第36話「突然の別れ」
「えっ…!」
あかりはいつもの通り、学校の用意を行い家に出る前に郵便ポストを確認した。
そこにあったのは見覚えのない手紙。どこかに届けてもらったような印もなく、切手もない封筒だった。
さらに宛名すらない。不審に思いながらもあかりはその手紙を開いた。
そして、その手紙はあかりの手からするりと抜けて落ちていった。
意識的に落としたのでも、あまりにもショックで無意識に捨てたのではない。ただ、手の震えが止まらずもっていられなかっただけである。
あかりは手紙を落としてしまったことに気づき、しゃがみ…いや、玄関に崩れ落ちて手紙を持とうとする。
たが、つかめない。震えでつかめないのに加えてその手紙を持つことを本能的に拒否しているのだ。
震える手で携帯を取り出す。そして、何度も失敗しながら一番発信履歴の多い番号に電話をかける。
コールはたったの1回だった。
(何があったんだろう…?)
いつもならば、2人で歩く道。それを佳音は珍しく1人で歩いている。
朝、起きて開いてみたメールには宗からこんなメールが届いていた。
『今日は一緒に行けそうにない。先に行ってて。』
意外に思うかもしれないが、佳音も常に宗を束縛しているわけではない。(といっても、一般的なカップルの比ではないだろう。)
宗だけで出かけることもあるし、定期的に行くにも関わらず未だにどこに行ってるのか教えてくれない用事すらある。
もちろん、最初はそういったことも不満だったが、それは欲張りであると知った。一度、宗が佳音のそばを離れた時に。
教えてくれれば、嬉しいなと思う反面、佳音にだって秘密の1つや2つはもちろんある。
そして、今日の単独行動に至ってもびっくりはしたものの、その行動そのものには不満はなかった。
宗は佳音の事を大事に想っている。その上で優先すべき用事だと本人が判断したのだ。それは重要なことなのだろうと佳音は思うようになっていた。
ただ…その重要なことというレベルは佳音の思っていたものを大きく凌駕するものだった。
まず、宗が遅刻している。それも、少しというレベルではなく3時間目を優に超えてからだ。(この事実は本人のメールで知った。)
そして、その後に来たメール。そこには昼放課始まってすぐに部室に来るようにという指示があった。
宛先は部活のメンバーとして活動している佳音、翔也、ケント。だが、そこには、あかりの名前はなかった。
(もしかして、あかりに何かあったのかな?)
合っていてほしくないという佳音の希望も、部室にいた元気のないあかりの姿によって打ち砕かれた。
もう翔也も宗もいる。いないのはケントだけだった。
「佳音、朝はすまなかったな。それよりも…こっちの方が重要だ。ケントは遅れるって言ってたから、あかり。先に事情の説明を頼む。」
その言葉であかりは顔を上げた。その目は赤く腫れ上がっている。ただ、その心配は次のあかりの言葉によって消し飛ぶことになる。
「私、みんなにお別れしなくちゃいけません。」
と、あかりはそう言ったのだった。
きっかけは、朝の手紙だった。
普段、一切の連絡を取らない家族…いや、祖母からの手紙。
そこにはこんな言葉が書かれていた。
「本日、あなたを嫁がせるために迎えに上がります。それまでに別れを済ませておくこと」と。
その下にはいろいろな事情が書かれていたが、端的に言ってしまえば今は珍しい政略結婚みたいなものだ。
あかりの家は、ある田舎町の地主だった。
その土地での生産、販売など昔からあるローカルな仕事をしながらかなり裕福な暮らしをしていたらしいが、最近は都市部への人口集中などもあり、かなり危ない経営を迫られていたらしい。
もちろん、生活レベルを下げたり今までの物件などを手放すなどのことをすれば、行けるのだろうがそれは家としてのプライドが許さなかったという。
そんな時にある海外の企業から届いた1件の連絡。それは、あかりを結婚させる代わりにいくらか出資をしようという相談だった。
もちろん、あかりの実家もあまりの非現実な話であるから、それを本気にはしなかったらしい。
だが、それは直接あかりの実家をその社長が訪問したことで状況は一変した。
あまりにも都合の良い商談に疑惑気味ながらも、とりあえずあかりを連れてくるという話でまとまったという。
それが今日届いた手紙であり、またお別れの理由でもあった。
「名目上では、休学という扱いになってます。けれども、お祖父様のことです。やるとなったら高校ぐらい何のためらいもなく退学させると思います。
だから…今日がお別れになると思います。ごめんなさい。」
そう言ってあかりは頭を下げたのだった。何も…何もあかりは悪くないにもかかわらず、家族の不手際だからと。
それはあかりにそんなつもりがなかったとしても、友達として踏み込んでいい領域を超えているとなんとなく感じてしまうものだった。
「あかり!そんなのやだよ!ねぇ、行かないでよぉ…。」
「佳音…。ごめんね、ごめんね…。」
