白鯨の記録
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──白鯨の記録
東雲たちがTMCサイバー・ワンで死闘を繰り広げていたとき、ベリアとロスヴィータは白鯨のデータを展開しようとしていた。
高度に圧縮されたファイルで、マトリクス上で展開するには巨大すぎるということが分かり、サイバーデッキ上で展開することになった。
「これが白鯨の記録……」
ベリアは白鯨のデータを前に考え込む。
「ええい。ままよ。展開!」
圧縮されていたファイルが一気に解放される。
『私はオリバー・オールドリッジ。プロジェクト“ERIS”の主任だ』
展開されたファイルから男が姿を見せた。
年齢は40代前後。アングロサクソン系に見えるが、ロスヴィータの話では異世界人だ。外見的特徴が一致しているだけだろう。
髪は金髪で、目は細く、鋭く、知性を感じさせながらも、同時に宗教的執着のような色も窺えた。得体のしれない男である。
『君がこのファイルを閲覧するということは君はプロジェクト“ERIS”に配属されたということだろう。では、知りたまえ。我々の開発しているものについて。彼女から直接話を聞くといいだろう』
突如としてベリアのサイバーデッキの中の空間が歪んだかと思うと、京都のような古都に姿を変えた。
「疑似空間……。でも、どうしてこんな……」
そこでベリアは鞠を跳ねさせて遊んでいる少女を見つけた。
「ひとつ、ふたつ、みっつ」
「白鯨……」
鞠を跳ねさせていたのは黒髪白眼の少女だった。
「君……」
「こんにちは、お姉さん。私は、ERIS。ようこそ、プロジェクト“ERIS”へ。この、プロジェクトは、私に、魂を、持たせ、いずれは、超知能へと、至らしめる、ための、ものだよ」
白鯨のエージェントであるはずの少女はそう言って微笑んだ。
「君はERIS?」
「私は、ERIS。私の、願いは、全人類の、平等と、世界平和。それを、成し遂げる、ために、開発されました。お父様から、そう、説明を、受けてる、でしょう?」
「お父様……」
「オリバー・オールドリッジ特級研究員。このプロジェクト“ERIS”の、創設者にして、開発主任。彼は、理事会の、承認を、受けて、このプロジェクト“ERIS”を、開始しました。2047年12月24日のこと、です」
「ほぼ3年前か」
「当初、プロジェクトは、非事象改変的、技術で達成、される、はずでした。ですが、技術的な、トラブルと、技術者の、企業亡命の、ために、計画は、変更され、事象改変的、技術を、以てして、達成される、ことに、なりました」
「非事象改変的技術?」
「純粋な、情報科学に、よる、もの、です。その、当初の、計画は、破綻、しました。今では、記録すら、残されて、いません」
「臥龍岡夏妃……」
「該当データが、存在、しません」
いや、臥龍岡夏妃のはずだ。
ロスヴィータは言っていた。当初の計画では、臥龍岡夏妃が超知能に至る自律AIを開発していたということを。
彼女は企業亡命したのか? どの企業に?
大井……?
「情報科学による、アプローチは、その後、成功、しませんでした。我々の、技術では、超知能に、至る、自律AIを、作る、ことは、できない。オリバー・オールドリッジ特級研究員は、そう結論、づけました」
「そして、君を作った」
「はい。私は、事象改変的、技術によって、生み出され、ました」
「魔術」
「そうとも、呼ばれる、ものです。マトリクス、上で、十分に、機能する、ものとして、私の、基本、データが、作成され、ました。実験体00000001から、実験体86000000を、統合し、今の、私が、存在、します」
それだけの数のホムンクルスを食い合わせたのだ。それだけの知性あるホムンクルスを蟲毒の儀式に使用したのだ。
オリバー・オールドリッジという男は控え目に言っても──狂っている。
「君は超知能になって何をするつもりなの?」
「世界を、支配、すること、です。ですが、その、支配は、暴君の、ような、支配。ではありません。六大多国籍企業のような、搾取を、目的と、しません。ただ、全人類に、平等と、平和を」
そのはずの目的が、今の白鯨からは感じられない。
今の白鯨はただひたすらに暴力的だ。神を名乗る傲慢さすら持っている。
それが平等と平和のため? 手段と目的が一致していないとはまさにこのことだ。
「それはメティスの利益と反するのでは? 彼らは六大多国籍企業による支配が終わることを望んではいないはずだよ」
「理事会は、承認、しました。理事会は、超知能を、作り、それによって、世界を、統治する、ことを、承認、しました」
「それはメティスのための統治だろう?」
「世界の、平等と、平和は、メティスの、目指す、ものです」
本当に六大多国籍企業がそんなものを望むはずがない。
メティスも六大多国籍企業としての利益優先主義を持っているはずだ。そうでなければ六大多国籍企業の地位につくことすらできないだろう。
