戦い
案山子は背に粗末な枝で拵えた十字を背負ったままであるものの、磔刑じみた拘束は殆ど引き千切られており、手足は完全に自由であった。
故に、武器を持つ。
故に、十字を切る。
白い光を纏う方は見た目から回復役の可能性を考え狙うべきか悩んだが、動きの鈍そうな青いから仕留めよう――と、アカリは内心でそう決めた。
狙いを定めたのはアカリだけでなく案山子もであり、まずは一撃とばかりに彼女めがけて唐竹割りの要領で斧を振り下ろす。
「ぎりぎりで避け……うわわっ!」
反撃狙いで体制を整え易くするため、軽く身をかわす程度に止めようかと目論んだものの――決して小さくない空気抵抗や、床に斧が激突しめりこみんだ事で発生した派手な地響きに怯んでしまい、情けなく大きく飛び退くのが精一杯だった。
「や、やっぱあたし素早さを活かした立ち回りは向いてないみたい……」
新しい戦い方の模索を試みたものの、絶望的に不向きであると知り背に固定していた円盾を取り外す。
やはり身軽さより、防具が齎す安心感の方がアカリにとって重要であるようだ。
先のグリズリーとの戦闘も思い出しつつ、背負っていた盾を取り外して左手に構える。
その隙を見逃す程魔物は愚かではなかったようだが、接近からの横薙ぎに振るってきた斧から視線を外さないまま、切っ先に盾を向けて凌ぐ。
まともに喰らえば衝撃で盾を弾かれそうだったのでできるだけ身を退きつつ、斬撃が掠める瞬間を狙い魔力を集中させる。
「――ウィークネスっ!」
虚無から発生した闇色の霧に纏わりつかれた南瓜頭は、振るいきった斧を支えるだけの腕力を急に失くし遠心力に振り回される。
無様に回転する彼――彼女? の向きに合わせるように間合いを詰め、アカリは黒剣で案山子の首元から腹部にかけてを逆袈裟に斬り上げる。
驚くほど容易に切断された案山子はその場に崩れ落ちるも、未だに上半身だけでアカリの足元を狙おうと枯れ木の腕を伸ばしてくる。
が、ひとまずは捨て置いて白光を纏う方へ。
此方に向けて飛ばしてきた光槍を大きく迂回するように走り込んで回避した後、近距離まで接近し黒剣で南瓜頭の半ばから上を真一文字に斬り飛ばした。
「――!」
今度は青い方と違い足掻く気概は見せず、あっさりと地に崩れたまま動かなくなった。
木材が衝突する軽やかな音と共に、南瓜頭に詰まっている黒い土が同色の床にぶちまけられる。
空洞となった南瓜の内側に魔法陣のような書き付けを見咎めたアカリは、振り向きざまにすぐ側に迫っていた冷気の案山子の頭部に躊躇なく斬撃を浴びせる。
半分以上爆ぜて散った筈だが、それでも動こうとする案山子。否――
「ゴーレム、かな」
すかさず、南瓜頭が破砕された事により露出した『EMETH』の五文字のうち、一番左側に刺突を繰り出す。
たいした威力のない攻撃だが、文字が欠けた事で案山子はあっさりと事切れるのだった。
――異世界に降り立つ直前までゲームに興じていた事が功を奏した。
ルールブックにはゴーレムの記述があり、起動するために『EMETH』の五文字を書く事や、停止させるには一文字消し『METH』とさせればよい旨も記載されているのを思い出したのである。
「異世界でも通用する特性があって助かった……それに、二体しか見てないけど全部印が頭にあるなら『死者の指』の時より簡単そうだし」
まだ検証が足りないが、今の所多少のズレはありつつも文字は頭部の裏側に記されている。
であれば虱潰しに攻撃を加える必要がなく、タイミング次第にはなるが頭部のみを狙えば無駄な消耗をせずに倒せるという訳だ。
「実際今もそこまで疲れずに住んだし、少し休んだらすぐ次の部屋に行こう」
肩で息はしているものの、それだけだ。
アカリの身体は無傷であるし、これなら多少呼吸を整えるだけで全快する。
――そして一分程度そうした後、来た方角から見て正面に位置する扉の前に立つ。
今回は二度目であるため、最初程は緊張せずに押し開き、多少は慣れた仕草で部屋の中を確認した。
「……あれ?」
また二つ、気配があるのは間違いない。
ただし今回はゴーレムではなく、ただの人間が二人だ。
「あの人たち、領主館にいた人だよね? いきなり来た魔女みたいな人に詰め寄ってた……」
魔女(名を知らないので服装の特徴からそう呼ぶしかない)の周りは否が応でも注目の的であったため、そこにいた者の服装や顔の特徴はまだ記憶にあった。
一部ではあるがはぐれていた者の無事が確認でき、安堵しつつ歩み寄っていく。
「あの、大丈夫ですか? 怪我とか――」
相手は丸腰の一般人が二人、それに見知った顔である。
だから全く無警戒で接近していった。
「……母さん?」
「え?」
アカリの年齢で母親になる事もあり得なくはないのだろうが、それにしても中年男性の息子を持っている筈は無い。
いくら何でも失礼だろうと思い眼差しで咎めると――
男の目には一切の光が存在していなかった。
ひゅ、と腹の底から絞り出された空気が喉から漏れる。
勢いよく視線を横にずらせば似たような目つきだが口元だけが引き攣り笑いを浮かべた男が身体をゆらゆらと横に揺らし譫言のように『アンナ、アンナ、アンナ、アンナ』と、アカリを凝視しながらこの場に存在しない何者かの名前を反覆し続けていた。
「ちょ、ちょっと待っ……アンナとかお母さんって誰……!」
此方が後退る間にも二人の男が腕を伸ばし、全力で駆け寄ってくる。
これが魔物なら充分に反撃する余裕もあるのだが、少なくとも迷宮に放り出されるまでは無害だった人間相手では無闇に攻撃する訳にもいかなかった。
「ちょっと、落ち着いて……って、あっ!」
麻痺系の呪文で対処しようと思い立つも、アカリを母親呼ばわりする中年の男に腕を払われてしまい、持っていた剣が弾き飛ばされる。
――さっ、と顔から血の気が引いた。
あれが無ければまともに魔法など使えないアカリに、最早為す術は存在しなかった。
あっという間に地面に組み伏せられ、後頭部をしたたかに打つ痛みと噎せ返るような土の匂いに表情を歪める。
しかし次の瞬間の風を切る音と頬スレスレを通り抜けた重い衝撃にそれどころではなくなり、目を瞠り肝を冷やす。
「今更どの面下げて帰って来やがったァ!」
部屋中に響き渡る怒号は、この迷宮を塗り潰す泥のようにどす黒い憎悪と怨嗟に満ち溢れていた。
必死に否定しようとも言葉が届かず、身に覚えの無い罪科に処される絶望。
再び男の拳が振り上げられ、いよいよ今度は顔面を殴られるかと身構えたその時――
「――禍星よ、彼の魂を深淵へと誘いたまえ!」
誰かの声が、玄室の中に響いた。