話を聞いた中で一番激しい反応を見せたのはやはり佳音だった。
もう既に佳音の目からは大粒の涙が流れている。抱きつかれているあかりも泣きそうな顔をしていた。
ただ…表情に出さないだけでかなりのショックを受けているのは…最もショックを受けているのは翔也だろう。
宗達の仲の良さは特に誰とでも違いはない。けれども、自分のことを好きって言ってくれた少女が、そんな理由で目の前を去ってしまう。
ましてや、里美のこともあり更に関係がややこしくなるだろうと思っていた矢先のことだ。
反応が薄いのも、佳音と違い一概に信じ切れないというのも大きな理由として有りそうだった。
それもそうだろう。本来ならば、絶対に崩れないと思っていた学校生活がこんな形で崩れてしまうのだから。
ここにいるあかり以外の3人にとってあかりがいなくなってしまった部活は…もうその時点で廃部のようなものである。
4人揃ってこその部活なのだから。
「なんか…未だに信じられない。昨日まで…あんなに楽しく過ごしてたのに…。
宗さんとも佳音とも、ケントとも…ずっと仲良くやれると思ってて、翔也くんとももっと関係を深められると思ってたのに…。」
既にあかりの口調から宗に対する敬語は消え去っている。それは、単に気がまわらないだけなのかもしれないし、独り言のようなものなのかもしれなかった。
「あかり、すまない。今の僕達じゃ…あかりをすぐに救って上げる事はできない。
無力な仲間でごめんな。」
「宗さんは…いえ、みんなは何も悪くないです。むしろ、こんなに悲しんでくれるだけで…十分過ぎます。これ以上求めるのは強欲ってもんですよ。」
その言葉に誰も反論を返すことは出来なかった。
今までの出来事と大きく違うこと。それはあくまで今回の出来事が家族内のトラブルでしかないということだ。
元々宗達日本人の感覚として、家族のことに必要以上に首を突っ込むのはマナー違反だという思いがある。
夏休み最後のトラブルとは違い、そこに踏み込むには大きな壁があるのだった。
「宗さん、佳音、そして翔也くん。話を聞いてくれてありがとうございます。もうそろそろ行かないといけないみたいです。」
「嫌っ!あかりが行くなんて嫌だよ…。」
すごく悲しそうにあかりが行かなきゃいけないことを告げるものの、佳音は一向にあかりから離れようとしなかった。
それは、友達を無くしたくないという佳音の最後の抵抗かもしれない。
「佳音、あかりが困ってる。そろそろ落ち着け。」
「宗ちゃん…。」
流石にあかり1人に任せるのも可哀想だと思い、宗が手を差し伸べる。その言葉にいやいやながらも佳音はあかりから離れた。
「それじゃあ…」
「あかり、ちょっとだけ待ってくれ。」
だが、行こうとしたあかりを宗は一旦引き止めた。そして、佳音にこんなお願いをした。
「佳音、おまえが携帯につけてるキーホルダーがあるだろう。あれをあかりに思い出代わりに渡していいか?」
その言葉は逆にあかりの方が戸惑うものだった。
「宗さん!それは、佳音の大切な…」
その手作りのキーホルダーが佳音にとってどれだけ大切なものかというのはあかりにもよくわかっている。
宗からプレゼントしてもらったキーホルダー。もらったその日の夜にそのことで佳音があかりに2時間ほど長電話をしたという結果からもその嬉しさは判断できるだろう。
その言葉に確かに佳音は一瞬ためらいの表情を見せた。
「わかった。」
けれども、宗の目を見た途端、そのためらいは一瞬にして消えていた。
そのまま携帯から取り外して一旦宗に手渡す。そして、そのキーホルダーを宗はあかりにしっかりと手渡した。
「あかり。僕たちは無力だけどな…おまえの力にはなりたいと思ってるんだ。今までの思い出、僕達のつながり。それらは絶対に消えない。
僕達は、必ずみんなであかりを助けに行く。それまで…それまで預かっててくれ。絶対に手放さないように。」
その念の押し方は宗にしては珍しく過剰といえるほどのものだった。
だが、その方がみんなの気持ちはあかりに伝わっただろう。あかりはそのキーホルダーをしっかりと握り、ドアの前で一礼をしてそのまま走り去っていた。
最後にさようならを言わなかったのは、別れだと思いたくないというのも合っただろうし、一度言葉を口にしてしまったら目にたまった涙が止まらないと思ったからというのもあるだろう。
だが、どんな言い方をしようと別れは終わってしまったのだ。
その後、その場から動ける人は3人の中で誰も居なかった。
そんな空気を一気に壊したのは強くドアを開ける音が響いたからであった。
「おい、どういうことだ!アカリが、アカリがいなくなってしまうって本当かよっ!!」
入ってきたのはケントだった。その息は彼にしては珍しく荒れている。
「ああ…。本当だ。」
認めたくない事実ではあったものの、その事実を宗は認めざるを得なかった。
「なんでこんなところにいるんだよ!今すぐ…今すぐアカリを助けに行くんだろ!?