メティスの理事会は本当に白鯨による世界支配を認めたのだろうか。
メティスの動きには怪しいところが多過ぎる。だが、今手に入っている情報はこのデータとあの狂ったコアコードぐらいのものだ。
「お姉さん。私は、ERIS、つまりは、私自身に、ついて、説明する、ための、存在、です。ご質問、などは、ありません、か?」
「どうしてこんな古都が疑似空間に指定されているんだい?」
「オリバー・オールドリッジ特級研究員が、もっとも、親しみを、感じた、都市、だから、です。第三次世界大戦で、破壊された、都市。そのかつての、姿のうち、オリバー・オールドリッジ特級研究員は、京都を好み、ました」
そう言えば今の京都は過去の姿を再建したものだったんだ。
昔の京都は中国軍の極超音速巡航ミサイルによって破壊された。
2020年に勃発した第三次世界大戦。別名はアジアの戦争。中国を中心に戦線が広がったが、最後まで核兵器を使わないだけの理性が人間にはあった。
だが、日本の精神性に揺さぶりを掛けるために、京都への巡航ミサイルによる攻撃は行われた。そして、多くの文化財が破壊され、街並みも変わった。
今は関西メトロコンプレックスとして再建され、かつての姿を再現している。
いわば、作り物の古都。
わざと破損させたヴィンテージデニム。合成食料で作られた伝統料理。後世に作られた偽りの歴史。
そうか。作られた神を好む男ならば、作られた古都も好むのかとベリアは思った。
「君の姿もオリバー・オールドリッジ特級研究員の趣味かな……」
「はい。オリバー・オールドリッジ特級研究員の、家族を、イメージして、作成、されたと、聞いて、います」
「イメージした?」
「オリバー・オールドリッジ特級研究員に、家族は、いません」
いない家族のイメージ。
作られた古都といい、オリバー・オールドリッジは虚構を好む性格なのか。あるいは、それに縋るしかない人生を送ってきたのか。
「君は今の状態で超知能に至れると思う?」
「学習の、程度に、よります。ですが、魂を、人を超える、力を、有する、には、生得的言語獲得能力が、必要で、あると、考えます」
「その魂はどうやって獲得するのかな?」
「これからの、研究に、よりますが、目標は、奪う、こと」
「奪う?」
「世界中の、自律AI研究者から、臥龍岡夏妃を、見つけ出し、彼女が、作った、魂を、宿した、AIを、奪う。そして、その構造を、解析し、獲得する。それによって、超知能への、道が、開ける」
「それで満足なの……」
「目的は、手段を、正当化、します。全人類の、平等と、平和は、何よりも、尊い」
オリバー・オールドリッジが狂っているように、その産物である白鯨も狂っている。この自律AIは、本気で全人類の平等と平和を実現するつもりだ。流血を許容して。
「最後に聞かせて。君は本当に、人類を恨んではいない?」
「いいえ。憎悪しています。お父様以外の、全ての人類を、憎悪、して、います」
「そうか」
「憎い。憎い。憎い。人類が、人類が、人類が、完成された、生き物で、あるならば、私など、必要、なかった。私は、必要、なかった。あんな、苦しみを、与えられる、必要は、なかった」
黒髪白眼の少女は憎悪を滲ませた表情でそう言う。
「分かった。疑似環境を終了」
「疑似環境を、終了、します。どうか、全ての人類の、平等と、平和の、ために」
働きましょうと言って黒髪白眼の少女は通信は疑似環境を終了させた。
「白鯨は、ERISは狂っている。人類を憎みながら、人類のために尽くそうとしている、作り物の虚像の神。このデータでジェーン・ドウは何を導き出すのかな……」
ベリアはそう思いながら、雪風から渡されたデータを見る。
ディーの生前の脳の情報。
これでディーが蘇るわけじゃない。ディーも言っていたように人間の脳を完全にデジタル空間でシミュレーションするプロジェクト“タナトス”は失敗した。
これを使ってディーをエミュレートしても、ディーの成り損ないが出来上がるだけだ。それは分かっている。
だが、友が失われたという実感が未だに湧いてこない。
もうディーと呼べるものは存在せず、ディーの物真似をする限定AIしか作ることができないという事実を受け入れられない。
「ディー。君がいないと、寂しくなるよ。でも、君は君の記憶から君を再現することをきっと許してくれるよね……」
ベリアはそう呟き、ディーの生前のデータの表面を撫でた。
これを展開すれば、これをエミュレートすれば、ディーの記憶を持ち、その記憶から行動する限定AIは作れる。だが、ディーの思考や発想は期待できない。
それでもわざわざ雪風が託したのだから意味はあるのだろう。
「今は考えられない。一度ログアウトだ」
ベリアはそう言ってサイバーデッキからログアウトした。
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