第五章 二話 帰ってきた○○魔
陽が昇っていない時点で、空気はぬるかったのだ。
日の出を迎えれば、どんなことになるか。
それを想像するのはむずかしくないし、事実、ご想像通りの気温となった。
まだまだ早朝と言える時間帯なのに、もうすでに暑さを感じていた。
体を動かせば汗ばむことは必至なくらいに。
せめてもの救いは、今日は汗を飛ばしてくれる風があることだろうか。
日陰にいて風通しさせよくすれば、今日はいくらかは過ごしやすい日になりそうだった。
そして、今現在、その風の恩恵を俺たちは存分に享受していた。
ただいま身を置く食堂は、レースのカーテンをしめて、窓を全開にまで開け放っている。
カーテンが風に膨らむ度、体感温度は下がる。
おかげで俺たちは汗ばむことにはならなかった。
かくして俺は屋敷のみんなとレミィと一緒に、それなりに快適な環境で、朝食を摂ることができたのだった。
「で? 一体なにがあったんだ?」
アンジェリカが食器を片付けている最中、俺はそう切り出した。
問いかけた相手は改めて言うまでもない。
文字通りの朝一でこの屋敷にやってきた、エルフの戦友レミィへの質問であった。
「迫害。一言に表現すれば、それをやられた」
「迫害って……そんなオーバーな。たしか君は、守備隊の隊舎で寝泊まりしていたろう? まさか彼らが、国憲局員にそんな仕打ちをするとは、到底思えないのだけれども」
「楽観的。ウィリアム。いくら戦争で種族の宥和が進んだと言ってもね。有史以来続いた緊張関係。これが綺麗さっぱりゼロにはなっていない。それが明らかになった」
「つまり、君は守備隊のみんなに、不当な扱いを受けた、と?」
「正解。まさにその通り」
「へえ、そいつは大変だね」
「不可解。今のウィリアムの声には、同情のにおい。それをこれっぽっちも嗅ぎ取れなかった」
「まあ……うん。悪いけど、同情はしてないかな」
「何故? この人でなしめ」
「いやあ、だってさ。あそこの長であるフィリップス大佐がだよ。まさか理由もなしに、追い出すなんて真似をするとは、ちょっと信じられなくてね」
決して長い付き合いではないけれど、色々とありすぎて、腐れ縁になりつつある壮年将校の人柄を思い出す。
万事にゆるくて、まさに昼行灯といった人間だ。
その緩さの加減は凄まじいものがある。
ちょっとした規律違反なら手続きが面倒だから、もういいや。
そんな信じられない理由で、違反を見逃すことがある、とソフィーに本気で愚痴られたことがあった。
良く言えば鷹揚、悪く言えば適当な性格の持ち主なのだ。
好んで人の尻を叩くとは思えない。
と、なれば。
「で、なにをしたんだい?」
「不明確。なにを言いたいのかが見えてこない」
「多分、なにかやらかしたんでしょ? 追い出されるのに値することを」
「うっ」
レミィがフィリップス大佐の重い腰を上げるだけの、なにかをしてしまった、と考える方が自然だろう。
そしてどうにもそれは図星であったらしい。
彼女は一度ぴくりと体を震わせて。
それまでじっとこちらを見てきたのに。
ぷい、と唐突に目を逸らした。
「あー……うん。私、おおよそだけどなにがあったのか。わかっちゃった」
呆れをにじませてそう言ったのは、朝食に同席していたヘッセニアだ。
独立精鋭遊撃分隊として、寝食を共にしただけあって、彼女はレミィの人となりをよく理解していた。
だから、今のレミィの仕草だけで、彼女がなにを引き起こしたのか、それをなんとなしに理解したのだろう。
そして、寝食を共にしてきたのは俺も同じだ。
口ではなにがあったのか、とは言いつつも、俺もヘッセニア同様、レミィのやらかしたことの当たりはついていた。
ヘッセニアが思い浮かべたものと、俺のものはきっと同じであろう。
直接本人に問うたのは、つまりは答え合わせだ。
俺がきちんとレミィという人を理解できているか否かの。
不正解ならば俺はレミィの人となりを良く理解できていなかった、ということになるけれど、しかし。
(本心を言わば……外れて欲しいなあ)
心の底から推測が外れて欲しい、とも思っていた。
その理由は簡単。
きっとやったであろう彼女の所業。
それがロクでもないことだからだ。
正解はさて。
「答えてくれないの?」
されどレミィは沈黙。
目をそらしたまま、黙りこくるのみ。
こんな真似をしているということは、だ。
