ASAの技術と白鯨
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──ASAの技術と白鯨
東雲たちは上海で拘束したASAの工作員であるダニエル・チャンとハドソン・ナヴァロというお土産を連れて、輸送機に乗り横田空軍基地に到着した。
「東雲で間違いないか?」
「ああ。あんたらはジェーン・ドウの寄越した人間だな。連絡は受けてる。生体認証させてくれ」
横田空軍基地では太平洋保安公司の制服を着た男たちとスーツ姿の男が待っていた。
東雲は男たちを生体認証し、上海からのフライト中にジェーン・ドウから連絡があったお迎えであることを確認した。
「オーケー。確認した。こいつらがお土産だ。受け取ってくれ」
「引き受けた。それからジェーン・ドウから報酬を預かっている。ひとり80万新円だ」
「毎度あり」
スーツの男が東雲たちに報酬を払い、お土産を受け取って横田空軍基地から去っていった。
「よーし。仕事は終了。また何かあったら一緒に仕事ができるといいな、呉、セイレム」
「ああ。敵対はしたくないものだ」
呉とセイレムは横田空軍基地からタクシーで宿泊するホテルに向かった。
「それじゃあ、バーガー食いに行くか、八重野」
「ああ。お腹が減った」
八重野は腹部を押さえながらそう言った。お腹がかなり減っているらしい。
東雲たちも無人運転のタクシーを捕まえてセクター5/1にあるバーガーチェーン店を訪れる。昔ながらのロゴが目立つ有名なバーガーチェーン店だ。
「何食おうかな。一杯食いたい」
「私はフィッシュバーガー以外ならなんでもいい」
「魚苦手なのか?」
「ロサンジェルスにいたとき海洋汚染で打ち上げられた大量の魚の腐臭を嗅いでからはあまり好きではなくなった。どうしても食べなければいけなければ食べるが」
「おお。トリプルチーズバーガーだってさ。カロリーお化けだぞ。俺はこいつをふたつ食おう。チキンナゲットとポテトもセットだ」
「私はダブルベジタブルバーガーのセットにする。野菜は大事だ」
「便秘なのか?」
「お前、最低だぞ」
東雲の言葉に八重野が凄く嫌そうな表情を浮かべた。
東雲たちは接客ボットに注文し、席についてすぐにできたバーガーを貪った。
「美味い! 久しぶりのバーガーだ。ジャンクフードってのは高級品にはない味わいがあるよな。高級品じゃあ、このジャンクフードを食べたくなる欲求は満たせない」
「まあ、肉はオキアミと大豆の合成品だろうが」
「昔はミミズの肉とか言われてたんだぜ。美味ければそれでいいさ」
東雲はハンバーガーを貪り続ける。
「そういやこのバーガーチェーン店ってのも六大多国籍企業に買収されてるのか? いくら何でも連中もそこまでしないと思うんだけど」
「事実上の六大多国籍企業の傘下だ。まず食料をメティスから買わなければならないし、ロジスティクスは六大多国籍企業が握ってる。六大多国籍企業に金を払い続けているというのが現状だ」
「大井バーガーとかになってないだけマシか」
東雲はそう言ってバーガーを平らげ、チキンナゲットとポテトをつまみながらコーラーを飲むと食事を終えた。
それから電車に乗ってTMCセクター13/6に帰っていく。
場が転する。
ベリアとロスヴィータは八重野から送信されてきたASAの工作員が保持していたプログラム“ネクストワールド”を見ていた。
「どう思う?」
「言語にPerseph-Oneに使われているのと同じ未知の言語が使われている。コスタリカで手に入れた情報と合わせればほぼ間違いなく白鯨の生み出したもの。超知能化した白鯨のマリーゴールド」
ロスヴィータが尋ねるのにベリアが呟くようにそう言った。
「白鯨のマリーゴールドとして、これが何を意味するかだよ。このプログラムは恐らく現実でマトリクスでしか作動しないはずの魔術を作動させてる」
「今読み解けるのはひとつだけだよ。プログラムに付属している人間がつけたと思われるプログラムの用途、または分類。協調現実」
協調現実だけが“ネクストワールド”について分かっている唯一のこと。
「拡張現実でも仮想現実でもない協調現実か」
「分からないことが多過ぎる。改良されたWarlock-CSでもまだ白鯨の新言語は解析できないでしょう?」
