第5話「襲撃」
「少し遅れるから、先に作業してて。」
僕はこんな指示の下、一人でアンケートの作業をしていた。
もともと、2人でやる予定だったがどうも町田先生に捕まったようだ。
そうじゃなくても、単位が足りるかどうかということで、毎時間先生に捕まっているような奴だから、今更驚きもしない。(というよりは、この状況も想定内だ。)
ちなみに、この仕事を佳音は知らなかったらしく、朝の時点で不機嫌だった。何故か、下駄箱を超えた時点で急に機嫌が良くなったが、なんでだったのだろう。
「あ、しまった…。」
そんな考え事をしながら作業をしていたため、集計がぐちゃぐちゃになってしまった。
なんとか、修正しようとするが半分ぐらいはやり直しだった。
「量が少ないとはいえ、一人でやるのも寂しいなぁ。」
そんなことをつぶやいてみるものの、所詮は1人。返事が帰ってくるはずもなかった。
早く、纐纈来ないかなぁ…と考えていると、急に電話がなった。誰かと思って取ってみると佳音であった。
「どうした?」
僕の言葉はいつもどおりの軽いものだったが、佳音の返事はそんな日常を欠片も感じさせない緊迫したものだった。
「…し…しくじっちゃった…。私のクラスまで来て。」
今にも消えそうなその声は、確かに佳音だった。
「ど…どうしたんだ?」
「いいから…。ごめん、もう電話無理みたい。」
その言葉を待っていたかのように電話は切れる。ここまできてただごとではないとやっと気づいたのだった。
「何なんだよ!」
そのやりきれない気持ちを叫んで、僕は走った。
佳音のクラスは、同じ階だが少し離れた場所にある。そこまでの時間が無性に長く感じた。
「佳音!」
閉まっていたドアを開けて叫ぶ。
そこにいたのは、頭から血を流している佳音だった。
「そ…宗。遅いよ…。」
「大丈夫か!?何があったんだ?」
僕は、壁によりかかっている佳音を抱き抱えた。その体はいつもよりも重く、そして尊く感じた。
「まさか、奇襲されると思わなかったよ…。私も考えが甘かったみたい。」
そう言う佳音からは、安堵の色を感じた。きっと僕が来たことで緊張から少し解放されたのだと思う。いや、そうであってって欲しかった。
「まずは、救急車だな。今すぐ呼ぶから待ってろよ。」
だが、僕のこの言葉にあろうことか佳音は否定の意思を表した。
「大丈夫。思ったより傷は浅いし、何より大事にしたくない。」
その言葉には、先程のような弱々しいところは全くなく、むしろ言われた僕の方がうろたえるような強固な意思があった。
「…わかった。とりあえず、止血だけでもしよう。」
かと言って、大したものをもっているわけでもない。とりあえず、ハンカチを取り出して佳音の頭を抑えた。
ハンカチが赤く滲む。その色が、僕に痛みを伝えてくれているようだった。
「ハンカチ…よごれちゃうよ。」
「何言ってるんだ。そんなこと気にする訳がないだろ。」
「…ありがとう。」
その僕の言葉に先ほど以上の安心感を得たのだろう。佳音はそのまま意識を失った。
「ここ、どこ?」
「僕の家だよ。佳音、痛むところ無い?」
いかにも見慣れない場所にいるといった顔で不安がっていた佳音だったが僕の顔を確認した途端、その目から涙が流れた。
「大丈夫か?」
僕は、佳音が寝ているベットに近づいて佳音の頭を撫でる。だが、それは更に涙腺を刺激する結果となってしまったようだ。
佳音は起き上がって号泣しはじめた。
「安心していいよ。僕がそばにいる。」
何も考えずに出てきた言葉だった。ただ、今の佳音を見て必要な言葉なんじゃないかとふと思いついただけだった。
起き上がった、佳音の後ろに回りこんでいつものように後ろから抱きしめる。いつもよりもずっと強く、そして優しく。
「うぅ…。」
それでも、佳音の涙は止まらなかった。佳音はいつもは涙を流さない。その反動で泣くときはおもいっきり泣くのだ。
「大丈夫、大丈夫だから。僕がついてる。」
こういって慰めるのは初めてじゃなかった。佳音が性転換すると決める前、何度もこうやって泣いていた。情緒不安定だったのだ。人にどう見られるかわからない。不安で不安で仕方がなかったのだと思う。今の佳音はそれに似ていた。
5分ぐらいそのまま抱きしめているとやっと佳音は泣き止んだ。
「…助けに来てくれてありがとう。」
「当たり前だろうが。間に合ってない気もするけどな。」
「ううん。怪我してしまったのは、私の失態だけどあそこで助けてもらわなかったらもっとひどくなっていたと思う。」
「少しでも佳音の手助けになれたならいいさ。それよりも何があったんだ?」
