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第五章 四話 ただの臆病風であれ

「うわあ……えげつないですねえ……ウィリアムさん」


 王国らしからぬ、雲一つない透き通るような青空の下、ナイジェル・フィリップスはそんな台詞を漏らした。


 声色はいかにも恐れおののき、気分が下がってしまったことをうかがわせる、そんな感じなもの。

 口語的に表現するならば、いわゆるドン引き、といったところであろう。


 ゾクリュ守備隊隊舎が持つ、綺麗に芝が生えそろった中庭。

 さらにその中庭の片隅にある射撃訓練場こそが、肝を潰してしまったナイジェルがただいま居座っている場所である。


 簡素な椅子に腰掛けるナイジェルの目線の先には、黒山の人だかりがあった。


 その人だかりは彼の部下達である無数の守備隊員たちと、街の外れにある、丘の屋敷に放り込まれている男、ウィリアム・スウィンバーンがおりなすものだ。


 守備隊員たちとウィリアムは互いに向かい合っており、その様子はさながら、講義を行う教授と学生の図である。


 だが、しかしその形容もあながち間違いではない。

 事実、本日のウィリアムは教師の役を買って出ているのであるから。


 最近ゾクリュに配備されたばかりの後装式の小銃、撃針銃。

 彼はその装填方法を若い兵たちに教授していた。


 度重なる事件を受けて、政府と軍上層部が重い腰をあげて、ゾクリュ守備隊の装備一新が決定したのは、つい数十日前のこと。


 ようやくある程度マシな対邪神装備が整えられる、と喜べたのは、本当に束の間であった。

 隊員のほとんどが、戦争を経験してこなかった新兵たちで構成されていること。

 そのことが予想外の事態を招いてしまったのである。


 問題とは実に単純。

 装備が一新されようとも、肝心要のゾクリュ自慢のフレッシュソルジャーたちは、新装備になじみが薄すぎるというものだった。

 新たに訓練しなければならなかったのである。


 ベテランたちは扱った経験があるものの、如何せんその数が若兵たちに比べて少なすぎた。

 教え手が絶対的にまで不足しているのである。

 

 要訓練な状況であるのに、これはまずい。


 ナイジェルは恥も外聞もなく、文字通り藁にもすがる思いで、ゾクリュ官庁街にある陸軍省出張所の扉を叩いたのであった。

 そこに単身赴任中の、クロード・プリムローズ大尉に泣きついたのである。


 バイト代を出すから。

 本当に、本当に頼むから、若兵の訓練を手伝ってくれ。


 そんな心からの嘆願を、クロードは快く承諾。

 教師役は一人でも多い方がいいだろう、と、丘の屋敷に幽閉中のウィリアムも連れてきてくれて、今に至る、といった次第だ。


 さて、とすれば現状はナイジェルにとっては、非常に都合の良い事態であるはず。

 

 にも関わらずナイジェルは肝を潰して、面食らい気味。

 そこに安堵や喜びといった正の感情は見て取れない。


 喜んで然りな状況なのに、だ。

 傍から見れば不可解な事態、と言えるだろう。


「大佐?」


 現にナイジェルの態度を不思議に思う者が居た。

 首を傾げて、いかにも得心せずといった仕草。

 そんな様子を見せていたのは、椅子に座るナイジェルの傍らに立っていた副官、ソフィー・ドイルであった。


「ああ。うん。ウィリアムさんの訓練のやり口がね。物凄く過激だなあ、って思ってたんだよ」


「スウィンバーンの訓練が過激、ですか。しかし――」


 ソフィーは講義を続けるウィリアムと若兵らに目を向ける。


 しかし、何度見返してみても。

 ナイジェルの返答はやはりソフィーの合点を得ることはなかった。

 なぜであるならば――


「お言葉ですが、大佐。私には過激さを一切感じることができません。普段の鬼軍曹らの訓練の方が、よほど厳しいように見えます」


 たしかに一見すれば彼女の言う通りだ。


 教官役のウィリアムは訓練を開始して以来、一度も大声を上げてもいないし、荒い言葉もまた使ってもいない。


 それどころか、どういうわけか穏やかな表情で、扱い方を説明するほどなのだ。

 若兵らをボロクソにこき下ろす、守備隊古参兵らのシゴきの方が、ずっと過激であるように見えた。


「まあ、一見すればそうなんだけど、ね」


 そして訓練に苛烈さを感じさせないこと、これはナイジェルも認めているところらしい。

 二、三頷いて、ソフィーの言を肯定する。


 だが、いささか台詞の歯切れが悪い。

 目の前の訓練は、見た目通り穏やかなものではない。

 彼の態度はそう言いたげであった。


「ソフィーちゃん。さっきウィリアムさんが、兵たちにかけた言葉覚えてる?」


「はい。訓練終了するための条件を言っていましたか。君たち全員が装填にかける時間が三秒を切るまで、弾込め訓練を続ける――たしか、こんなことを」


「そう、その通り。僕がえげつないと言ったのはね。終了条件そのものさ。全員が設定タイムをクリアしない限り、訓練はやり続ける。しかも検定試験のやり方も凄まじい。一人一人順番でやってみせて、誰かが失敗すれば一人目からやり直し。このやり方はね、実にえげつない」


