第38話「彼の思惑」
時間は少し戻り、午後1時。
あかりが車に乗り、しばらくたった頃だった。
(もう…お別れしちゃったんだ…)
席は助手席に船口さんという昔からお世話になっている家政婦さん、あとは運転手とあかりの3人だ。
警察の連行ではないので、後部座席に大人が2人座り逃げられないようにというような構成ではなかったものの、後ろでくつろげるような間柄の人達ではない。
そもそも逃げたからといって何になるというわけでもないから当たり前といえば当たり前だが。
そういう事情もあり、後ろに1人で座っているあかりには1人で考える時間がかなりあるのだった。
(ケントにあった時はほとんど理由が説明できなかった…。きっと、宗さんが説明してくれてると思うけど、本当に納得してくれたかな。
宗さんには、迷惑をかけちゃったな。朝から電話してすぐに対応してもらったんだもの。これがすべてけりがついたらお礼を言わなきゃいけない。)
「あかりお嬢様。」
「…は、はい。」
そんなことを考えていたからだろうか、あかりの返事は少し遅れて出たものだった。
「お嬢様。ご主人様の方から携帯をお預かりするようにとの指示を頂いております。」
「わ、わかりました。」
さすがのあかりも予想外ではあった。確かにこの携帯があれば場所を送信することも助けを呼ぶことも可能だろう。
今回はみんなに迷惑をかけるつもりではなかったあかりではあったが、さすがに連絡手段のほとんどすべてといってもいい携帯をとられるのは少し抵抗があった。
最も、彼女の言うご主人様であるあかりの祖父が関わっている時点で抵抗は意味が無いとわかっているのだが。
電源を切り、船口さんに携帯を手渡すあかり。その携帯を船口さんはすごく貴重品であるかのように、布で包んで鞄にしまった。
あかりの手に握られていた2つの物のうち、片方は既に手元にない。かといって、いくら祖父の命令だろうと、もう1つの物を手放すつもりは決してなかった。
(このキーホルダー…唯一のつながり。)
その手にあるのは、もともと佳音がつけていたもので、宗から決して手放すなと釘を刺されたキーホルダーである。
今となっては、宗の忠告も意味が無いだろう。なぜなら、そんなことを言われる前から決して手放そうとは思っていないのだから。
(私としてはとても嬉しいけど…これって佳音にとって大事なものじゃなかった…のかな。)
決して昔から佳音が持っているものではない。ちょうど始業式の頃に佳音から電話があったはずであるから、まだ半月程度しかたっていない。
だがそれでも宗からのプレゼントを佳音が手放すわけがない。だとすると…
(それだけ…私のことを大事に思ってくれたのかな。だとするとすごく嬉しい…かな。)
もし、これを渡すことに何らかの意味があったとしてもあかりにとって落胆する理由にはならない。
これを佳音と宗が渡してくれたこと。そして、今、あの3人ととつながっているという理由になるのだから。
(そういえば、ケントはもうすぐ帰るって言ってたっけ。ちょっと間に合いそうにないから、あの時の泣きながら話した会話が別れの言葉になっちゃう。
それは…寂しいかな。)
あかりにとって、ケントはあの3人とは別の意味で印象に残っている人物である。
初めてあかりのことを好きって言ってくれた人なのだから。
(未だに、自分の心がよくわからない…私は本当に翔也くんのことが好きなのかな。宗さんのことも…。ケントの想いにも全く答えられてないし。)
そんな思いが頭の中を駆け巡る。1人になって考えることはやはり、みんなのことになってしまう。
すると、必然的にこの問題が関わってくるのだ。
(うぅ…どうすれば……)
外を眺めながら、悩むあかり。
その視界は段々暗くなり、思考もまとまらなくなっていった。
「あかりお嬢様。到着致しました。」
その言葉であかりは目を覚ました。どうも、寝てしまっていたようだ。
腕にある時計を見るその時計は5時を示している。携帯を渡したのが3時半頃だったはずだから、それから1時間半も寝ていたことになる。
「分かりました。」
無意識のうちに乱れた髪を整え(女子としての最低限の身だしなみだ)服装を人通り確認し終わる頃には頭も冴えてきていた。
学生鞄を片手にあかりは車から降りた。
その前で待っていた見知らぬ(きっとこの1年の間に雇われたのだろう)男性に着いていくと玄関では祖父が待ちくたびれたといった様子で待っていた。
「只今戻りました。お祖父様。」
無意識に出る敬語。あかりが敬語を使うのは、自分が尊敬できる人と先生以外には祖父に対してのみである。(この反動で逆に普段の言動はできるだけ敬語を使わないようにしている)
「うむ。色々と聞きたいことも話したいこともあるが、あかりも疲れただろう。
今まで使っていた部屋をそのままにしてある。今日はそこで休みなさい。」
「わかりました。」
