きさらぎ駅
「え、いや何でヴァルゴがここに……」
「彼もまた何か目的があってカルールクリスに来たか、あるいは最初から潜んでいたのかもしれないね」
――最初から潜んでいた。
アカリは以前からマサキとともにその可能性について話していたが、今日の今日まで実際に遭遇することはなかったためにその可能性をすっかり排除してしまっていた。今更ながらに腹の底から凍り付くような寒気に襲われる。
「……まあ思いっきり光使ってるし、気づいてねえ訳ねえよな」
アカリと同じくアデルもうっすらと人影が見える程度にしか線路上を歩いてくるヴァルゴを判別できていないのだろうが、おそらく向こうから見ればこちらの人数どころかどの立ち位置が誰であるかまで丸わかりだろう。
エーデルはともかく、他の四人は一度交戦した後に恨みを買ったであろう者たちだ。
おそらく見逃されることはあるまい、と考察するやいなや、突如闇の中からけたたましい哄笑が轟いてきた。
「あーら、誰かと思えばいつぞやのヒョロガキ達じゃなぁい! また会えて嬉しいわぁっ!」
言い切らぬうちに発生する、風を切る音。徐々に、だが瞬時に音量を増すそれに全員が左右に逸れ、危ういところで回転を伴い飛んできた戦斧をかわす。
「うっわ、危っぶなー! ほんと悪魔って野蛮だよねー!」
「よく見りゃ残り一人のジャリガキも天使じゃない、あらやだぁ……たくさん生ゴミ処理してかなくっちゃ……」
手元に戻る戦斧を受け止め、意気揚々とひとりごちる低い声はまさしくヴァルゴのものだった。
嬉々とした様子で線路を駆け抜ける彼が光の範囲内に入ると、その目元に包帯はなく白黒逆転した色彩の眼球がまろび出そうなほどに見開かれているのが見て取れた。
だがそのおぞましい姿に圧倒されている暇などなく、全員が臨戦態勢に入り身構え、後衛組は詠唱を開始する。
「まずはぁ、そこのメスガキィ!」
叫ぶとともに、力任せの一撃をアカリの構えた丸盾に叩き込もうとするヴァルゴ。
防がれるのもお構いなしに力で押し切ろうとするその斬撃に、盾ごとまっぷたつに両断されそうな恐怖が脳裏をよぎったが――幸い、アカリ側には仲間がいる。
木の丸盾の前に光の丸盾。
フィルの放った防御呪文により出現したそれはいとも容易く砕け散るが、その代わりヴァルゴの戦斧の勢いをかなり殺してくれたようだ。
幸いその下の盾ごと両断されることはなく、重い衝撃に少々腕が痺れながらもなんとかアカリはその一撃を無傷で防ぐことができた。
「――おっ、も……こいつの力、どうなってるの……」
アカリが顔を顰めつつ武具を構え直している間、すかさずアデルとエーデルが左右からヴァルゴに襲い掛かる。
かたや双剣、かたや氷の鎌による斬撃を繰り出すが、悪魔は怯むこともなく前者を斧で受け止め、後者の柄を後ろ蹴りで弾き返して難なく防いでいた。
「チッ……」
「うっざ!」
こちらの陣営とは明らかな体格差は見て取れるとはいえ、いとも簡単に二人がかりの攻撃を流してみせる姿。
ヴァルゴが勢いよく戦斧を振るえば、弾き飛ばされたアデルが少し離れた位置で受け身を取る。
蹴りを受け止めたエーデルの方も空中で回転するようにして体制を整えていたが、ヴァルゴと誰も近接していない状態になった段階で後方から光槍と氷槍が連続して飛んできた。
「……やーねぇー、小細工ぅ」
舌打ちの直後、避けきれなかったのかヴァルゴはその場からさして動かずに片腕で身を庇う。
数本の槍がそれを切り裂き、血液が飛び散った――はずなのだが、暗闇に紛れてよく見えなかった。
その理由はどうやら血の色が黒であったらしく、大半が周囲の暗がりに溶け込んでしまったからだと傷付近を見て気が付いたが、それについて深く考えたり気味悪がっている場合ではないと未だ闘志が消えいらないヴァルゴの双眸が教えてくれた。
――彼が腕を振るった瞬間、周囲に飛散した黒血の飛沫が無数の針となって四方八方からアカリ達に襲い掛かる。
視認しづらさは対応のしづらさに直結し、それぞれが咄嗟に急所を庇う程度の抵抗しか行う隙を与えない。
「――っ痛……!」
