騒乱の兆候
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──騒乱の兆候
カナダ──ブリティッシュコロンビア州。
そこにはカナダに本社機能を有するメティス・バイオテクノロジーのAIに関する研究所があった。今はあの世界を恐怖に叩き落とした白鯨を研究している白鯨派閥が占拠している研究所が。
『少佐。ベータ・セキュリティの全部隊がこちらに付きました。特殊執行部隊も。いつでもやれます』
「了解した。全部隊は研究所を包囲。全ての抵抗を排除し、指定された目標を確実に排除しろ。以上」
その研究所をメティスにおいて最終的に主導権を握った反白鯨派閥が動員したベータ・セキュリティの襲撃部隊が包囲していた。
『本部より全部隊。作戦行動開始。繰り返す。作戦行動開始』
ベータ・セキュリティの重武装のコントラクターたちが動き出す。
『エセックス・ゼロ・ワンより本部。接敵した。事前の情報通りだ。サンドストーム・タクティカルのコントラクターたちがいる』
「本部よりエセックス・ゼロ・ワン。了解。排除しろ」
司令部から隷下部隊に命令が下される。
「サンドストーム・タクティカル。イスラエル国防軍の亡霊どもめ。よりによって白鯨派閥に付くとは。面倒なことをしてくれる」
襲撃を指揮しているベータ・セキュリティの指揮官がそう呟く。
『アイスバーグ・ゼロ・ワンよりHQ! 敵の抵抗が激しい! 近接航空支援を要請する!』
「本部よりアイスバーグ・ゼロ・ワン。上空支援機のコールサインはトライデント・ゼロ・ワンからトライデント・ゼロ・シックス。リンクを使って呼び出せ」
『アイスバーグ・ゼロ・ワンより本部! 了解!』
上空を飛行する無人攻撃ヘリが研究施設に接近する。
そこで地対空ミサイルが無人攻撃ヘリに向けて飛来した。無人攻撃ヘリが被弾し、バランスを崩して墜落していく。
『敵はMANPADSを所持。警戒せよ』
無人攻撃ヘリを狙って地対空ミサイルが次々に放たれてくる。
『シルバー・シェパードより全部隊。研究者は全員輸送機に乗り込んだ。撤退を始める。指定された地点まで遅滞戦闘を行いつつ後退せよ』
そこでベータ・セキュリティが戦っているサンドストーム・タクティカルという民間軍事会社の無線が流れる。
『エセックス・ゼロ・ワンより本部。敵が後退している。追撃するか?』
『本部よりエセックス・ゼロ・ワン。追撃せよ』
強化外骨格を装備したベータ・セキュリティのコントラクターたちがアーマードスーツを盾にして突撃していく。
『気を付けろ! 敵は対物電磁狙撃銃を持っているぞ! アーマードスーツが撃破された! 狙撃手に警戒!』
『畜生! 連中、対物電磁狙撃銃で生身の人間を撃ってくるぞ! このクソ野郎!』
『ルイス! 制圧射撃だ! 機関銃で制圧射撃を実施しろ!』
『狙撃手は対戦車ミサイルで潰せ!』
狙撃手から大口径弾で狙撃を受けるのにベータ・セキュリティの侵攻が遅れる。
『ドンキー・ゼロ・ワンより本部。ドローンからの映像だ。高速ティルトローター機が研究所から離陸しようとしている。攻撃するか?』
『本部よりドンキー・ゼロ・ワン。攻撃を許可する』
『ドンキー・ゼロ・ワンより本部。了解。ドローンの対戦車ミサイルで離陸前に撃墜する』
上空を飛行しているベータ・セキュリティの爆装したドローンから離陸準備に入ったティルトローター機に向けて対戦車ミサイルが発射された。
だが、そこで研究所に設置されていた防空システムが作動し、高出力のレーザー照射によって対戦車ミサイルが迎撃された。
『ドンキー・ゼロ・ワンより本部。撃墜に失敗。ティルトローター機が離脱していく。戦闘機による上空支援は?』
『本部よりドンキー・ゼロ・ワン。無人戦闘機2機が作戦空域に入った。引き続きティルトローター機を追跡せよ』
高速ティルトローター機は離陸すると同時に加速し、研究者とコントラクターたちを乗せて研究所から凄まじい速度で離脱していく。
