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遺志※

 †


 ワインセラーを抜けた先の一階に出ると、相変わらず周囲を喰らうような闇が広がっていた。

 だが、ランタンの光で照らされた見える部分だけでもだいぶ調度品が様変わりしたように思える。

 暗視が出来ないアカリでもそう思うのだから、残り二人はもしかするとそれ以上に変化を感じ取っているかもしれない。


「何かこう、華美さが無いよね」


 あまり上手く表現できる言葉が思いつかないが、アカリにはそう思えた。


 床や壁、絨毯の色は同じだが、本館の廊下で何度も見かけたコンソールテーブルや花瓶の類が全く見受けられない。

 壁にもレリーフ入りの瀟洒(しょうしゃ)な額縁などはなく、代わりに緑色のタペストリーが掛けられているようだった。


 よってせり出した部分が少なく、本館よりも廊下が広く見えるのである。


「戦いやすくていいんじゃねえの」


「ガストにとってもですがね」


 普段の調子で会話をしつつも、二人は周囲に視線を素早く巡らせていた。

 彼らによると二人はまだ冒険者としては駆け出しらしいが、それでもただの女子高生からしてみれば戦い慣れているようにしか見えない。


「今のとこあのデカブツの姿はねえな」


 右に同じと言ったように、アデルの一言にフィルもまた頷いている。

 限界まで張り詰めた緊張が、ひとまずは(ほぐ)れる。


「とりあえず、どこを目指していいか全くわからないけど……一番隊、だっけ。そんなのどこで判断したらいいんだろ……」


 ひとまずは階段を上ってすぐ傍の部屋の扉を見遣るが――あまりの惨状に、思わず一度は緩みかけた緊張の糸が再び張り詰めるのを感じた。


「……なに、これ」


 もはや言葉が出ない。

 元は本館のそれとあまり変わらない寄木細工の扉だったのだろう。


 それが、明らかに風化以外の要因で痛めつけられている。

 刃をめちゃくちゃに立てたのか、表面は無数の深い傷がつけられ凄まじくささくれ立ち、そこかしこに執拗に引っ掻いたような細かい傷がびっしりと刻まれていた。


 (おびただ)しい殺意の痕跡に思わず鳥肌を立て、アカリは自らを抱きしめる。


「中に誰か立て籠もったんじゃねえ? 俺達も少し逃げ込むのが遅れてたらこうなってたかもな」


 ただでさえ寒気がするというのに、アデルの一言もまたアンデッドから必死に逃げた過去を想起させて追い打ちをかけてくる。


「ですが、恐らく中に人がいても生存していないと思います。ノブや扉の前に埃がだいぶ積もっていますから」


 アカリよりは視界が良好であろうフィルの観察結果は絶望的なものであった。

 が、否定する理由が何一つ見つからない。


 恐らくは、扉の向こうで誰かが亡くなっている。


「けど、逆に言えばこの向こうにガストがいる確率は低いって事だよね。なら一応、現状何の手がかりも無いし調べてみたいかも」


 言いながらアカリが扉に接近し、恐る恐るノブを捻ろうとした。

 冷えた真鍮(しんちゅう)とまとわりつく埃の感触が骨に染みて、無意識に身体が強ばる。


 だが、そんな思いをしてまで触れたノブは捻り切れずに途中で止まってしまう。

 確認するようにもう一度捻るが、やはり微かに動くだけで固い感触と共に停止してしまうのだった。


「開かないみたい……」


「鍵が掛かっているのでしょうね」


 では断念するか、と考えかけたところでアデルが前に出た。


「退いてな、単純な内鍵だろ?」


 彼はベルトに掛けた革のポーチから二本の針金を取り出すと、扉の前に膝をつきノブの下にある鍵穴に差し込んだ。


 小さな金属音。


 呆気に取られるアカリに、フィルが微かな笑声と共に告げる。


「アデルは鍵開けが得意でして。特に細工もされていなさそうですし、すぐ開くと思いますよ」


 言うが早いか、少し重い音が響く。

 次いで得意げに鼻で笑う音。


「開いたぜ」


 現代日本(カルールクリス)なら間違いなく犯罪である。

 そもそも現代のシリンダー錠はこんな単純な方法で開かないだろうが。


「えーと、ありがとう……。」


 ともあれ、無事に扉が開いた様子だ。

 意を決し、アカリはノブに手を伸ばす。


 ゆっくりと捻り、今度は最後まで動くのを確認して――扉を開け放った。




 部屋は今までで一番広い。

 恐らくは複数人が寝泊まりする部屋なのだろう、ベッドが奥に数個ほど伺える。


 その手前に、数体の白骨死体が転がっていた。


 思わず、出しかけた悲鳴を必死に呑み込む。