一つ一つは極小で、たいしたダメージにはならない。だが制服やタイツをいとも容易く貫通する程鋭く、針は皮膚に入り込んでそのまま残留したようで全身から疼痛と共に猛烈な不快感を与えられ続け、見る間に肌が粟立っていった。
仲間は無事だろうかと周囲をざっと見渡したアカリだったが、彼女の視界には自分と同じく赤い血を流すフィルやアデルが入る。
エーデルとシオンについてもそれぞれ確認したが、両者ともにふと違和感を覚えて眉根を寄せた。
前者については、自分たちと同じように赤い血が顔についた傷周辺に付着していた。
が、全く垂れていない。
流血したその瞬間に凝固したような、だがしかし色は鮮血のままである――一拍遅れて、何故かエーデルの受けた傷は凍結して瞬時に塞がったらしいと理解した。
彼のことはよく知らないので恐らく特殊能力か何かとして一旦片づけるとして、シオンの方には一目見て違和感がないことに違和感を覚えた。
彼は現在仲間内で最も視界が良好である。故に、ヴァルゴの攻撃もよく見えていただろう。
よって傷自体は少ないが、微かに浴びてしまったらしい手袋が引き裂かれていた。
そこから微かに滲む血が、赤いのだ。
よくよく考えれば今までだって見てきたし、自分たちと同じなのだから何も疑問を覚えるようなことではなかった。
だが、エーデルから彼ら悪魔の出自を聞き、ヴァルゴから出た血を見た後であれば明らかにおかしい。
何故同じ種族でありながら血の色が、それ以前に彩度が異なるのだろう。
アカリの浮かべた疑問に気づいたのか否か、ヴァルゴがシオンを見遣るなり嫌悪感を露わにして語り出す。
「やだ、血まで赤いのねぇ。骨だけじゃなく血肉まで出来損ないってねぇ……」
同じ悪魔から蔑みを向けられたシオンは、表情を変えず無言のままだ。
「……出来損ない……?」
思わずアカリの方が口を開いてしまい、ヴァルゴの視線が向いて反射的に肩を跳ねさせる。
「アンタ、何も知らないでコイツと一緒にいたの? こいつはお笑い種ねぇー。っていうかまあ、出来損ないだって自覚があるからこそ自分の出自なんて話したくなかったのかしら?」
再びヴァルゴの、そして全員の眼差しがシオンに向く。
「……話したくなかった、というかね。そもそもこの間まで曖昧にしか生まれた時の記憶がなかったのだよ。話そうにも、それでは……」
「リッチの幻覚のおかげで思い出したんだってさー、まあそのリッチにお礼言おうにも、ヴァルゴンが始末しちゃったんだけど」
ぽつぽつと話し出すシオンに横槍を入れるエーデル。そのつもりかどうかはわからないが、普段と変わらぬ溌剌な声でどこか弱弱しそうに見えるシオンを鼓舞しようとしている――そんな風に、アカリには見えた。
「……ああ。そもそもアトレイルは」
「様つけろよヒョロガキが、ぁ?」
即座にヴァルゴが額に青筋を浮かべ、シオンに対してドスの効いた声で威圧する。地響きでもしそうなほど重く低い声だったが、もはやシオンは動じていなかった。
「失礼、出来損ないなものでね。……続けるが、アトレイルは水子や生後間もなく遺棄された赤子を取り込んで悪魔を生み出す基礎としているのだよ。名も与えられないまま亡くなった遺体が望ましい。……名を与えるということは即ち、それに縛ることだからね」
ふと、アカリはシオンと出会った時に名を名乗らなかったことを思い出した。
てっきり本名を教えたくないものだとばかり思っていたが、本当はそもそも本名など存在しなかったということだろうか。
「私もまたアトレイルが取り込んだ死産児がベースとなった個体だが、その際に不都合が起きたようでね。どうやら元々すぐに火葬されて骨くらいしか残っていなかった上、闇の中に引きずり込まれる直前で名を与えられてしまったらしい。そのために中途半端に人間らしい姿を得てしまい、本来大人の姿で生まれるはずが子供の姿で生まれ、今のところ成長もしている」
「クソガキしかいない天使とは逆で、アタシ達に本来ガキなんていない筈なのよ」
吐き捨てるように言うヴァルゴを後目に、シオンはアカリの方に向き直った。何故自分に視線が向いたのかがわからず、彼女は首をかしげる。
「……アカリ殿、なぜ何故私にシオンという名を与えたのかね?」




