武器※
アカリを組み伏せた男と側にいたもう一人が、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる。
「うっ」
若干中年太り気味の男性にのしかかられる形となり、アカリは思わず呻き声を漏らした。
「大丈夫かね? ……ふむ、やはりもう少し早めに変身を解くべきだったか……」
「やっぱり欲張って魔法の練習なんてするべきじゃなかったかな……。ありがとうシオン、まさか人間が出てくるなんて思わなかったから」
今まで剣の姿をしていた悪魔が昏睡状態の男性を退けてくれたので、アカリもようやく立ち上がる。
「恐らく幻術の類で操られているのだろう。君も私も治療が出来ないとなると厄介だね、フィル殿がいればありがたいのだが」
ふむ、と唸りつつ首を捻り、彼は周囲を見渡す。
アカリも同じようにして、来た道を除けば正面にだけ扉が存在する事を確認した。
「幻術を使う敵が出るのかな……とりあえずそれは解ったけど、この人達はどうしよう」
未だ床に転がる、深い睡眠状態にある二人の男を見下ろして眉を下げる。
シオンも一瞬悩んだようだが、諦めたようにかぶりを振る。
「魔物が出る上にまた発狂されたら打つ手もない、心配ではあるがまだ置き去りにした方が互いに安全なのではないかね」
無抵抗の状態で丸腰の人間を迷宮内に放置するのは一抹の、いやかなりの不安があったが、この部屋でしばらくは無事でいた事とアカリ達が来た道が一本道であった事を考慮すればまだ置き去りの方が生存確率が高いのではないかと考えた。
――もっとも、それはアカリやシオンを含めた誰かが迷宮化した領主館を攻略し、元に戻せる事を前提とした話だが。
出来ない場合はどちらにせよ全滅なので、もう考えない事にした。
「そうだね、あたし達二人だけで先に進もう。こうなると早ければ早いほどいいんだろうし……」
また黒剣の姿になって貰うより、シオンにはそのままの姿で戦ってもらう方が効率が良いだろう。
予備に買っておいたショートソードを片手に、歩み寄った次の扉に手をかける。
「――センスマジック! ……ふむ、これは……」
扉が開くと同時に背後に立つシオンが魔力感知の術を発動し、直後に悩ましげな声で唸っていた。
怪訝そうに振り向いたアカリに気づき、彼は言葉の続きを紡いだ。
「部屋全体に幻術が施されているようだね。これは回避しろと言われても不可能だから……まあ、二人とも掛かったら運の尽きという事になるね」
あっけらかんと言ってくれたものだが、中々に大惨事である。
「……敵の気配は無いんだね?」
「ああ、何も感じないのだよ」
ひとまず眼前に広がる廊下めいた長い道で、敵と遭遇する可能性が無さそうなのは救いである。
が、その先の部屋はそうとは限らないので結局幻術に掛かるリスクは然程変わらない。
「……迷うけど、二人共掛かったら終わりって考えると……どっちか片方が無事なら、そのまま引っ張って行くしかないか」
例え一旦引き返そうが一本道で再び幻術の付与された廊下に挑まなければならない事に変わりはない。
であればどちらかが無事であれば共倒れになる前に突っ切ってしまう方が良いだろう、と二人は判断した。
「私なら魔力への抵抗なら多少の自信がある、先に行かせてくれたまえ」
そう申し出るシオンに素直に頷き、アカリが横に退いて道をあける。
彼が廊下に一歩踏み出て周囲を確認するように見渡し、それから特に変わった様子もなく振り返った。
「ふむ、私は問題なく切り抜けられるようだ。君も心の準備が出来たら踏み込んできたまえ」
頷き、少女もまた悪魔に追随し恐る恐る廊下に踏み出した。
「……うーん? あたしも何ともないみたい?」
シオンの隣に立ってみたが、特に何か変化が起きた様子も見られず辺り一面代わり映えしない黒塗りの泥壁のままだ。
