第42話「カモフラージュ」
ある冬の放課後。
佳音は宗のベットで幸せそうに眠っていた。
一件おかしな風景の様に思えるが、宗や佳音にとっては決して特別なことではない。
ちょうど佳音がまだ精神不安定だった頃、特に宗にしか自分の本心を伝えていなかった頃は宗のそばにいることそれが唯一の幸せだった。
まだ性転換もおこなっていなかった時の佳音は、自分の中での性別がかなり揺れていた。外では今まで通りの男子としての佳音を演じながら、本心では女子として振舞いたいという気持ちを持っている。そういったこともあり、唯一自分の本来の姿で演じていられる宗の前は佳音にとって大きな救いだった。
また、佳音の部屋は今でこそ少女らしい雰囲気になっているものの(性転換後、宗と話し合ってコーディネートしたものだ)昔はバスケ部に所属していたこともあり持ち物から雰囲気まで完全に男子であるということを強く感じさせるものだった。
そんな中での佳音はすごく不安定だった。周りから押し付けられる性別と自分の心の中にある性別が混ざり合い、本来の性別がどちらなのかわからなくなる。それはひいてはアイデンティティ不全に繋がり、眠れない日々が続いていた。
そんな中で宗の部屋というのは、佳音にとって一種のオアシスのようなものだ。
好きな人のベットで寝ている上にその人も一緒に部屋にいてくれている。そして男子としての自分を押し付けるものもない。
そんな場所を佳音が居場所とするのは決しておかしな話ではなかった。
そういった事情もあり、帰ってきた佳音が眠いからベットで寝かして欲しいと、また宗がそばについていて欲しいといった時に宗は抵抗感を示すことなくその申し出を受け入れていた。
「…宗ちゃん!」
寝始めてから30分ぐらいたった頃だろうか、急に青ざめた顔をして佳音が起き上がった。
そのまま宗の姿を見つけて佳音はすぐに抱きつく。
「宗ちゃん…お願いだから…行かないで…。」
佳音は泣きながらそう言った。
その行動に慌てることなく、宗は読んでいた教科書を置いて佳音を抱きしめた。
「大丈夫…絶対に離れないよ。」
もちろん、佳音がうなされた結果だということは宗は理解している。ただ、宗が驚かなかったのはそういう問題ではなかった。
端的に言ってしまえば、慣れていると言うべきだろうか。いまでこそ頻度はかなり下がったものの、昔の佳音ならば悪夢にうなされて泣きじゃくるなど日常茶飯事だった。(その時にすぐに支えてあげられるというのも宗の部屋にいる理由の1つではある。)
翔也やあかりの存在もあり、最近はそんな悪夢にうなされることもほとんどなくなっている。
そういったこともあり具体的な理由こそ思い当たらなかったものの、それが条件反射の様に出てくる佳音への想いを塞ぐことは決してなかった。
暫く泣いていた佳音だったが、宗に抱かれたまま数分たった後には正気を取り戻し、珍しく佳音が宗の腕の中で頬を赤く染めているという光景が見られるようになった。
「うぅ…恥ずかしいよぉ…。」
顔を真っ赤にしてそうつぶやく佳音。昔と違い泣きじゃくることにも羞恥心を感じる程度には余裕ができていたということだ。
その成長に嬉しさを感じながらも、宗は逆に佳音を子供扱いする方で対応した。
「そんなことないって。」
そう言って佳音の頭を撫でる宗。いつもならそれだけで笑う佳音だったが、今日は流石に子供扱いされていることに気づいたのか不満そうな表情を示した。
その表情によって、意図してか意図せずしてか、佳音の中から恥ずかしさはほとんど消えてしまっていたが。
「…宗ちゃんのいじわる。」
そう言って頬をふくらませる姿は高校生に見えなかった。
「しかし、珍しいな。一体どんなことでうなされたんだ?」
先ほどとは違う意図を持って(そういうところはちゃんと佳音の方も感じているようだ)佳音の頭を撫でながら宗は聞いた。
その言葉に佳音は少し言いにくそうな表情をしながら返事を返した。
「実は…宗ちゃんが私の元から去っていっちゃう夢なの。
ずっと…ずっとね、夏休みの最後に宗ちゃんを止められなかったことが繰り返されるの。何回読んでも決して振り向いてくれない。
…絶対に絶対に宗ちゃんは振り向いてくれないの。」
その光景は決して佳音の妄想ではない。あの時の宗の行動を佳音が止めきれなかったこと、それは佳音にとって大きなトラウマとして未だにのこってしまっているようだった。
そんな佳音に対して宗は思いがけない言葉を言った。
「佳音。少し…昔話をしようか。」
「昔話?」
「ああ。まだ、佳音が僕への気持ちに気づいていなかった頃の話をね。」
中学3年の秋。宗と佳音はバスケットコートの中を走り回っていた。
本来ならば夏の大会で3年生は引退のはずである。もちろん、彼らもそのつもりではあった。
だが、後輩からの熱い要望(1年生では2年の新レギュラーの相手はできず、また2年のみで2チーム作れるほどの人数もいなかった。)もあり、またもとレギュラーの6人もまだバスケの中にいたいという思いもあって、週に2回ほど練習に来ているのであった。
