外伝・イミテーション(八)
翌朝、何となく目が覚めてシャワーを浴びて出てくると、コーヒーの香りが漂っている。
どうやら弘美が来ているようだ。いつもより急いでバスローブを羽織って居間へ行く。
「おはようございます」
「おはよう」
いつもの明るい声に和まされ、ダイニングに置かれたコーヒーカップを手に取った。
そしてキッチンで何やら用意している弘美に声を掛けた。
「お袋、どう?」
一瞬、黙ったまま顔を上げた弘美だったが、手にしていたものを皿に乗せると微笑んだ。そして、それをトレーに乗せる。
「弘美ちゃん?」
返事がないので少し不安になってもう一度訊ねようとした時、弘美がトレーを持って現れた。
「大丈夫ですよ、ご心配なさらなくても。どうぞ」
言いながら皿をダイニングテーブルに置いた。
「パイ・・・か」
「昨日はハロウィンですから、パンプキンパイですよ。どうぞ冷めない内に召し上がってください」
昨夜は遅くまで飲んでいたせいもあり、何となく食欲も今ひとつない。が、毎年10月31日か、その翌日に、パンプキンパイを食べるのが習慣になっていたせいで無意識にダイニングテーブルについていた。
「あんまし、食う気しないけど・・・」
言いながらフォークを取って、一口、口に入れた。
「ねぇ、弘美ちゃん、いつも気になってたけど、これって、弘美ちゃんが作ってんの?」
「え?」
「なわけないか。弘美ちゃんが来る前からこの味だもんな。けど、毎年違うとこに居んのに同じ味って、光月家に伝わるレシピでもあんのか?」
初めて気になって独り言のように言っていた。
幼い頃から海外を転々と独りで過ごしていたが、毎年毎年、ハロウィンの時には同じ味のパンプキンパイを食べている。毎年、使用人も変わっていたが、それ程料理の味など気にした事などない。ただ、出されたものを一人で黙って食べていただけだ。
「お嬢様、それ、奥様がお作りになったんですよ」
「え?」
意外な弘美の言葉に思わずフォークを置いてしまった。
「一昨日、朝からお仕度なさって、お買い物からお帰りになってから焼いたんです。今年はお時間がないから上手に出来ないかも、なんておっしゃっていましたけど、お嬢様が何もおっしゃらないのなら、きっと上手く出来たんですね。それに、静岡にいらした時も、私が奥様からお預かりしていたんですよ」
少し懐かしそうに目を細めた弘美を見つめた。
知らなかった・・・
「それに、私が来る以前から恒例のようでしたからね」
「え?」
「ハロウィンのパンプキンパイだけは、いつも奥様がお作りになられていたみたいです。以前、杉乃さんからお聞きした話ですけど、毎年誰かがそれを海外にいらっしゃるお嬢様にお届けしていたようですよ。ご存知なかったですか?」
微笑みながら言う弘美と目が合って、思わず俯いてしまった。
何も知らなかった
ただ、毎年テーブルに出されていたものを黙って食べていただけだ。
その時の状況など覚えていない。それに、誰が何を作っていたのかも気にも留めていなかった。毎年違う国で、違う使用人が作っていたものを黙って一人で食べていただけだった。
ただ、ハロウィンのパンプキンパイだけは毎年同じ味だったのを覚えている。
しかし、ハロウィンなどお祝いした事などない。近所の他の子供達は仮装して他の家を回っていたが、司はいつも一人だった。ただ、そんな子供のお祭りなどには見向きもしなかった。ましてや見ようとすらしなかった。
「そう、だったんだ・・・」
初めて知った母の味だった。
司は再びフォークを取ると、毎年食べていた聖子が作ってくれたパンプキンパイを口に入れた。
ふわっと甘いかぼちゃの味が口いっぱいに広がる。
『冷めない内にお食べ下さいね』
これが使用人の口癖だった。きっとこれも聖子から言付かったのだろう。
『冷めない内に食べてね、司くん』
どこかから聖子の声が聴こえて来そうな気がした。
今日も一人でダイニングテーブルについて、食べていたが、何故か今は一人ではない気がして、思わず頬が緩んだ。
「やっぱり、美味しいな」
「良かったですね」
弘美は目を細めて司に返事をすると、キッチンへ戻って行った。
数日後、弘美は紙袋を手に、聖子の病室を訪れた。
「奥様、お加減はいかがですか?」
「弘美さん、いつもありがとう。だいぶいいわ。早くお家に帰りたいくらいよ」
ベッドの上で、体を起こし、読んでいた本から顔を上げると笑みを浮かべた。
「これ、お嬢様から預かって来ました」
持っていた紙袋から包みを出すと、聖子に差し出す。
「まぁ、司くんから? 何かしらね」
受け取って見ると、デパートのシールが貼ってある。
「何かしらね? 聞いてる?」
「いいえ」
弘美に聞きながら包みを開けると、グレーの宝石箱が出て来た。
それを開けた瞬間、目を見開いた。
「まぁっ」
それは真珠のついたブローチだった。
以前、司と買い物に行った時、司が興味なさそうにした事に腹を立てた聖子が諦めた、リーフの形をしたダイヤと真珠で飾られたブローチだったのだ。
そして、包みを開けた時に差し込んであった小さな封筒を開く。
中に入っていた小さなカードを読んだ時、聖子はにっこり微笑んだ。
『 I Love you,Mom 』
〈完〉
これで連載を終了します。長い間、読んでくださり、本当にありがとうございました。




