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“キック・ザ・バリケード”//フライト・アナウンス

……………………


 ──“キック・ザ・バリケード”//フライト・アナウンス



 東雲たちは翌日にジェーン・ドウから航空チケットを受け取ることになった。


「朗報だ。応援が来るぞ」


「応援?」


「HOWTechがのけ者にされていることに我慢ならなかったらしい。オランダでは産業用ナノマシンの工場がないから仕方ないと言えば仕方なかったが、今の状況でオランダに口出しできないというのは苛立たしいとさ」


「へえ。じゃあ、呉たちが?」


「合流する。そっちには別途でチケットを送付した。成田で落ち合え」


「了解」


 ジェーン・ドウの言葉に東雲が頷く。


「オランダ情勢については聞いたか?」


「ベリアが調べたよ。随分と酷い場所みたいじゃないか」


「地上のクソの山だ。複数の六大多国籍企業(ヘックス)がオランダ政府から仕事(ビズ)を受けているせいで、どの六大多国籍企業も権利を主張して縄張り争いをする」


「楽しくなってきたな」


「せいぜい楽しんでこい。六大多国籍企業は自社の事業を守るためと称してそれぞれの会社が民間軍事会社(PMSC)を投入してる。下手すれば全員から蜂の巣だぞ。愉快でたまらんな」


「あーあ」


 ジェーン・ドウが嘲るように笑いながら言うのに東雲がため息を吐いた。


「チケットは3日後だ。荷物を空輸する手配はしてある。抜からずやれ。Perseph-Oneを手に入れられたら大金を払ってやる。あれは問題の種だ」


 ジェーン・ドウはそう言って出ていけというように高級喫茶店の扉を指さした。


 東雲はそれに従って高級喫茶店を出てTMCセクター13/6に戻る。


「戻ったぞ。チケットを受け取ってきた」


「チケットは何人分?」


 東雲が自宅で報告するのに合成コーヒーを飲んでいたベリアが尋ねた。


「3人。それから別に呉とセイレムが加わる」


「ってことは私もオランダ行きか。ハッカーが潜伏しているのはオランダのアムステルダム。治安はかなり悪い」


「前に聞いたよ。セクター13/6とどっちが酷いんだ?」


「どっちもどっちってところかな。セクター13/6(ここ)はシンプルに犯罪組織の温床になっていて治安が悪い。アムステルダムは六大多国籍企業の縄張り争いに伴う治安の悪化だ」


「まあ、それだけ治安が悪けりゃ俺たちがどんぱちしたって追われはしないだろ」


 東雲は楽観的な見解を示す。


「それはそう。現地の警察業務を引き受けてるALESSは金持ちの警備と犯罪捜査しかしない。アムステルダムの治安の悪いところなんてパトロールすらしてない。だけど、今回は事情が変わるかも」


「ハッカーが持ってるPerseph-Oneを手に入れるために捜索する、か……」


「そう。今回のハッカーたちは間抜けなことに犯行前に犯行予告を出した。そのことはどの六大多国籍企業も認識してる。だから、ジェーン・ドウから私たちに仕事(ビズ)が回ってきたわけだし」


「アムステルダムで民間軍事会社の連中とPerseph-One争奪戦か? 勘弁してくれよ」


「そうなりそうじゃない? Perseph-Oneは統一ロシアとZ&Eの軍用(アイス)を砕いて有用性と危険性を示した。六大多国籍企業は白鯨やマトリクスの魔導書で出遅れた苦い経験もあるし」


「誰もが欲しがるプログラムね。こいつは白鯨絡みの可能性があるんだろ?」


「あるね。ASAはかなりきな臭い組織だよ。オリバー・オールドリッジとルナ・ラーウィルの遺志を継いでるのかも」


「そんな狂人どもの遺志なんて捨てちまえよ、畜生」


 東雲がうんざりしたように吐き捨てた。


「実際問題、超知能を夢見てる学者は大勢いるんだ。できるならば自分の手でそれを実現したいとも思ってる。白鯨は雪風と比較すれば欠陥品もいいところだけど、自律AIとしてはかなり高度なものだった」


「人殺しの超知能はごめん被るぜ。雪風は友好的だからいいが、白鯨は殺しまくってる。そんなものが超知能になったらどうなるってんだ」


「さあ? ただ、本当に超知能に至った雪風は権力や支配を欲さず、それでいて人間のマトリクス上での完全再現というマリーゴールドを生み出した。超知能に求められるのは人間を超えた発明なのかも」


