第45話「1回目の失敗」
次の日の佳音はまるで悩みが消えたかのように清々しい表情だった。
覚悟で女はここまで変われるということを示した形だった。…現状、本人しかその事実に気づいてないが。
だからこそ、宗も特に心配してなかった。いつもの通り一緒に学校に行き、授業を終え佳音と2人で遊ぶ。
その授業後のこそ、佳音がずっと待っていたものだった。
「この後、そのまま宗の家に行ってもいい?」
「別にいいよ。何かやるの?」
「いや、昨日言ってたじゃん。好きな人を教えるよって。」
「なるほど。それは確かに聞きたいな。」
一見普通に見える態度だが、佳音の鼓動は異常なまでに早くなっていた。
そして、遂にその時は来る。
「じゃあ、教えてもらおうかな。」
佳音がベットに座り、宗が机のイスに座る形で向かい合う。
「その前に1つだけお願いしてもいいかな…?」
「うん。何?」
「今から話すことを聞いて…嫌わないで欲しい。
宗にとっては突拍子もない話かもしれないけど、僕にとっては本気だから。」
ここは、絶対に伝えておきたいところだった。
こちらが真剣に話していれば、宗は決して冗談とは思わないだろうという信頼があっても、やはり不安になる。
さらに嫌われること、そもそも、嫌うようならこんなことを言ってもしかたがないのだがそれでも言わないという選択肢はなかった。
「うん。わかった。」
この時の宗の中では、恋の相手が先生なのかなとかってに予測していた。または小学生とかだが、一般的には受け入れ難いものだろうということは予測していた。
けれども、その予測は半分あたりで半分外れだ。
「僕…いや、私、宗のことが好き。」
だからこそ、この言葉の真意を汲み取るのにかなり時間がかかった。
宗が返事を返せない間に佳音は勇気を振り絞り言葉を重ねる。
「夏休み頃から…宗のことがずっと気になるようになっちゃって。
昔から、趣味が女子的だったんだけど…きっと一時的なものだろうってずっと我慢してた。
でもバスケという敷居が一旦なくなって宗と一緒に過ごす時間が多くなって…自分の想いをごまかしきれなくなったんだ。」
やっとこの頃になって宗の口から言葉が出てきた。
「僕のことが…好き…?
それは、親友としてじゃなくて…恋人として…という意味だよね?」
恐る恐るという風で聞く宗に佳音はしっかりと頷いた。
「私は、宗が好きだよ。宗の…彼女になりたい。」
これで宗の中で誤解だったという選択肢はなくなってしまった。
(ど…どうなってるんだ!?)
頭の中はパニックで一杯だった。ただ、思ったことを口にだすのが限界だったのだ。
「そ…そんな告白をされても…パニックで何をいえばいいのかわからないよ…。
佳音は…男子である僕のことが好きなんだよね?それって…同性愛ってこと?」
「それは…違うよ!」
佳音にとって予測済みの誤解。ここを絶対に誤解してもらうわけにはいかなかった。たとえ、それがさらなるパニックに陥ったとしても。
「私は…女子なんだよ。女子として…宗の彼女になりたい。」
この時点で予想通り宗の頭の中はパニックで思考能力がかなり低下していた。佳音のサポートがなければ、まともな返事すら危うかったかもしれない。
「彼女…?」
「そう。宗は性同一性障害っていう症状を知ってる?
