正体※
強力な一閃と、膨大な魔力量から成る雷を浴びせられ、天井を形作っていた泥が、爆ぜた。
リッチの、アカリ達の直上に大穴が開く。
そこから覗くのは群青に珊瑚色が差した曙の空で――
屋外に位置する座標であるこの場所に、陽光を防ぐ手段はない。
暖かい朝日が、壁面に埋まる魔物の手下どもの、その主の身体を焼くようにして魔力を奪っていく。
「がッ――なッ、てめェ……! 何で獣人が魔法なんて……! いくら強化されたって魔法そのものが……」
「使い物にならない程素質がねえから覚えたところで意味がねえ、そう言いてえんだろ?」
肉が焦げるような音と共に姿が薄らぎ悶え苦しむリッチに、侮蔑を微塵も隠さず向けるアデル。
「お前、ゲーム? だか何だか知らねえがそれに似せて世界をデザインしたんだってな。だから獣人の俺が魔法なんか使える訳ねえって決めつけてたんだろ。……確かにどう足掻いたって俺一人じゃシオンやフィル、それどころかアカリにだって敵わないだろうな。けど、それを無意味って切り捨てたからお前はこうなった。……どんな手を使おうが、見苦しかろうがみっともなかろうが……」
もう殆ど消えかかった長身の魔物に大股で歩み寄り、手にした剣を振り上げる。
「最後まで足掻いてやるよ、テメェがくたばった後の未来でもな!」
張り上げた声と共に振り降ろす一刀。
魔物の姿が霧散し空振りに終わったが、最後の瞬間に聞こえたのは隠しきれない憤怒と口惜しさが滲む声だった。
「――てめぇら……次の夜はこんなに上手く行くと思うなよ……」
月並みな負け惜しみ、だがしかし次の夜も確実に悪夢を齎すであろう鬼気迫る様相にアカリ以外にも肝を冷やす者が多かっただろう。
だが、それでも。
「……助、かった……?」
目前の驚異は、ひとまず去ったのだろう。
†
天気は快晴で、本来であれば晴れやかな気分で朝を迎えるところだったのだろう。
だが、ほぼ全員が満身創痍だ。
死人も多く出てしまった。
次の夜まで時間が残されていないため、亡くなった者もまともに弔う時間すらない。
「駄目ですね……やはり街の外には出られません。まあ、どちらにせよ今からでは逃げるなんて不可能です。とにもかくにも、身体を休めましょう」
フィルの提案で、無傷の者以外は睡眠の確保を最優先とする事になった。
全員昼過ぎまで眠る事になったが、疲労が深くそれでもまだ疲れが取れ切らない感覚すらあった。
以降は緊急事態という事もあり、小人達が経営する道具屋からアカリ達のパーティに対し無償で魔力回復の力がある魔法石の提供があった。
そのお蔭で大方は回復したものの、シオンを筆頭に特に負傷が酷かった者が全快に至らず、夜までにどう効率よく回復するかを話し合った結果――魔法石を全てフィルに渡し、大浴場の魔法石を通じて湯全体に治癒の力を流し、入浴しながら作戦会議まで済ませてしまおうという話が浮上する。
――よって、現在は男女別に別れ、通話用の魔法石を片手に入浴中である。
「あたしが休んでた時から魔法剣を使う話をしてた風だったけど、まさかそんなに短期間でやるとは思わなかったなぁ」
『俺も正直ちょっとは練習したかったが、作者がどうのって話を聞いてるうちにこうするしかねえと思ってな。シオンの捨て身の魔力供給にはマジでビビったが』
『……一撃の破壊力を高めるために、失った生命力を魔力に変換する術が必要だったのだよ。』
普通に話そうとする努力が伺えるが、今も魔法石越しのシオンの声は辛そうである。
『さて、今から今後の方針について話すんですが……シオンさん、やっぱりその仮面ってお風呂の中でも取れない事情があったりするんです?』
アカリもシオンの入浴時に仮面をどうしているのか気がかりだったのだが、やはりフィルの口ぶりからすると付けっぱなしな様子である。
『ああ、すまないね……これが無いと周りの光が強すぎて何も見えないのだよ。だから顔を洗う時以外は付けていないと自力で身体や頭を洗う事も出来なくて……』
『あ、特に顔を隠さないといけない事情があるとかではないんですね。じゃあ外して洗っちゃいますよ。えい』
『え? いやちょっ痛……! 君、いきなり何を……! め、目が痛……!』
何やらその後シャンプーの音が聞こえてきたり、普段は余裕綽々を貫いているシオンが間抜けな悲鳴をあげたりと、アカリからすれば男性陣の方がワイワイと楽しそうで少し羨ましく思ってしまう。
そんな場合ではないのは解っているが、女性陣の方はというと面識のない人々と未だに正体がよく解らない魔女がいるだけなので、これといった会話がなく味気ないのである。
「で、また夜になったら攻めてくるとかいう話だったよね。それって今まで通り扉や窓を閉め切ってれば安全って事?」
『いえ、多分それは無いでしょう。どう考えても建物の壁くらい破壊しようと思えば破壊出来るだけの魔力量を持っていましたし、今まではわざと案山子だけに任せて皆さんをじわじわと精神的に追いつめていただけではないでしょうか』
『ほんといい趣味してんなあのバケモノ。反吐が出る』
わざわざ時間と手間をかけて戦う術を持たない人々が怯えるのを楽しんでいたのだろう、という推測はあの性格を見れば納得の一言しか出なかった。
よって今夜はどう足掻いても確実にあの魔物が攻め込んでくると思って間違いないだろう。
