第十六章・DEAD OR ALIVE 『Ⅰ・模索』(一)
自分の為に生きること、それを考え始めた司が最初にした事は・・。
司が杉乃の死から立ち直るのにはそう長くはかからなかった。かと言ってさすがに葬儀の翌日の仕事はキャンセルしたが。
杉乃の容態か急変したのは、杉乃が誘拐されて解放された翌日の事だったという。
自分のせいで彼等にああまでさせてしまい、その結果がこれだった。
悔やんでも悔やみ切れない。
自分を責め続けたがどうしようもない。
ただ、やるべき事は一つだった。
自分の為に生きる事
時間の許す限りそうするしかない。それが杉乃への供養でもあり、自分自身が『死』を受け入れる事だった。
そう思った時、ペンとギターを手にしていた。
「司さんって、おばあちゃん子だったんですね。俺もそうだったから解るな、司さんの気持ち」
透が気の毒そうに言う。
「あの杉乃さんの事? 確かばあやとか言ってなかった?」
宮内が思い出したようにカップから顔を上げた。
「ばあやか。ねぇ紀伊也さん、杉乃さんってどんな方だったんですか?」
窓に寄り掛かりながらコーヒーを飲んでいる紀伊也に訊く。
「ん・・・、優しい方だったよ。とても」
カップの中のコーヒーを見つめながら呟くように答えた。
幼い頃、光月家を訪れると必ず杉乃に、『紀伊也坊ちゃん、いつもお嬢様をありがとうございます』そう笑顔で言われていた。次には必ず自分の体を気遣ってくれていた。その笑顔は、紀伊也をも見守るような優しい温もりのある笑みだった。
時が経っても同じ事を言われ、いつも無表情で冷たい眼差しをしていた紀伊也も、何故か杉乃には和まされた。
時に司が羨ましく思った事もあった。こんなにも優しく温かい人が近くに居てくれる事に、我が一条家には果たしていただろうか。思わず比べてしまう程だった。
ただ、紀伊也には常に心配をかけていたと思われる人物が家の中にはいた。 母親の存在だ。 何故「思われる」なのかは、自分でそれが定かであるのかはっきりと分からないでいたからだ。 というより、係わりあいたくなかったというべきだろうか。今になって思えばそう思う事が出来る。
「司は杉乃さんに育てられたようなものさ」
透と宮内が一斉に振り返る。
「司の母親は、司が生まれてすぐに亡くなっているからな。杉乃さんが母親代わりだったんだ」
紀伊也が遠くを見るように窓の外に目をやると、二人共黙って俯いてしまった。
「だからその話は、司の前ではするな」
窘めるように二人に言うと、コーヒーを飲んだ。
「ああっ、紀伊也、おはようっ。これ読んだか?」
チャーリーが一冊の雑誌を手に慌てたようにやって来ると、それを差し出した。
「何、これ?」
それは、とある経済誌だった。紀伊也も仕事柄そういった類の雑誌はよく読むが、それは今日発売されたばかりで、まだ手にしていなかったものだ。
「ああ、それ見ましたよ。そう言えばそれに紀伊也さんのお父さんのインタビュー出てますよね」
透が感嘆の声を上げる。
「知ったようなフリするなよ。お前だってさっき見たばかりだろ。しかもさっきまで何も知らなかったクセに」
宮内にチャカされ、透はヘヘっと、頭をかいて首をすくませた。
「親父?」
片手を雑誌につけたままカップから顔を上げ、目の前のチャーリーと透を交互に見る。
「一条グループの会長って、紀伊也のお父さんだろ?」
幾分興奮したようにチャーリーが言うと、
「すっげぇよな、やっぱ紀伊也さんって住む世界違うよな。行く行くは社長でしょ?」
透も興奮気味に言うと、ソファの背にもたれ大仰しく足を組んだ。
「お前、態度でかいよ。社長になるのは紀伊也さんなんだから」
宮内が呆れたように窘める。
「それ、どういう事?」
「あっれぇ、紀伊也さん知らないんですか? ホラ、今度の株主総会で一条コーポレーションの社長に紀伊也さんのお兄さんが就くんですよね。そしたらいずれは紀伊也さんにもグループの経営陣に加わってもらう、みたいな事言ってましたよ」
「誰が?」
「え? その雑誌に書いてありますよ。それに司さんも言ってましたから」
「司が?」
「ええ、一条家の中で一番頭がいいのは紀伊也さんだから、その学歴と知識生かして経営陣に加わるのは当然だろうって。ただ、社長に就くにはお兄さんが二人もいるから無理だろうけど、子会社の社長位にはなれるんじゃないのって」
「かっこいいよなぁ。 でも、なーんでミュージシャンなんかやってんですかねぇ」
宮内は透の説明に再び感心すると、先程司に言った事と同じ事を言った。
「キャハハ・・・、宮さん、それ二回目。でも俺も言っちゃお。司さんとデキが違いすぎっスよね」
「お前がそんな事言うから、司さん怒って行っちゃったんだろが」
笑い転げている透に宮内とチャーリーは睨んだ。
チャーリーは、他のスタッフに呼ばれデスクに戻ると電話に出たが、すぐに戻って来た。
「早速取材だよ。その記事についてコメントが欲しいって」
「ノーコメントだっ。透っ、司はっ!?」
「あ・・・、スタジオに・・・」
今度は紀伊也までも怒らせてしまったようで、思わず首をすくめると、バツが悪そうに答えた。
まったく、余計な事を!
