エピローグ
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脱出が第一目的となりすっかり忘れていたのだが、どうやらフィル達が受けた依頼は城の調査であったらしい。
封鎖された扉を焼き払い、朝日の下に出た二人の手にはそれぞれ貴族の日誌と騎士の紋章が握られている。
感染症の危険を考え、魔物の遺体は持ち帰れないため代わりの品だ。
アカリの手には炎の剣と、デクスターの形見となった紋章。
リボンは焼け落ちているが、金属の部分は残っていた。
高温で焼かれたため、恐らく胞子の心配も無いだろう。
三人とも、一様に晴れた表情をしている。
「生きて帰れた……」
アカリにとって自分の命はもちろんだが、フィルとアデルの二人がどちらも生きて城から出たこの光景に、心揺さぶられる感慨があった。
「アカリが来てくれたおかげですね、ふふ……。本当に、ありがとうございます」
「まぁ、礼は言っとく」
かたや柔らかく笑み、かたやぶっきらぼうに振り向き。
そんな二人と顔を見合わせて、アカリは笑う。
「あたしこそ感謝だよ、二人がいてくれなかったら死んでたもん。……で、これから二人は街に出て依頼の報告だっけ。あたしはどうしようかな……あっ」
悪魔の口ぶりからすると何かしらの帰路が
存在する筈なのだが、城を抜けてもそれらしきものは見当たらず困惑気味である。
差し当たってそれが見つかるまでの間、またフィル達に同行しようかとも考えたのだが――
不意に、それまでアカリの側を浮遊していたランタンが前方に進み出る。
虚空を突き進み木々に衝突するかと思いきや、唐突に、まるで水面のように空間に波紋を生じさせ、姿を消す。
次の瞬間、白く光る葡萄の蔓が生じて人一人が通れる程度の楕円形を作り上げた。
――その奥に、深い闇と白い本棚が見える。
「あれは……本当にアカリの言うとおり、色味が一切ありませんね……」
「一切って比喩じゃなくマジの容赦なしだったんだな」
アカリ以上に驚いた様子の二人は、開いたゲートの側に集まり中を不思議そうに覗いたり感心したりしている。
「つーか、こんなん出たって事はお迎えなんじゃねえの?」
言われてみればその通りだ。
アカリは我に帰り、二人を振り返った。
いきなり別れを提示されてしまうと、急激に名残惜しくなってしまう。
「……なんか、終わってみると長いようで短かったな……うわー、別れたくない」
「何ならずっとこちらに居ても良いんですよ?」
実に魅力的な提案である。
が、一瞬揺れてからアカリはかぶりを振った。
「うーん、すごくそうしたい気分だけど……やめとく。悪魔との契約って何か破ると良くない事になりそうだし」
そう残念そうに告げると、二人もまた頷いた。
「魔族との契約不履行に関する話はこちらの世界でも定番ですからね、残念ですが僕も素直に戻る事をお勧めします」
全員が一度、漆黒の闇を見やる。
そしてアカリが一歩近づいて、その分だけ二人からは遠ざかる。
「またいつか会えるかもしれないし、もしそうなら二人にとってはこの後すぐかもしれないけど……少なくともあたしにとってはそうじゃないし、なんか……ああ、上手く纏まらないなぁ」
寂しさに名残惜しさに感謝にと、色々な感情がアカリの胸中で交錯し、複雑化した感情が言葉に上手く表せなくなる。
「とりあえず、二人を助けるつもりが、あたしが助けられてた。それに精神面でも救われたの。本当にありがとう……あたし、この数日間を絶対に忘れない」
十七年間生きた中で、間違いなく一番強く誰かを思い、全力を尽くした瞬間であった。
だから、異世界に来たことに一切後悔はなく、ここ数年感じた事がない程に晴れやかな気分だった。
「異世界人と共に冒険するなんて貴重な体験でした。僕らもこの思い出を一生忘れないでしょうね」
「まあそんな変な服、絶対忘れねえな」
「相変わらず素直じゃありませんねぇ」
笑い合う二人に見送られ、アカリはまた歩を進め――ついに、光の輪をくぐった。
「じゃあね、二人とも! なんか寂しいから、さよならは言わないよ!」