 事前に覚悟していただけあり叫ばずにはいられたものの、やはり複数の死体を目の当たりにするのはアカリの精神が削れた。


「……はぁ……流石に慣れないなぁ。でも、地図か何かが無いか探さなきゃ」


 城内の地図などそもそも存在するのか疑問だが、今はどの部屋を目指したら良いか全くの手探りであるので仕方がない。

 (わら)にもすがるような気持ちで紙類は無いかとテーブルや棚に視線を向けかけると、ふと一人だけ鎧を着た死体にアカリの目が留まる。


「あれ、何か持ってる……。」


 (むくろ)の左手に金属片らしき何かと共に握られているものがまさに紙に見えたが、目を凝らしてみるとメモ用紙程度の大きさだった。


 流石に地図ではないだろうと予想できるものの、死骸に握られているのが気になる。


 紙を抜き取ろうとするも、不意に近寄ってきたフィルに制止される。


「アカリ、今更かもしれませんが素手で死骸に触れない方が良いのでは?」


 言われて改めて自分の手元を見下ろすが、この場ではアカリのみが手袋をしていない。

 基本的に他人に頼るのはあまり好きな性分ではないのだが、菌糸に寄生された仲間や死骸を目の当たりにしたばかりだ。


 厚意を素直に受け取る事にし、骸の手を開く作業をフィルに代わってもらう事にした。


「ごめんね、お願い」


 一歩下がり、彼が紙片と金属を取り出す姿を見守る。

 紙は繊維の伸縮性の違いで端が巻いてしまっているので、恐らくは動物を原材料としたいわゆる羊皮紙という品だろう。


 広げられたそれに綴られた乱れた文字に、近づいてきたアデルも含めた全員で目を通す。


『親愛なる隊長へ。多勢に無勢となり、立て籠もるしかできず、申し訳ありません。このまま部屋で衰弱死を迎えるかもしれませんが、せめて騎士として最期まで民を魔物の手から守り通そうと思います。隊長はどうか、炎の精霊に選ばれし者としてより多くの民を守り抜いてください』


 鎧の死体以外は城下町の一般市民か、場内の貴族なのだろう。

 この部屋で死体になっているという事は即ち、全員紙面にあるように衰弱死を遂げたという事を意味するのだろうが、こうなると死を悲しむべきか手紙を書いた騎士の願う通り感染せず魔物にならなかった事を喜ぶべきか、最早わからない。


「死ぬ時まで人々を守ってたんだね……騎士としての誇りを守り抜いたんだ」


 文章を読み終えると、金属片の正体はなんとなく予想がつく。

 そして確認すれば、やはりその推測は当たりであった。


挿絵(By みてみん)


 騎士の紋章である。

 だが、掲げたその意匠に既視感を覚えてアカリが目を瞠る。


「これ、ガストキングについてた……!?」


 この場で思い当たる節があるのはアカリのみらしく、残る二人は首を傾げている。

 それもその筈、件の紋章が巨躯の魔物についているのをじっくりと見たのは図書館で拾い上げた本の挿絵である。


 その事を二人に説明すると、まずはアデルの方が口を開いた。


「だとしたら、一緒くたになった死体の中に同じ騎士団の奴がいるって事か」


 隣で考えていたフィルもまた、文面に目を落としたままで発言する。


「……最後の一文ですが、これ……炎の精霊に選ばれし者ですか。ひょっとするとコレは……」


 思い当たる人物は一人。

 思わずアカリの口をついて出るその名。


「デクスターって人……? って事は、一番隊の紋章はこれ……?」


 剣と盾と炎のモチーフを彫り込んだ錆色のそれを今一度手のひらの上で確認する。


「そうだ、この紋章を探せば目的の部屋に辿り着けるんじゃ……?」


 暗中模索の状態から一転、大きな手がかりである。

 顔を見合わせた三人のかんばせに、それぞれ光明が宿る。


「っし、虱潰(しらみつぶ)しは避けられそうだな。んでどこ見りゃいいか」


「あのタペストリーの模様がもし進むたびに変わるなら、それぞれの騎士団に割り振られた区画を表しているのかもしれませんね」


 他の紋章を知らないので何とも言えないが、もしそうならかなり探索範囲を絞れる事になる。

 少なくとも全部屋を無作為に探すよりは格段にマシだ。


「よし、行こう! 敵に遭遇する前に見つけ出しちゃおう」


 善は急げとばかりに、三人は部屋の外に出る準備をする。

 途中、アカリは物言わぬ死体を悲しげに振り返った。


「……この世界には、こんなにも勇気と善性に満ち溢れてるんだね」


 願うならこの骸も助けたかったが、それは不可能な話だ。

 せめて騎士達の意思は心に留めようと思い、再び前に向き直って部屋を後にした。

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