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導きの声

「やっぱり敵の気配はしないね」


 階段を出て数歩歩いたが、依然として気味の悪い静寂が続いていた。

 一階でそうなったように、何も見えない中でいきなり多勢に無勢の状態に追い込まれては困ってしまう。そのため、もし電話から声が聞こえたらすぐに階段まで駆け戻ろうという話になっていた。


「電話に遭遇するまでは徹底して何も出ねぇと思わせておいて――なんてパターンかもしれねぇし、用心するに越したことはねぇけどな」


 そう言っているアデルも、特に気配を察知していそうにない。

 視界が悪いならば物音や殺気に最も敏感である彼に索敵を任せてしまいがちだが、残る二人も気を抜くことはなかった。


 ――結局、目の前に赤い公衆電話が現れるまで一体も敵が出なかったが。


「……来ましたね……。これも通り過ぎるまで何の反応もないんでしょうか」


 一階と同様に、机の上に鎮座し壁に寄せられているそれ。

 数歩先から眺めている分には何の反応も示さず、ただただ不気味な無音が続いていた。


「ちょっと嫌だけど……いったん通り過ぎてみるしかなさそう。準備はいい?」


 アカリが振り返ると、フィルもアデルも即座に頷いた。

 もとより手順は事前に決めてあるため、焦る必要もなかった。緊張はするものの、怖気づくこともなく歩を進めていく。


 ――一歩、また一歩。

 追い越す瞬間、電話と並行に並んだ瞬間から緊張が一気に膨れ上がり、息が詰まるような思いをする。

 一歩分通り過ぎて、それから数歩分通り過ぎた瞬間。


 ――受話器が落ちた。


「……っ!」


 机に受話器が衝突する硬質な音と、後のカールコードのウレタンが伸縮し軋む音が反響する。

 それと同時に全員が臨戦態勢に移行し、周囲へ最大の警戒を行う。


 その傍らで、今度は誰から電話が掛かってくるのだろうか、とアカリはふと考えていた。

 一階の数学教師は特別仲が良かったわけでもないが、一応自身と接点のあった者だ。


 二階は三年生の教室があるため、掛かってくるとすれば上級生からだろうか。

 だが、上級生との関わりなど全く思い当たらない。何しろTRPG部には三年生が存在しないので、彼らと関わる機会はほぼゼロだった。


『……小流さん』

『フィル、ナート……様』

『……アデル……』


「……えっ!?」


 受話器から零れる声は複数だった。これ以外にも想定外の要素が多すぎて、思わず混乱してしまう。

 まず、声のうち一人はアカリに向けられたもので、ヒナのものだ。

 だが、残る二人のものは全く身に覚えがない。その上呼んだ名がそれぞれ異なっていた。フィルの方が女の声で、アデルの方が男の声だ。


 その理由はわからない。だが、今はとにかく襲い掛かってくるだろう敵に集中しなくてはならなかった。

 剣を構え直し、周囲を見渡す。――と同時に、違和感に気づいて再び声をあげてしまった。


「……な、なにこれ……フィル、アデル……?」


 名を呼んだ二人の姿はない。それどころか、周囲の光景が変化していた。

 リノリウムの床や白い壁の見目はそのままだが、左側にあった筈の窓が今は右側にある。


 とっさに、教室の上部を振り返った。せり出した小さな看板に、『1‐1』という表記がなされている。


「い、一年生の教室……? ってことは、ここって四階ってこと!?」


 先程までは確かに二階にいたはずだ。何度思い返してもそれは間違いない。

 状況を理解してくると、それまで行動を共にしていた二人はどこに消えてしまったのだろうか――といった不安が徐々に湧き上がってきた。


「とりあえず、探すしかないかな……」


 少なくとも気配が感じられるほど側にはいないらしいが、おそらく自分と同じようにどこかにワープさせられているだろう。

 という推測のもと、どこに彼らがいるかわからない以上各教室を虱潰しに探していくしかなくなり途方にくれた。


 しかし、今は時間が惜しいためにすぐ行動を開始する。まずは最も近場にある1‐1の教室へと向き直り、使い込まれて古びた木製の引き戸に手をかける。


「――、」


 湧き上がる不安を押さえつけ、なるべく音を出さないよう注意して扉を開いていく。教室は無人で、均一に並べられた机の中央に赤い公衆電話が置かれていた。

 そこでふと、今更ながらに気づく。


「あれっ、何であたし、周りが見えてるんだろう……」


 フィルとはぐれてしまったにも関わらず、まして彼の放った光球がついてきている訳でもないのに、今は視野がそれなりに拓けていた。

 教室内も薄暗いなりに一応はすべてが見渡せるようだ。廊下の方も確認してみたが、こちらも突き当たりまでは見えないまでも、1‐4くらいの距離までは何とか見通せるようだ。


 ――などと目を逸らしていたら、教室内から物音がした。

 どうやら中央に置かれた公衆電話から受話器が落ちたようで、一気に意識が引き戻され勢いよくそちらを振り返ってしまう。


 やはり落ちていたらしい受話器が伸縮するカールコードに揺られてバウンドし、何度も木製の床を叩いて気味の悪い音を立てていた。

 そこから、声。


『あれっ、小流さん……周りが見えているんですね? どういう理屈かわかりませんが、まあいいでしょう。せっかく来てくれたんですし、直接会いましょう? 場所は……四階に来たんですから、言わなくてもわかりますよね?』


 もはや聞き慣れたヒナの声。声は確かに電話から発生していたが、もはやアカリは廊下の方を見据えていた。

 言わなくてもわかる場所。彼女が言うのだから、もはや反対側にある1‐6の教室以外考えられなかった。


 何かの罠かもしれない。当然ながらそのような考えも湧いてくる。だが、こちらは場所を常に把握されているし、ここに留まったところで何か展望が見えてくる気も全くしなかった。

 だから、行く。たとえ得体のしれない恐怖が、足に重くまとわりついていても。それをおして、廊下に向けて一歩踏み出す。


 もはや目的地がわかっているために、他の教室は迷わず無視して通りすぎていった。

 途中で小さな笑声じみた音が中から聞こえても、明らかに仲間のものとは思えないために確認する理由もない。


 そうして、何事もなく目的の教室に辿り着き、おそるおそるといった様相で引き戸を開けば――その奥には見慣れた教室、ではなく、屋上が繋がっていた。

 それだけではなく、その奥に一教室分かそれ以上の体長はあるだろう巨大な燃える鳥のような存在が鎮座していた。


「ようこそ小流さん。直接会うのは一年ぶりですね」


 その下には、声と同様に見覚えのある人物が立っていた。


「……桜井さん」


 二の句が継げない。

 姿かたちはそのままでも、彼女の顔つきは変わっていた。常に周りの顔色を伺い、ビクビクと怯えていた生前の姿とはうってかわって、今は真っすぐにこちらを見据え、堂々とした姿で立っている。


 そんな彼女が、どこか陶酔を孕んだような柔い笑顔で――こう告げた。


「私の後ろに立つのが、太陽神イオヴェニルです」

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