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外伝・出逢い(五)

出逢い(五)


 それから司は三日間入院し、その後は東京の自宅で静養していた。

亮がいなくなってから、初めて土日以外の日を自宅で過ごすような気がした。

一人の部屋は余りにも広すぎる。

時折、入口を見つめては、亮が入って来るのではないかと淡い期待を抱いていた。

しかしそれも虚しく、入って来るのは乳母の杉乃か、使用人の弘美だけだった。

彼女等が嫌いな訳ではない。

むしろこの家に居る時には、この二人だけが頼りだと言ってもいい、がしかし、顔を出すたびに何故かがっかりしていた。

 やはり、亮ではなかった。


「お嬢様、須賀様からお電話入ってますが」

弘美が顔を出す。

 須賀?

聞き覚えのない名前だったが、受話器を取ると、耳がくすぐったくなるような優しい温もりのある声に思わず微笑んだ。

「秀也」

「具合どう?」

「うん、いいよ。ありがとう」

「明日のライブは大丈夫そう? もし辛いなら無理するなよ」

口先だけでなく心底心配してくれているのが、電話越に伝わって来る。

「大丈夫。一週間も休んだんだ。もう、何ともないよ。傷も痛くないし。明日はやるよ」

「そっか、良かった。じゃ、明日迎えに行くよ」

「うん」

「それじゃ、おやすみ」

それだけで電話を切ろうとした。

「ねぇ、秀也」

「ん?」

「明日、大学は?」

「午前中だけあるけど」

「なら、お昼一緒に食べよ」

「いいけど」

「じゃ、授業終わる頃、校門のとこで待ってる」

「あ・・うん」

「じゃ、おやすみ」

「おやすみ」

最後の秀也の言葉を聴いてから電話を切ると、いつになく胸がドキドキしている。

早目に床に就いたが、なかなか寝付けない。

寝返りばかり打っていたが、それもいつの間にか心地の好い眠りに陥っていた。


 翌朝、シャワーを浴びていつものようにバスローブを脱ぎ捨て着替えようとした時、ふと鏡に映った自分の姿を見て、何となく恥じらいを感じると、いつもは着ないキャミソールタイプのタンクトップを着るとジーンズを穿いた。