「どういうことですか?」


「一回や二回で成功するならいいんだよ。ならばまったく問題ない。でも問題は……ソフィーちゃん。短いチャレンジで成功すると思う?」


「それは……少し難しいのでは」


 人間どうしても能力差というものが出てしまうものだ。

 一回で覚えてしまう者も居れば、手続き記憶として焼き付くまで反復して、ようやくモノにする者も居る。


 それはこのゾクリュ守備隊でも同じことであった。

 

 やはり出来の良い兵と、そうでない兵の差がくっきりと表れているのである。

 最近の騒動で幾度か兵らを率いたことのあるソフィーは、その現実をきちんと認識しているようだ。


 だから、少ない回数で基準を達成すること、これが難しいと言い切れたのであろう。


「うん。その通り。設定タイムをクリアするまで、結構な回数を重ねるだろう、と僕は見ているのだけど……さて、次の質問だ、ソフィーちゃん。出来のいい人からしたらだよ。自分からすれば簡単なことなのに、何度も何度も失敗する人が居て、なかなか訓練を終わることができなかったら。そりゃ、イライラすることだと思わない?」


「それは、まあ」


「で、逆に出来ない人はだ。当然出来る人の苛立ちの視線を感じているわけで。それを自覚しつつも、なお、求められていることを上手にこなせなかったら……これはこれでかわいそうだよね。自責の念で、心が押しつぶされそうになっちゃうよ」


「……なるほど」


 ようやく得心がいったのか。

 ソフィーの顔から訝しげな様子が消えてなくなった。


 そしてその代わりに浮かび上がってきたのは、ナイジェルと近似な表情。

 すなわち、ショックを抱いたことをにおわせる顔である。

 いわゆる、口語の引いた顔というものである。


 そう、ナイジェルに遅れたものの、彼女も気がついてしまったのだ。

 あの和やかな空気の中に、ウィリアムが埋伏したゆっくりと効いてくる毒に。

 直接的な暴言を使わない人のシゴき方に。


「……つまりは、スウィンバーンは、それと気付かれないように、こっそりと兵らを追い込んでいる、ということですか」


「しかも、彼らが出来るようになる最後の最後の瞬間まで、ウィリアムさんは付き合うと言ってる。昔はともかく、今は軍籍から外れている人間だ。自分たちのせいで、そんな人が帰ることができなくならば。兵らが抱く罪悪感は、ずっとずっと強くなるというおまけ付き。あんまり長く続くと、今度は出来ている人も、ふとした拍子にできなくなって……陰鬱で、自罰的な雰囲気が彼らを支配するだろうね」


「……いつもの。昔ながらのシゴきの方がマシではありませんか。その……精神的に」


「そうだよねえ。タチ悪いよねえ。ほら見なよ。訓練を受けているみんなの様子を。いつもの鬼軍曹のシゴきから開放されて、助かったーって顔してるよ。でも」


「その内あれが、絶望に歪む。かもしれない、ということですか」


「そ。かわいそうだけど、残念ながら、僕は助けてあげることができない。さっさと終わるように、って祈るだけだね」


 人の尻を叩くことを好まないナイジェルからすれば、嫌が応にも他人を追い込まねばならない訓練なるものは、心の底から誰かに押しつけたくなる仕事だ。


 だが、今回はウィリアムとクロードが代わりに訓練をやってくれるのだ。

 本来であれば諸手を挙げて万歳三唱をしたい気分であるはず。


 しかし、悲劇的なことに、ナイジェルは他人が不幸に出会っている最中に、喜びをためらいなく表現できるほど、()()()神経の持ち主ではないのだ。


 むしろその逆で、とんでもなく陰湿な手段を用いる教官を呼んでしまったことに、心の底からの後悔を抱いていた。


 もしかしなくても、いつもより厳しい訓練になってしまうだろう。

 こうなるのならば、下手に応援を頼まない方が、精神衛生上ずっとずっと良かった。


 だからナイジェルは暗く、重苦しいため息をついて。

 憐憫に満ちた目で、自らの部下を眺めると。


「うん?」


 いつの間にやら。


 訓練場に似つかわしくない人物が、本日の陰湿鬼教官の傍に居ることに気がついた。

 そればかりか彼に親しげに会話を交わしてすらいた。

 あの人物は――


「……あれ?」


「どうしました? 大佐」


「いや。ウィリアムさんの隣にさ。ほら、エリーさんが」


「え?」


 まさか、こんな所に居るはずがない。

 ソフィーの口から零れ出た音は、彼女のそんな内心をよく表したものなのだろう。


 しかし、ナイジェルが指さす先を見て、そんなソフィーの考えはもろくも崩れ去ったようだ。


 ウィリアムと会話に華を咲かせる人物。

 ゲストの教官と似たような髪を持った、住所不定で、ただいまソフィーが面倒を見ている少女、エリー・ウィリアムズであった


 許可を得ていない者を入れてしまった。

 この中庭の訓練場に。

 

