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自宅→日入街道

 気が付けば、そこは見慣れた母の部屋だった。

 といってもその感想はアカリのみが抱いたもので、フィルとアデルは建築様式から調度品まで何一つ見慣れない様子で好奇の眼差しをそこかしこに向けている。


「うっわ、完全におのぼりさん状態じゃーん。でもまあ確かに変わってるよねー、カルールクリスってさ」


 恐らく来た経験自体はあるのだろう、エーデルは特に周囲に気を取られる様子もなく棚の上の骨壺を眺めていた。

 その後、周囲の三人をそれぞれ見比べている。


「あ、アカリさえ良ければ骨壺は僕が持ちましょうか。一番動かないでしょうし……」


 視線の意図を察したフィルの申し出に反論する者はいない。

 アカリとアデルは剣を使うし、エーデルは細身のメイスを持っているが、どうやら前衛で戦うらしいというのは本人から耳にしている。

 よって消去法で、一番激しい動きの少ないフィルが所持するのが安全だろうという結論に至る。


「うん、お願い。あたし達だと割りそう」


 それでもやはりガラス素材の小瓶には不安要素しかないので、アカリの部屋から緩衝材代わりの布(家庭科の授業で使った残り)を持ってくると、丁寧に包みこんでからフィルの鞄にしまいこむ。


「じゃあまず日入駅まであたしが先頭で進むね、ついてきて」


 準備が整い、赤黒く染まった廊下に出る。


 赤烏駅付近にはかなり近い距離で駅が点在しているが、日入駅もその一つである。

 そこには大規模なホームセンターがあり、登山およびキャンプ向けに用意されたテントや保存食が置かれている。


 また、いくつかホテルも並んでおり運が良ければ今夜は屋根のある拠点として機能してくれるだろうという見立てだ。


「……時間がわかりにくいけど、今はもう昼過ぎみたいだしね」


 玄関前に降り、ネットは繋がらないものの時刻は変わらず確認できるスマホの画面を見下ろす。

 色々と調達するのであればかなりの時間を使うだろうし、そもそもアカリは学校探索で一晩寝ていないため疲労があり、今夜は早めに休む必要がある。


 よって日入駅まで難なく進めたとしても、それ以上に進むのは絶対に無理であった。


「一日中太陽が出ているんですよね……あ、一応空の色はちょっと変わ――」


 話しながら玄関を出たフィルが周囲を見て絶句したのも無理はない。

 実際彼が出るまでに、先に出ていたアカリとアデルも言葉を失っていた。


「……あーあー、やっぱ悪趣味だねー」


 最初に沈黙を破ったのは最後尾として出てきたエーデルであったが、彼ですら一瞬嫌悪感で笑顔が曇っていた。


 道路には、アスファルトを埋め尽くす勢いで濃色の桜の花びらが降り積もっている。

 それらの出どころは庭木や街路樹であるが、本来ならばそれは桜ではなかった筈だ。


 だがほぼ無差別に()()()するが如く、桜の目がいたる所から噴き出ているらしい。

 根元はそれぞれの樹の個性が残っているにも関わらず、途中から不自然に桜の枝が生やされ、そこから上は養分を根こそぎ吸われたように大量の桜の枝の内側で朽ちていた。


 それだけならまだ良いが、遠くに見える道路を今しがた横断した全身鮮血色の人影の身体からも、いたる所から桜の芽が吹き出ている。


「見た事ねえ木だけどよ、他の動物や植物に寄生する魔物なのか?」


 桜に馴染みのないアデルがそう言うのも無理はない。

 アカリは正直にかぶりを振るものの、これが逆の立場だったら信じられなかっただろうと思う。


「ううん……あたしの知ってる桜はこんなんじゃない……。確かに他の樹を利用する接ぎ木ってやり方で増やす品種がメジャーだけど、もっと繊細で人が丁寧に切り口を合わせないといけないものだし……まして、人になんて絶対寄生しないよ」


 日本の桜は九割近くがソメイヨシノだと言われており、実際アカリも今まで気にもしていなかったが、恐らくよく見てきた桜は全てそうだったのだろう。

 この品種は全てクローンであり、自力で増える事ができず人の手がなければ種を維持する事ができない。


 それらの特性を思い出してはみるものの、今見ている薔薇紅色の桜は形状こそソメイヨシノに似ているが色や季節や対象を選ばず寄生する強靭さからして到底同じものとは思えなかった。


