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重なる視界

「……え、何で」


 目の前に自分が存在している。

 それだけでも十分に信じ難い光景ではあるが、更に信じられない事に今見えているアカリの姿をした何者かが、自分の発しようと思った言葉を一言一句そのまま発したのである。


 これには何が起こったのか全く解らず戸惑うしかなかったのだが、次に聞こえた声により現状を説明される事になった。


「今は魔術により私の視界と君の視界を共有している状態なのだが、ちゃんと現実が見えているかね」


 一瞬何を言われたのか理解出来なかったが、今現在見えている光景に存在するものが目線よりやや低い位置で焦点の合わない目をしている自分であり、足踏みしたり肩を上げてみたりと動作自体は自分の思うままである事から、身体の自由を奪われた訳でも魂が抜けた訳でもなく本当に視界だけがシオンのものになっているらしいと納得する事が出来た。


「廊下に踏み込んでから全く私の声が聞こえなくなっていたようだからね、強制的に私の見ている光景で視界を上書きさせてもらったのだよ」


「……ごめん」


「気にしないでくれたまえ、魔族と人間では元から魔術に対する抵抗力が違うのだから仕方あるまい」


 ひとまずシオンのお蔭で幻覚からは解放されたから良いものの、視野が自分の肉眼と大幅にズレているため歩くのも覚束ないという新たな問題に直面せざるを得ない状況だ。

 試しに剥き身のままの剣を腰の鞘に収めようとしたがどうにも上手くいかず、下手をすれば自ら腹部を刺して自死しそうな状況であったため、申し訳なさそうな表情で(とはいっても方向感覚がよく解らないため虚空に向かったままだが)シオンに剣を仕舞って貰う事にした。

 他人から見た自分をずっと眺めるというのは、何とも言えない奇妙さと居心地の悪さがある。


「何から何まで申し訳なさ過ぎる……っていうか、シオンの仮面って案外普通に周りが見えてるんだね」


 普通にアカリからシオンを見た時、仮面の目の部分は黒く焦がした硝子のようになっており全く光を通さないように思えていた。

 が、そうではなかった事が今証明されている。


「人間が着ければ殆ど何も見えないだろうが、私達にとっては外界の光を程よく遮ってくれるからね。……さて、こんな場所に長居は無用なのだよ。この状態で歩けるかね? 無理なら抱えていくが」


 発言の後半がどういう状況か想像してしまい、思わず顔から火が吹きそうになる。


「だ、大丈夫。平気、歩ける……とりあえず手だけ繋いでてくれる?」


 それに恥ずかしいという感情以外にも、万が一敵が出た時に彼に大幅な負担を強いてしまうという危惧もあった。

 恐る恐る一歩踏み出すが、無理に急がなければバランスを崩さずに歩けそうである。


 土を踏みしめる感触も、手袋越しに伝わるシオンの手の感触も確かに自分の物なのに、見えているのは自分自身という絶大な違和感。

 何となく気恥ずかしく落ち着かないため、早く次の部屋に着く事を祈るばかりだ。



 †



 妙に長く感じる時間を経て、突き当りの扉の前まで転ばずに到着する事が出来た。


「や、やっと着いた――」


「お疲れ様、では扉を開くが、もし敵がいたら私が戦うから君は下がっていてくれたまえ」


 幻覚の効果が消えるまでは事実上の足手まといであるので、歯がゆさはあれど素直に首肯する。

またあの南瓜頭の案山子が出てきたら申し訳ないけれど任せよう、そう思っている間にも視界の中心にある扉が開かれる。


 まるで一人称視点のダンジョン探索ゲームのようだ――などと呑気な事を考えながら次の部屋の光景を目の当たりにして、


 ――絶句した。


「……なん、」


 そこには全く予想外の、否、自分がそうであった以上当たり前の可能性があったのだが、それでも考えたくなかったが故に思考から排除してしまっていた光景が広がっていた。


「アデル……?」


 今までで一番広い正方形の玄室の中央に、見慣れた人物がたった一人で立っていた。

 とうに此方に気づき、即座に向けてきた眼差しには明らかな殺意が宿っている。


 問わずとも、深く考えずとも幻覚の渦中であると容易に理解出来る、そんな(まなこ)