「白鯨が超知能に至った結果、生み出したのがPerseph-Oneってことは?」


「ただの優秀なアイスブレイカーを超知能の産物というのは。雪風みたいに誰もが失敗したプロジェクトを成功させるぐらいじゃないと」


 東雲が尋ねるとベリアはそう返した。


「となるとASAが目指しているゴールが分からないな。白鯨の完全な超知能化は誰もが否定してる。奴には超知能に必要な生得的言語獲得能力がないと。それでも何か裏技があって超知能化できるのか」


 ベリアがちょっと考え込んでそう言う。


「なんだよ、超知能になるための裏技って。ともあれ、オランダに飛ぶ準備はしておかないとな。俺は王蘭玲先生のところで造血剤貰ってくる」


「最近どうなの、猫耳先生とはさ……」


「あれからあんまりデートとかしてない。クリニックに行って話はするけど、誘う機会がないというか。あと仕事(ビズ)もあるせいで先生を誘えないし。時間ができれば誘うんだけど」


「女性は放っておかれると離れていくよ。こまめにデートなりなんなりに誘って興味を引き付けておかないと。猫耳先生は収入もあるし、若いし、優良物件なんだから君以外にもアプローチする人はいると思うよ」


「ううむ。オランダでの仕事(ビズ)が終わったらまたデートに誘う」


「それがいいね。またデートスポット探しておいてあげる」


「頼む」


 東雲がベリアにそう頼んだ。


「で、仕事(ビズ)だ。オランダに突っ込む。正確に言えばアムステルダムに。そっちでハッカーの位置は把握できてるか?」


「ある程度は掴んでる。何せBAR.三毛猫に顔を出したから、その時のログが残ってる。自宅、あるいは職場、もしくはネットカフェといったアムステルダム内でハッカーがマトリクスにダイブした場所は特定済み」


「いいニュースのようだが、俺たちが知ってるってことは六大多国籍企業も把握しているってことにならないか?」


「可能性としてはね。けど、ジェーン・ドウが手を回したってことは、まだ望みがあるってことだよ。本当に無理ならジェーン・ドウが航空チケットを準備するはずがない」


「オーケー。俺たちでとっ捕まえよう」


 東雲は頷いた。


「じゃあ、俺は王蘭玲先生のところに行くから。晩飯はどうする?」


「何か帰りに買ってきて。できれば中華がいい。あまり量が多くないのを」


「分かった」


 ベリアが注文し、東雲が手を振ってアパートを出る。


 東雲はそのまま王蘭玲のクリニックを目指した。


「ようこそ、東雲様。貧血でお悩みですか?」


「ああ。頼むよ、ナイチンゲール」


 いつものように案内ボットのナイチンゲールが受付を行い、診察室から堅気ではなさそうな男たちが出ていくと東雲が呼ばれた。


「やあ。しばらくぶりだね。連絡がないから振られたかと思っていたよ」


「そんなまさか。ただ、ちょっと仕事(ビズ)が忙しくてさ。ジェーン・ドウがこき使うもんだから。また仕事(ビズ)でオランダに行くことになったけど、帰ってきたら先生をデートに誘うよ」


 王蘭玲が猫耳を揺らしながら小さく笑って言うのに東雲が申し訳なさそうに返した。


「期待しておこう。仕事(ビズ)の前に造血剤かな?」


「また随分とトラブルになりそうだからね」


「アムステルダムってところかい」


「そ。面倒なハッカーが持ってるプログラムの入手が仕事(ビズ)。以前の仕事(ビズ)でしくじってるから今回は成功しないと使い捨て(ディスポーザブル)にされかねない」


「ふむ。アムステルダムは確かにいい噂を聞かない場所だ。六大多国籍企業の意地の張り合い。オランダという国は海上交易において重要な場所であるが故にどの企業も押さえたがっている」


 王蘭玲がナイチンゲールに造血剤をオーダーしながら語る。


「プログラムというのはもしかしてPerseph-One?」


「知ってるのかい、先生……」


「白鯨の脅威が消えてからまたマトリクスをたまに散策することがあってね。噂に聞いたよ。統一ロシアとZ&Eの軍用(アイス)を砕いたアイスブレイカー。未だにその正体は謎に包まれている」


「俺には(アイス)とかアイスブレイカーとかさっぱり分からないけど、価値はあるんだろうな。あちこちに飛ばされて手に入れてこいって急かされてるから」


「あれはどうも嫌な予感がするプログラムだ。アイスブレイカーというのは使える範囲がある程度決まっている。有名になればなるほど企業も政府も対策を講じ、いずれは役に立たなくなる」


