂してしまうことだけれども。


「了解! そのときは着せてあげる。ああ、今日はちゃんと洗った白衣でよかったよ!」


 いつもきちんと洗っておけ、と突っ込みをしたくなる台詞とともに、ヘッセニアは了承。


 懸念は現実のものとはならなかった。


 よし、これで寝間着の保険が出来た。

 次に今のアリスが必要としているものといえば。


 水、か。

 飲み水ではなく。

 身体を冷やすための。


「よし! それじゃあ、ここは頼んだ!」


「ちょっと! 頼んだって……ウィリアム! どこに行くの?!」


「浴室だ! 桶を取ってくる! そのあとは庭の井戸で水だ! 熱冷ましに必要だろう?!」


「了解! なら良し! 行ってこい!」


 人手が必要なのに、この場を出て行くなんて何事か。

 そう言わんばかりにヘッセニアが呼び止めるも、俺の駆けながらの台詞に、あっさりと態度を変えた。


 行ってこい。

 その一言を背に受けながら、俺はアリスの部屋を飛び出た。


 廊下を駆け、曲がり角を曲がり、時には段差を飛び越えて。

 迷わず、あっという間に浴室へとたどり着く。

 熱気も湯気もない浴場に勢いそのままに踏み入って。

 目的の木桶を発見。

 入手。

 踵を返して。

 また駆ける。

 次に目指すは玄関。

 庭へ。

 井戸へ。


 段差に飛び乗り、曲がり角を曲がる。

 来た道を戻り、いつしか出発地を通過して。


 そして瞬く間に到着する。

 玄関へ。

 駆ける勢いはこれっぽっちも緩めずに。

 そのまま扉を勢いよく開けて。

 いざ、外へ。


 だが、直後にして足を止める羽目になる。

 玄関の外に居た、男とばったり対面してしまったが故に。


 急制動。

 慣性。

 衝突寸前で止まる。


「うおっ」


 驚きの声、耳朶を震わす。

 俺のものではない。

 玄関の外で、いま、まさに扉を開けて屋敷に入ろうとしていた、ブラウンのウェストコートが似合う色男のもの。


 その男とはつまり。


「クロードかっ」


「ウ、ウィリアムか……びっくりしたなあ、おい。どうした、そんなに焦った様子で」


「ああ。すまないけど、あんまり言葉を交わしている余裕はないんだ。手っ取り早く言うとね、今日の食事は、キャンセル! じゃ、そういうことで!」


「……はっ?」


 状況がいまいち飲み込めていないクロードを放っておいて、俺は再び走り出す。

 庭を、駆ける。


「お、おい! ちょっとまてウィリアム! キャンセルって一体なんだ?!」


 唐突にキャンセルを告げられたこと。

 それに面食らってしばらく呆然としていたクロードであったが、我を取り戻して、俺に倣ってダッシュ。


 井戸に向かう俺へと追いすがってきた。

 日々俺が世話をしている、芝生の上を二人で駆ける。


「アリスがね! 倒れたんだ!」


「なんだって? マジか?!」


「ああ、本当さ! 熱が高いんだ! それだけならまだしも、意識も怪しい! 悪いけど、ちょっと行けそうにない!」


「わかった! 俺にできることはねえか?! 非番で時間はある! 必要なことがあったら伝えてくれ! 手伝うぞ!」


「助かる! じゃあ、街に行って医者を呼んできて欲しい。そして……これはできたらでいいんだけど、ギルトベルトに行けなくなった旨を簡単に伝えてきて!」


「相分かった! 待ってろ! すぐに連れてきてやる!」


 井戸にたどり着く頃合い、一連の会話は終止符を打つ。

 水をくみ上げるために立ち止まった俺とは対照的に、クロードは踵を返して。

 あわただしく丘を駆け下りていった。


 そして入れ替わりに人影一つが駆け寄ってくる。

 それは屋敷の中からやって来た。


 ヘッセニアだ。


 どうやら、寝間着は見つからなかったらしい。

 先ほどまで羽織っていた白衣はどこにも見当たらず、素朴な綿のスタンドカラーシャツが目を引いた。


「着替えは終わったよ。結果は、まあご覧の通り。次はなにやったらいいかな?」


「ありがとう、助かった。それじゃあ……持ってきた桶に定着魔法を施してくれ。水が凍り付く寸前にまで、キンキンに冷やすやつ。急速冷却するやつ。その水で水嚢を作って、熱を下げるんだ」


