泥人形の黒街※
必要なのは勇気、勢い、思い切り。
震える足を無理やり枝から引き剥がし、熊の真上に飛び降りる。
「――ピアシングブロウ!」
顔面を狙い突き出した黒剣が風を纏い、防御として出された毛むくじゃらの豪腕を刺し貫く。
剣は止められても魔力を纏った風は止まらず、軌道をぶらされつつも突風がそのまま熊の右腕と左肩を貫通し風穴を開けた。
見事に先制攻撃を決めたアカリであったが、その後の事は全く考えておらず重力に引かれるまま地面に落下してしまい、したたかに脇腹を打つ。
その際に剣も手放してしまった筈なのだが、いつの間にか手元に戻っており痛みで細められていた双眸を驚愕のままに瞠った。
――流石は悪魔の剣。
脳内で感嘆しつつも、手負いとなった魔物の咆哮により我に返り咄嗟に倒れたままで転がって距離を離す。
一秒と経たないうちに先程アカリがいた場所が地響きと共に巨体な拳で穿たれ、立ち上がりざまに思わず冷や汗をかいた。
「切り裂け――アダマントソーン!」
だが手は休めずに、リーチ外で黒剣を横に薙ぎ払う動作をする。
レイピアの形状を形作っていた刃身はしなり長く伸びていき、鞭の姿に変貌していく。
想像が及ばず判断が遅れた哀れなグリズリーに絡みつく漆黒――だった鞭は、今や空気中の炭素を金剛石の結晶に変貌させて纏い、無数の棘となり毛皮に守られた皮膚や肉を容赦なくズタズタに切り裂いた。
程なくして剣の変化が解ければ、周囲には縦横無尽に深々と赤い筋をつけられた血まみれの遺体と、四方八方に飛散した熊の血液のみが残された。
先程まで無傷で殺意を剥き出しにした猛獣を相手にしていたとは信じられない森閑さに思わず、アカリは手の内にある剣を見下ろした。
「すごいなあ……今回の冒険で魔法剣の扱いが板につくといいんだけど」
今回は悪魔の助力――もとい、この剣あってこその力である。
魔術の扱いなど全く解らない、そして恐らく魔力量も別に優れていないアカリでも持っているだけで剣から魔力が供給され、魔素の扱いも教えてくれる優れものだ。
「これは俗に言うチート……ではないか、あたし自身が使えてる訳じゃないし」
曰く、光以外の属性なら全てお手の物だそうだ。
この機会に魔法を扱う練習をしておくとして、それは後々の話だ。
今は他にやるべき事がある。
「さあ、『ドロップ品判定』いくとしますか!」
まるでゲーム用語のような響きだが、事実そうであり数時間前までTRPG『マギアシグヌム』をプレイしていたため出た影響である。
要するに目の前の熊から戦利品を剥ぎ取ろうという試みであり、予備の武器や防具を手に入れるための路銀にするつもりだ。
アカリは深呼吸すると、動物の死体に触れる恐怖がありながらも――それをおして湧き上がる高揚と共に熊に接近した。
†
「うん、まあ考えなしの見切り発車すぎたよね」
運良く側に落ちていたボロボロの麻袋に、パンパンになるまで詰められた血肉付きの毛皮。
完全に見た目が死体袋のようである――というか、本当に死体の一部を詰めているので死体袋に間違いはない塊をハイライトのない眼差しで見据えているアカリがいた。
中には鞭でズタズタに切り裂いたので細切れがちになり商品になるか不明な上、不慣れすぎてまともに内側を削げず肉やら何やらがところどころ付着したままの毛皮が入っている。
早く鞣さなければ状態が悪くなる一方だが、それ用の道具や薬剤も一切所持していないのでどうしようもない。
「……うん。……うん。まあ早く街に着いて早めに売ってみればいい事だよね」
最早それ以外に方法が思いつかず、ヤケクソ同然でぎゅうぎゅう詰めにした袋を背負って街へと歩き出す。
制服も肌も皮脂や血で汚れているため、早く風呂に入りたい。
安物でいいので新しい服に着替えたい。
そんな事を考えながら背負った麻袋は想像よりも遥かに重く、それなりに街まで近かった筈の道のりでも想定外の消耗を強いられる事になった。
†
年季が入り、一つ一つが不揃いとなった石畳の道に辿り着く。
街の中央に向かえば建物の密度は上がるようだが、まだ入口付近のこの辺りは畑や果樹園と思われる区画が多く見え、その合間に家屋が点在
するような状態だ。
空気も澄み、肌を撫ぜる風が心地よい。
恐らく住みやすい田舎町といった分類をされるべき場所なのだろう。
とは思うのだが、何故か見かける物全て――全ての建物や畑の土、果てには今踏みしめている石畳までもが煤けたように黒く、不思議な印象を受ける。
それでも不気味さを感じすぎないのは、街の特産品なのか否か――屋根や畑の片隅に転がる南瓜と、それと同じ夕日色の草花や葉が色彩に多少の華を添えているからなのだろう。
郊外を抜け建物の集まる区画に訪れたアカリは、真っ先に毛皮を買い取ってくれそうな武器屋か道具屋を探し上方に視線を巡らせる。
蔦や蛇を象ったブラケット自体もデザイン性に富んでおり見る者を楽しませるが、吊られている看板もまた個性に溢れており、見ていて飽きが来ない。
ふと林檎の形の看板に目を留めると、そこにはお誂え向きに『道具屋』と記されていた。
今も異世界の文字でありながら意味を理解する事ができるが、読める範囲が広くなったという点において前回とは少し感覚が異なる。
古城ではランタンの光に照らされた箇所の文字を視界に入れる事で記された意味が自然に脳に入ってきており、光の境目あたりは魔力が届かずランタンの位置を変えなければ読む事が叶わなかった。
だが今回は予め剣の力で解読の魔法を発動していたため、光の強弱に関係なく見た文字は全て理解する事ができるのである。
要するにランタンは範囲が狭いが永続的な効果があり、今は範囲を気にしなくていいが時間が限られるといったところだ。
「さーて、とりあえず毛皮の買取りしてくれそうな所は見つけたし。入ろう入ろう」
看板を眺めているだけでも楽しかったが、そろそろ肩と手に麻紐が食い込んで痛かったところだ。
一旦景色を楽しむのは後回しにし、黒い煉瓦造りの店に踏み入る事にした。