「よくも……よくもフィルをっ!」


 問答無用――否、この場合は問答不可能と言うべきだろうか。

 獣人の少年は一対の短刀を手に地を蹴り、此方に向かい急速で距離を詰めてくる。


「ディスガイズ!」


 シオンの呪文と共に、視界の中で突き飛ばされながら漆黒の泥色に染まるアカリ自身を見届ける。

 飛び退いたシオンとの間をアデルが通過し、壁を蹴って『視点側』――シオンとの距離を詰め、順手に握り直した短刀を容赦なく突き出してくる。


「――シオンっ!」


 『遠巻き』に発せられる自分の悲鳴とは裏腹に、視界は微かに横にずれ、紙一重の距離で銀の刃が真横を通過した。


「パラライズエッジ!」


 すかさずシオンの手にした剣が雷光を帯び、横凪ぎにアデルの脇腹を狙う。

 が、相手は咄嗟に姿勢を低くする事でそれを回避し、紫雷の迸る音だけが通り抜けていった。


「――あっ……ぶな……!」


 自分の周りは見えていないため何とか手探りで壁を伝い部屋の角まで移動しながら、アカリは正直に感じていた緊迫感を吐露する。


 対照的に、アデルと対峙したシオンは悠長に高笑いだ。


「はっはっは! 中々に戦慄的だろう、楽しんで頂けたかね?」


 等とのたまう間にもアデルの斬撃を二度ほど、羽ばたいて空中で回避していた。

 どれもこれも無駄な消耗を避け最小限の動きで(かわ)しているため、常に間近を銀の一閃が通り抜けていく。

 見ている側としてはひたすらにハラハラして仕方がない。


「アカリ殿、アデル殿! この私の華麗なる剣技、その目に焼き付けてくれたまえ!」


 相も変わらず自信と余裕に満ち溢れた態度だが、果たして大丈夫なのだろうか――

 言いしれぬ不安を残したまま、アカリは視界を共有する悪魔と運命を共にする事にした。



 †



 ――ふむ、中々に手強い。傷も付けられないとなると、どうするべきかね……これは。


 シオンは顔面を両断しかけた真一文字の斬撃を後ろ方向の瞬間移動にて避けつつ、思い悩んでいた。


 敏捷性には並々ならぬ自信があるが、それは相手もまた同じだろう。

 しかし体格差からくる筋力と体力の差は歴然としており、同じ刺突攻撃であっても風を切る音の勢いには明確な差異が見受けられた。


 アカリと聴力は共有していないため、幸いにもそこの差はあまり伝わっていなかったように感じられたが。

 恐らく彼女は今、彼女自身の手腕では味わえないであろう高速の剣戟を擬似的に体験するので精一杯だろう。


「逃がすかよ……テメェも同じようにしてやる……!」


 二本の剣から立て続けに繰り出される斬撃のうち、今のように一つを避けきれず剣で受ける事がある。

 その際の衝撃が強く、腕に痺れを残すためあまり長引かせると不利になるのが目に見えていた。


「さしずめ幻覚で育ての親を殺された、といった所かね? ふふふ……美しい家族愛ではないか。良いだろう、極悪非道の殺戮者役、謹んでお受けするのだよ」


 だが余裕の口上は誰にも苦境を感じ取らせない。

 そう、自分自身さえも騙すように。 


「まずはその腕力から封じさせて貰おうか――」


 悪魔の本来の得意分野は此方だ。

 短い詠唱と共に、低い位置の斬撃を飛翔で回避する。

 更に一段階距離をあけた後、剣を持たない方の手をアデルに向けて突き出す。


 周囲に紫色の手が現れ、彼に向けて絡みつく――ように見えるが、その手に実体はなく単なる幻影である。

 とはいえそれらは無意味という訳ではなく、確かに触れた者の力を奪い去る。


「……、テメェ、何しやがった……」


 瞬時に距離を詰め斬撃と刺突の連撃を繰り出してきたものの、上手く力が入らずキレがない事に本人も気づいているのだろう。

 宙返りをするように(かわ)す最中、顔を(しか)める様相がありありと見て取れた。


「なに、ありふれた呪詛の一種さ。――さて、」


 これ以上消耗する前に決着を着けるべく、空中から刺突攻撃で伸ばし切った腕を狙って術を放つ。


(ひざまず)いて貰おうか! パラライズエッジ――」


 雷の刃が一直線の軌道を描きアデルを狙う。

 大きく踏み込み体勢を変える直前を狙ったもので、今なら避けられまいと判断した上で放ったものだ。


 確かにその予測は外れていなかった。

 が――詠唱の後で隙が出来たのはシオンもまた同じだったようだ。


 アデルが術を浴びる直前に短刀を投げてくるとは思わず、回転運動を伴った刃が肩を切り裂いて通り抜けていった。

 熱と、遅れて広がる鋭い痛みを感じるが――麻痺に苛まれ膝を折ったアデルを見下ろしたまま優雅に着地して見せる。



 かくして無傷とはいかなかったが、見知った相手との勝負はついたようだ。

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