「…襲われた。まさか、後ろからバットで殴られるとは思わなかった。」
「え!?襲われたって男子か?女子か?」
「わからない。ただ、華奢だったから女子だったと思う。服装はジャージだったから服装で性別は特定できそうにもない。」
「そうか。一体誰が…。」
「犯人の目星はついてるよ。」
「本当か!誰なんだ?」
「言えない。今はまだ言えないよ。でも必ず話す。少し整理できるまでまっててくれる?」
僕の胸の前に頭を預けた佳音が上目遣いでいう。
「必ず話してくれるんだよな?なら待つよ。」
「ありがとう。あとは、この話は誰にも言わないで。」
「それは生徒だけじゃなくて、先生にもって意味だよな?」
「うん。」
「わかった。ただ、教室はあのままで出てきてしまったからある程度はバレると思うぞ。」
「そっか。でも、私が言い出さなければ問題ないよ。」
「それはそうなんだが…。おまえはそれでいいのか?」
「うん。こんなことをした理由も、誰がやったのかも全部わかってるから大丈夫だよ。」
「なんか、僕が置いてきぼりになってる気分だな。まあ、おまえの頭についていけたことはないが。」
「今日、宗には助けてもらったからもう十分だよ。あとは、私の仕事だから。」
「おまえの意図はわからんが、とりあえず危ないことだけはするなよ。おまえにこれ以上怪我させたくない。」
「わかった。約束する。約束するからさ…」
佳音はそう言って、体ごと僕の方を向いた。
「抱きしめて。それも、前からぎゅっと。」
「いいよ。」
僕に断る理由はなかった。抱きついてくる佳音を受け止めて抱きしめる。
思ったよりも軽くて、消えてしまいそうだった。
その後僕は佳音を抱いたまま、眠りについた。僕の腕の中にいる佳音は弱々しくて…とても愛おしかった。
「おはよう。」
「お、珍しいな。僕が来る前に起きてるなんて。」
あのあと、寝ている佳音をおぶって家に送っていった。
あんなに情緒不安定だったけど、大丈夫だったかと不安になって朝迎えに来たが、予想外にも僕が来た時点で佳音が起きていたのだ。
「いや、宗の腕の中で寝たら思ったよりもぐっすりねむちゃって。幸せだったよ。」
「それなら何よりだ。」
よく考えたら、僕と佳音って傍から聞いててすごく歯がゆいかもしれない。別にやめようとも思わないし、聞いている佳音のお母さんもいつもどおりの笑顔でいるからただの思い違いかもしれないけど。
「全くてれないってのもからかいがいがないよね。」
「むしろ、佳音の方がからかわれる側だろ。」
「それもそうかもしれないね。じゃあ、行こうか。」
「ああ。それじゃあ、行ってきます。」
僕の腕を組んで行こうとした佳音に気づいて、僕はあいさつをする。佳音のお母さんは笑顔で見送ってくれた。
先に書いておこう。この僕達の登校は無駄となった。
何故なら、校舎の前で人が死んでいたからだ。
それに気づいたのは、佳音が一番早かったと…思う。正直、取り乱していてよく覚えていない。
「あれ?宗、あそこに見えるのって…血?」
本来であれば、人だかりが出来て直視するのは不可能であったと思う。だが、佳音の準備に手間がかからなくて、早くついてしまったのが幸いしたのだろう。
その時は、その血だまりどころか、死んでいる人の顔まで見ることができた。後から聞くと、あの時はちょうど先生に知らせに行ってた頃らしく、まだ目撃者は少なかったという。
そんなことはどうだっていい。問題は、その顔が遠くからでも判断できてしまったことだった。
「あ、ちょっと!」
僕は、佳音の手を振りほどいて走った。後ろで、驚きの声が聞こえたがこの時の僕はそれに反応することは出来なかった。
間違いであって欲しい。その一心で僕は走った。だが、よく考えてみたら見覚えのある時点で間違いなどほとんどないのだ。
「あ…あぁ…。」
目の前にまできてその事実を直視してしまい、目の前で泣き崩れる僕。
「昨日…結局こなかったじゃねぇかよ…なんで二度と話せない状況になるんだよ…。
おまえの提案した映画…決まってないぞ。早く決めようぜ。」
目の前で涙をこぼしながら、うわ言のようにつぶやく。だが、もちろんのこと何の反応もなかった。
「宗…大丈夫?」
後ろから、佳音が手を背中に添えてくれる。僕はそれにうなづくことしか出来なかった。
ふらふらになりながら、血溜まりの中に歩いて行く。そして、制服が汚れるのも忘れて、しゃがみ込んで彼女を抱き抱えた。
「まさか、知り合いだとは思わなかったよ…どうしてこうなったんだろうなぁ…。」
そのまま強く抱きしめて、僕は意識を失った。
纐纈友里、享年17歳。命日3月18日。学園内にて死亡。




