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第十四章・選択(五の2)


「ただいまぁ」

玄関のドアを開けると、当り前のように言って靴を脱いで、居間へ入った。

「お帰り。コーヒー入ったよ」

コーヒーの入ったカップを二つ手にした紀伊也が台所から出て来ると、一つを司に差し出す。

「サンキュ」

いつものようにちらっと視線を送って受け取ると、ソファにもたれた。

「はぁ、疲れた」

一息つくと、カップに口をつける。

「んー、やっぱ紀伊也の淹れたコーヒーは美味うまいなぁ」

一口飲んで安心したように紀伊也に微笑んだ。

「そりゃ、どうも」

苦笑すると、司の隣に腰掛けた。

「まさか、ドタキャンされるとは思ってもみなかったよ。ちょっとショックだったな」

ちらっと横目で紀伊也を見ると、首をすくめた。

「ごめん・・・。でもまさかお前がいるとは思わなかったし・・・、それに」

「彼女から聞いたろ? オレの伝言」

「ああ」

紀伊也は頷くと、視線をそらせた。


『あの人が女の人だったなんて思いも寄らなかったわ。それに彼女があなたの大切な人だったなんて・・・』

キャロラインの驚いた顔は忘れられない。それに、何故か半分呆れたように怒っているようにも見えた。

『傷ついたあなたを私に任せて何処へ行こうっていうのかしらね。あの人、あなたの事何とも思っていないわよ』

そう言って溜息をついた。

『何か他に言ってなかった?』

『そう言えば、伝えといてくれって言われたわ』

『何て?』

『スケジュール通りだって。何なのかしらね』


「まーったく、スケジュール通りにオレは間に合わせたのに、着いたら紀伊也来てないし、参ったよ」

半分(ふく)れながら言うと、コーヒーを飲んだ。

「ごめん」

「もういいよ。それよりさ」

司は急に思い出したようにソファから背を離し、身をよじって紀伊也に向くと、

「今度、オレにおいっ子かめいっ子が出来るんだ」

と嬉しそうに言った。

司が子供の話をするのは初めてだ。

「え? 真一さんとこ? 四人目?」

カップに口を付けながら特に興味を抱く素振りもなく訊く。

「違うよ。翔兄さん」

「えっ?」

思わず吹き出しそうになり、慌ててカップから顔を上げた。

 翔は確かまだ独り身の筈だ。もう40歳になるが、仕事柄家に帰らぬ事が多く、またいつ命を落すかも分からない事から結婚はしていなかった。

「だって、結婚・・」

「まぁ、いいじゃないの。年も年なんだし、そんな形式的なもの後だって」

「まぁ、ね。・・・、で、相手の方はどんな人なの? まぁ、翔さんの事だからきっと美人なフランス人でも連れて来るんじゃないのかな・・」

紀伊也の言葉を黙って聞きながらコーヒーを飲んだ。

「そ、だね。美人と言えば美人だし、フランス人と言えば、フランス人だな」

司がカップから顔を上げて紀伊也を見ると、

「会った事あるの?」

と、紀伊也はカップに口を付けながら聞き返して視線を司に向けると、司は黙って頷いた。

「ユリア」


 ブっ!


その瞬間紀伊也の口からコーヒーが飛び散り、思い切り司の顔面にかかった。

「ちょっとっ! 何すんだよ、汚ねェなぁ」

余りの紀伊也の驚きように、司も笑いをこらえるのに必死だ。

洋服の袖で顔を拭きながらこらえていたが、とうとうこらえきれずに吹き出してしまった。

「はっはっはっ・・・、紀伊也、驚きすぎだよ・・・」

「そりゃ驚くよ。でもまさか・・・、冗談だろ? ・・・、ねェ、冗談なの?」

司の笑い方に紀伊也もふと疑問を抱く。

「冗談でこんな事言えるかよ。本当だよ。あのユリアがオレの義姉貴になるんだぜ。しかも、母親だってさ。オレだって最初はぶったまげたよ。しかもオレに隠してたんだもんな、ひどいよ」

