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第十三章・Ⅲ・別離(三)

別離(三)


「来週だな、秀也の結婚式」

司の肩を撫でながら耳元で囁くと、耳の後ろから首筋へと唇を這わせて行く。

「 ・・・、それがどうした」

天井を虚ろな瞳で見つめながら気だるげに呟いた。

 -早く終わらせたい

そう思いながら気を送り続けていたが、集中出来ず何も出来なかった。

 また失敗した。

今日で三度目だ。

しかし和矢の方は別にがっかりする訳でもなく、司をいたわると、あっさり引いていた。


 司もソロで活動を始め、雑誌の表紙を4年ぶりに飾ると、ジュリエットのファン達は、こぞってそれい買いあさっていた。

和矢も久しぶりにその内の一冊を買い、ページをめくったが、以前とは違う雰囲気に驚きを隠せずにいた。

以前に比べ、鋭さがない。

近寄り難い雰囲気は失せ、物憂げに見つめるその琥珀色の瞳には、何か底知れぬ秘めた艶を感じた。

その瞳が今、目の前にあるのだが、そこからは拒絶にも似た虚ろな色があるだけだった。

しかし、10年前と今とでは全く違う「女」になっていた。

「秀也のお陰でここまで変われたのに・・・、よく、秀也を手放す事ができたな。しかも、その式にまで出るなんて、お前らしくない」

「・・・・」

「あの時のように、お前の能力ちからで秀也を自分のモノにすればいいのに。何でしないんだ? それに、まだ愛してるんだろ?」

 !?

思わず目を見開いて和矢を見つめた。

 ハヤブサの獲物を捕らえて離さない眼が、司を睨みつけている。

「俺に気を送れないのは、能力が弱っているからだけじゃない。 俺に秀也を重ねているからだろ、違うか? 司」

何も言えず、黙って自分から眼を反らせ、じっと何かを見据えている司を嘲笑ちょうしょうするかのように、再び耳元に口を近づけた。

「それでもいいよ、司。 お前を抱ければそれでいい。秀也の代わりならいくらでもやってやる」

ハヤブサの鋭い口ばしが首筋に襲い掛かると、その大きな翼を広げて、組み伏せられた。

激しく抵抗するが、その鋭い爪が肌に喰い込むと、声を上げる事も出来ずに、食い尽くされて行った。


「司っ!?」

部屋へ入るなり辺りを見渡すと、窓際でタバコを吸っている和矢と目が合い、その視線の先へ目をやると、ソファの上で膝を抱えて頭を埋めている司を見つけた。

「今はおまえじゃないとダメらしい」

煙を吐くと、溜息をつくように言った。

「どうした?」

和矢を横目に司の隣に腰掛けると、顔を覗き込んだ。

「 ・・・が、・・しちゃうよ・・・」

顔を埋めながら、半分泣きそうな声で何か呟いている。

「え? 何?」

訊き返すと、半分顔を上げて上目遣いに紀伊也を見つめるが、その瞳は少し潤んでいる。

「紀伊也ぁ、・・・秀也、結婚しちゃうよ」

「え・・・、ああそうだな。来週だな、式は」

それがどうしたというのだ。 が、次の司の言葉に一瞬戸惑ってしまった。

「何で?」

「え?」

「本当にあいつ、オレ置いてどっかに行っちゃうんだ ・・・、まだこんなにも好きなのに」

そう呟くように言うと、抱えた両腕に力を込めた。

頬には涙が伝い、その目からは溢れ出て来ている。

「司?」

突然に情緒不安定になってしまっている。

昨日まで秀也の結婚式を楽しみにしていたのだ。

余興で奏でるフルートに合わせる紀伊也のピアノの音色に、うるさいくらい注文をつけていた程だ。

不思議そうに和矢を見ると、肩をすくめて首を横に振っている。

「紀伊也・・・、あいつが許せない・・・。秀也の子供までいるんだ・・・、あいつを殺してくれ」

「 ・・? 何、馬鹿な事言ってるんだ、司? 一体どうしたんだよ。 あんなに楽しみにしてたのに。秀也が幸せになれるって、あんなに・・」

司の肩に手を掛け、なだめるように言った。

「そうだよ、あいつは幸せになるんだ。でもオレを捨てたんだ。あれだけ オレの事、抱き締めて愛してるって、オレの事、愛してるって、言い続けてくれたのに。何でっ!? あれは嘘だったのか? ねぇ紀伊也、何で?」

「司?」

紀伊也にも答える事が出来ない。

「オレ、一人じゃダメだ。 ・・何も出来ない。秀也が居てくれないと何も出来ない・・・」

再び顔を埋めると、肩を震わせた。

 ヒッく ・・ ヒッく ・・ と、時折しゃくり上げるように声を押し殺して泣き出していた。

 しばらく紀伊也は黙って司の震える肩に手を置いたまま見つめていたが、やがて立ち上がると、窓際で同じように黙って司を見つめている和矢の側に寄った。

「何かあったのか?」

「俺は何もしていないよ」

素っ気無く応える和矢に何かを感じた。

「和矢? お前、司に何をした? ・・・何を吹き込んだっ?!」

がっと肩を掴んで振り向かせようとしたが、和矢はその手を払い除けると、一瞬、紀伊也に視線を投げて司の隣に座ると、そのしゃくり上げる肩を抱き寄せた。


 ?