 しかも、その人物が最近ソフィーが面倒を見ている者であれば。

 生真面目な少尉の顔面が真っ青にさせるのに、十分な威力をもっていると言えた。


「い……いつの間に……大佐。申し訳ありません。私の監督不行です。今からあの娘を、ここに連れてきてもよろしいでしょうか?」


「うん。いいよ。あ、でもちょっと待って」


「はい?」


「ソフィーちゃんさ。彼女がここに入ってきたところ。見た?」


「いいえ。情けないことですが、今、大佐に指摘されて、ようやく気が付いたところです」


「ああ。謝んなくてもいいよ。僕だって気付いたのついさっきだから。もう一つ聞きたいんだけど……ソフィーちゃん。あの娘がどこの出身なのか知ってる?」


「ええ。王都だそうです。もっとも両親は居らず、施設で育ったと言っていました」


「へえ。施設、ね。王都の」


 ぽそり呟いたその一言には、ナイジェルの内心が見え隠れしていた。

 言葉自体はいかにも興味がなく、適当に聞き流す感にあふれているのに。

 しかし口調はむしろ真逆。

 

 まさに興味津々。

 求知心をくすぐられてしまった。

 そんな風情を隠しきれないでいた。


 かような上官の赴きを、彼の間近に居るソフィーが気がつかないはずがない。

 怪訝な面持ちを作って、急に奇妙な様子となってしまったナイジェルを見た。


「大佐?」


「ああ。ごめん。なんでもないよ。じゃ、ここに連れてきて。心配はないだろうけど。でも、銃器の傍にあんな娘が居るのは、見てるだけでハラハラしちゃうからね」


「はっ。では、今すぐにっ」


 上官の許可を得るや、ソフィーは血相を変えて、少女の下へとすっとんでいく。


 さすがは士官学校を主席で卒業した秀才。

 やはり運動能力も優れているらしい。

 瞬く間にエリーの下にたどり着いて。


 そして一喝。

 こんな危ないところに来て何事か、と叱り散らした、といったところか。


 エリーは見るからに気落ちしていた。

 しょぼんとしていた。

 きっとソフィーのそれは、迫真の叱責だったのだろう。


 とはいえ、外野から見る限りでは二人のやり取りは、ちょっと歳が離れた姉妹を思わせるものでしかない。

 それは微笑ましいものだ。


 まだ追い込まれていない隊員たちの、和やかなムードがより一層強くなったことがその証拠だろう。


 ただし、距離を取って眺めていたナイジェルは別である。

 ほのぼのとした光景にほだされることはなかった。

 ただひたすらに沈思黙考。


 その対象は他ならない。

 部下たちに和みをもたらしたあの旅人の少女、エリー・ウィリアムズについてだ。


(中庭の出入り口は一つ。普段は誰でも自由に行き来できるけど、今日は訓練のために警備を立たせて通せんぼしていた。つまりあの娘がウィリアムさんに話しかけるには――)


 警備の目を盗んだ上、ナイジェルとソフィーにも悟られず、おまけに二人の目の前を堂々と歩いて行かねばならない。

 そのはずだ。


 なのに、一人だけならともかく、軍人三人の意識の網をこうも容易くくぐり抜けて、彼女はウィリアムの下へとたどり着いた。


 国憲局の凄腕調査員なら可能かもしれない。

 だが、ただの一介の少女にそんな真似ができるはずもない。


 しかし、こうして実現されてしまっている以上――


(ただの女の子では、ない?)


 馬鹿げていると重々承知しているけれども。

 ナイジェルにはそうとしか思えなかった。

 なにか裏があるのかもしれない。


 例えばスパイとか。


「あんな娘になにができるとは思えないけれども。でも、まあ、調べた方がいいか」


 幸い、生まれと名前と年齢は把握できているのだ。

 以上の情報さえあれば、少女が歩んできた経歴は、ある程度は調べることができる。

 それを可能とする伝手がナイジェルにはあった。

 

「ま。僕の神経質であればいいんだけれどもね」


 最近立て続けに、きなくさいことがあったが故の臆病風。

 それがもたらした邪推であってくれ。


 ナイジェルの独り言には、そんな彼の内心が、これでもかというくらいに表れていた。

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