落ちる、落ちる、落ちる※
†
アカリは中学までは入学初日に友達作りを頑張ったものだが、高校入学時は孤立上等で徹底的にクラスメイトとの関わりを避けた。
その結果が友達ゼロという今の状況だが、それで問題ない。
問題ない筈だった。
一年生の頃から、一人の女子生徒が一部のグループにいじめられている光景をよく見かけるようになったのである。
しかし、関わったところでどうせ中学での繰り返しになるだけだ。
どれだけ良心を痛めようが、助けたら裏切られて惨めな思いをするだけだ。
そう思い、見て見ぬふりを貫く。
そして一年生を終える直前の冬の日、いじめられていた女子生徒が屋上から飛び降り自殺をした。
窓の外の、偶然目にしてしまった彼女が教室を通り過ぎる瞬間。
思考のフィルタリングを一切せずに純粋なままの憎悪を剥き出しにし歪めた表情も、教室全体に呪詛を吐きかけるぽっかりと開いた口も、アカリの脳裏にこびりついている。
重い衝突音も、
地震とは違う局所的で短い地揺れも、
直後に校庭を見た者達による阿鼻叫喚も。
四肢が本来ならありえない角度に曲がり、中身を四方にぶちまけた遺体の姿も。
誰に何が起ころうが知った事かと冷徹になろうとしても、言いしれない後悔と絶望が今もなおアカリを苛み続けているのだ。
だから異世界に行けると知った時、ようやくこの腐れた世界の抑圧から開放されると歓喜したものだ。
小説の中でくらい、自分の行動が報われて欲しかった。
誰にも裏切られず、理想の未来を手に入れたかった。
だが、異世界に来たところで良い結果をもたらせただろうか?
死なせてしまう人物が変わっただけではないか?
それどころか命を投げ出して友を救ったフィルの意思すら踏みにじる結果になってはいないだろうか。
結局、自分なんかが行動したところで悪い結果しかもたらさない。
現代日本であろうが異世界だろうが、変わりはしなかったという事だ。
どうしようもない絶望と諦観が渦巻いて、もはや何もかも投げ出して消えてしまいたい。
そんな考えに支配されそうになった瞬間、ふと聞き覚えのある声が聞こえた。
「――リ、アカリっ!」
沈みかけた意識が急速に、現実に引き戻される。
自分を必死に呼ぶフィルの声だ。
彼らしくもなく焦燥に駆られ、余裕を欠いた声。
何かに抗い、現状を打破しようと必死になる光景がありありと思い浮かぶ。
彼はまだ足掻いている。
その声が聞こえるという事は、まだ自分は生きているのだろう。
それなのに自分だけが何もかも諦めるのはあまりに無責任ではないか。
意識を失うまでの状況を鮮明に思い出す。
恐らく、落下から全身を強かに打ち付けたのだろう。
ひどく身体が傷んだが、身動きが取れない程ではない。
泣き事を言うような傷みではない。
――アデルだって、目を開ければまだ生きているに違いない。
それならば、怖気づいていないではやく動かねば。
自分に出来る事が、必ずある。
そう信じるために異世界に来た筈だから。
折れかけた意思を再び立て直して、アカリは、目を開いた。
†
「アカリ、目が覚めましたか……!」
目を覚ます前と変わらぬ、余裕のない声。
ランタンの光が届かなくなりそうな、やや離れた位置に彼はいた。
膝をついたフィルの手は青白い光を発し、それを翳す先に横たわる血塗れのアデルを、声音に違わぬ焦りに満ちた眼差しで見下ろしていた。
彼もまたところどころ負傷していたが、もはや自分などどうでも良いといった様相だ。
アカリもまた、身体の端々が痛む事などお構いなしに立ち上が――ろうとして、足場が悪い事に気がついた。
周囲を見遣ると、粉々になった材木がそこかしこに飛び散っている。また、自分自身もどうやら木くずまみれのようだ。
いくつか形状を保ったままの樽も存在する事から、恐らくここは地下のワインセラーだろうと推測できる。
どうやらアカリ達は朽ちかけた樽がクッションになってくれたために、たいした怪我をせずに済んだらしい。
比較的木片の少ない通路へ這うようにして出て、立ち上がってフィルとアデルのもとへ急ぐ。
――フィルの隣に立って、絶句した。
アデルの負傷は右肩から左脇腹にかけて深々と切り裂かれており、それだけならまだ予想の範疇だったのだが――フィルの施す魔術を浴びても、何故か一向に傷が塞がらず血が止まらないのだ。
フィルの焦りようから見て、恐らくこれは彼の予想外の出来事に違いない。
アカリとて大怪我をした人間に立ち会った経験はほぼ無いが、それでもアデルの傷の深さは致命傷にまでは至らないように見えた。
まして回復魔法などという、魔法など存在しない世界から来た身としては反則とも言える技があるなら尚更、こう何度も重ねがけしても全く回復の兆しが見えないというのは不自然に思えた。
「……どうやっても塞がりませんが、魔法を止めると出血が酷くなるんです」
予断を許さない状況からか、視線はアカリに向けないままに告げるフィル。
彼は一切手が離せない。
ならば動けるのは自分しかいない――何をするべきか解らない、などと言っている暇は無かった。
何か、何でも良いから手がかりは――祈るような気持ちで周囲を見渡すと、樽や残骸の中に、異様な角度に折れ曲がった足首を発見してしまった。
思わず短く悲鳴をあげるも、何故か確認しなくてはならない気がして接近する。
足首の先には死骸が木材の上に転がっていた。
死体を中心として木片が放射状に飛び散っているため、恐らくはアカリ達同様に上から落下して樽に激突したのだろう。
足首が一本しか見えなかったために一人かと思っていたが、どうやら二人が背中合わせになっているようだ。
という死骸の全貌が見えると同時に、二人とも背中の肉がえぐれ、傷同士が癒着しているような状態となっていた。
「……あれ、傷の間に何か……」
ふと背中の接合部付近に違和感を感じ、微かに目を細めて観察する。
何か黒ずんだ、干からびた繊維のようなものが2つの死体を繋ぐようにして張り巡らされているようで、よく見ると乾いた腐肉の合間から青緑色の指めいた物体が不揃いに生えている。
色こそ現実に――アカリが十余年生きてきた世界では同種ではまず見かけないだろうが、その形状には覚えがあった。
「これ、知ってる……確か、マメザヤタケだっけ……」
アカリの知るそれはもっと白や黒といった地味な色だが、確か死者の指とも言われる茸だった筈だ。
勿論世界が違うため種類は違うのだろうが、骸の背を繋ぐ繊維が菌糸だと考えれば茸だと思って間違いはないだろう。
「菌……、二人はくっついていたんだから多分ガストキングと同じで……」
突如、少女は目を瞠る。
次の瞬間には走り出し、真っ直ぐに仲間の元へ走り出していた。




