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疑惑

「ねーねー、何で何でー?」


 声も表情も楽しげだが、それが純粋な笑顔なのか含み笑いなのか判断がつけづらい。


「何で……って言われても、魂を捧げるなんて物騒なイメージ無かったし……それで悲劇が回避できるなら、あまりに安すぎる対価だったし……」


 不審さで言えばシオンといい勝負どころか、外見で言えば仮面や血色の悪さでシオンの勝利だとすら思う。

 だが何故か、アカリにとっては眼前に立つ天使の方が本能的な警戒心を刺激してくるのだった。


 結果どう答えたものか決めあぐねて曖昧な答えしか用意できず、端切れが悪く座りも悪くといった様相で対峙している。

 対する天使はというと特に変わった様子もなく「そうなんだー」などとのたまい、その場でくるくると回っていた。


 容姿よりも数段幼稚に見える奇行を若干引きながら眺めていると、急に停止した彼と目が合い心臓が飛び跳ねる。


「今の自分を捨てられない弱みにつけこんで対価を要求するなんてさー、なんか卑しくない? シオンちゃんに頼るのやめたら?」


 まあ君の自由かもしれないけどさ、などと付け加えて再び踵を返し、まるで瞬時に飽きたかのように今は近くの本棚に夢中だ。

 山の天気か乙女心か? と問いたくなるようなめまぐるしさに置いていかれている間に、視界の半分が深緑色に埋め尽くされて我に返る。


 どうやら天使によって眼前に本を差し出されたらしく、数拍遅れて現状を理解したアカリは首を傾げつつもそれを受け取る事にした。


「アドロスピアだよ、探してたんでしょ?」


 さも当然のように告げる天使の意図は理解したが、信じられないといった眼差しで渡された一冊を見下ろしてしまう。


「前は真っ白だった筈だけど、何でこんな色に……」


「一度死んでた時間が動き出したんでしょー。アカリンがいた時も外から見たらこんなんだったと思うよ」


 自分が突入した際にどんな色だったかは解らないが、天使の口ぶりからしてそれで間違いはないのだろう。


「とりあえず見つけてくれてありがとう。シオンも心配だし、一度あっちに戻るよ」


 最初の辺りのページを開き、フィルやアデルの冒険を確認したところで一度本を閉じる。

 ここで先の内容を確認しても良かったのだが、どうにもこの強い光に包まれた空間が落ち着かないのだった。


 とはいえ戻れば不気味な空間が待つだけだが、あちらにはシオンがいるというだけてなんとなく安心できるのだった。


「えーっもう帰んのー? シオンちゃんがそんなに心配? 妬けちゃうなー」


 本当に言葉通り嫉妬しているようには見えないが、もはやアカリも彼の調子に慣れつつある。

 踵を返しかけた足を一端止め、一度だけ天使の方を振り返った。


「一応具合悪そうだったしね。……それに、何でかな……エーデルが言う程物騒な人に見えないっていうか……言い切れる程付き合いは長くないんだけど。……とにかく、もし本当に心配してくれてたんならありがとう」


