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硝子の向こう※

 外界の風が届かずに、空気が淀み停滞した地下の奥深い迷宮。

 石造りの通路には獣じみた唸り声や地響きを伴う足音が反響しており、それでいて音の主の姿は全く見通せない程に暗い。


 満身創痍の戦士に治癒魔法を施しながら、エルフの僧侶が猫獣人の盗賊に問いかける。


「今敵に遭遇するのはちょっと辛いですよね……貴方には何か見えます?」


 このパーティは四人組だが、負傷した人間の戦士以外は全員『暗視』のスキル持ちだ。

 よって、特に照明で照らさずともある程度は暗闇の先が見通せるのだった。


 パーティ内で最も察知能力に長けた盗賊の少年が進行方向の一本道を確認するも、エルフと同じく何も見えなかったようでかぶりを振る。


「いや、何も。今すぐ戦闘になるような距離じゃねぇ」


「引き返そうにも、待ち伏せされてたら余計状況が悪くなるしねぇ」


 ぶっきらぼうな盗賊に対し、気だるげな悪魔の女魔術師が溜息混じりに告げる。

 もと来た道の突き当たりにある玄室は比較的狭めで、かつ前後に扉があり立て籠もる事が可能だ。

 休息を取るには丁度よい場所ではある。


 だが時折それを見越して敵が入り込み、待ち伏せから流れるように奇襲をかけてくるパターンがあるのだ。

 無駄に消耗する可能性を考えると、あまり戻る気にはなれない。


「いや……俺は大丈夫だから先に進もう。アイテムの出し惜しみさえしなければこの階層のボスにくらい勝てるだろ」


 片目を瞑ってみせる戦士を心配げに見下ろしていた三人だったが、やがて全員が先に進む決意をしたらしく首肯する。


「では、全員に回復と加護を施します」


 運悪く強敵に遭遇しても対応できるように、体力も魔力もできる限り満たしておくのが最善である。

 そう判断した僧侶は、仲間の傷を癒すべく遠く離れた天に座す月の神に祈りを捧げた。



 †



「んじゃ小流先輩、『セラフィックアーマー』と『キュアライト』の行使判定お願いしまーっす」


 外の喧騒など意に介さずといった様相で、昼間の教室に響く気の抜けた声。

 続けてプラスチック製のサイコロが二つずつ、指名されたアカリの手から合計四個投げられる軽やかな音。


「出目がそれぞれ10と5、どっちも成功したよ。じゃあ次はキュアライトの回復値の算出かな」


 再びサイコロが二つ木製の机に投げられ、その片方が広げられた方眼紙の上に乗り上げた。

 罫線に沿うようにサインペンで描かれた通路や玄室が迷宮を表しており、一本道に集合した四色の透き通ったスタンプこそが迷宮を旅する冒険者――つまり、駒であった。



 現在アカリと四人の一年生がプレイしているのは、『TRPG』というジャンルのボードゲームである。

 TRPG――テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム。

 アメリカ合衆国で考案されたテーブルゲームの一種で――と語りだせば長くなるが、要するにコンピューターのロールプレイングゲームをボードゲームのスタイルにしたものと雑に説明しておけば雑には伝わるものだ。


「なんか小流先輩ってエルフのキャラ作る事多くないっすか?」


 先程ダイスロールを促した明るい髪色の少年が飴玉を頬張りながら喋りかけてきたので、アカリは思わず目を細めた。


「何となく好きな種族だからね……って創路(いつじ)君、何人の飴玉盗み食いしてんの」


 六つ集めた机の誕生日席で、創路柾(いつじまさき)は満面の笑みでダブルでピースをかます。


挿絵(By みてみん)