簡単に言うと、生まれてきた性別と本当の心の性別が違う人のことを言うんだよ。私は…それなんだ。」
ここまで来てどうして自分の思考が止まっているのか宗は気づいた。
簡単だ、目の前の少年が宗の知っている「佳音」であるという自信が持てないのだ。
宗のことを恋愛的に好きだと言ったり、自分は女子だと言ったり…もちろん、それもショックとしては大きい。
けれども、それより前に…「私」という一人称が引っかかるのだ。
宗は前にもこの違和感を感じている。そう…昨日の夜の話。佳音は確かに「私」という一人称を使っていた。
その時に宗に好きな人を伝えると言っていた…それはつまり…。
「昨日話していた好きな人に気づいたっていうのは…僕のことだったのか。」
自分の口で発することでようやく宗はその事実を飲み込むことが出来た。
「うん。回りくどい話をしてごめんね。ただ…こういう形じゃなかったら、話せなかったから。」
そうとわかれば、昨日の悲しみだって見当違いにも程がある。佳音は話さなかったのではない、話せなかったのだ。
当たり前だ、とうてい受け入れてもらえるかわからないような話である上につい最近まで佳音はその感情を表に出していいと思っていなかったのだろうから。
そのきっかけはわからないが、宗にとってすぐに答えの出せる話では到底ないようだった。
確かに今までもいくつかの告白を断っては来ている。だが、今回についてはそんなことを言っていられない。
返事によっては、一番大切な親友との友情を失ってしまうかもしれないのだ。
「佳音は…本当は女子なんだよな?」
自分に言い聞かせるように1つずつ聞いていく。こうでもしなければ、現状がのみこめないような気がしたからだ。
「うん。ずっとその気持ちは間違いだと思ってた。
でも、この前やっとその気持ちがおかしな物じゃないって気付けた。
そして昨日、宗が心配して探してくれて、まるで彼女のように扱ってくれて…すごく嬉しかった。
だから…だから、私はすべてを宗に話そうと思った。
受け入れては…もらえないかな?」
佳音の声は震えていた。怖くて怖くて仕方がないのだ。
宗がパニックに陥っているというのなら、佳音は恐怖に陥っている。そのどちらが大変かというのは比べられるものではないが、少なくとも今の佳音には支えが必要であることは確かだった。
けれども、その最善の選択肢を…宗はとることが出来なかった。
「ごめん…まだ考えがまとまらないよ。
少し…考えさせてもらってもいい?」
その言葉に佳音は笑顔で返事をした。
「うん…。」
かなり無理矢理に作った笑顔。だが、その事実に気づくことなく宗は部屋から出ていった。
取り残された佳音。その心が壊れるのも時間の問題だった。
宗が消え去った部屋の中で佳音は1人ベットに横になった。いや、倒れたという方が正確だろう。
だが、今の佳音にこの布団が宗のものだなんていう思考的余裕はなかった。
(考えて…くれてるのかな?)
佳音はほとんど意識の消えそうな思いの中でその疑問を何度も繰り返していた。
今の佳音は現状稀に見るほど不安定だった。けれども、それも仕方がないことだ。
元々、女子であるということを自覚していた佳音だったが、ただでさえ周りからの印象、そして15年間ずっと感じてきた経験から生まれている男子という自覚に対して女子であるという自覚はずっと隠してきたものであり、その自信というのは限りなく薄い。それが保てているのは、やはり恋のなせる技だろうか。
とはいえ、それがあって辛うじて気持ちが潰されずにすんでいるレベルであり、今の佳音を女子として認識してくれているのは本人とたった1人の医者だけである。
それでも佳音は頑張っていた。心の中にあるよくわからない気持ちと戦いながらも、宗と一緒にいることで生まれたただ楽しいだけの時間で心の安定を無意識の内にはかっていたのだ。
そのことを咎めることは出来ない。むしろ、そういう形でも保てるというのはすごく幸せなことであり、運が良かったと言わざるをえない。
だが、その僅かにバランスのとれた現実は佳音が宗への恋心を自覚したころから崩れてきていた。
そして、佳音は昨日の宗の行動、それにより勇気を得て今日の告白へと至ったのだ。
客観的に見るならば、これだけの努力をしてきた少女がたった1つの心の拠り所だったものまで捨てたのだ。それに見合う言葉をかけてあげたいと思う。
けれども、宗にはそんな佳音の気持ちを把握するだけの余裕がなかったのだ。だから、あんな言葉をいう以外に方法はなかった。