きっと、多分、いや絶対に。
俺の懸念は正鵠を射ていた、とみていいだろう。
「……じゃあ、いいや。これから君がなにをやったのか。その推測を言うからさ、合ってるかどうかだけでも答えて欲しい」
レミィは頷きもしない。
推測を披瀝すること、その許可を与えてもくれない。
だがかぶりも振っていない。
拒絶もしていない。
だから、俺はそれを都合良く捉える。
口にしても構わないと解釈をする。
皇国の隣国、極東帝国産のティーカップを手に取って。
さきほどアリスが注いでくれた、器と同郷の半発酵茶(ウーロン、と言うらしい)で口を潤して。
「多分だけどさ……君、男を漁ったんだろう」
推測、表明。
ぴくり。
彼女の長い耳がわずかに動いた。
これはレミィが図星を突かれたときに見せる仕草だ。
「でも、それだけなら、大佐も動かなかったはずだ。当然だ。個人の自由だからね。でも追い出されたってことは……君、隊舎で致したんだろう? しかも隠れてではなく、派手に」
ぴくり、ぴくり。
二度耳が動く。
それはつまり、俺の推測が事実であった、ということを意味していた。
やっぱりか。
あんまりな真実に深いため息をつく。
「……あのねえ。軍務中の軍人ってのは、禁欲を命じられているんだ。軍務中の兵士が沢山居る隊舎で、それでも構わずおっぱじめたらさ。そりゃあ追い出されるに決まっているじゃないか。不当じゃなくて真っ当な処分だよ。それは」
さきのヘッセニアとまったく同じ声色で、彼女に苦言を呈す。
あまりにも変わりがない戦友の所業に、頭を抱えた。
「……この色情魔」
「爆発魔。黙れ」
ヘッセニアが心底軽蔑した声で呟く。
色情魔。
レミィが青筋立てて、爆発魔と返すまでした言葉は、罵倒甚だしいけれども。
しかし、レミィを表現するのに、これ以上ないくらいに適当だから始末がわるかった。
そうだ。
彼女は性欲があまりにも強い。
戦争中からずっとそうだった。
非番となれば、さっさと街に繰り出して、好みの男を手あたり次第漁るほどだった。
しかも、たまに別部隊の兵士と寝てしまうこともあったのだ。
その度にクロードが謝罪行脚に繰り出ていたのは言うまでもない。
彼女が風紀面で問題児であった、というのは、つまりはこういうことだった。
「無罪。私は無罪。抗弁の機会を望む」
「いいよ。気が済むまで聞こうじゃないか」
「不公平。そもそも性欲処理の方法。その男女格差が今の世界では、あまりにもありすぎる」
「と、言うと?」
「娼館。思い出してみるといい。娼館に居るのはほとんどが女だ。娼婦はこの世に溢れんばかりに存在しているのに、男娼はほとんど居ない。居ても男色貴族に掘られる方ばかりだ」
「まあ、たしかに偏ってるね。君の言うとおり、平等とは言い難い」
「承前。それだけではない。男は娼館通いしても大した問題にもならないのに、女は違う。多数の男と肉体関係を結ぶのは、倫理問題だと騒ぎ立てられる。女漁りは甲斐性とみなされる場合があるのに、男漁りはいかなる場合も、不道徳だの、阿婆擦れだのと大バッシングをもらう。私は思う。こいつは男女差別に違いない、と」
「片方が時におおらかなのに、もう片方は常に厳しいってのは、たしかに不公平感が強いね。君の言うことも、もっともだ」
「男女平等。その観点に依拠するならば、私のとった行動は、なに一つとして誤ってはいない。よって、守備隊の下した判断は差別的なものであって、誤ったものだ。そうであるならば。そうであるならば……!」
「……で、君はなにが言いたいんだい?」
レミィの言葉にだんだんと熱がこもってきた。
言葉の抑揚に乏しい彼女にしては珍しい。
それほどまで声を大にして言いたいことがある、ということなのだろう。
その熱の入り方たるや、まさに情熱的、と呼んで差し支えがない。
椅子から跳ね上がるように立ち上がって、テーブルに手を突いて、胸を張って。
「欲情。ムラッときた女が、男と同じ要領でスッキリしてなにが悪い! イケメン漁ってなにが悪い!」
彼女はそう声高らかに主張した。
「……まあ、そこの正否はおいとくとして。でも、レミィ。今回はあまりにも場所が悪かっただけなんだと思うよ」
「何故! 隊舎はそこまで神聖な場所なのか!?」
「若い男の隊員が、娼気に当てられて、暴行事件起こしたらマズいだろう。つまりは予防措置ってやつ。ヤるなら、プライベートでヤりなさいよ」