冷たい漆黒に包まれながら、最後にそう告げた。
少しずつ狭まり、やがて閉じたゲートの向こうにもきっと声は届いただろう。
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「別れの挨拶は済んだかね?」
聞き覚えのある声が背後から聞こえた。
いつの間に背後に立っていたのか疑問ではあるが、もはや突っ込まずに振り返る。
「うん、ちゃんとしてきたよ」
白黒の世界では、やや癖のある紫の髪がひどく特徴的に映る。
悪魔の手中にはアカリと冒険を共にしたランタンと、白い本があった。
「無事で何より、君の活躍は本の外から見ていたのだよ。二人とも死なない、素晴らしい未来を見事勝ち取ったのだね」
悪魔が本を開くと、荒れた庭園で笑い合って別れる三人の――アカリを含めた全員の絵が描かれていた。
先程この身で体験したばかりのワンシーンが本に描かれているというのは、中々に複雑である。
「そういえばそのランタン、キーホルダーに戻らないんだね」
絵の中にも描かれているが、キャンディボトルを彷彿とさせる形状は今もなおそのままである。
悪魔は話題に出された手元のランタンを見下ろし、さも当たり前といった様相で答える。
「これが旅立つ前の君の願いの形だからね。彼らを助けたい、運命を変えたいと切に願う、深淵をも切り拓く輝き。異界を夢見て期待し心躍る、転げて回る小さな光球。……今はもう助けてしまった後だ、同じようには輝けまい」
悪魔がランタンを揺らせば、中で白い光の粒が揺れる。
口元は上機嫌そうにくっきりと弧を描いていた。
「相変わらずシオンは詩的すぎて訳わかんないよね」
アカリが苦笑しつつ肩を竦め、悪魔もまた軽く笑声を溢したようだが――違和感に気づいたようで、途中で首を傾げた。
「シオン……。私の名かね、それは」
「うん、約束してたでしょ」
ふむ、と唸る『シオン』。
気のせいか少し嬉しそうに尻尾が揺れた。
「覚えていてくれて光栄なのだよ。よければカルールクリスに戻る前に名の由来でも聞かせてはくれないかね」
勿論だとばかりに首肯しつつも、ふとアカリは旅立った日が発表の前日だった事を思い出して顔を顰める。
「うわ、嫌な事思い出した。帰りたくない……。でもそういう訳にも行かないからなぁ」
その様子を見てシオンは軽く笑う。
「何なら暫くここにいるかね。戻る時に誤差で済む日数なら、全く影響なく帰れるかもしれないのだよ」
正直、アカリは一瞬迷った。
ここはひどく不気味な図書館だが、それ故の退廃的な魅力には満ちている。
だが、数秒後に首を横に振る。
「そうしたら本格的に帰りたくなくなりそう。だからやめとく。……今あたしが行方不明になったら家族には迷惑かけるしね」
それすらも捨てて、再びアドロスピアや他の世界への入口を手に取りたいという願望が徐々に、徐々に膨らんでいく。
心が流れてしまいそうになるこの暗闇は、ただの人間であるアカリには少し怖かった。
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――それからは、カルールクリスに持ち込めば銃刀法違反となるため剣と、彼の主の形見である紋章をシオンに預ける事にした。
「私がこのまま盗む可能性は考えないのかね」
「そのつもりなら宣言してないでしょ、素直に預かろうとしたらやめようと思ってたし」
「はは、抜かりないのだね」
こんなやり取りの後、他にも色々雑談したり、また何かあれば来るかもしれない旨を伝える。
そして彼が側にあったテーブルから黒い本を取り開けば、アカリの身体が白く輝き明滅し始める。
彼に――暗闇で目印になる紫苑色の髪を持つ悪魔――に別れを告げ、来た時とは異なる晴れやかで満たされた気持ちで、小流明璃は日常に帰還した。
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あれから変わらずアカリはクラス内で一人だが、異世界での数日を思い出しながら舐めるワイン味の飴玉が、以前より少しだけ美味に感じられた。