コーヒーカップを乱暴に置くと、足早に出て行った。
******
『紀伊也には未来がある。死んで行く者に用はない』
『なーんで、ミュージシャンなんか・・・』
智成の言葉と、宮内の冗談めいた言葉が耳の奥でこだまする。
今の自分にはこのまま紀伊也が必要だったが、その先の事を考えると、やはりやり切れなくなる。
今は何も考えずに傍に居てくれ、と紀伊也には言ったが、自分の方が考えてしまっている事に情けなくなると溜息をついた。
椅子に腰掛け、ギターを抱えてはいたが、指を動かす訳でもなく、抱えたまま足の先を見つめていた。
ドアが開かれ、見上げると紀伊也が立っていた。
「司、ごめん。あれは単なる当てつけだ。だから」
「紀伊也、お前の親父さんがお前の事を考えるのは当然の事だ。別に気にしちゃいない」
「でも、あれは言い過ぎだ、いくら何でもっ・・・」
「どうかな。経営者として会社の存続を考えたら当然のコメントだろ。まぁ親のエゴだと言えばそれまでだが。けど、別に紀伊也の名前が出ている訳じゃない」
「けど、誰が見たって・・・。現に取材まで来てるっ」
「別にいいじゃねぇか、そんな事。親父さんの発言で一々目くじら立ててたら身が持たねぇぞ」
「そりゃ、そうだけど・・・」
「それに ・・・、自分の息子の将来を心配するのは親としては当然だ。うちもそうだし・・」
「え?」
「いや、何でもない。とにかく、自分の子供が親の自分より先に死ぬなんて考えられねぇだろ」
そう言うと、俯いて目を閉じた。
智成の刺すような言葉はとても耐え難い事だったが、冷静に考えればもっともな事だった。
余りにも当り前すぎて、それに対して受け入れ難い事だと思ってしまう自分の方がどうかしている。
「司、お前何を考えている?」
言ったきり、黙って考え込むように俯いてしまった司に不安を覚えた。
まさか、受けた指令を実行しようというのだろうか。
「俺の事・・・、封印する気か・・・?」
その言葉に目を開けると、無表情な瞳で紀伊也を見上げた。
「指令は受けた。だが実行するのはお前の意志一つ」
「ならば簡単だ。封印はするな」
即座に応える紀伊也に一つため息をついた。
「もう一度、よく考えてみる事だな。 オレの為じゃない。 自分自身の事だ。 オレの為じゃなく、自分自身の為に生きる事をもう一度考えてみろ。 答を出すのはそれからでも遅くはない。 お前が本当に納得するまでオレは待つさ」
「でも、時間が・・・」
「時間ならたっぷりあるさ。心配するな。ばあやがそう言ってたから」
杉乃の言葉を思い出すと、フッと微笑んだ。
確かに紀伊也に会った時、時間はまだまだあるように思えた。 あんなに焦っていた自分が可笑しいくらいだった。
今もそうだ。こんなにもゆっくりと時が流れているように感じるのは何故だろう。明日にでも死んでしまうと思っていた事が、まるで嘘のようだった。
「杉乃さんが?」
「ああ、お前に会えば時間がある事が分かるって言われたよ。オレはばあやを信じる。だからオレはオレの為に生きる。だからお前はお前の為に生きてくれ」
真っ直ぐに紀伊也を見つめたまま言うと、すぐに視線を反らしギターに指を滑らせた。
優しいポップテンポなバラードの曲が出来た。




