第十二章・解散(六)
解散(六)
並木のレコーディングが終わり、とあるレストランの奥の席で食事をした二人は、ちょうど食事時で混み合っている店内中の視線を浴びながら、気にする事もなく、肩を並べて楽しそうに話をしながら店の出口まで向かう。
とあるカップルの前に来た時、不意に司が並木の肩に手を廻し、耳元で何か囁くと、それに対して並木は、ウケたように吹き出していた。
「あの二人、やっぱり恋人同士なのかしら? ねぇ、秀也さんは聞いてないの?」
司と並木の二人を見送りながら、目の前で澄ましたようにタバコを吸っている秀也に訊いてみるが、秀也は黙ったまま目の前のワインをグラスに注ぐと、一気にそれを飲み干した。
「知らないよ。互いのプライベートは干渉しないのが、俺達のルールだから」
そう突き放すように応えると、それきりその事について、何を訊かれても黙っていた。
******
それから二週間経ったある日、晃一の部屋にメンバー5人が顔を揃え、今後の事について、各々の考えを述べ、最後に司の意見を聞くところだった。
「お前らが、今やってる事については何も言わねぇし、言う権利はオレにはない。オレにはお前らと違って、他にやりたい事がないから、このまま音楽を続けて行くつもり。・・・、でももう、バンドとしてやって行く必要はないよ。オレは一人でやってくから」
司自身、相当悩んだ末の結論だったが、晃一からやりたい事があると告げられた時点で、何となく予想はしていた事だった。
しかし実際、この問題に直面した時、司の中で築き上げた一つの支えとなるものが、音を立てて崩れて行くのを感じていた。
「それって・・・」
晃一が一瞬息を呑んだ。
「ああ、・・・解散、だな」
誰かに言われる前に、自分で言いたかった。
きっぱりと言い切った司を、全員息を呑んで見つめた。
「でも、そこまでしなくても・・・、もう少し待ってくれれば・・・」
「待つ? 何を待つんだ? やりたい事が皆はっきりしてるんだ。各々別の生き方を見つけたんだろ? だったら、それに素直に従おうぜ。自分を偽るのはもうやめようぜ」
そう言って一瞬秀也に視線を送った。
誰も、何も言い返せなかった。
しばしの沈黙の後、司が再び口を開いた。
「いいだろ? 解散しようぜ、ジュリエット」
何の表情もないまま、一人一人を見渡すと、皆黙って司を見つめた。
「晃一、電話借りるぞ」
司は受話器を取上げ、どこかへ掛けた。
「透? オレ ・・・、いいな、言ったとおり流せ」
「・・・、でもっ・・」
透は震える手で、二時間前司から受け取った一枚の紙を見つめ、FAXの前に立っていた。
「やれ」
「でも・・・」
「早くやってくれ、これは命令だぞ。やったかどうかは見届ける。足元を見てみろ」
言われてふと見ると、FAXの影に何か黒い塊が見えた。
それが何か分かると、息を呑んだ。
・・・タランチュラ・・・
「司さん、本当に・・・?」
「いいからやってくれ。 頼むっ・・・透っっ!!」
電話口での司の悲痛な叫びに、透も「送信」ボタンを押してしまった。
ゆっくりと紙が流れて行く。
ピーーと送信完了の合図が出ると、透はその場に座り込んでしまった。
足元にいた黒い塊は、影も形も失くなっていた。
携帯電話を片手にFAXの前で泣きそうになりながら誰かと話をし、FAXを送信した後、抜け殻のように座り込んだ透に不審に思いながら、宮内が傍に寄り、送信された紙を手に取ってその内容を確認すると、息を呑んで放心状態の透を見つめ、すぐさまデスクに振り返った。先程までいた筈のチャーリーを探すが、見当たらない。
-チャーリーは知っていたのだろうか・・・。この事を
チャーリーは、透が電話を受けた時、既に社長室へ向かっていた。
明日の対応をすぐ考えなければならない。
それが、ジュリエットのマネージャーとしての、最後の仕事だった。