 最後に「それじゃ」と一言添え、近くの丸テーブルに置かれた黒い燭台を手にする。

 今度こそアカリは本当に振り返らず、再び彩度ゼロの空間に身を投じていった。


「……そう見えないから逆に不安なんだけどね」


 天使の呟きは、闇の中に呑まれた少女に届く事はなかった。




 †



「おや、早かったのだね。すぐに目当ての品を手に入れたと見える」


 無彩の書架に戻った際には既に回復したらしく、シオンは立ってアカリを出迎えていた。


「しかし良かったのかね、あちら側は初めてなのだろう? 書物の声や眩い光に浸る良い機会だと思うのだが」


「うーん……自分でも不思議なんだけど、こっちのが居心地いいんだよね。もちろん一人にされるなら話は別なんだけどさ」


 シオンの存在も燭台もなければ、例え目が痛かろうと極彩の書架の方が光がある分何倍もマシである。

 どうやらアカリは目の前に立つ存在を自分でも驚く程に信頼していたらしい。

 ――接していた期間も短いし、考えても理由が解らないので我ながら不思議でならないといった思いだが。


 尚言われた方も不思議そうに小さく首を傾げていたが、じき愉快げに口角を持ち上げていた。


「君の精神性がこちらに近いのではないかね。喧騒よりも静寂、動よりも静、覚醒よりも安息――っと、そうだった。アドロスピアの本を開いてみるかね」


 普段の調子がだいぶ戻り、例の芝居じみた口上が始まったのを遮ろうかと考えていたのだが、アカリがそうするよりも早くシオンが自分で切り替えたので手間が省けた。

 頷き、アカリは手元の本が見えるようにシオンの隣に立ってから開く。


 かつての三人の冒険、そして別れ。

 そこまでは正常に読めたのだが、どういう訳かそこから先の文字が入り乱れまともに読むことはおろか絵の中にフィルもアデルも見つけられなくなってしまった。


「どうなってるの、これ」


 文字を読めなくはない。

 異世界の文字だが、アドロスピアに入った時のようになんとなく意味が解るのだ。

 シオンの力かと思っていたが、本の力だったのだろう。

 だが文字自体が読めても、あまりに情報量が多く目当ての二人に全く関係ない内容が錯綜しすぎており、『読みきれない』だとか『読んでいられない』という意味で『読めない』のだ。


 顔を顰めて紙面を見下ろすアカリに対し、シオンが乾いた笑声を零す。


「世界が完全に息を吹き返したからね。世界全体の出来事が無作為かつ並行的に綴られているのだよ。だが安心したまえ、君が願うならば私が彼らを探し当てよう」


 頼もしい限りだが、そうしたところで今回もまた二人組が窮地に陥っているかが全く解らないため躊躇いがあった。

 窮地といえば、もう一つ思い出した事をシオンに訊ねてみる。


「流石に今回は武器が欲しいけど、パイロープはどうなってるの?」


「変わりなく保管しているがね、やはり元の主人を今でも慕い続けているのだろう……他者の声は届きにくく思えるのだよ」


 やっぱりそうか、と思案顔になるアカリ。


「じゃあやっぱり持っていっても普段は頼りに出来そうにないね……両手で扱ってもかなり重いし、できればもっと小振りな武器が欲しいかな……」



 †



「ふむ……まあそれなら出来ない事はないし、中々面白いではないか」


 十数分程度丸テーブルにつき希望する武器について条件や使い方等を話していたが、ようやく話に決着がつき二人は頷きあう。


「では対価についてだが、今回は血液にしようかね」


「血……ってどれくらい?」


「ふむ、具体的にか……このくらいの小瓶を想像してくれたまえ」


 白い手袋に包まれた細い親指と人差し指が大体採血管程度の長さを示してくる。


「高さはその程度だけどすごく平べったい小瓶?」


「小瓶の定義とは……? 新手の詐欺師か何かかね? とりあえずそのつもりは無いので安心したまえ。ワイングラス一杯にも満たない量さ」


 前回のキーホルダーに比べれば重いかもしれないが、やはりアカリからすれば相変わらず異世界へ旅立つ対価としてはあまりに軽い要求にしか思えないのだった。



 ――『アカリンってさ、何で悪魔に魂を捧げてまで異世界に行きたがるの?」』



 脳裏に幼さを残した少年の声が蘇る。

 この契約もまた、あの軽薄そうな天使に言わせれば魂を捧げた事になるのだろうか。



「……おや、やはり今回はやめておくかね?」


 どうやら無意識に思案顔になっていたらしく、シオンが契約の取りやめを提示してきた。


 ――声音に微かな心配や気遣いを感じるのは、気の所為なのだろうか。

 ――それとも、これも自分の信用を得るための策略なのだろうか。


 アカリの中に様々な疑念が、不安が、懸念が錯綜して渦巻いてどす黒く淀んでいく。

 先が見通せない暗闇。

 まるでこの図書館のように――



 ――


 ――――


『……え、何でそんなマイナーな小説がいいの、とか訊かないの?』



『何を愛し何を望むかは魂それぞれの個性ではないか。何故咎めるような言葉を告げねばならないのかね』



 ――


 遠い異世界の地で、誰にも話せない思いを最初に受け入れてくれた彼。


 彩度が無に帰した空間で、文字通り差し色としてその存在感で導いてくれた彼。


 心の晦冥(かいめい)を思い出が、経験が、この目で見た事実が、切り裂き晴らしていく。



「……まさか。でもありがとうシオン、心配してくれたの?」


「……ふふ、ご想像にお任せするのだよ。……さて、では旅立ちの準備でもするかね」


 掛けた言葉の後半にはどんな反応をするか若干の期待があったのだが、今回ははぐらかされてしまったようだ。

 ともあれ一つ首肯して、アカリは対価を差し出すべく紫の悪魔に向き直った。

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