拠点
無事マサキとユイをワイナリー――扮した教会へと送り届け、拠点作成に協力すると決めた日から十日ほどが経過しただろうか。
現在は昼月駅をやや北上した位置にある城に拠点を構えていた。
戦国時代に築かれた山城らしく史跡にも登録されているが、正直思ったよりは広くなかったという印象を持ったアカリである。
高校生ともなると修学旅行などで観光地として有名な史跡をいくつか目にしているため、もっときらびやかであったり巨大であったりする建造物を見てしまった経験が感動を薄れさせていた。
「結局初日に言ったお寺とか、その後の神社だとかもイオヴェニルの居城ではなかったし全部ハズレではあったけど……やっぱりこう、この手の場所には敵が多い気がするよね。何でだろう」
制圧を終えた今でこそ敵の数はほぼゼロに等しいが、乗り込んだ当初は一度の遭遇でこちらの人数を上回る敵に遭遇することが頻発する程度には多かった。
朧駅に至るまでの間にそれだけの規模の戦闘を経験したのは猿人や烏との接触のみで、人型の敵とはさほどでもなかったためにアカリには奇異に感じられたのだ。
「やっぱなんか力が集まりやすい場所ってあるんじゃなーい? ほら、レネティース様に限らず他の神様を信仰してる人も教会や神社を建てるじゃん? 神様じゃなくて人間でも力のある王様はお城を建てたりするし、建物それ自体が信仰心や権力の象徴って考えると、そういう場所に集まる習性でもあるのかもね」
エーデルの言い分は完全に憶測であったが、今まで見た光景を考えるとアカリからしても合っている気がしていた。
「そういえば敵は刀や槍持ちが多い……というより、ほぼ西洋の武器を見ないような」
「それはここが日本だからだろうけど、敵の中に明確な日本の武器のイメージがあるのは気になるよねー。やっぱり神子は日本人なのかも」
空中に浮く人の頭程度の宝石を見上げ、位置を調整しながらぼやく天使。
青のような桃色のような、はたまたオパールの如く遊色を内包した石はレネティースの力の結晶のようなもので、拠点とした場所に敵が再び入らないよう本拠地――御月ワイナリーから魔力を送り込んでいるらしい。
「綺麗だなあ……」
物陰に当たる部分にはシオンが呪文を唱え、星空の扉を作り出している。
こちらはこちらで紫金石を思わせ、散りばめられた極小の煌めきが目を惹いた。
以前であれば前者はやや目に痛いと思い、後者は不気味に思ったかもしれない。
が、全てが赤く染まり爛れた人間が徘徊する世界ではもはやそれらに美しさしか感じないという現状。
とはいえ理由が何であれ美しさや安心感を得られるならもはや何でも良くなっている部分もあり、それらの光を眺めながらリラックスしつつ、アカリは畳の上に腰を降ろした。
ヴヴーーーー、
懐に唐突な振動を感じ、心臓が跳ねる。
気の所為かと思ったが、どうやらそれは未だに続いているようだ。
仲間達も異変に気づいたようで、全員の視線がアカリに集まっている。
「……あれ、スマホ……なん、で」
なんとなくで持ってきていたそれは、もはや鳴るはずのない代物だった。
否、鳴ってはいけないはずだった。もはや理性や知性を残した人間は、この世界に残っていないはずなのだから。
「……あっ、もしかして創路君?」
だが、ふとかけてきそうな人間を思い出してスマートフォンを懐から取り出す。
電話などできる容態には見えなかったが、何かがあってエマや他の人間がマサキの使うそれでアカリ達に連絡を試みたのかもしれない。
だが、画面を見てそんな生ぬるい予想は粉々に砕け散った。
『090‐XXXX−XXXX』
この番号には見覚えがある。
ありすぎた。嫌というほど記憶に焼き付いて離れない。
「……コキアケ様、ううん……ヒナの……番号……? うそ、……」
二人の後輩と共に経験した、忘れかけていた恐怖がじわじわと、白いガーゼを徐々に染める赤黒い血のようにして蘇る。
何故今なのか。
何故かかってきたのか。
何をどう考えても理由が見つからず、ひたすらに浅い呼吸を繰り返して手元の端末を見下ろすしかできなかった。
「少なくともこっちの生存はバレてるって事かなー? 出ない方が不気味だし、僕が出てみよっかー?」