「そうだね。今、白鯨本来の技術を分類し、マトリクスの魔導書由来の言語を取り除き、純粋な白鯨の新言語について法則性を見つけて解析してるけど完璧には程遠い」
「困ったものだ。恐らくはASAですらも既に白鯨の生み出すものについて理解していないと思う。超知能の言語は人間の理解を超えたものになるはずだから。説明可能なAIではなくなっている」
ロスヴィータが言うのにベリアがそう推察した。
「超知能、か。想像できないな。本当にそんなものが生まれるなんて」
「でも、既に雪風は白鯨より早く超知能に到達した。彼女は暁の完全なマトリクスでのコピーというマリーゴールドを生み出してる。超知能は人間にできなかったことを達成した。白鯨ももしかしたら」
ベリアは東雲たちがコスタリカで回収した白鯨研究のデータに目を向けた。
コスタリカにあった白鯨のデータは完全なものではなかった。コスタリカではいくつもの要素で構成される白鯨のモジュールのひとつを研究しているのみだった。
だが、そのモジュールのひとつをとっても白鯨が人類には理解不可能な超知能の領域に到達しようとしているのが分かるのだ。
「白鯨の今の状況が知りたいな。ASAはどうやって白鯨を進化させたんだろう」
「感情を使うって話だったけど、白鯨には憎悪しかなかった。自分が苦しめられて生み出されたことへの憎悪。それからオリバー・オールドリッジへの偽りの愛情」
「そうだった。かつてはね。けど、ASAは森・V・フェリックスを拉致したことからも分かる通り、感情のプログラミングに力を入れてる。あの白鯨が憎悪以外の感情を有したら進化すると思う?」
ベリアがそうロスヴィータに尋ねる。
「分からない。知的探求心、あるいは好奇心を学習のトリガーにするなら、確かに感情は必要かもしれない。けど、今まで見てきた自律AI、超知能に関する話で感情が絶対条件だったことはない」
「あくまで世界を定義するための生得的言語生成能力が求められていただけだ。だけど、真の自律AIを生み出すには人に生み出されたという他律的な存在から進化しなければならない。それには何かのファクターが必要」
「それが感情? 進化に必要な要素が?」
「分からない。さっぱりだよ。ASAは純粋な情報通信科学に頼っているわけではないって点でも既存のAIに関する議論は適用できない。彼らは代替科学という名のオカルトに嵌ってる」
だから予想がつかないとベリア。
「つまり、何も分からないのに推測ばかり重ねてるってことだね。必要なのはデータだよ。白鯨の最新版のデータ。ASA相手に仕掛けをやるか、東雲たちにその手の仕事が回ってくるか」
「そういうことだね。これ以上考えてもしょうがない。意味がないよ」
ロスヴィータが言うのにベリアが諦観気味にそう言った。
そこでマトリクス上の表示に不意にノイズが入った。
「お久しぶりです、アスタルト=バアル様、ロンメル様」
「雪風! 本当に久しぶり!」
現れたのは白い着物に白髪青眼の少女──雪風であった。
「それで、何の用事だい、雪風?」
「ASAの開発したプログラム“ネクストワールド”を入手されましたね」
「うん。手に入れたよ。もしかして、君が解析しようってわけ?」
雪風が鈴の音のような声で言うのにベリアがそう返した。
「はい。既にPerseph-Oneについては解析を進めております。白鯨の新言語について解析を進めているのですが、Perseph-Oneだけでは解析に必要なサンプルが不足しているのが現状なのです」
「それで“ネクストワールド”を」
「そうです。よろしければコピーをいただけませんか? 結果については共有することをお約束します」
「オーケー。いいよ。今、コピーを準備する」
雪風の申し出にベリアが“ネクストワールド”の複製を準備する。
「ほい。これだよ」
「ありがとうござます」
そして、“ネクストワールド”のコピーが雪風に手渡された。
「ねえ、雪風。君はどうやって超知能に至ったの?」
ベリアが“ネクストワールド”を渡してから雪風に尋ねる。