言いながら思い出したように脹れた。


 ******


 翔の腕の中で気を失うように眠ってしまってから目が覚めると、居間の方に人の気配を感じて起き上がり、そっと近づいた。

ドアを開けると、驚いたかのようにソファに座っていた三人が、一斉にこちらを見る。

その内の一人と目が合った。

「司、もういいのか?」

「え、あ、うん」

ほとんど会った事のない一番上の兄の真一だった。

光月家の特徴なのだろうか、すっと通った鼻筋に少し細く尖った顎に少し鋭い目付き、しかし年の功だろうか、落ち着いた紳士的な男性だった。

並んでいると、翔が少しやんちゃに見えた。

翔と真一は5つ年が離れているので、司とは15歳も年が離れる事になる。三人集まると、やはり司は末っ子だった。

「Rと翔から事情は聞いたよ。すまなかった・・・ありがとう」


 え?


初めて聞いた真一からのねぎらいの言葉に少し戸惑った。

「ツカサ、こっちへ来て座ったら。立っていて平気なの? 3日も眠ったままだったのよ」

近づいて来たユリアが一瞬自分の下腹に手を当て、司の肩を抱いて促した。

促されるままユリアの隣に腰掛けた司は、生きている真一を見つめた。

自分が命を懸けてでも守るとRに誓った真一が目の前にいるのだ。

「良かった、生きてて」

思わず呟くと、ホッと胸を撫で下ろしてソファの背にもたれた。

自分の選択は間違ってはいなかった。

「お前の事、聞いたよ・・・」

「その話はもういいよ。仕方のない事だ。それに今更言っても始まらない」

「・・・、覚悟は出来ているんだな」

諦めたように言う司に、真一はやるせなさを感じてしまった。

「覚悟? んなもん最初からねぇよ。オレは今まで生きて来られただけでもありがたいと思ってるよ。今更・・・、もういいだろ」

自分を捨て駒のように扱って来た兄を目の前に、今更何を考えろと言うのだろうか。

少し苛立ってタバコを探そうと、ポケットに手を突っ込んだ時、何か紙らしきものに手が触れた。


 兄ちゃん・・・


一瞬目を閉じるとその紙を握り締めた。

この二人もまた自分の運命に逆らえず苦しんでいたのだという亮の言葉を思い出した。

「司? まだ具合悪いんじゃ・・・」

目を閉じて少し表情のこわばった司に、真一が心配そうに訊く。

この妹は自分の命を削ってでも、自分を守ってくれたのだ。

 Rに初めて司は自分の子だと言われた時、真一の中で長年わだかまっていたものが、何なのであったかが解り、それがまた解き放たれて行くのを感じた。

司は能力者という特殊な人間であっても、実は血を分けた兄妹であった事、指令の為に使って来た司も、実は見えない絆で結ばれている家族であった事。

そして、亮が司を守って死んでいった事に、改めて悔やまれる思いだった。

亮は、司を血を分けた兄妹として、自分達から守るために死んでいったのだと、翔から聞かされた時、初めて兄弟と話しをした気がした。同じ屋根の下で暮らしながらも、互いの腹を探っていたような時もあったが、今はそうではなかった。

もう一人、今はいない自分と血を分けた弟の亮が、自分に温かい血を注ぎ込んでくれたのだ。

ここに居るのは、紛れもなく家族だった。


「そう言えばさ、お袋が言ってたよ」

思い出したかのように司は目を開けた。

「孫の顔が見たい、ってさ」

突然何を言い出すのかと三人は司に向いたが、三人共に何故かとてもやり切れない複雑な顔をしている。それに気が付いて司は笑った。

「オレじゃないよ。そりゃ、お袋はあの事は知らないよ。けど、もうじきオレだっていなくなるんだ。兄さん達ならまだ間に合うだろ?」

司が何事もないように明るく振舞う程切なくなる。

やっと兄妹だという認識を持てたからこそかもしれない。今までして来た仕打ちが、このような結果を招いたのだと思うと、二人は胸が締め付けられた。

「司、本当にすまなった。こんな事になるなんて・・」

「やめてくれよ、仕方ねぇだろ。それに、これはオレが自分自身でいた結果なんだ。兄さん達のせいじゃない。もう今更どうこう言っても始まらねぇよ。それよりオレは、残されたあと僅かな時間を大切にしたいんだ。やりたい事、全部やりたいよ。 ・・・で、翔兄さん、いつ結婚すんの?」