先程の和矢の視線が気になって、和矢を目で追った。

何か、和矢であって和矢でなく、ハヤブサの鋭い眼とも違う妖しげな光を見た気がした。

「司、秀也の事はもう忘れろ。あいつはお前を裏切ったんだ。お前を愛していると言いながら他の女を選んだんだ。そんなヤツの事なんか忘れちまえ」

そう耳元で囁くように言うと、ゆっくりと司が顔を上げた。

まるで、和矢に操られているかのように、吸い寄せられるように虚ろな眼差しを向けていた。

次に取った二人の思いがけない行動に、紀伊也は息を呑んだ。

司が自分から和矢の唇に、自分の唇を重ねていた。

泣きながら、何かを求めていた。

和矢がゆっくり司を離すと、司は求めるようにそのまま和矢の胸の中に顔を埋めた。

司の頭を優しく撫でながら、ちらっと紀伊也に送った視線に、紀伊也はゾッと背筋が凍る思いをした。


 あの目だった


司からテレパシーで呼び出され、病院へ駆け付けた時、病室の下に不振な人物が三人いた。

その内の中央の人物と目が合った。

あの憎しみのこもった冷酷な青い瞳。それが後にサラエコフだった事は言うまでもないが。

今まさに、和矢の放ったその眼差しは、あの冷酷な青い瞳が嘲笑あざわらうかのようだったのだ。


 まさか、和矢まで・・・ 


何か冷たいモノが背筋に流れて行くように、恐怖が紀伊也を襲い、その場を動く事ができず、目をそむける事も出来ずに、二人をただ見つめていた。

「司、俺、もう行かなきゃ。明日も仕事だ」

不意に司の頭を持ち上げて言うと、司は黙って頷いた。

「また来るから」

その言葉に安心したように再び黙って頷いた司を残して立ち上がると

「後は頼む」

と、言い残し、和矢は出て行った。

後に残された紀伊也はどうしていいか分からず、そのままじっと司を見ている事しか出来ずにいた。


 ******


 その後のスケジュールの打ち合わせに、事務所を二人揃って訪れた。

司の事が心配で、紀伊也は迎えに行ったのだ。

迎えに行った時は、あの日のようにふさぎ込んだりする事なく、いつもと変わらずバスローブを羽織ったままコーヒーカップを片手にタバコを吸っていたが、ふと台所に目をやると、ブランデーの空き瓶が2本置いてあった。

気にも留めず、そのまま司を車に乗せて事務所へ連れ出した。

「そう言えばもうすぐですね。秀也さんの結婚式」

透が嬉しそうに言うと、チャーリーも目を細めた。

「そうだなぁ、なぁんか、感激しちゃうなぁ。 息子を結婚させる心境だよ」

「あのなぁ・・」

呆れて司はため息をついた。

チャーリーは「冗談、冗談」と笑うが、周りの者はしらーっと白い視線をチャーリーに送った。

「で、どうなの、元リーダーの司くんとしての心境は? 仲間の一人が結婚するって、どんなもんなの?」

「・・・・」

「あれ? もしかしてちょっといちゃったりしてんの? まあ、秀也とは一番仲良かったからね」

「ばあか、んなもん答える程の事でもねぇだろ。好きな人が出来て、新しい生活を始めたいって思ったから結婚すんだろ? オレには関係ねぇよ。それに、誰が誰と結婚しようが、本人がそれで良きゃそれでいいだろ。祝福してやりゃそれでいいんだろが、ったく」

相変わらず他人の事などどうでもいいと言った投げりな言い方だ。

チャーリーと透は顔を見合わせると、肩をすくめた。

「そう言えば 司さん、何か余興やるんですか?」

「当ったり前だろ。オレがやんなきゃ 誰がやんだよ、な、紀伊也」

不意に振られて一瞬戸惑ったが、愛想笑いを浮かべると頷いた。

空元気なのか、妙に普段通り振舞っている司に気になった。

 その日は久しぶりに皆で夕食を共にし、次のアルバムのコンセプトの話題を中心に、盛り上がっていた。

「しっかし、相変わらずよく飲みますねぇ。とても病み上がりとは思えないッスね」

透が司のグラスにワインを注ぎながら感心したように言うと、チャーリーも宮内も同感して頷いた。

「うるせぇな」

言いながら注がれたワインを一口で半分以上空けた。

これで何度目だろうか、かなりのペースで飲んでいる。

 その夜、自宅に戻った司は更にブランデーを半分空けると、やっとベッドに入った。

あれから飲まずにはいられなかった。



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