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再びの旅立ち

「では、今回の旅立ちの幕開けとして紅き血を流して貰おうではないか。

 美しき娘の血は旧き時代より若返りの秘薬とされ、吸血鬼の渇きさえも潤した! さあ、今それは心の臓を――」


「あのさ、シオン……前から思ってたんだけど……」


 不意に言葉を遮られ、悪魔は不思議そうに首を傾ける。


「どうしたのかね?」


「いや、何でいつもシオンってこう、演劇の語りみたいな煽り文句入れてくるのかなって」


 突っ込んだら無粋(ぶすい)かとも考えたのだが、果たして本当に本人が()()()()だけの無意味な行動なのかという疑問もあり、思い切って訊ねる事にしたのだ。


「ああ、魔術における呪文のようなものさ。君の周りに魔術師は……そうか、居ないのだったね。なら精神に働きかける魔術はお目にかかった事がないかもしれないが、要するにそれと似たようなものなのだよ」


 現段階では全く想像が及ばないため、アカリは黙ってシオンの言葉に耳を傾けている。


「被術者の精神を誘導し、術が掛かりやすい状態に誘導するのだよ。……と言うと悪い効果を(もたら)す魔術ばかりに目が行きがちだが、神聖呪文――そうだ、フィル殿が傷を癒す際に祝詞(のりと)を紡ぐだろう。あれは術それ自体の精度を高める意味もあるが、癒される側の精神に神の加護を受け入れさせる事で効果を高めているのだろう」


 魔法に縁のない世界出身であるアカリにとってはあらゆる意味で別世界の話だが、それ故に特に疑う要素も思い当たらず『そうなんだ』と素直に受け入れられる話ではあった。


「なんとなくだけど、カルールクリスでも似たような話を聞いたような……あ、確か人を呪う時はわざと呪ってる所を見せてプラシーボ効果をどうのとか」


 言葉尻は故意に雑にして無理やり話を終わらせる。

 シオンと興味の方向性が合いがちなのか、彼と会話しているとどうにも本筋から脱線したまま話が盛り上がりがちになるからだ。


「それよりシオン、対価対価。あんまり痛くしないでね?」


「おぉ、すまないね。つい話に花が咲いてしまった……。では思い出してくれたまえ、先程の形容しがたい不安を、焦燥を。……今何をしているか解らない、フィル殿やアデル殿の事を」


 膝の上で手を組み、悪魔の紡ぐ本を読み聞かせるような優美な声音に従う。

 意識を深く深く深層まで沈ませ、遠い異世界の二人に想いを馳せる。


 彼らは時の進んだ世界で新たな困難にぶつかり、傷つき、今この瞬間にも血を流し死に瀕しているかもしれない。

 古城での死闘をせっかく乗り越えたにも関わらず、新たなる悪意に晒されているかもしれない。


 考えれば考える程に不安になるも、今回は明確な敵が解らず――そもそも敵などいるのか、思い過ごしではないかと悩む自分もいて、何もかも漠然としすぎていて形にできないまま(おり)のようにアカリの中に沈殿していく。


