対峙※
食堂だった部屋を抜けた先で一度戦闘があった。
敵は五体であり、三体はアカリ、シオン、アデルで行動していた時と同じ物。
残り二体はフィルと魔女が一度遭遇したそれと同様だという話だった。
「そんな気はしてたけど、これって個人に対応するものが出てきてるよね。苦手なものが出てきてるのかな」
流石に五体分ともなると死屍累々の様相を呈するようになってきた残骸を見下ろし、アカリがこれまでを思い返しつつ推測を口にする。
「それぞれ自分に対応する奴だけは絶対に遭遇してるんだもんな、間違いねえんじゃねえの。いい趣味した敵だな」
いい趣味というのは当然額面通りの意味ではない。
現にアデルは蔑むような眼差しで戦いの痕跡を見下ろしていた。
「さて、もう大分進んだが。そろそろ半分程外を回り終えるのではないかね」
外から敵襲があったため屋敷の外側に首謀者が居るとまでは考えたのだが、何しろ当時は屋敷を囲うようにして案山子が配置されていたため、どこに主がいるかまでは全く見当が付かないのだった。
屋敷の中はもう調べないにしろ、こうなると虱潰しに外周を回っていくしかない。
「ちょっと消耗が気になりますよね……って、何してるんですか?」
ふと目を瞠ったフィルの視線の先を辿ると、魔女帽の彼女がぼーっと壁面を眺めている最中だった。
「そっちに何かあるの……って、」
アカリの言葉は最後まで紡がれなかった。
女が壁に触れると、例のファンファーレの演奏が開始され泥が落ちて行く。今度は屋敷の扉ではなく、丁度敷地と道を隔てる門扉が現れ、その奥に広大な空間が広がっていた。
壁が遠いため、視界が悪く玄室の全貌が伺えない。
「よく見つけたな、お前」
まだアデルが調べる前だったが、彼女は何を感じ取ったのか一直線に向かっていったように思える。
その理由は定かではないが、今はそれよりも目の前の空間だ。
「……これは、当たりなんじゃないかな」
妙にゲームじみた迷宮に用意された、明らかに広大な空間。
そういうお誂え向きな要素を置いておくとしても、アカリを含め全員が感じているだろう肌がひりつくような緊迫した空気。
――本能が、この先に強大な敵の存在を察知していた。
「皆、準備はいい?」
表情を確認するように、全員を見渡す。
「勿論です、いつでも大丈夫ですよ」
「今更怖気づくかよ」
「任せてくれたまえ」
三人の仲間に躊躇は見受けられない。
――相変わらず、魔女姿の彼女だけは無言でぼーっとしているだけだったが。
三者三様の色よい返事に与えられた勇気が消え入らないうちに、アカリは広大な玄室に踏み込んでいく。
†
『何もない部屋』といった印象が確定される直前、急速に周囲の闇が集結し、中央に凝縮された。
闇が形を成し、現れたのは身の丈七尺弱程の菫色のローブ。
――ローブの中身は、首と下半身を切断し鎖を繋げただけの骸骨、白い罅割れた仮面。
その他にはただ深い闇が詰まっているだけだ。
いかにも魔物然とした風采のそれは、南瓜をあしらった長杖を手にし宙に浮き、此方を見下ろしている。
ぎょろぎょろとした真紅の眼球が一行を捉えていたが、彼らが口を開くより先に魔物がそうしていた。
「思ったよりずっと早かったな、それは褒めてやるよ」
複数の声が入り交じったような、質の悪い機械音声のような、腹の底を震わせてくるような低く耳障りな声。
不気味そのものである姿も相俟って、気を強く持たねばそれだけで恐怖心を煽られ心折られそうだった。
「……わざわざ名前に似合う姿で出てくると思わなかったよ、リッチさん」
リッチ――アンデッド系の魔物ではお馴染みの名称だが、アカリはそれ以外の意味も含めて彼を呼んでいる。
『Lich』――即ち、『遺跡世界アドロスピア』の作者が使用しているペンネームだ。
「あ? 何でお前が知って……って、その服……よく見たら赤烏高校の制服か? おいおいこんな偶然あるかぁ?」
――赤烏高等学校。
アカリの通う公立高校であり、知る者が見ればすぐにそれと解り易い赤を基調にした特徴的なジャケットを制服としている。
リッチのどこか自嘲的とも、愉悦とも取れる読めない笑声は明らかに『知る』者の反応であった。
「……つーか、女子高生? って事はまさかお前が小流明璃か? お?」
遠慮なく前のめりになる魔物に思わず威圧され後退りかけるも、毅然とした態度で睨み付ける。
「……それも知ってるんだ。まああたしの後からこの世界に入ってきたんだっけ? 何で今更――」
「やっぱりテメェが世界観ぶっ壊した元凶かよ!」
周囲の空気に電撃を走らせるような激しい怒号。
思わずアカリの肩が驚愕に竦み、傍に立つ三人が身構える。