突然振られ、翔は面喰うと思わずユリアに視線を送った。

「ねぇっ、隠すなんてずるいよ。いつから二人はそういう関係になったのさっ」

司は怒ったように脹れると、翔とユリアに交互に睨むように視線を送る。

「ユリアと?」

真一は目を丸くして司に訊いた。

「そうだよ。しかも子供までいるんだ。信じられないよっ! ユリアがオレの義姉貴アネキになるんだぜっ。一言くらい断りを入れて欲しいもんだぜ。兄さんだって何か言ってやってよ。口うるさい義妹いもうとが出来るんだからっ、それに・・」

「子供っ!? ・・・、翔、お前・・・」

真一はそのまま絶句すると、ソファにもたれ込んでしまった。


 ******


「ユリアと翔兄さんって、組み合わせも分からんでもないけどなぁ・・・」

再び司はソファにもたれると、コーヒーを飲んだ。

「ねぇ、紀伊也、お前、やっぱ、子供って欲しいの?」

横目で視線を送る。

「 ・・・っ!? ・・・、お前、聴いていたのか?」

やはりあの時感じた身近な気配は司だったのだ。

 キャロラインと交わした会話の途中で近くに動揺した心の気配を感じ、それが少し気になっていた。

隣室にスミス達がいる事は知っていた。が、二人の気配しか感じなかった。だから他愛もないごく普通の愛し合う恋人同士を装っていた。 がしかし、子供の話をした時、紀伊也自身も動揺してしまったが、隣室でも同じようにもう一人誰かが動揺していた。

それが誰なのか分からないまま放っておいたが、それが司だったとなれば話は別だ。

恐らくあの会話が本心から出た言葉だったと思うのは必至だった。

息を呑んで司を見ると、司は黙って頷いた。

「司、あれは・・・」

「分かってるよ、いいんだ別に。・・・けど、ホントの所どうなの?」

「・・・、要らないよ」

「え?」

「だって考えてみたら、司が死ねば俺だって100日目には必ず死ぬ。先の事なんか考えて生きてはいけないだろ? 俺には司がいれば十分だ。他には何も要らない」

「 ・・・、紀伊也、ホントにそれでいいの?」

「ああ。それが俺の選んだ道だ。誰にも邪魔されたくはない。たとえお前が迷惑だって言っても、俺はお前と共に生きるし、守っていく」

「・・・、約束だから?」

「違う。約束したからじゃない。誰に言われたからじゃない。自分自身で決めた事なんだ。俺はお前を守る。司を愛しているから」

そう自分自身にも言い聞かせるように力強く言うと、司を抱き寄せた。

「紀伊也、お前を信じていいんだな?」

「当り前だ。もう一度二人で始めよう。俺達の人生を」

「ねぇ、紀伊也、生まれ変わりって信じる?」


 え?


胸の中で呟くように言う司の声が遠くに聴こえた。

「司?」

「もし、生まれ変わったら、またオレの事、探して愛してくれる?」

「何言って・・・」

「見つけてくれる? オレの事」

「当り前だ。必ず見つけ出して最初から離さない」

「そう、良かった。それ聞いたら安心した・・・」

ホッと安心したように目をつむると、そのまま紀伊也の腕の中で力が抜けた。

 コーヒーカップを持つ司の指の力が抜け、カップが傾き、それを慌てて支えた次の瞬間紀伊也は、ハッとして司を見た。

まるでろうそくの火が消えるように、ふっと力が抜けたのに気が付いて腕に力を込めると、風に揺られ、一瞬消えた火が再び灯るかのように、静かな寝息が聞こえ始めた。

 紀伊也はホッと胸を撫で下ろしたが、司がいつ死んでもおかしくないという、この現実を思い知らされたような気がして、茫然と、自分の腕の中で眠る司を見つめた。




第十四章・終

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