何が起きるか少なからず不安だったために、思わず深い安堵の溜息を溢しつつシオンを振り返る。
「良かった、あたしも何ともないみた――」
隣には、誰も居なかった。
「……え? シオン……?」
歩き出したのかと思い前後を、全体を慌てて見渡すが――少し前まで側にいた筈の人影は、どこにも見当たらなかった。
一度霧散した筈の不安が急速に凝集し、腹の底に沈殿する。
無人の、無音の廊下に呆然と佇んでいると、不意に壁に埋まった南瓜達がずぶずぶと沈み込んでいった。
「……え」
唯一の光源が消え、周囲は黒一色に染まる。
気づけば低い囁きとハイトーンボイスの入り交じる歌唱も消え失せ、いつしか不穏な静寂に包まれていた。
「……ちょっ、と……何? シオン? ここ何……」
――ガッ。
狼狽ししきりに周囲を見渡していると、不意に足首に衝撃を感じた。
反射的に、視線が下方へ。
足首を掴む手の先、女のものと思われる細い腕は随所が折れ、捻れていた。
その先に繋がる肉体もまた岩盤に叩きつけられたように破裂しており、瞬間的に加えられた極大の圧力により飛び出した諸々が周囲に撒き散らされている。
本来であれば、生きている筈などない。
それなのに腕は確かにアカリの足首を掴み、剥いていた目が転がって此方を凝視した。
『小流ざン、何でわ たワたシを見捨 テたの?』
ごぼごぼと血泡を吹きながら濁った瞳を向け続ける少女は、一年前にアカリと同じクラスに通い屋上から落死した桜井陽奈であった。
「――ッ!」
気づけば床一面にヒナの遺体がみっしりと敷き詰められ、もはや足の踏み場もない状態となっていた。
少し動けばタイツ越しに湿った肉の感触が触れる不快感に肌を粟立て、精一杯身を縮こまらせる事でなけなしの抵抗と拒絶を行うも――殆どそれは無意味に身じろぎしただけで、現状は何も変わらなかった。
ヒナの問いかけに答えられる訳はない。
正確に言えば曖昧ながらも答えは出ていたが、どれもこれもわが身可愛さであったり、正直に言えばヒナの事はどうでも良かったという身勝手極まりない理由だ。
今は後悔しているという事に嘘はないにしろ、そんな言葉は既に死という取り返しのつかない事象を経ている相手にどれほどの価値があるというのだろう。
そんなもの、改めて口に出せばこの怨霊めいた状態の彼女をどう刺激するか解ったものではない。
――結果、この息が詰まるような空間でひたすらに押し黙るしかない。
『小流 さァん』
この状況をどうするべきか。
死屍累々の様相である床を眺め下ろして震えながら、脳が焼き切れる程必死に思考を巡らせていたその時――
不意に、死角から腕を掴まれた。
振り返る。
滅茶苦茶に折れて、本来なら立ち上がる事など出来る筈もないその脚で、
ヒナは不安定な角度で立ち上がって、
アカリの腕に皮膚や肉が損傷した指を喰い込ませていた。
――不意に、視界が暗転する。
――
――――
†
ふと気がつけば、周りは元の光る南瓜が演奏と歌唱を披露する奇妙な迷宮に戻っていた。
一体何が起きたのかと思い周囲を見渡そうとするが、首が思ったように動かないのか視界が固定されたまま変わる気配がない。
徐々に目が冴えてくると、どうやら自分よりも低い位置に誰かの頭部が存在する事に気づき、一瞬心臓が跳ねる。
まさかまたヒナだろうか――そんな考えが脳裏を過ぎるも、彼女は全く染色していない黒髪だった筈で、こんなに明るい毛色ではなかった筈だ。
では目の前に見えるこの赤みのある茶髪は誰のものだったかと思考を巡らせるも、少女は導き出された答えに我ながら驚愕し、即座にそれを有り得ないと否定する。
今目の前に見えているのは、小流明璃その人だった。
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