その練習も終え、着替え終わった佳音は校門の近くで1人座って宗を待っていた。
一緒に練習していたはずなのにどうして待っているのか、それは宗がどうしても済ませておかないといけない予定があったからである。
「佳音、待たせたな。」
幸い宗の方も長引かず、佳音が長々と待つことはなかった。
「別に問題ないよ。さて帰ろうか、宗。」
そう言って帰路につく2人。話す話題も自ずと先ほどの宗の用事の方になっていった。
「やっぱり断っちゃったの?」
からかうようなそんなニュアンスを含めて佳音は言った。
「うん。なんか…付き合うっていうことがピント来なくてね。」
宗の用事、それは告白にお断りの話をすることだった。
この頃の宗はバスケットを中心にスポーツが出来たことや、最上位とは言わなくても教えられるぐらいの学力、そしてその人柄から1ヶ月に1度ほど告白されることが度々あった。非常に残念なことに宗はそのすべてに関して断っていたのだが。
余談だが、この頃の宗と佳音が付き合っているのではないかという風に拓哉達が考えたのも宗があらゆる告白を断っていることが原因の1つだった。
「うーん、宗ってこの女子を好きって思ったこととかないの?」
「いや、あるよ。でも、バスケをやってる現状が楽しすぎて女子と付き合うってことに抵抗があるんだよな。。
やっぱり、彼女ができるとそっちの方に時間をさかなきゃいけないし。それに中には全く話したことがない人だっているんだ。そう簡単にOKも出せないよ。」
「宗は深く考えすぎなんだよ。付き合ってから好きになるっていうのもまた1つの形だと思うし。」
「そういう佳音は、彼女とかの話を聞かないけど?」
「なんだろ…僕の場合、宗と違って女子を好きになるっていうのがよくわからないのかな。
バスケが楽しいってのもあると思うんだけど、男子の中でわいわいやってるのが一番楽しいよ。
いつになったら、恋をするのかなぁ…。」
未だに好きになった女子がいないというのは佳音にとってちょっとした悩みの種である。
確かに少し遊びに行きたいなと思うような女子はいても、その人と付き合いたいかというとまた別の話であるのだ。
それならば、よっぽどバスケ部のメンバーで試合をしたり遊びに行ったりするほうが楽しいというのが今の佳音の思いだった。
「大丈夫だって、佳音だってじきに好きな人の1人や2人できるさ。
しかし、ある意味で僕が一番好きなのは佳音なのかもな。やっぱり一緒にいて楽しいし、一番近い親友だからな。」
宗のちょっとしたその言葉、それは彼が思ったよりも佳音に大きな影響を与えていた。
(なんだろ…?)
佳音は自分の心が早い鼓動を始めるのを感じていた。宗の言葉は決して特別なものじゃない。ただ、友達として一番佳音の事が好きといってくれただけだ。
「僕もだよ。やっぱり、小学校からの付き合いは長いよね。」
宗の言葉に一見何事もなかったかのように返事を返す佳音。
だが、宗の言葉は自分でも制御できない謎の想いを佳音の中に呼び起こしていた。
(好きってなんなんだろう…)
そんな思いに佳音が囚われたのは、その日の夜だった。
未だにあの時感じた脈動が途絶えることはない。むしろ、このことを考えると更に大きくなるほどだ。
しかしながら、佳音は心の中でその答えを持っていた。
ずっと、自分自身にも隠していたもの。そんなことはないともう6年近く否定し続けてきたもの…それは「男子であることへの不信感」だった。
佳音がそんな思いを子供心ながらに感じたのは小学生の頃からだった。なんとなく、男子と趣味が合わない。むしろ、女子との方が話が会う。
例えば、テレビの話。クラスのみんなが戦隊物のアニメが好きな時、佳音が好きだったのは明らかに女子向けの少女アニメだった。
今考えればたまたま興味がそっちにあっただけであり、特記して変というわけではなかったのだが、当時の佳音からしたら深刻な問題だった。
佳音が感じたはそれだけではない。放課の遊びでも、女子に混じっていることが多く、たまに男子の方に混じってもどこかしっくりこない面があったのだ。
そんな悩みを今まで忘れさせてくれたもの…それがバスケだった。
もっと男子らしくしたい。そう思った佳音が選んだ部活がバスケを選んだきっかけは確かにNBAの試合でみた選手の男らしさであることは否定出来ない。
だが、それ以上にバスケは佳音を熱中させた。もちろん、男子の中に身を置き、その仲間として認められることで男子であることを自覚していなかったといえば嘘ではあるものの、男子とか女子とかそういう問題以前に試合で走り回るのが楽しかった。
それは、宗と出会ったことで特に強くなり、その原動力が中学での部活で活躍するという結果を導いていた。
そんな中でふと感じてしまった自分の中にある「女子」としての想い。
それは、部活というカモフラージュをなくした佳音にとって無視しきれない問題としてのしかかってきたのだった。




