154.水を操る音
夕方。
そろそろマナリルが帰宅するとのことで、味見タイムは終了したのだが、
「ええと、最後にお礼になるか分からないけど、一曲聞いて貰って良い?」
「お、歌ってくれるのか?」
「うん、ダイチさんには、聞いておいて、欲しいから」
そう言って、マナリルは歌う準備を始めた。
「それじゃあ、聞かせてもらうわー。へスティもどうだ?」
「ん、では、我も」
なので、俺はヘスティと共に、マナリルの前に座った。
そうしているうちに、彼女の準備が終わったらしい。
「そ、それじゃあ、少しだけ歌うね。――《水竜の歌・ウォーターボイス》」
マナリルの喉から発せられるのは歌という程、はっきり言葉が聞こえてくるものではなかった。
声を出している筈なのに、メロディだけが聞こえてくる曲、あるいはインストのようなものに聞こえた。
……竜の言語でも人の言語でもない、のか?
だけれども、それは不快なものではなく、心地いいものだった。
「これが、《水竜の歌》だね。水を操ってる。ほら、見て」
へスティは小声でそう言って、先ほど汲んで来たばかりの水に視線をやった。
コップの中に入った水は、歌に従うようにしてうねうね動いている。
……本当に水を操ってるんだな……。
そう思っている間に、曲は終わった。
そして、マナリルは口を閉じて、俺たちに向かって微笑みかけてくる。
「ど、どうだった?」
「おう、綺麗な曲だったよ」
「ん、前よりも数段、上手くなってる」
「えへへ、ありがとう」
俺たちの評価を聞いて、マナリルははにかんだ。
その後で庭の外、森の方を指差した。
「あっちの森の水分量が少なくて、樹木が枯れそうだったから、調整しておいたわ。ちょっとだけ、森の水の量が増えるかも」
「へえ、そんな事までしてくれたのか。ありがとうよ。というか、随分と広範囲まで届くんだな」
彼女が指し示しているのはかなり遠方だが、そこまで歌の効果が届いているのか。
「あはは、……といっても、この魔力スポットの水は操れないし、そこまで強い力じゃないの。土地の主であるダイチさんたちが、私の力を越えているから。だから――本当に有難いわ。周りを気にせず歌えたのは久しぶりだし」
「久しぶり、ってことはいつもは違うのか?」
「うん。私の声は、水を操るから。街中だと下手に練習できないのよね。下手に気を抜いて歌うと……ああなるし」
そう言ってマナリルが森の向こうをみた。
そこには、恐らく俺の家を狙ってきたのであろう大型のイノシシが倒れていた。
「あれは、どうなってんだ?」
「体の中の水をかき回されてダウンしちゃったの。あれは物理防護が高いタイプのモンスターだけれど、魔力の防護があんまりないからね。気を抜いて歌うと、私に敵意を持っている人に対しては、ああなっちゃうんのよね」
イノシシはぴくぴくと手足を動かしている。生きてはいるようだが、目を回しているようで全く起き上がる気配をみせようとしない。
「マナの歌って結構、威力あるんだな」
「うん、だから調整して歌わないといけないの。お客さんの体調を崩すわけにはいかないから」
「大変そうだな」
気遣うタイプの竜王だからこそ、そういう所を気にしているんだろうが。
歌うだけで疲れそうだ。
「まあでも、ここはダイチさんに、ヘスティに、それに魔力スポットのサクラさんっていう強い人たちしかいないから。好きに歌っても影響が出ることがなくて、凄く楽で有難いわ」
「まあ、俺には綺麗な歌にしか聞こえなかったからな」
「そう言ってくれると、本当に助かるわ……」
ほっ、とマナリルは息を吐いた後で、おずおずと、俺の顔を窺ってくる。
「ね、ねえ、ダイチさん。またここに、歌いに来てもいいかしら? 気負えず歌える場所って少ないから……だ、駄目ならそれでもいいんだけど」
「うん? 別にかまわないぞ?」
「ほ、ホント!?」
俺としては、マナリルの歌で被害をこうむることは無いしな。
昼寝やお茶タイムのBGMにさせてもらいたくなるような、綺麗な曲だったし。
「流石に真夜中とか早朝とかに来られたら困るけど、常識的な範囲内の時間なら、来てくれて構わないぞ」
「あ、ありがとうダイチさん!」
マナリルは満面の笑みで俺の手を取って喜んだ。
そうして、元気の良いまま、近いうちにまた来ると告げて、マナリルは帰っていった。