『そうなるともう相手が攻め込んでくる前提ですから……なるべく防御に適した場所が良いですね。というか、今思ったんですがここじゃないです? お風呂のお湯を生成する大きめの魔法石もありますし、確保すれば多少なりとも魔力の増強が狙えますよね……天井、は無い方が良いのかもしれないのですが、同じ手が通用するかどうか……』
『いえ、今回は室内の方が良いかと。下手に屋外に出れば迷宮化などまどろっこしい事をせずいきなり攻撃を喰らう事になるかもしれませんから。ですがその石は取り外せますので、それを持ってホールに行った方が広く場所を確保できるかと』
領主の一声が加わり、大味だが今夜の方針が決定した。
『もう大分傷は治ったか? ならそろそろのぼせそうだしホールで続きを話そうぜ。……おいシオン、お前生きてるか?』
『目が痛くて開けられないのだが、今どうなっているのかね……?』
『もう洗い終わりましたよ。何だかシャンプーの間ずっと目を閉じているのを見ると小さい頃のアデルを思い出しますね、ふふ』
『やめろクソジジイ』
『やめてくれたまえ……』
やはり向こうの方が楽しそうである。
羨ましそうに壁の方を眺めつつも、アカリも殆ど傷が癒えたので風呂から出る事にした。
気づけば他の女性陣も殆ど脱衣所の方へ向かっており、残されたのは自分と魔女だけであった。
「もう行くよ、あたし達が最後みたいだし会話用の魔法石は持っていこう」
声に気づいたのか、ぼーっとしていた彼女は立ち上がり脱衣所に向かっていった。
それを確認し魔法石を持ってアカリも脱衣所に向かう。
――が、
「いやいや待って、何で勝手にあたしの所持品漁ってるの」
先に脱衣所に着いた魔女は一糸纏わぬ姿のまま所持品――もとい例のいつも持ち歩いている飴玉を勝手に食していた。
無表情で何も答えないが、手に持った不織布の袋と膨らんだ頬が言い逃れの出来ない証拠である。
「言えばあげたのに……って、やっぱり喋れないのかな? ううん、それより服を着ようよ……何で全裸で食べてるの……」
話は聞いていそうな雰囲気なのだが、一向に服を着る気配がない。
今結い上げている髪も最初は下ろしたまま浴槽に入っていたのをアカリが気になって勝手にアップにしたものだが、ひょっとすると彼女は服の着脱など召使にやらせるのが当たり前のお嬢様育ちなのだろうか。
だが、ちゃっかり残りの飴玉を彼女の所持品らしい布袋に突っ込んで我が物にしようとしている卑しさを見ると、果たしてその認識が正解なのか甚だ疑問に思うところである。
などと考えていると、件の彼女は自分の服を纏めて畳んだもの(尚これも服を着たまま風呂に入ろうとしたらしいので、他の誰かが脱がせて入れたもの)を掴んだ。
ようやく意思疎通が叶ったのかもしれない。そう安堵してアカリも自分の着替え一式に向き直る。
その視界の端で全裸の女が服を掴んだまま出口に歩いていく姿を捉えた。
「はぁあああああぁぁぁあああああああ? えっ? ちょっと! 何してるの!」
思わず飛び出る裏返った絶叫。
咄嗟にタオルを身体に巻き、もう一本タオルを掴んで魔女を捕まえる。
「?」
アカリの声に反応して振り向いた彼女は、もう既に出入り口の扉に手をかけ少し開いてしまっていた。
外から男女の悲鳴が聞こえる。
「素っ裸のまま出ちゃダメでしょ! はやくタオルでも服でも着て、いや戻ってー!」
もはや赤ん坊に翻弄される母親が如く言い散らかす姿に魔女も少々動揺したのか、
――くっ。
微かな異音。
次いで、蒼ざめる魔女の顔。
すっかり全裸騒ぎに気を取られていたが、そういえば彼女は飴玉を口に含んでいたのだという事を今更ながらに思い出した。
喉につかえてしまったらしく、そのまま涙目で転倒しもがき苦しんでいた。
「うわーーーー! 早く吐いてーーー!」
アカリの悲鳴に集まって来た人々が魔女の体勢を変えさせたり、背中を叩いたりなど大惨事である。
しかしその努力の甲斐あって、数秒後には魔女が飴玉を吐き出したようだ。
相当苦しかったらしく泣きながら噎せてこそいるが、意識もあるしもう大丈夫そうである。
「すみませんお騒がせしました! ……もう、あげようかと思ったけどやっぱり飴玉禁止!」
こんな騒ぎを二度も起こさせる訳にはいかない。
そう決心したアカリは周りに謝罪してから全裸の魔女を引きずり込んで脱衣所の扉を閉める。
怒り心頭のままに飴玉が収納された布袋を着換えの中からひったくり、中の不織布を抜きとろうとした。
そして、感じる違和感。
「……あ、れ」
袋は持ち手が一本で、所謂Dカンと呼ばれる留め具に通して閉じるタイプだった。
袋そのものの素材は綿か何かだろうが、それはキルティング状であり、何より――横目で見た時には気づかなかったが、現代的なリボン柄であり染色方法がプリントであった。
それ自体は見覚えがあるし、ありふれた品だ。
ただし、カルールクリスでは。
「……え、でも、これって大人が持つようなものじゃ……?」
幼稚園や保育園で使うシューズ袋、にしか見えないそれ。
ごく無意識に、恐る恐る、裏面に縫い付けられた名前タグに視線が向かっていた。
『いつじ ゆい』
――
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