『スプリット・ゼロ・ワンより本部。目標を捕捉した。これより撃墜する』
2機の無人戦闘機が作戦空域上空に飛来し、ティルトローター機が無人戦闘機にロックオンされた。
それから空対空ミサイルが発射される。
だが、ミサイルは高度な電子戦装備を有していたティルトローター機に命中せず、空中を駆け抜けていく。
『撃墜に失敗、撃墜に失敗』
『追跡して叩き落とせ!』
『敵のティルトローター機がアクティブステルス機能を使用した模様。レーダーから目標が消えた』
無人戦闘機のレーダーからティルトローター機が消えた。
『本部より全部隊。研究所を確保しろ。全てのデータを回収するように指示が出ている。エンジニアは研究所のマトリクスを掌握せよ』
『了解』
ベータ・セキュリティのコントラクターたちが研究所に入っていく。
『スプリット・ゼロ・ワンより本部! 極超音速で飛来する飛行物体をレーダーが捉えた! 恐らく巡航ミサイルだ!』
『本部より全部隊! 爆撃が来る! 遮蔽物に隠れろ!』
次の瞬間、研究所の上空で電子励起爆薬を弾頭にした巡航ミサイルが炸裂した。戦術核に匹敵する威力の爆発が生じ、研究所がベータ・セキュリティのコントラクターたちと一緒に吹き飛ばされた。
「ダガン少将閣下。予定通りに“レヴィアタン”が研究所を爆破しました」
「ご苦労。これでひとつ仕事は完了だ」
サンドストーム・タクティカルのコントラクターが報告するのに、ハイエンドワイヤレスサイバーデッキを装備し44口径のリボルバーを腰に下げた老齢の男性コントラクターがそう返す。
「このまま輸送機でハワイまで脱出し、次の目的地に向かう。カナダの防空識別圏を抜ければベータ・セキュリティの追手もついてこない。ハワイでの安全は別の部隊が確保している」
ダガンと呼ばれたユダヤ系のコントラクターがワイヤレスサイバーデッキでマトリクスに潜りながらそう命じていく。
「ハワイに向かった部隊より連絡です。ダニエル・K・イノウエ国際航空宇宙港での受け入れ準備完了とのこと。現地の民間軍事会社であるフラッグ・セキュリティ・サービスに反応はなし」
「順調だな。これでいいんだろう、エリアス・スティックス博士……」
通信兵が報告し、ダガンがティルトローター機の兵員室でベルトをつけて座っているドイツ系の大柄な白衣姿の男を見る。
「ああ。これでいい、将軍。我々はついにブレイクスルーをもたらしたのだ。ここで止まるわけにはいかない。白鯨は完成する。我々はこの人類社会を次のステージに移行させることができるのだ」
「ふん。私はAIごときで何かが変わるとは思えん。だが、これも仕事だ。我々は民間軍事会社のコントラクターとしてすべきことをする」
「君は技術的特異点は信じないかね……」
「馬鹿げた妄想だ。楽観主義が過ぎる」
「だが、それが起きるかもしれないのだ。確かにカーツワイルが完全に正しかったとは言わない。彼は過去の学者で、与えられていた情報がそう多くはなかった。だが、彼が目指した未来はいつかは実現するものだったのだ」
「クラークの三法則か?」
「そうだ。彼はSF作家であると同時に科学者だった。そして、我々も科学者だ」
「科学者、ね。大層な御身分のようだな、博士。我々イスラエルの民もかつては科学にて繁栄を手にしていた。だが、それはあっさりと失われた。そう、科学の産物である核兵器によってな」
核兵器の開発には多くのユダヤ人科学者が関わったとダガンは愚痴る。
「今や我らが故郷であるイスラエルの大地は国連平和維持軍という名の民間軍事会社のろくでなしどもがのさばり、パレスチナ人どもが我が物顔で歩き回る穢れた土地となった」
「将軍! 安心したまえ。君の願いも果たされるだろう。イスラエルとパレスチナの大地は両民族が共栄するミルクと蜜の流れる約束された土地となることだろう」