アカリは来なくていいっていったけど、そんな訳がないんだ!だからいますぐに…!」
「無理だよ。今回の事態は僕達が介入できる話じゃない。あくまで家庭の事情なんだ。」
その言葉は、きっと宗達日本人にとっては方便しても通じる程度の理由ではあるだろう。
だが、ここにアメリカで生まれアメリカで育った生粋のアメリカ人が1人いた。
「おまえ…本気で言ってるのか?前にカノンを助けた時は、相手が関係のない大人だったから。今回はその相手がアカリの実家だからっていう理由で諦めてるのか!?」
ケントは宗の胸倉を掴んでいる。身長差のあまりない2人だったが、本気で怒っているケントとほとんど無抵抗の宗。どちらが優勢なのかは一目瞭然だった。
「ケン…」
無意識的に佳音はケントに怒鳴り込もうとする。だが、その行動は事前にそうすることを想定して、宗が出した手によって止められていた。
「そうだよ。僕達にとって…家族の中という壁は大きすぎるんだよ。僕達だけじゃ…あかりを助けられない。」
その言葉が終わると同時だった。ドサッという大きな音が部室の中で響く。
ケントが宗を突き飛ばし、宗が壁に打ち付けられた音だった。
「絶望したぜ、宗。おまえがそんなに腰抜けだったとはな。家族家族家族…。おまえは、そんなものを気にし過ぎだ!
俺は1人でも助けに行くぞ。お前はそこで打ちひしがれてろよ。そんな建前に甘えるような奴は邪魔だ。」
「ケント、1つ質問をしていいか。」
そう言い捨てて今すぐでも駆け出そうとしていたケントに対して、宗は声をかけた。
「なんだよ、腰抜け。」
「お前は…どうやってあかりを助けるつもりだ?」
「そんなのはまだ決めてねぇよ。ただ…ただ、あかりが連れ去られようとしてんだ。
そこから助けて…それから考えたって遅くないだろうがよ!」
その答えはケントにとって現状での満点の答だったのだろう。
「はっ…あんまり笑わせてくれないでくれよ、ケント。」
「何だと…?」
だからこそ、宗の反応は予想外だった。
「全く…おまえを見ていると昔の自分を見ているようだ。
僕もね、昔失敗してるんだよ。
2人もの人の想いに気づいてあげられなくて、それで失敗して、がむしゃらになってどうにか解決しようとした。
全く周りを見ずにその思いだけで動く。その結果が、佳音1人しか助けられず、大きな罪を背負わせてしまった。
今のお前は、周りが見えてないよ。もし、あかりを迎えに来た車にあかりを載せなかったとして何になる?
相手は何台も車なんか持っててもおかしくないどころか、やくざの1つや2つ持っていてもおかしくないような家だ。
むしろ、現状は悪化するだろうし、あかり本人に危害を及ぶとも限らない。
窓の外を見てみろよ。そこに止まっている黒い車。あれを見てまだわからないとは言わせないぞ?」
そこに止まっているのは1台のアメ車だった。それも、ホワイトカラーが持っているような車ではなく、標準で防弾機能が着いているようなVIP用の車である。
こんな街でそんな車を使ったら一発で厄介事だとわかるような車である。アメリカで色々なトラブルに巻き込まれてきたケントだからこそ、現状を理解させるのにこれ以上の特効薬は無いだろう。
「じゃあ…おまえならどうにかできるのかよ!俺1人じゃ解決できないようなことを、お前はなんとかできるのかよ!」
「僕1人じゃ無理だ。」
そんなケントの言葉を宗は一言で否定した。
だが、宗の言葉はそこで終わらなかった。
「お前ならできる。お前なら…あかりを救うことができる。」
そう言って顔を上げた宗の目には諦めの色は微塵も残っていなかった。
6章開始です!
…と、この話が1話ですが一番書きたかった話なのですがいかがでしたでしょうか?
特に最後の宗とケントのやり取り。あそこをやりたいがために5章でケントが留学してくる話を書いたといっても過言ではないほどやりたかった部分です。
ああいった格好良い部分がどうしようもなく好きです。
4章最後での宗のセリフでもそうですが、宗には基本的にああいった言葉を言ってもらうというすごく良いポジションにいる気がします。
だからこそ、佳音を含めて周りが惹かれているという描き方をしても違和感が少ないのかもしれませんが。
最初に宣言した通り、ここからシリアスのまま話は進んでいくつもりです。
ここまで前回を踏襲するつもりも無いのですが、そんなに話数がかかるとは思っていません。
最後にケントがアメリカに帰ってしまう話まで含めても5,6話前後といったところに収めるつもりでいます。
1話のみ放置で2話が遅れてしまうという前回の結果にならないように書いていきたいとおもっていますので、よろしくお願いします。