「うぅ…。」
佳音はそのまま声を殺して泣き始めた。やっと気づいたのだ。事実上、宗に断られたという事実に。
けれども、そんな佳音が気を失わないのは、心が壊れないのは宗が考えるという言葉を使ったことによって僅かな希望が残されているからだろうか。
不幸中の幸いだが、宗がその場で断らなかったことは最悪の事態を防いだ。
(失敗…しちゃったな…これなら…言わない方がよかった…)
けれども、そんな後悔の念を強く心の中にえがいてる佳音が壊れてしまうのも時間の問題だった。
一方、自分の部屋から逃げるような形で部屋を出ていった宗は部屋のドアの前にうずくまる形で座り込んでいた。動かなかったのではない、これ以上動けなかったのだ。
(一体…どうなってるんだ…。)
いや、今でこそわかる。佳音が言いたいことも、その理由も。
言われてみれば、佳音の行動は確かに「男子」同士の親友がするにはフレンドリーすぎた。ただ、佳音の外見が幼いことで「弟」のようだと認識することでその事実から目をそむけていた。
まさか…佳音が好意を向けてくれているなんて夢にも思っていない。だが、違和感となる出来事はいくつもあったのだ。
佳音が慌てたこと、最近落ち着いてなかったこと、僕に好きな人を相談しなかったこと、マフラーを一緒にかけたいと言ったこと。
どれも単体で見れば、ちょっと変わってるといったような判断で切り捨てられることだし、そもそも僕以外ではそのすべてを知ることはないのだ。
更に言うならば、部活の友達のからかいの言葉…それだって、一種のヒントだったのではないか。
きっとあいつらのことだ、ただの冗談であるという以上の気持ちはないのだろうが、全く考えられないからかいというのはなかなか起きない。
だからこそ、どこかであいつらは感じていたんだ。佳音が僕に向ける友達としてじゃない目線を。
(どうして…気づかなかったんだろ。)
宗の頭の中には、ヒントとなることがまるで数珠のようにたくさん出てきていた。
そういったものを見れば、決して佳音が思いつきで言ったんじゃないってことは確信できていた。
そんな悩みは、後ろから聞こえてきたものによってかき消えた。
(もしかして…泣いてるのか…?)
ドア越しに聞こえる音、そこからはすすり泣く声が聞こえてくる。
宗がドアに寄りかかってなければ、聞こえないぐらいの小さな声。無意識の内に声を押し殺しているのだということぐらいは宗にも察せた。
その声を聞いた途端、宗はある事実に思い至った。
(僕は…佳音を傷つけてる!?)
佳音の立場にたってみれば、一瞬でわかることだった。あれだけの勇気をだして言った言葉を宗は保留と言って逃げ出したのだ。
それを佳音が拒絶だと思っても決しておかしなことじゃない。
その事に気づいて宗がドアを開けようとした時、ドア越しから声が聞こえた。
「宗…ごめん、ごめん…もう忘れてくれていいから…嫌いにだけはならないで…お願い…。」
かすれるような声、その声はごめんという言葉をずっと繰り返していた。
「佳音!」
宗はすぐに扉を開けた。そして、その扉に寄りかかっていた佳音が倒れそうになるのをすぐに支えて抱きしめた。
「宗…ごめんね…ごめんね…だから…」
「嫌いになんてなるわけがないだろ!」
その怒鳴るような声に一瞬佳音は身を震わせた。けれども、次の怒鳴り声は飛んで来なかった。
「嫌いになんて…なれねぇよ。おまえが…おまえが言ったことは確かに突拍子もないことだよ。未だに信じられない。
だからって…だからって、お前のことを嫌いになって縁を切るなんて夢にも思わない。そんな未来こっちから願い下げだ。
こっちこそごめんな。おまえの気持ちに…気づいてあげられるどころか辛い思いすらさせてしまった。」
宗から出てくるのは、佳音を傷つけないようにと考えてあった言葉じゃない。その場で紡いでいる言葉だからこそ、本心を表していた。
「僕はおまえの気持ちをすぐには受け入れられないよ。親友という距離感を変えられそうにない。
でも…でも、僕はお前の助けになりたいと思う。おまえが、女子になりたいというのなら協力する。不安ならそばにいる。悩みにものる。
そういう形で…そばにいてもいいか?」
その言葉に対する佳音の返事は決まっていた。
「…ありがとう、宗ちゃん。」
それまでの感情を溜め込んでいた反動か、佳音の目からは大粒の涙が流れ落ちる。
その涙が悲しみの涙ではなく、嬉し涙であるというのは佳音の勇気の証だった。