「私はまず人間を模倣することや既存の知的生命体に近づけることが行われておりません。人間に近いことを良しとするチューリングテスト的なAI観では、人間を超える知能は宿せないという考えからでした」
雪風が語り始める。
「そこで言語というものが生まれた要因は何かという生物進化学的なアプローチが試みられました。それは既存の生命の進化歴史を辿るのではなく、全く未知の存在を想定したアプローチでした」
「つまり君は地球上には存在しない生き物の進化をなぞったってこと?」
「そういうことになります。私の創造主──臥龍岡夏妃は情報通信科学の世界における純粋な情報生命体としての生物の進化をシミュレーションしました」
「そんなことが本当にできるの? 完全な未知への挑戦だよ? 既存の生命の進化をなぞらないということはデータベースをゼロから作ることになる」
「最終的に出来上がるものが未知のものでも進化のひとつひとつは実に合理的かつ理解可能なものです。偉大な芸術家の作品を外の人間には真似できなくとも、その作業過程を分解すれば凡人でも理解できる」
使われた絵具の配合。使われた大理石の化学構造から予想される形状変化。それらは最終的に出来上がるものが理解不能でも分解することで理解できるようになっていると雪風は語った。
「そうやって基盤となる情報生命体の進化のプロセスが確立されれば、後はAIが自ら試行を繰り返し自らの力のみで進化する。他律的なシステムが人の手を離れ、自律するのです。そこに言語が生まれその言語で世界を描く」
「君は魔術に頼っていない。純粋な情報通信科学が生み出した存在だ。そして、そうでありながら白鯨より先に超知能に至った。君にあって、白鯨にはないものというのは何だろうね……」
「進化に対する意欲の違いとゴールの設定、かと。私は憎悪というひとつの要素に頼った学習はしていません。そして、目的も決められていない。ですが、白鯨には憎悪しかなく、目的も最初から支配と決められてしまっていた」
学習のトリガーは憎悪という感情でゴールである人類支配を目指して進むだけの限定的な用途のプログラムでしかなかったと、そう白鯨を雪風は評価する。
「なら、白鯨が憎悪以外で学習し、ゴールをもっと大きなものに変更すれば……」
「超知能化することも可能かもしれません。既に白鯨はマリーゴールドに等しい産物も生み出しているし、自らの言語で言葉を紡いでいる。彼女は憎悪から生まれましたが、今それに変化が生じようとしているはずです」
「そうか。君もそう考えているのか。私たちはASAが白鯨の感情をプログラムしようとしていることを確認している。超知能に感情は必要だと思う?」
「感情は学習結果を評価する上で指標のひとつになります。成功には喜びを、失敗には落胆を、好調な場合は幸せを、逆境にあっては恐れを。超知能が人間的である必要はなくとも、人間が使っているものを使っていけないわけではないのです」
「君の語るAI観からするとAIにとって人間が持っている要素は特段効率的じゃなくて、純粋な情報生命体としてのAIがもっとも効率を考えて生み出した過程こそが自律AIと超知能たるものって感じだけど、君はそう考えているのか」
「人間的でないものこそが効率的であるというのはある種の驕りであると考えます。人間を初めとする生き物には40億年に及ぶ進化──学習と試行の過程があるのですから。それを数十年程度の技術で超越できるというのは技術の過信です」
ベリアが言うのに雪風がそう返した。
「ただ、超知能は自然による進化によって知能を得た存在である人間を上回らなければならない。そのために人間にはない機能を生み出し、組み込まなければならないのです。人間を模倣し続けても人間は超えられない」
雪風がそう付け加える。
「白鯨にある非人間的要素としたら魔術かな……」
「分かりません。しかし、白鯨もまたマトリクスに暮らす存在であり、学習を繰り返している。ASAが技術的ブレイクスルーを見出す可能性もあります」
「そうか。君の意見が聞けてよかったよ。それとPerseph-One、解析出来たら教えてね」
「はい。では、失礼します」
そして、雪風は去っていった。
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