いつものようにステージ用の衣装をバッグに詰め込むと、サイドボードの上の亮の写真に今日は微笑んだだけで、何も言わず出かけた。

 人を待つ事と待たされる事の大嫌いな司だったが、校門に寄り掛かって15分は立っているだろうか。 

時を告げる鐘の音が聞こえ、校舎の時計を見上げると、ちょうど12時だ。

 まだかなぁ と、覗き込むと校舎の方から、ぞくぞくと学生達が出て来る。

司の目の前を大勢の学生達が通り過ぎて行く。

すらっと背が高く華奢な感じのする司は、どちらかと言えば顔立ちも綺麗で整っている。

これが男なら間違いなく何処かのモデルなのだろう。

通り過ぎて行く女子学生達は、視線を司に向けたまま歩いていた。

「ごめんっ、待たせたなっ」

ようやく秀也が走って来た。

アイロンのかかった白いシャツにジーンズを穿いた秀也は、肩に赤いカーディガンを掛けている。

手にはベルトで閉じられたノートと辞書を持っていた。

どこからどう見ても、大学生だった。

「何か、今日の司って、女の子みたいだな」

くすっと笑われて、えっ、と自分の格好を見る。

淡いピンクのパーカーに白いGジャンを羽織った司は、今朝、タンスの引き出しの奥から引っ張り出したピンクのパーカーに、思わず目を細めた事を思い出してドキッとした。

ロンドンに居た時、亮に買ってもらったものだったが、余りにも女の子っぽくて、一度も着た事がなかった。

「みたい、じゃなくて、女の子だもんな、司は」

もう一度くすっと笑って、司の手にしていたバッグを手に取ると肩に担いだ。

「殺されたい?」

思わずムッとしたように言い返したが、内心嬉しくなっていた。

「ははっ、そりゃ勘弁。でも、よく似合ってるよ」

目を細めて司を促して歩き出そうとした時、

「須賀くーんっ」

と、女性の呼ぶ声がして振り向くと、秀也と同じような格好をした髪の長い女性が一人走って来て、二人の前で立ち止まり、一枚のプリント用紙を秀也の目の前にぶら下げた。

「これ、レポートのテーマ。先生が分ける前に帰っちゃうんだもん。これないと出来ないわよ」

「ああ、サンキュ。忘れてた、助かったよ」

「じゃあ、来週の月曜のお昼、おごってね」

「はいはい」

呆れたような二つ返事だったが、にこやかに笑っている。

こんなにも優しい表情で笑う秀也を見た事がないだけに、司は少し戸惑って俯いてしまった。

「あれ? 彼女?」

「違うよ、司は」

「ごめんなさい、弟さんだったんだ。でも、随分可愛らしいのね。もしかしてモデル? お兄さんとは大違いねっ」

「そんなんじゃないって。とにかく助かったよ。司、行こ。じゃね」

今度こそ司の背を押して歩き出した秀也は、さっきから黙って俯いている司の顔を覗き込んだ。

「今の誰?」

Gジャンのポケットに両手を突っ込んだまま、ぼそっと訊いた。

「ああ、陽子? ゼミが一緒なんだよ。どうでもいいレポートなんか殆んどあいつのコピーさせてもらってるよ」

「ふーん、・・・、お前の彼女なの?」

「だったらいいんだけどねぇ。陽子はダチの彼女だよ。ったく、羨ましい」

苦笑する秀也にどうでも良かったが、内心穏やかではないもう一人の自分に戸惑っていた。

 駅の近くに新しく出来たパスタ専門の店に入った二人が辺りを見渡すと、同じような学生達ばかりだった。

一人の女子学生と目が合うと、彼女は秀也を見てペコリと頭を下げた。

それに対して秀也も優しく微笑んで、軽く手を上げて応えていた。

「今の誰?」

「ん? サークルの後輩。たまーにしか行かないんだけど、コンパには必ず行ってるよ。可愛い子いないかなぁ、なんてね」

「秀也は、付き合ってる子っていないの?」

「いないよ、今は」

その言葉に安心していいものか悪いものか戸惑った挙句、タバコに火を付けていた。

「晃一にでも紹介してもらおうかなぁ・・・」

「そうすれば。アイツなら手当たり次第誰でも紹介してくれるだろ。テキトーに付き合ってみればいいじゃん」

晃一に連れられ、よく合コンに顔を出していた司はつまらなそうに言いながらタバコを吸うと、天井に向かって煙を吐いた。

「俺はテキトーはやだな」

 え?

意外な言葉に思わず秀也を見つめる。

「そんなに驚いた顔しなくてもいいだろ。 好きになった子ならいい、ってそれだけだよ」

笑いながらタバコを一本抜いて、テーブルにあった司のライターで火を付けた。


 二人がライブハウスに着いた時には、既に皆来ており、スタッフと打ち合わせをしていた。

「お、来た来た。司、大丈夫かぁ?」

タバコを口にくわえながら晃一が言うと、皆が手を止めて二人に注目する。

「問題ないよ」

Gジャンのポケットに手を入れながらステージの方へ歩いて行き、照明を浴びた。

「今日は随分と可愛い服、着てんじゃない」

ナオに言われ、ふんっと、顔を背けると祐一郎と目が合った。

「珍しいね。司がそんなに明るい色の服着んの、っていうか、久しぶりじゃない」

目を細めた祐一郎は、次に言おうとした言葉を呑み込んだ。

 『亮がいた時以来だ』

亮が生きている間には白っぽい服が多かったが、亮が死んでからは黒っぽい服ばかりだった。

「うるさいなぁ。何着ようが勝手だろ。着替えて来るっ」

ツンっと、上を向くと楽屋へ入って行く。

秀也は、自分がバッグを持っている事に気付くと慌てて後を追った。

 扉を開けると、ちょうどGジャンを脱いで椅子に投げ付けたところだった。

テーブルの上にバッグを置くと、ピンクのパーカーを脱いでバッグの横に置き、中から黒いシャツを取り出した。

白いタンクトップを着た司の肩から伸びる腕は、やはり細い。

かがんだ時に見えた鎖骨が更に華奢な感じを思わせ、秀也は思わずドキッとして司を見つめていた。

秀也の視線に気が付いて、顔を上げると一瞬目が合ったが、すぐ逸らすと急いでシャツを着た。

秀也も慌てたように視線を逸らすと、自分も白いシャツを脱いで持って来たバッグから黒いシャツを出して着替えた。

 秀也の上半身を見た時、この上なくドキッとして心臓が止まるかと思った。

男の裸は見慣れている筈だった。

他のメンバーにはライブの後、興奮してそのままふざけて抱きついていた位だ。

皆もそれはよくある事だったし、普通の事だったので別に気にはしていなかった。

 なのに、何故だろう。

これ以上、まともに秀也の着替えを見る事が出来ないでいた。

が、このまま出て行く訳にも行かない。自分もまだ着替えの途中だった。

ズボンを脱ごうかどうしようか迷った。

「向方、向いてるから早く着替えてくれ」

たまらず口にしたのは秀也だった。

「う、うん」

背を向けた秀也に戸惑いを感じながらも、急いでジーンズを脱ぐと、黒い皮のパンツに穿き替えた。

「いいよ」

ホッとしたようにファスナーを上げベルトを締めると、秀也もホッとしたように着替え終わっていた。


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