 そして、この目で真実を見るまでは決して浄化される事はない。


 自らの心の内に向き合い頭の中でそれを言葉にし終えて顔を上げた時――此方(こちら)を向くシオンと、仮面越しに目が合った気がした。


 対面に腰掛けた彼がおもむろに手を持ち上げ、指先でアカリを指差す。

 彼の背後の空間が波紋のように揺れ、中心から小さな黒い影が現れたと思った瞬間、微かなブレを伴って飛来したそれがアカリの首に食らいつく。


「痛っ……!」


 首筋に走る鋭い痛みに思わず手が伸びかけるが、代償の二文字を思い出し踏み留まる。

 代わりに視線を左下に下ろせば、どうやらそれは漆黒の蝙蝠(こうもり)の姿をしているらしいと気がついた。

 だが認識してすぐに小動物は跡形もなく霧散し、次の瞬間には主の指先に戻っていた。


 触れられた瞬間――否、瞬きの間にか。

 吸血蝙蝠は何の前兆も見せず一瞬にして真紅の短剣(ナイフ)に変化する芸当を見せてくれる。

 まるで手品のように目まぐるしく変わる光景に目を奪われつつも、牙を立てられたのであろう首筋が気がかりで指を伸ばしてしまう。


「ふふ、安心したまえ。無闇矢鱈(むやみやたら)に女性に傷をつけるような真似はしない主義なのでね」


 紳士的と言えば紳士的かもしれないが、今時の日本を生きる十七歳の少女にとっては接触する機会のないタイプである。

 慣れなすぎて扱いに困り、半目になるのも致し方ない。


「……うわー、キザ……でも傷かぁー……やっぱり清らかな乙女じゃないと血に価値ないんじゃない?」


 アカリは()()()()()()で言えば清らかな乙女に分類される側の人間だが、それを目の前の相手が見抜けるのか純粋に気になった。

 ので、あえて逆の立場の人間と思わせるニュアンスで語りつつ反応を期待して視線を向けてみる。


 彼は何やらナイフを黙って眺めていたが、声に気づいたようで顔を上げて口元に笑みを浮かべた。


「ははは、そんなのは関係ないのだよ。例えば君のような(けが)れなき乙女と数多(あまた)の男を惑わす魔女の血では全く異なる美が――」


 気障(キザ)なのか変人なのかよく解らなくなってきた相手に脱力すべきか、やはり何らかの方法であっさりと看破(かんぱ)した事に感心すべきか最早わからない。


「さて、この短剣だが――今回主軸となる武器は他に用意するし、予備ももう少し刀身の長い武器を探すのだったね? ならば今回、此方は置いていくとしよう」


 ともあれ彼の提案に頷けば旅立ちの準備と、当面の方針が決定した事になる。


「じゃあ……いよいよかな」


「さて、今回は世界の時が生きている。なるべく例の二人組の近くに飛べるよう努力はするが、前回ほど正確にはいかないだろう。その場合は――」


「わかってる、居場所に見当つけてそっちに向かうよ」


 最悪魔物の近くに転移という事もあり得るが――今回は頼もしい武器の存在があるからだろう、アカリの胸中に不安はなかった。


 やがて景色が白み、自分を含めた何もかもが空気に溶けるような感覚がして――



――


――――



 †



「ねえシオン、確かに正確にはいかないって言われたけどさ。……言ったけどさ……」


 今は隣にいない悪魔に対し、少女が少々の恨み言を呟いた。

 時刻はおそらく早朝。

 街道沿いの森の入口に位置し、恐らく遠巻きに見える街まで一キロメートル程は離れていない位置にいる。


 それだけならむしろ好条件と言えそうだが、ではアカリは何に対して嘆いているのかと言うと――彼女は足場が不安定な木の上に出現した直後なのである。

 更には根本、つまり真下には目つきも毛並みも悪い巨体の熊(グリズリー)がこちらを睥睨(へいげい)しているという現状。


 敵意か飢餓感かは不明だが、毛深い眉間にこれでもかという程深く皺を寄せ低く唸る様は中々に――否、かなり迫力がある。


 今にも太い腕で幹に掴みかかられれば容易く振り落とされてしまいそうなこの状況はまさに窮地と言えるのだろうが、一触即発の緊迫した空気の中では下手に身動きが出来ない。


 とはいえ先手を打たねば確実に此方(こちら)が不利になるのは目に見えているので、焦燥と戦いながらどうするべきかと考えていた――ところで、右手に握った存在感に気がついた。


「あ、そうだった。『あなた』が居たんだったね……よし!」


 今回は()()()()()()()を所持している事を思い出し、小振りな黒いレイピアを握りしめる。

 この手の類の剣は見た目やイメージよりも重量がある筈だが、どういう訳か今アカリの手にある一本は軽量どころか殆ど重さを感じない位だった。


「早速試し斬り……レイピアなら試し刺し? って訳ね。」


護拳(ごけん)の下で柄を握り直し、意を決してまっすぐにグリズリーを見下ろした。

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