「は、……? 世界観って」
「言葉そのまんまの意味だろうが! 俺が入ってきたら勝手に世界が変わってるわ城は攻略されてるわ死んだ筈のキャラは生かされてるわ! お前なんかお呼びじゃなかったんだよ、どうしてくれんだ!」
先程からリッチはアカリが問い掛けようとする言葉を遮り、一方的に激昂し捲し立てるばかりだ。
だがその発言の中に聞き捨てならない一言を聞き咎め、思わず少女の表情が険しくなる。
「……何よそれ、まるでフィルが生きてるのが不都合みたいに……」
語気から滲み出る怒りを察知したらしく、どうやら軟質らしい仮面の目元を細めてアカリを見下ろすリッチ。
明らかに怖気づいたり悪びれたりする反応ではない。
アカリとその取り巻きを取るに足らない虫けらとしか思っていない、遥か高みから見下す反応そのものだった。
「そりゃ不都合だろ、そこの男女だけじゃなく猫もなァ。折角俺の新天地にしてやろうと思ったのに名ありのキャラがいたら超・絶・邪・魔だろうが、えぇ? しかも何か俺が書いた時よりふてぶてしくなってない? 気に入らねえぇー。まあどこぞのバカなメスガキが纏めて連れてきてくれたお蔭で掃除の手間が省けちゃった訳なんだけどー」
泥の玄室に響き渡る下卑た哄笑。
主に呼応するように、壁面に埋め込まれた南瓜の音楽隊が演奏の音量を強めていく。
――もうアカリにも解っていた。
けれど、どうしても信じたくなくて、俯きそうになる自分を何とか叱咤して巨大な魔物を見上げ、震える声で問い続ける。
「……自分で作り出した世界と、キャラなんでしょ。自分の子みたいなものでしょ……大切なんじゃないの……」
賭けた一縷の望みは、相手の吐き捨てるような口調によって脆くも砕け散る。
「お前現代文の成績悪いだろ。だから今時のガキは読解力がねぇって騒がれんだよなぁー。今の会話の何処にキャラが大切とかいう文章が含まれていましたかぁー? あのなぁ、箸にも棒にもかからない不人気小説に価値なんかねぇの。それに出てくるキャラなんてもっと価値ねぇの! 売れない小説でおまんま食えるかぁ? 誰も見てねぇ世界なんて存在しねぇのと同じなんだよ!」
きっとやむを得ない事情で執筆を中断せねばならなかったのだろう。
自ら産み出したキャラクターに愛着くらいはあっただろう。
心のどこかでそう思い込んでいた――否、思おうとしていた。
「折角お涙頂戴で殺しといたのに誰も何も反応しやがらねぇ、そいつの命の価値なんかその程度だったって事だろうがよ!」
しかし、アカリが好いた世界を産み出した張本人は――登場人物を使い捨て同然にしか考えておらず、この場ではっきり無価値と切り捨てて見せた。
失望と怒りと屈辱が綯い交ぜになり、沸々と腹の底で煮えるどす黒い感情を抱え切れず、アカリは強く拳を握りしめる。
「――許さな――」
「わぁ、今の話からすると本当に創造主様なんですね。未だに想像が追いつかないんですけど」
憎悪をぶちまけ切る前に、ふとアカリを遮る柔らかい声。
振り向けば、普段と変わらず優しく微笑んで魔物を見上げるフィルの姿があった。
「うっわ、今の話で全く怒らねぇとかどっかイカれてんじゃねぇの? 素直に死んでりゃ俺にここまで気持ち悪いって思われる事も無かったんだぜー、お前。何で生きてんの?」
視線の先に捉えられた『創造主』は不愉快そうに目を細めるも、エルフの様子は変わらない。
「ふふ、どんな形であれ僕を――僕らを産み出してくださった事には感謝していますから。……ですが、貴方を野放しにする理由にはなりません。僕には共に苦難を乗り越えてくれた仲間がいます。この世界を共に生きる人々がいます。悲しいですが、それらを傷つけるというのでしたら――僕は貴方を倒さねばなりません」
さして強い声量でもないが、泰然自若とした声は周囲の停滞した空気を浄化したような錯覚さえ周りに与える。
――が、そんなある種の神聖さを纏った姿から一転。
不意に仲間を振り返り、少々悪戯っぽさを含んだ満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ、キマってました? 少なくともアカリもアデルは僕に味方してくれますもんね。もう誰に無価値と言われても傷つかない自信があります。浮かれてますから」
リッチの言葉を歯牙にもかけない姿が癇に触ったのか、ローブの魔物は空中で先程よりもより不愉快そうに表情を歪めていた。
そして、次の瞬間には南瓜頭の金杖を高らかに振り上げる。
「弱者同士でつるんでる姿って見てて吐き気がすんなぁ……もういいからさっさと消しちまおう、そうしよう! では張り切りましてぇ、お掃除タイムッ!」