あかりは一度だけ祖父に目をあわせて深くお辞儀をする。そのまま自分の部屋に向かった。
敬語を使っているということの意味。それはこの孫と思えない距離感が大きな原因であるのだった。
「ふぅ…疲れたぁ!」
久しぶりに戻ってきた自分の部屋。そのベッドにあかりはダイブした。
実はこの部屋の配置も小道具も、あかりが出ていった1年前から全く変わっていない。
残念ながら、その1つ1つに埃が全く溜まっていないということまでは気づいてなかったが。
数十分横になっていたあかりだったが、ふとした拍子に机の上にある紙の束を見つけた。
(今回の話についての資料ね。お祖父様らしいやり方かな。)
何気なくその紙を眺めるあかり。だが、その余裕は3枚目の紙を見た途端消え去った。
(え…?この会社の名前って…)
そこに書かれていたあかりと結婚するために資金提供をした会社の名前、それはケントが社長を務めるという会社の名前だった。
何かの間違いだろうと思って慌てて次のページをめくる。だが、そこには会社の公式サイトと共にケントの顔写真があった。
(ちょっとまって…まさか、本当にケントが…)
今まで予想もしていなかった展開だが、今考えてみると妙に辻褄が合う。
大会社の社長ということで、お金は持っている。その上であかりに気持ちを伝えたが返事が貰えなかった。
もし、あかりのことを調べる上で実家のことにたどり着いたとしたら…ケントには実行不可能な点がない。
(嘘、嘘!きっと、何かの間違い…)
そう自分に言い聞かせながら、1年以上使ってなかったコンピュータを慌てて立ち上げる。その起動時間はたった数分だったが、あかりにとっては何十分に感じるほど長いものだった。
だが、あかりの希望は見事に打ち砕かれた。
調べたサイトにあるページは印刷されたものと完璧に一致していたのだ。
ドサッ。という音が部屋の中に響く。手に持っていた書類の束が落ちる音だった。
それに追随するようにあかりも崩れ落ちる。丁度、あの手紙をあかりが受け取った時と同じ状態。
唯一違うのは、そんなあかりを救ってくれる存在がいないということ。
(本当に…本当にケントはそんなことを…)
裏切られた。その言葉があかりの頭の中を駆け巡る。
ショックで物事が考えられない。辛うじてベットの上に倒れこんだのは無意識下の行動であった。
(最後の言葉も…演技だったって言うの?)
ケントはあかりが実家に強制的に返されると聞いた時にかなり動揺していた。
何が何でも連れ戻すと、みんなを連れてくるから絶対に待ってろと言っていた。
最初は宗が説得したと考えていたあかりだったが、それすらも信じられなくなっていた。
ケントはあかりを騙すためにあんな演技をした。そんな考えにしか至らない。
(誰か…助けてよ…)
知らない人に対するものであれば、そんなものは知らないと無理矢理でも突っぱねるつもりであったあかりだったが、相手がケントであれば話は別である。
ただでさえ、相手がケントというだけで断りづらいのに、衝撃の事実にうちひしがれたあかりが抵抗できるはずがなかった。
あかりはやっと気づいたのだ。
今までそばに居てくれた佳音、翔也、そして宗の存在がどれだけ助けになっていたのかを。
それはあの3人に別れを告げてしまったことを何度後悔しても公開しきれないほどの失敗だった。
「ん…」
朝の日差しであかりは目を覚ました。
見知らぬ部屋、厳密には本来要るはずの無い部屋を見渡ししばらく硬直するあかり。
少しして現状を把握した。ほとんど気絶同然で寝てしまったショックの元凶も。
(結局、現実だったという話…)
夢であれば良かったと思わなかったというほど、プライドは高くない。ただ、現実逃避であることはあかり自信がよくわかっていた。
時計は10時を回っている。どうやら、土曜であるということと実家であるという2つの理由を得て寝坊ができてしまったということであった。
「お嬢様。お目覚めですか?」
その時、まるであかりの動向をずっと見ていたかのようなタイミングで船口さんの声がした。
「はい、おはようございます。船口さん。」
反射的にあかりは返事を返す。だが、今回に限って言うならばここで返事をしてしまったことをあかりは後悔する。
「よかった。お嬢様にお客様がおられるのですが。」
「お客様?」
「はい、確かお嬢様のお友達でケント様とおっしゃられているのですが。」
忘れようとしていた事実、その元凶は容赦なくあかりを襲った。
皮肉にも高校の友達が訪ねてきたという形で。
日付が開いてしまい申し訳ありません。
その代わりというわけではないのですが、最終章までの大まかな流れは構想として完成しました。(一部はもう執筆済みです。)
この章を終わらせ次第、そちらの話も一部できたらなと思っています。
ケントとあかりを巡る騒動。あと2話程度で収められるように頑張ります。




