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月神の加護

 アカリはもはや足音には構わず、飛び掛かる勢いで二人に接近していた。

 敵に気づかれる可能性など度外視して――否、アカリの推測が正しければワインセラーには敵は存在しない筈だ。


 仲間達の落下音はさぞ大きかっただろうが、落下の瞬間からだいぶ時が経過しているにも関わらず敵襲の兆候が無い事からも明らかだろう。


 だからなりふり構わず、辿り着くなり膝をついてフィルの腰元を探る。

 彼はアデルから視線を外さないまま怪訝な顔をしていたが、構わず洒落た小瓶を抜き取った。


 そして蓋を開けアデルの側に屈みこみ、躊躇(ためら)いなく中身の聖酒を傷全体にかかるようぶちまけた。




「――ぁがっ! ぃ……っ!」


「なっ……アカリっ!」


 あまりの激痛に意識を取り戻し悶え苦しむアデル。

 彼のくぐもった悲鳴とほぼ同時に目を瞠り振り向くフィルに、アカリはすぐさま迷いない口調で告げる。


「いいから続けて!」


 一瞬の狼狽(ろうばい)を見せるも、フィルはアカリを信じる気になったのだろう。

 すぐアデルに向き直り、呪文と祈りを捧げていた。


「……!」


 驚きを隠せないフィルの様相、そして何より見る間に血が止まり、傷が塞がり始めたアデルを見下ろして――アカリは、ようやく胸中から正気を削ぎ取らんとする焦燥が鎮火されていくのを感じた。


 アデルの顔は失血で青いままだが、表情からは間違いなく苦痛が消えていく。

 そんな彼を見て安堵に胸を撫で下ろせるようになった頃、フィルも疲弊(ひへい)した様子で深呼吸をし、肩の力を抜いてアカリを振り返っていた。


「……ありがとうございます、……ですが、何故……?」


 疑問符の続きは恐らく、以前彼自身が語っていた聖酒の効能の繰り返しだろうと察したため、アカリはその前提で語り出す。


「確か聖酒は飲んで使うものだし、解呪にも使えないって話だったよね? ……それで何でアデルの塞がらない傷が治ったのか、って話だと思うけど」


 予想通り、フィルは頷いた。

 ならば、とアカリは説明を続ける。


「あたしもだけど、相手がアンデッドだから無意識に呪いとか魔術的な力のせいだと思い込んで対処しようとしてたんじゃない?」


 この質問に対しても首肯してはいたが、未だフィルは困惑気味だった。


「だよね……だけど、そもそも敵はアンデッドじゃない……とは言えないかもだけど、よく聞く呪われた魂だとか魔法で使役されてるとか、多分そんな話じゃないって気づいたんだ。アレ見てよ」


 先程アカリが見てきた、二つが背中合わせとなった遺体を指差す。

 フィルはアデルとアカリを見比べたが、アデルはひとまずアカリに任せて大丈夫だと判断したらしい。

 その場を離れ、二人を置いて示された場所へ歩んでいく。


 アカリは遠巻きにフィルの姿を眺めていただけだが、やがて彼が屈んで観察したり考え事を始めた姿を確認し、彼もまた思う所があるのだろうと判断する。


 実際、やがて側に戻ってきた彼が発した言葉は、ほぼアカリが感じたそれと同じ内容だった。


「あれは……不思議な形状ですが、植物か菌類ですかね……内部までは見えませんでしたが、根のようなものも伺えました」


「やっぱりそう思う? 実は――」


 そこでアカリは、現代日本(カルールクリス)のインターネットで偶然見かけたマメザヤタケという茸について彼と情報を共有した。


 そもそもインターネットという概念がない世界の住人に、どういった経路で入手した情報か説明したりと本筋以外の所で骨が折れたりしたものの、とりあえずは件の茸については伝わったようだった。


 そこでやっとアカリは自分の見解を告げる。


「こっちの世界の事はよく解らないし、そのマメザヤタケではないんだけど、カルールクリスには胞子を吸った人の体内に菌糸を植え付ける茸もあるの。

 死体に生えてたあの茸も見た目はマメザヤタケに似てるけど、人に寄生するタイプなんじゃないかなって思ってる」


 話しながら、自らの指先を見下ろす。

 見れば見る程、あの茸と形が似ていて寒気がする。


「記録でしかわからないけど、多分血が止まらなくなったりしたのも病気じゃなくて、胞子が原因なんじゃないかな……。で、アデルの血が止まらないのと実際死体に生えてた茸を見て、病の正体がこの茸なんじゃないかって気づいたわけ」


 意識を失ったままのアデルと、少し離れた先に転がる死体を交互に指差す。

 フィルは感心した様子で、アカリの指の先を遅れて視線で追っていた。


「よく気づきましたね……。」


 称賛は嬉しく思いつつも、アカリはかぶりを振る。


「小説で見たフィルの行動と、今のフィルが話してくれた聖酒の話があったからだよ。そのお酒、風邪に効くって言うし殺菌成分がかなり高いんじゃないかって思ったの。そもそも植物はアルコールに弱いものだし、実際酒樽に突っ込んで死んでる死体が動く力をなくしてるみたいだし」


 フィル本人はというと、自分がアカリの行動の引き金だと言われて目を丸くしていた。

 辿らなかった未来での話だから、自覚が無いのだろう。


「それは……今の僕は未体験の話なので、何と言ったらいいか……。しかし、それを加味しても貴女がいなければアデルは救えませんでした。本当にありがとうございます」


 深々と頭を下げられてしまい、アカリは嬉しさ半分堅苦しさ半分で照れくさいやらむず痒いやら複雑な心境になり、目を逸らして苦笑い気味になる。


 だが、不快という訳ではない。

 フィルに告げられた感謝が胸の内で反芻(はんすう)し、両者とも自分の行動によりここまで生存を果たしたという揺るぎない事実が、数十分前の心折れかけた自分を再び前向きにしてくれる。


「……フィルこそ、ありがとう。フィルがアデルの回復に専念してくれてたから色々探す事が出来たんだよ。それに、起きてないから伝えられないけどアデルにも感謝。多分ね、アデルが攻撃を引き受けてくれてなくて……あたしやフィルが食らってたら……」


 アデルの傷口を見下ろす。

 また開くか心配になってしまうが、今度こそちゃんと塞がっており安堵(あんど)する。


「原因が菌なら、獣人並の体力と抵抗力がない僕らにはまず無理でしたね」


 フィルもまた同じように、彼を眺めてからアカリに向き直った。


「一人だけのおかげじゃなくて、皆で勝ち取った未来だね」


 アカリはフィルと目を合わせ、頷く。


 晴れやかな気分だった。

 誰かのために本気で足掻いて、同じように結果を喜べるなんていつぶりだろう。


「そうだ、それよりさ! アデルもまだ休まないとだろうし、ここは敵の気配もないから一休みしよう!」


 アカリの提案に、フィルが普段通りの柔らかい笑みを浮かべつつ頷いた。


「賛成です、ふふ……。流石に少し疲れましたしね。それに、敵がアルコールの類が苦手とするなら、あまりここには寄り付かないでしょうし……今後どうするかはアデルが起きたら改めて話すとして、それまでは適当に雑談でもしていましょうか。」


 アカリにとって、やっと落ち着いて話す時間が取れる機会となりそうだった。

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