「いやー、何か珍しい味でたまに食べたくなるんすよー。つか、ワインとかオットナー! クールな小流パイセンはもう大人の階段一段上がっちゃってるっていうかぁー?」


 実に調子の良い後輩である。

 アカリだけでなく他の三人も呆れて苦笑するが、そこに嫌悪の感情は存在しない。

 要するにお調子者のムードメーカーといった類の人間であり、どちらかと言えば大人しめの人材が集まりがちなTRPG部では毛色の違う存在感を放っていた。


 ――頭の毛色だけで言えば、アカリも負けず劣らずの派手さだが。


「この飴もいつも食べてるし、パイセンは拘り抜くタイプっすかー。あ、でもエルフでも僧侶だけじゃなく魔法使いの時もありましたっけ。浮気っすか! 浮気なんすか!」


 単にゲーム毎に使用するキャラを変えられる範囲で変えないと他のメンバーに悪いからという理由なのだが、何故にそれが浮気になるのか。

 実際アカリは思ったそのままを告げていた。


「いや何でよ。毎回職業まで同じじゃ皆の選択肢も狭めちゃうでしょ」


「ハイッ! ならたまには冒険して戦士とかにしたらどうっすか!」


「できる訳ないでしょ」


 正確に言えば、出来ない事はない。

 ただし体力も筋力も低いエルフのキャラに戦士などやらせようものなら即座に敵に殺されたり、剣を振っても殆どダメージが与えられない役立たずのキャラになる。


 故にいわゆる縛りプレイ等を楽しむ目的がない限り、例えば獣人なら戦士か盗賊の二択で、魔族なら僧侶以外にするのが不文律となっている。

 同じようにエルフであれば僧侶か魔術師の二択という訳だ。


「しかし、いいんですかね。文化祭だっていうのに部室でゲームしっぱなしとか」


 ふと部員の一人が心配げに廊下の方を振り返るが、またもマサキがしゃしゃり出て顔の前で指を降る。

 ご丁寧に三度ほど舌を打つパフォーマンス付きだ。


「いいかねチミ。文化祭とは各部活が魂を込めて作り上げた作品を見せびらかしてイキり散らかす神聖な儀式なんだよ」


「スケールが無駄に壮大」


「イキる意味」


「神聖とは」


 すかさずアカリ以外、つまり一年生全員からヤジが飛ぶ。

 だがしかしマサキの調子は全く崩れないまま、それどころか椅子から降りて小躍りしながら彼は語り続ける。


「我々の作品とは何だッ! それは! オレが作り上げたシナリオ! 迷宮! 何より地図を見ろ!」


 無意味に決まったダブル指差しの先には四つの駒と方眼紙の地図、紙面に押された様々な図柄のスタンプ。


「冒険の軌跡! 四人の冒険者! イズ……チミらの半身ッ! これが作品ッ! 我らが作品ッ! タ・マ・シ・イ! オレが! オレ達が作品だ!」


「小流先輩、その飴本当にアルコール入ってないんですよね」


「前も言ったでしょ、入ってないよ。創路君のは純度百パーセントの脳内麻薬」


 女子生徒とアカリは互いに肩を竦めているが、直接本人にツッコミはいれない。

 呆れた末に諦めたというのもあるが、つい先日忌引で部活を休んだばかりの彼のテンションが、空元気なのかどうか判断がつかないからだ。


 本人が何も言わないため当然ながら誰も話題には出さないが、少なくともアカリは接し方に内心困っていたし、恐らくだが他の部員もそうだろう。


 普段通り明るく見える彼にどう触れていいか解らず、アカリは逃げるように机上に目を落とした。


 ハイテンション真っ盛りのマサキはGMゲームマスターという、シナリオやNPC、敵を操る担当のためアカリを含めた他の四人がプレイヤーだ。

 

 方眼紙の上のキャラクター、もとい緑の洒落たスタンプがアカリの操るキャラクターの分身だ。

 エルフの僧侶――もはや誰をモデルにしたかは言うまでもない。


 ただ、それだけではなく今回のゲームには特別な思い入れがあった。


挿絵(By みてみん)



 このTRPG『マギアシグヌム』の世界観がアドロスピアに似ているし、後輩の使うキャラにアデルに似た獣人の盗賊がいるのだ。

 他の二人は流石に性別も性格も違うが、種族だけ見ればアカリとシオンを連想させる。


 ゲーム中、一週間程前に経験した夢のような冒険を何度も思い出して胸が高鳴っていた。

 盤上を見下ろす今現在も再び熱がぶり返してきているが、不意に廊下側から聞こえた声によって現実に引き戻された。


「お邪魔しまーす」


 来訪者が少ないため忘れがちだが、今は文化祭の最中なのである。

 どうやら今回の客は親子連れのようだが、娘はまだ一歳程度に見えた。

 流石にTRPGに興味は無いだろうから、夫婦の方の趣味だろうか――そんな事を考えていたところで、唐突にマサキが席を立つ。


「愛しの我が妹、(ゆい)ちゅあーん! お兄たんに会いたくて来ちゃったのー?」


 どうやら彼の家族だったらしい。

 そういえば、とアカリは歳の離れた妹がいると言っていたのを今更ながらに思い出した。


「GMが離席したし、休憩タイムかな」


 シナリオ進行役のマサキがいなくてはゲームにならない。

 よって、他の面々はそれぞれ凝った肩を揉んだり、ルールブックに目を落としたりして時間を潰し始めた。


 アカリもまた手持ち無沙汰になり、手っ取り早く時間を潰すために机上のスマートフォンを拾い上げる。


 ――やっぱり、思い出すなぁ。


 死の気配が漂う古城、生還した二人の仲間。

 静寂の図書館に道化じみた悪魔。


 最近は思い出す度に小説投稿サイトを開いては、更新されない『遺跡世界アドロスピア』の画面を開いていた。


 勿論今も代わり映えせずフィルが死に、アデルが敗走する話を最後に更新が途絶えたままだ。

 だが虚しさはなく、違う未来を自分だけが知る特別感と達成感に思う存分酔いしれる。


 だが、流石に動かない画面を見て時間を潰すのにも限界がある。

 何をしようかと手元から視線を外しかけたその瞬間――違和感を感じて、再び目線を落とした。


「……、……え」


 思わず微かに溢れた、困惑の声。


 白背景だった筈のスマートフォンは今は真っ暗で、硝子の向こうに見覚えのある白い本棚とそれを背にしてぐったりと座り込む人物を映し出していた。


「――シオン……!」


 他人に気づかれぬよう声を潜めて呼びかけるが、聞こえているのかいないのか全く反応がない。

 普段の余裕に溢れた態度とは真逆の、疲弊しきり脱力した姿は、ただならぬ事態にしか見えなかった。

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