「……気持ち悪いけど、行くしかないから頑張ろう」


 得体の知れない植物に足が竦むも、こんな出だしから怖気づいていては救えるものも救えなくなってしまう。

 気味の悪い桜を無理やり意識の外に追いやり、後ろの全員に声をかけて一歩を踏み出す。

 道案内役のアカリの隣にアデルがつき、後列にフィルとエーデルが続く。


 万が一背後から奇襲があった場合に備えての配置だが、最初の分岐点である大通りに着くまでは全く敵襲がなかった。

 だが逆に言えば、視界が拓けたと思った途端――車がいたる所に放置され紅桜の苗床となった大通りを縦横無尽に歩いていた複数人が、こちらに気づいて振り返った。


 ビチビチと肉質の音を立て、それらは両の(てのひら)から肉と同色の棒――ではなく、どうやら一対の刀らしい物体を産み出している。

 武器を取り出したという事は即ち、明確な敵意を持っているということだ。


「あたしが通った時は襲われなかったのに……」


「ついに脳までやられちゃったって事だねー、こうなるとシオンちゃんが心配になってくるなぁー。あの二人、暴走しないといいけど」


 アカリとエーデルがそんな会話を交わす中、五人ほどが刀を持ち一行に接近してくる。

 接近戦になるかと思い剣を構えるものの、アデルがふと敵の一人を一瞥するなり叫んだ。


「おい、詠唱してやがるぞ!」


 一拍遅れてアカリも後列の敵がクチャクチャと溶けた口を動かしていた事に気づいたが、その頃には既に無数の火球が全員に向けて飛来していた。


「「フルムーンシールド!」」


 それらを防ぐ月の丸盾が出現するのは見慣れた光景。

 だが、今回は数と強度が格段に上がっている。

 フィルと重なったエーデルの声は同じ系統の神聖呪文を紡いでおり、彼らが同じ月の神を信奉しているという話が本当であったと再認識させられた。


「やってくれんじゃねえか……っ!」


 降り注ぐ炎の全弾を防ぎきった後は、真っ先に飛び出したアデルが瞬時に先頭の一体との距離を詰めて首を斬り飛ばす。

 元は一般人だと思うとアカリにとって強い抵抗があったものの、完全に侵食された人間は少なくとも世界そのものをどうにかしなければ二度と元に戻らないという話を事前に聞かされている。

 胸中に渦巻く感情と葛藤を殺して仲間を優先し、何とかアデルに続いた。


「やっぱり避けるより防御の方が得意、っと!」


 いつかのようにフィルに借りていた丸盾で刀による袈裟(けさ)斬りを弾き、朱染めの人型の懐に飛び込んで深々と剣を突き刺す。

 そのまま斜め下に斬り降ろすようにして剣を引けば、半身が支えきれなくなったらしく半時計回り気味に上体を捩れさせ敵が倒れ伏した。


「痛くないでしょー? 慈悲深い天使様に感謝してよねー!」


 眼前の敵が消えれば、拓けた視界の先にはエーデルがちょうど一体を真っ二つに切り裂いている光景が繰り広げられている。

 どうやらメイスだと思っていた武器からは三日月に似た冷気の刃が出ており、縦半分になった敵の断面にははっきりと見てわかる凍結の痕跡。


「……せめて、なるべく苦しまずに逝ってください……」


 だが詳しく観察する前に残った敵をフィルの光槍が一掃し、増援が来る前に道路を渡り切る事になる。

 どうせ交通ルールも何もあったものではなく、元より守るつもりもないが反射的に歩行者用の信号を見遣れば――丁度上から下に遷移する光。

 赤から赤へ。


 下部の画面に光が灯っており、人間を表す記号が歩行している事から本来は青信号であった筈の箇所だ。

 だが、発する光は赤色。

 まるで――進もうが止まろうが危険だと告げているように。


 思わず浮かんだ後ろ向きの考えを振り払うように、アカリはもはや元の機能を失った信号機から視線を外して道路を渡り切った。

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