「陥穽! ウィリアム! 陥穽にはまっているぞ! 私はきちんと服務時間外でコトに及んだ! きちんとプライベートな時間でヤッた!」
「場所がどう見てもプライベートじゃないよ。それじゃあ聞くけど、どうして隊舎で? コトの時だけ、安宿に行けば良かったじゃないか」
「当然! 答えは決まっている!」
力任せにテーブルを叩く。
机上のティーカップはその衝撃で、かちゃんと音が鳴る。
カップの中のお茶も波打ち、あふれ出そうになって。
しかし構わず、レミィは一層身を乗り出す。
そして、主張。
力強く、自らの胸の内を明かす。
「買春! イケメンと寝る手段の一つとして! ビタ銭でもいいから多く持っていた方がいいからだ! 宿はタダの所にしか泊まらない! プレイルームはタダしか認めない! そんな金あったら買う!」
「……うわぁ」
清々しいまでのクズ発言に、ドン引きした声を上げたのはヘッセニアであった。
狂気の趣味人である彼女だが、風紀面においては、割と品行方正なのだった。
普段声を張り上げないレミィが、長い間大声を出したからだろう。
疲労困憊、肩で息をしながら彼女は椅子に座り直した。
かくして食堂はしばしの静寂を取り戻した。
きっと、一息つくタイミングを見計らっていたのだろう。
にわかに得た、しじまで動いたのはアリスであった。
ずっと一歩引いてところで卑猥な表明を聞いていた彼女は、静かに俺に近付いて。
「……ウィリアムさん。その。アンジェリカさん、食堂に来させないようにします?」
ぽそり、そう耳打ちした。
「そうだね。アリスお願い。流石に朝っぱらから、掘るだのヤるだの……きわどい発言飛び交う場に置くのは、アンジェリカの教育に悪いだろうし」
「では、そのように」
そう言って、アリスは皆に一礼。
アンジェリカの居る洗い場へ。
アリスには是非とも頑張って、この卑猥な食堂にアンジェリカを近づけないようにしてほしい。
静寂はなお続く。
それを機会とみたのか。
ヘッセニアもさきのアリスに倣って、口元を俺の耳元に寄せた。
「ねえねえ、ウィリアム。本当にレミィ受け入れるの?」
「受け入れるよ、当然。理由はとても情けなくて自業自得だけど。でもレミィが困っているのは事実だから」
「お優しいことで。でもやっぱ、やめた方がいいんじゃない? 戦友にこう言うのは心苦しいけど。こいつあ、やべー奴ですぜ。軍曹殿」
「……多分だけど。きっと断ろうとしても無理だと思う」
「へ?」
「ねえ、レミィ」
一度そこでひそひそ話を切り上げる。
まだ息の荒いレミィに問う。
「もしかして勅令書。持ってたりする?」
「電報……だけど……追って正式な書面が屋敷に届く」
ぺらりとレミィが懐から取り出した、粗末な封筒は電報局のものであった。
封筒の中身は……まあ、言葉を口にする直前でレミィが頷いたから、殿下が送ったものが入っているのだろう。
ただの電報ではない。
ロイヤルパワーがみなぎる電報だ。
勅令と言っても過言ではない。
だから、逆らうことができない。
「……きったねー。こいつ、王族に頼りやがった」
「君がそう言う資格。ないと思うけど?」
「うっ」
手段を選ばないレミィに恨み言を言う、ヘッセニア。
でも待って欲しい。
一番はじめにロイヤルパワーを使って、この屋敷に転がり込んだのは誰であったか。
それを指摘してやると、ヘッセニアは肩をすぼめて、急に静かになった。
彼女は爆発に関しては罪悪感をこれっぽっちも抱かないけれども、それ以外の事柄にはきちんと良心というものがあるらしい。
半ば強引に屋敷に住んでしまったことを、しっかりと負い目に感じているようであった。
(レミィもこれくらいの良心。残ってたら幸いなんだけどなあ)
そんなヘッセニアを傍目に見つつ、たった今、増えることになった同居人に思いを馳せる。
アンジェリカが居る以上、この屋敷で男とよろしくやられちゃたまらない。
子供が居る環境でそんな暴挙をやらかすとは、さすがに思えない。
が、奴は他部隊のいい男を誑かしたという、信じられない経歴を持っているのだ。
念には念を押して、きちんと対策を考えなければなるまい。
涼やかな風が通る朝の食堂。
そんな穏やかな光景には不釣り合いなほど深刻な考え事を、俺はこれからせざるを得なかった。