「期待せずに待っておこう。我々は所詮は亡霊だ。イスラエル国防軍という名の組織の亡霊だ。我々にはもう神の祝福はない。ただひたすら金のために殺しを続けるものたちに祝福などない」
ダガンは淡々とそう語った。
「閣下。カナダの防空識別圏を離脱しました」
「分かった。さて、次の仕事だ」
第六次中東戦争の末に崩壊したイスラエル国防軍の将兵で構成された民間軍事会社サンドストーム・タクティカルとメティスの白鯨派閥研究者を乗せたティルトローター機はハワイへと向かっていった。
場が転する。
TMCセクター13/6。
TMCという名の巨大都市における複雑なスラム街である薄汚れた土地に東雲たちは相変わらず暮らしていた。
「なあ、ベリア。資金洗浄の方はどうなってるんだ?」
最近はジェーン・ドウに呼び出されることが減った東雲が古いマンガを片手にベリアにそう尋ねた。
「んー。それなりに進んでるよ」
「なんかやる気なくないか?」
「失礼だね。こっちはリスクを冒してお金を動かしているんだよ? 資金洗浄ってのは今日日のご時世すごぶる面倒なことなんだ。不審な資金の流れがあれば、国税庁から業務委託を受けてる大井が動くし」
「国税庁は面倒くさそうだな。俺、税金払ったことないけど」
「君の収入は申告できるものじゃないからね。それに私たちは税金を払っても受け取るのは大井統合安全保障の鉛玉ぐらいだよ」
「世知辛い」
東雲が盛大にため息を吐いた。
「それに君はどうしてそんなに資金洗浄を急いでるの? 別に急ぐことじゃないでしょ? 今からすぐにジェーン・ドウに使い捨てにされるわけじゃないしさ」
ベリアが化学合成で出来たコーヒーを飲みながらそう言う。
「それがな。明後日王蘭玲先生とデートするんだ」
「へえ。おめでとう。意外と脈があったんだね」
「うん。俺も驚いてるけど。このまま上手くいけば王蘭玲先生と結婚できるんじゃないかなって思ってるわけだよ」
「いいじゃん。結婚しなよ。私が仲人してあげようか?」
「待て待て。ここがどこか考えてみろよ。セクター13/6だぞ? 俺はここに先生にそのまま暮らしてもらいたくない。それにさ、子供だってできるかもしれないんだぞ?」
ベリアが軽い調子で言うのに東雲が眉を歪めた。
「だから、シンガポールとかにさっさと逃げたいの? 確かにセクター13/6は子供の教育には悪いだろうけどね。けど、シンガポールで社会に通じる教育を受けさせるのも大変だよ。シンガポールは安定してるからね」
求められるハードルは高いし、経歴に傷は許されないとベリアが言う。
「だが、セクター13/6よりマシだろ? 俺は先生にも先生との子供にもこんな街で育ってもらいたくない」
「はいはい。まずはプロポーズしなよ。猫耳先生は遊んでいるだけかもよ」
「先生はそんなのじゃない」
「どうだろうね」
ベリアがにやりと笑った。
「とりあえず、デートを楽しんできたら? いいデートスポットを探しておいてあげようか?」
「お願いしようかね。セクター一桁台のお洒落なスポットがいい。先生を流石に秋葉には連れていけないからな。もっとお洒落で、大人なデートスポットがいい」
「分かった。いいところ探しておいてあげる。それから着替えを準備しておきなよ。猫耳先生とデート中に大井統合安全保障に職質されるなんて情けないことは嫌でしょう?」
「前に仕事で使った高級スーツじゃダメかな?」
「それだと向こうも気を使うからある程度カジュアルなスタイルにした方がいいよ。ブランド物のスーツは着崩すのには向いてないから、今からセクター一桁台で買ってきたら? どうせ暇でしょ?」
「仕事がないのはいい便りってな。世の中、非合法傭兵が暇してるぐらい平和なのがいいぜ。じゃあ、買ってくる」
「行ってらっしゃい」
東雲は軽い足取りでアパートの外に出て、ベリアはそれを見送った。
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