回想
「……いや、私は彼女と面識がないが……アカリ殿の知り合いだったのかね」
「……うん、でも……その子はまだ一歳の筈……。同姓同名の可能性もあるけど、でもこのシューズ袋って、あたし達の世界じゃ小さい子供しか使わないものなの」
ホールに集まった者達の片隅で、未だにこの状況が信じられないアカリが頭を抱えながらに語っている。
「まあ確かに、一歳児だと思えば今までの行動に納得がいく部分もありますね……」
フィルの視線の先では、シューズ袋を裏返したり戻したりしているユイがいる。
「けど、シオンじゃないとしたら一体誰が? どうやってこっちの世界に……」
たった一歳の女児が単独で世界を渡る方法など、どう考えても思いつかない。
何らかの方法で誰かを頼ったのだと思われるが、まだ会話も怪しい彼女にそれが出来るのだろうか。
「異世界転移や転生の力を扱うのは私だけではないが……誰によってかは流石に解らないな……」
腕を組み、暫し考え込んでいる様子。
そんなシオンだったが、ふと何か思いついたように顔を上げた。
「……! ……いや……」
しかし、再び思い悩むように唸ってしまう。
「何だよ、何か解ったのか?」
不審に思ったらしいアデルが問い詰めると、悪魔はあまり言いたくなさそうに口を開いた。
「……あぁ、いや……これでは誰が彼女を送りこんだかは恐らく解らないのだが……彼女がこの世界に来た理由はもしかしたら解るかもしれないと思ってね。これも全く見当違いかもしれないのだが……」
全員黙ったまま耳を傾けているので、シオンは語り続ける。
「大体、異世界に渡ろうとする者は何か元の世界に嫌な事があったりするだろう? だからだね……あまりやりたくはないのだが、あの迷宮に張り巡らされていたものと同じ術を彼女……ユイ殿だったかね……に掛けて視界を共有してみれば、来ようと思った理由は解るかもしれないと思ってだね。本当は過去を全て覗き見られれば良いが、それは流石に彼女の協力もないと難しくてね……一歳児には流石に難しいと思うのだよ」
プライバシーも何もなく、土足で人の心に踏み入る行為。
だからこそ、シオンもあまり気が進まないのだろう。
「……あー、あんまりやりたくないかも……。でも、まだユイちゃんはまともに自分の意思も伝えられないと思うし、助けて欲しい事があるなら知ってあげないとどうにもしてあげられない」
アカリを含め、全員が躊躇の気配を滲ませている。
だが、結局もう今はこれしか手がかりを掴む方法が見つからなかった。
――だから、四人はユイに幻覚を見せて共有する事にした。
†
ゴトゴトと心地よい振動に揺られて眠っていたユイは、元気のよい兄――マサキの声で目を覚ました。
「着いた着いたー、おじたんの家に着いたぜー結たーん!」
まだ眠気はあったが、大きく欠伸をしている間にベビーカーから降ろされ古びたアパートの一室の前に降ろされる。
慣れた手つきでユイ専用の乗り物を畳み終えた兄は、塗装が剥がれかけた壁についている旧式のインターホンを連打し、近所迷惑上等で叔父の名前を連呼し始めた。
「誠さーんまこちゃーんまこおじさーん、まこたん! 遊びに来たよー元気してるー? もしもーし? もしもしもしー? ……返事が無い、ただの屍のようだ……」
独り言の多い兄をぼーっと眺めているしか出来ないユイ。
彼女とは比べ物にならない位気が短い兄は痺れを切らしてドアノブを雑に捻り始めるが、予想していた反動が無かったらしく目を丸くしている。
「うっそやん、一階で鍵かけないとか色々入り放題じゃん……叔父さん貞操大丈夫? 入った瞬間汚されちゃった……とかやめてよ? 十六歳児にはハードル高いよ? てな訳で結隊員、とっとと入りましょー!」
独り言を垂れ流す兄を眺めている間に抱えられてしまい、靴を脱がされてフローリングの上に立った。
兄が活発すぎていつの間にか世話をされているのが常だが、この家に大好きな叔父が住んでいると知っているので呆けがちなユイも今回はすぐ動き出していた。
既にリビングに行った兄がまだ叔父を見つけていそうにないので、もう一つの扉の先を探す事にする。
扉の先、右横には水の出る台があり、その先には扉が二つ見える。
一見すると選択肢は二つだが、一つは半開きになっている上擦り硝子の向こうに人型の影が見えるので当たりが解り易い。
未だに声を出さない叔父はきっと珍しく自分にかくれんぼを仕掛けてくれているのだろうと心躍らせ、擦り硝子の扉を開いた。
しかしながら、どうやらユイに構うつもりもなく一人で遊んでそのまま寝てしまったらしい。
後からやってきた兄の気配に振り向き、不満たらたらで叔父を指さす。
「ぶらんこ!」
風呂場に据え付けられた物干し竿に首でブランコをしたまま起きる気配が無い叔父に対して兄にも憤ってほしいものだが、彼はそれらを一目見るなり血相を変えて悲鳴をあげた。
「――う、うわぁぁあああああっ!」
その場で腰を抜かして絶叫を続ける様に驚愕するも、その後すぐにユイは彼に抱き寄せられる。
「ゆ、結……ご、ごめんな……お、オレがさ、先に気づいてれば……と、とにかく外、出て警察……あれ、救急車……? ど、どうしよう……こういう時どうしたら……」
歯の根が合わず聴き取りにくい言葉を紡ぐ兄に半ば無理やり外に出され、ベビーカーに固定される。
以降は叔父の家に入れてもらえなくなり、何日経っても叔父に会える事はなかった。
暫くは空気が張りつめているような状態だった家族も元通りになってきた中、ユイは叔父の家から以前くすねてきたTRPGのルールブックを開きながら呟いていた。
「……まこ……」
今彼が何処にいるのかも解らないが、手の届かない世界に行ってしまったのなら其方に行って会いたかった。
まだ舌足らずの、たどたどしい一言にはそんな思いが込められていた。
†
「……ユイちゃん……ごめんね、お疲れ様」
まだ死の意味はよく解っていないのだろうが、叔父の居ない期間や兄を含めた家族の不穏な様子に恐怖を覚えたという事なのだろう。
フィルにより幻惑を解除されてからも眉を下げてぶるぶると震えるユイを、アカリは優しく抱きしめる。
「建物から街並みまですごく変わっていましたが、あれがカルールクリス……。アドロスピアと全然違いますね……」
「……結局、ここに来た理由って何なんだ? 叔父さんとやらに執着してんだろうけど、どう見ても死んでた……よな?」
先程見た場面を思い返しながら、困惑をありありと表情に浮かべつつアデルが問う。
それに答えたのは、シオンだ。
「……マコト殿は転生者なのではないかね。私達とは違う、死と再生の力を扱う者が彼に声をかけた……それなら今魔物になっている事にも納得がいく。やはり元の形質を維持したままの転移だと、せいぜいユイ殿のように無理矢理――しかも恐らく一時的に成長させるのが限界だろうと思うね。順序からするとマコト殿が先にアドロスピアに来て、ユイ殿がその後で『マコト殿のいる世界に行きたい』と願ったのかね……」
そうなるとマコトとユイをそれぞれ送りこんだ者は別々である可能性が高まるが、結局どちらも現段階では誰か解らないままだ。
だが、誰も思い当たる者の名を挙げないまま――そろそろ日が落ちると周囲から告げられた事で、時間切れを悟るのだった。
後は、夜に備えるだけだ。