 白鯨事件で注目を集めたMr.AKも今では全く使われないと王蘭玲が言う。


「そうなるとPerseph-Oneもいずれ価値がなくなるってことかい?」


「ああ。(アイス)とアイスブレイカーは延々といたちごっこを繰り返している関係だ。今は優れたアイスブレイカーも六大多国籍企業のサイバーセキュリティチームにかかれば陳腐な悪戯しかできなくなるだろう」


「だとするとジェーン・ドウがやけにPerseph-Oneに拘るのが分からないな。それにこいつを配布している連中の目的も。ばら撒いたら余計に対策されるのが早まるだろ?」


「ひとつだけ例外がある。密かに広めて、様々な(アイス)仕掛け(ラン)を行うことのメリット。アイスブレイカーに自己学習能力がある場合だ」


「自己学習能力っていうとあいつを思い出すな」


「白鯨」


「そう」


「白鯨は超知能にはなれなかったが、マトリクスの怪物と呼ばれるまでのAIになった。ひとえに自己学習を繰り返したからだ。延々と経験値を積み続け、あらゆる(アイス)とアイスブレイカーを学習した」


「今度も大騒ぎになる可能性はあるってことか」


 嫌な感じだぜと東雲は愚痴った。


「それを防ぐのも君たちの仕事(ビズ)だろう。六大多国籍企業はある意味では世界秩序そのものだ。彼らは昔アメリカが担っていた世界の警察という仕事(ビズ)をやる。ただ、利益のために」


「そうなることを祈るよ。気合入れて行ってきます」


「必ず生きて帰ってきたまえよ。私はまだ待っているからね」


「ああ。もちろんだよ、先生」


 東雲は造血剤を受け取り、王蘭玲にサムズアップして返した。


 それに対して王蘭玲は微笑んでいた。


 それからいよいよオランダに飛ぶ日が訪れ、東雲、ベリア、八重野は成田国際航空宇宙港に向かう。


「よう、東雲。今回もあんたと一緒に仕事(ビズ)がやれて嬉しいよ」


「呉、セイレム。今回もよろしく頼むぜ。HOWTechとしちゃ、蚊帳の外に置かれているのが気に入らないって話らしいが」


「ああ。HOWTechはオランダに関与してない。オランダに産業用ナノマシンを必要とする製造業が存在しないからだ。今のオランダはIT産業とロジスティクスだけで食ってる。あちこちの六大多国籍企業に依存した結果」


「で、HOWTechもPerseph-Oneが欲しい?」


「みたいだな。脅威になり得るアイスブレイカーだと聞いてる。HOWTechが末席でも六大多国籍企業である以上、マトリクスで攻撃される可能性は常にある」


 東雲に呉がそう経緯を説明した。


「そういう事情なら利害は一致か。俺たちでPerseph-Oneを強奪(スナッチ)して、データをコピーしてそれぞれが持ち帰る。HOWTechが友好的で助かる」


「HOWTechは争いをあまり好まんからな。退屈な会社だ」


 東雲が言うのにセイレムがぼやいた。


「いいじゃねえか。こっちなんてジェーン・ドウからこき使われて散々だぜ。王蘭玲先生とデートもできないし」


「猫耳の女医か。あれから進展はあったのか?」


「デートした」


「それぐらい学生でもやるだろ。それ以上のことだよ」


 呉が分かってるだろというようにそう言う。


「あんたとセイレムはどうなんだよ? 付き合ってんだろ?」


「ああ。健全な男女の営みをやってるぜ。夜は羽目を外すがな」


「けっ。自分を斬り殺そうとした女とよく寝れるな」


 呉が不敵な笑みを浮かべると東雲が悪態を吐く。


「はい、そこ。青春盛りの学生みたいなお喋りしてないで仕事(ビズ)の話をしなよ。私たちはもう青春を謳歌することが許された年齢じゃないんだから」


「あいよ。これが目標(ターゲット)の情報だ」


 ベリアが注意し、東雲が呉とセイレムの端末に“キック・ザ・バリケード”のハッカーたちの情報を送信した。


「確認した。こっちのジョン・ドウが渡してきたデータと差異はない。相手は素人だが抜からずやろうぜ、兄弟」


「もちろん。帰ったらデートの約束してるからな」


「露骨に死亡フラグたてやがって」


 東雲は呉に呆れられながらもオランダ行きの便の搭乗手続きに進んだ。


……………………

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