しばらくは様子を見ていたようだが、一向にやまない振動に対し色々と諦めたらしいエーデルがそう提案する。
が、アカリはいっそ彼に託してしまいたい気持ちを押し殺してそれを制止する。
震える手で応答を表す受話器のマークをタッチし、スマートフォンを耳に当てた。
『小流さん、お変わりないんですね。これは予想外――いえ、ある意味予想通りなんでしょうかね』
まるで耳元に直接囁かれ、吐息がかかるようなリアルな感触。
一年ほど肉声を耳にしていなかったにも関わらず、聞き間違えることはありえなかった。
まさしく、桜井陽奈のものだ。
「……なんで、私の番号……いや、それよりも何で私に電話をかけてこようって思ったの」
つとめて冷静なフリをしようと必死になるが、まるで無駄な努力であった。
どう足掻いても手と同じように、得体のしれない恐怖と不安に苛まれ声が震えてしまう。
本来ならば、まず『何故生きているのか』という質問が先に出るべきだったのかもしれない。
それが出なかったのは動揺していたからでもあるが、どうしてかこの状況をありえなくはないと受け入れてしまっているアカリがいた。
『今やいろんな人間をたどって電話番号を調べられますからね。小流さんも友達が少なそうでしたけど、学校行事の係で連絡を取るために番号を教えたりはしたでしょう?』
特に電話の向こうのヒナが嘘をついていそうな気配はしなかったし、実際まさに指摘された通りの必要性から連絡先を交換したクラスメイトもいた。
だから恐らく本当の事を言われているのだろう。
返す言葉も見つからないままアカリが黙っていると、それを察したのか再びヒナが話し始めた。
『ところでこの番号、イオヴェニル様が世界を支配する直前に、コキアケ様……って巷じゃ呼ばれてましたよね? その彼と接触した番号と一致してるんですよね。かといって皆と同じになっていませんし、そこからしても小流さんが生きてるんじゃないかなって思って。あともう一人いますが、これは一年生の創路君でしたよね? 彼はどうなりました?』
今度は別の意味で黙る事になる。今もなおヒナの言う『皆と同じ』になりかけ、苦しんでいる彼について言うべきか言わざるべきか判断に悩んでいた。
『……ふふ、彼も生きているんですかね? まあいいです、いずれ他の世界の人々も含めて全員同じになるだけですから。……あんまり私の邪魔をしないでくださいね』
他の世界の存在を知っている、と明確に発言した。
やはりヒナは――その先を考える前に、違和感を感じて振り返る。
「……なあ、あれ……何、やってんだ」
ガラスのない、四角く木枠で囲われただけの窓から外を眺めるアデルが呟く。
彼は信じられないものを見て絶句するような様相であったが、同じように外を眺める者たちも似たような反応であった。
アカリもまた、彼らに倣って窓に歩み寄る。
外には少し遠くに数体の赤い人影が見えたが、それ自体には何度か見かけたこともあり特に言及することもない。
だが、彼らの存在そのものではなく彼らの行動に異変が起きていた。
彼らは全員、懐からスマートフォンを取り出して口を無理やり開き、それを飲み下していた。
苦し気な嚥下音とえずきの混じる呻き声がここまで聞こえてきそうなほど、喉が不自然に伸びて変形する様。
普通だったら裂けそうなほどに伸びきった喉が平べったい長方形の物体を無理やり食道に送り込み、胃袋に追いやって、赤い人間は全身をぶるぶると痙攣させる。
だが震えは肉体からというよりも、どうやら飲み込んだスマートフォン自体から発せられているのだと――徐々に奇行を終える者が増え、それに比例して機械じみた振動音が増幅すると共に気づくことになった。
ヴヴーッ、
ヴヴヴーッ、
耳元を掠める蜂の羽音にも似た、不快な振動音。
それらがもはや無視できない領域に達した時に全身の、文字通り頭皮のてっぺんから足先の爪までを含めた余すところない全身にぶつぶつぶつぶつと疱疹が浮かび上がり、人間の形をしていたそれが変形して表皮のいたるところに電話のボタンを思わせる無数の突起を噴出させた後、機械音声じみためいめいの声でとめどなく喋り出す光景を目の当たりにした。