「……ごめん。それ、多分できない」


「なんだって?」


 予想外の返答に釣瓶を引く手を止める。

 じっとヘッセニアを見つめる。

 彼女は本当に申し訳なさそうに、伏し目がち。

 嘘を言っている気配は、当然ない。


「ゆっくりと冷やすのならばできる。でも、急速でやるとなると……きっと、求める温度を通り越してしまう。氷結する温度にまで下がってしまう。そうじゃないと、急速冷却は実現できない」


「じゃあ、水そのものに魔法を定着させることは?」


「それも無理。液体と定着魔法は相性最悪なの。固体……最低限粉末状じゃないと、魔法を定着させることができない」


「……参ったな」


 定着魔法の第一人者がそう言うのだ。

 俺の要求したことは、定着魔法の使い手にとって、正真正銘の無理難題なのだろう。


 こんなことならば、クロードをもう少しここに留めておけばよかった。

 彼が居たならば、火や水を作り出す属性魔法で氷が手に入って、氷水が簡単に作れたのに。


「ねえ、ウィリアム。冷えた水ならば、レミィに頼んだら? 確か属性魔法、使えたでしょ?」


「いや、無理だ。彼女は風と火に特化している。水や氷は産み出すことができなかったはずだ」


「ああっ! もうっ! なんだって倒れたのがアリスなのよ! アリスなら簡単に作れるのに!」


 ややヒステリックに叫ぶヘッセニア。

 しかし、彼女の言い分ももっともだ。

 単純に氷を得たいなら、アリスに頼むだけで済んだ。


 頼んだ。

 了解。


 短いそのやりとりだけ。

 たったそれだけ。


 でも、それは当然使えない。

 アリスを看病するためにアリスを叩き起こす、という、とんでもない矛盾が孕んでいるからだ。


 さらに言えば、やはり本当にクロードがこの場に居ないことも悔やまれる。

 威力は一般常識内に収まるものの、使える属性魔法の広さで言えば、彼はアリスに次ぐほどだったのだ。


 よりによって残った分隊員が俺を含めて、どいつもこいつも尖った能力な上に、平和利用しにくい連中ばかりとは。


 万事力任せに、爆発魔に、凄腕ガンスリンガー。

 硝煙のにおいと切っても切り離せない、物騒な奴らばかりだ。


 他人を看病するのにも、大慌て……の?


 いや、まて。

 

 硝煙?

 硝煙だって?


 それはつまり、火薬が焼けたにおいだ。

 火薬。

 無煙火薬ではなく。

 古式ゆかしい火薬にはたしか。


「……ヘッセニア。聞きたいことがある」


「なに?」


「君、黒色火薬を今も作ってるかい? 原料、持ってる?」


「作ってるし、持ってるけど……それが?」


「つまり硝石を持っている?」


「持っているけど……だから、それがなんなのよ?」


「よし。いいぞ。じゃあ、桶に魔法を定着させよう。急速に冷やすやつでいい。この際、凍らせてしまおう。常温水さえ準備すれば、氷水がいつでも作れるから」


「それでいいならやるけど……でもいいの? 急速に冷やすって言っても、どんなに短くとも、辺りが暗くなるまでの時間はかかるよ?」


「それでもいい。その間は硝石でなんとか冷水を都合する」


「硝石で、って……? あ! そっか! 溶解熱か!」


 今でこそ黒色火薬の原料として知られているな硝石も、その昔は飲み物を冷やすための、寒剤として使われていたのだ。

 劇的には冷えないだろうが、夏の常温水よりはずっとマシなはずだ。

 氷ができるまでの間に合わせなら十分なはず。


 しかも幸いなことに、しこたま硝石を抱えている奴が、この屋敷に住んでいるのだ。

 これを使わない手はない。


「わかった! じゃあ、先に硝石を持ってきた方がいいかな?」


「うん。頼む。俺はこのまま水と桶をアリスの部屋に持っていくから、定着魔法はそのときにお願い」


「了解! じゃ、あとはアリスの部屋で!」


「あと革袋もあればもってきて! 氷嚢にする!」


「あいよ!」


 ヘッセニアは自分の部屋へと戻ってゆく。

 対して俺は再び釣瓶を引き上げる。

 そうして水がくみあがる。


 地下深くに埋まっていたはずなのに、夏の空気にあてられたためか。

 桶に注いで俺に跳ね返ってきた水は。

 一つ前の季節に比べると、やはりぬるかった。

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