司は受話器を置くと、ふうーっと一息吐いて、天井を見上げた。
終わった・・・
いつかは終わる事だとは、覚悟していた。
最初にバンドを作る時も亮に言われていた。
全員が同じ気持ちでバンドにこだわらなければ、いつかは解散すると。
だから仕方のない事なのだ。
後は一人一人、どう自分の生き方を見つけられるか、どうかだった。
が、メンバーの場合、それも心配はない。
皆各々、自分の生き方を見つけていた。
残るは司一人だった。
-後はオレだけか・・・
ふっと、苦笑すると皆に振り向いた。
「何処へ電話したんだ?」
晃一が訊く。
「透に全社FAXかけさせたよ。残業で残ってるヤツは今頃パニックだろうな」
余りにサバサバした司に、紀伊也は不安を覚えた。
亮と作ったジュリエットをどれだけ大切にしていたか。それを思うとこの後再び、亮の後を追わないだろうか、瞬間そう考えてしまったのだ。
「司、解散するのは構わないよ。ジュリエットはお前が作ったんだし、お前がいなけりゃ始まらない。だからどうしようと構わないが、俺達はいいとして、お前はこの後どうするつもりだ? すぐにでもソロで活動する気なのか?」
皆の前で、はっきり聞いておきたかった。
そうすれば司も後を追って、死ぬ事など考えないだろう。
「心配すんなって。ソロではまだやんないよ。どーせやる気しないし。・・とりあえず、並木のプロデュースする事にした」
「プロデュース? 並木の?」
「ああ、あいつもヒマんなったみたいでさ、アルバム出したいって、言いやがった 」
紀伊也が何を心配しているのか察した司は思わず苦笑した。
-ユリアと同じで心配性になったな
いつも気を遣ってくれる紀伊也には感謝する。
「当てつけか・・・?」
え?
声のした方を思わず見ると、その先に、刺すような秀也の視線とぶつかった。
「俺への当てつけなんだろ? 並木のプロデュースも、ジュリエットの解散も」
皆、秀也が突然何を言い出すのかと、驚いて見つめた。
「俺とはやっていけないから解散するって、はっきり言ったらどうなんだ」
「・・・・・」
絶句した司は、何も言えずに黙って秀也を凝視したまま、動けずに立ち尽くしてしまった。
他の三人も、秀也の言い放ったセリフに驚きを隠せない。
「秀也、お前何言って・・・」
思わず晃一が口を開いた。
「そうだよ、こうなる事は活動休止宣言した時、大方の予想はついていた事だろ? お前だってそう言ってただろ。それを、司のせいにするのかよっ」
ナオが秀也に喰ってかかる。
「秀也、司がどれだけジュリエットに想い入れしていたか、お前にだって解ってる筈だろ。司だって、相当悩んだ筈だぜっ、俺達の事を考えての事だろがっ。・・・、亮さんと作ったジュリエットだぞ。それを、解散させるんだ。司の気持ち考えたらっ・・・。お前、よくそんな事言えるよなっ」
思わず晃一が掴みかかりそうになるのを、紀伊也が抑えた。
「そんなに亮さんが好きなのかよっ、大切なのかよっ!? 並木といるのだって、その亮さんに似てるからなんだろっ!? 俺と付き合っていたのだって、俺がその亮さんに似てたからなんだろっ!? そんなに亮さんが大切なら、亮さんの処へ行けば良かったんだっ。その手首の傷だって、そうなんだろっ!?」
えっ・・・!?
秀也の思いがけない言葉に耳を疑うと、司は右手首を左手で覆った。
気が付かれていた・・・
息が詰まりそうになって目が宙を彷徨うと、皆の驚いた視線と交錯する。
「司、お前・・・」
晃一は信じられないと司を見つめるが、司はただ、息を呑んで皆を見るだけだった。
紀伊也と視線がぶつかった時、紀伊也は何もかも知っているかのように、目を伏せた。
司は後ずさりながら皆から遠のき、一瞬秀也に視線を送ると、そのまま部屋を飛び出して行った。
全てが終わった
そう感じた。
夜の冷たく寂しい風が、頬を撫でる。
星の見えない暗い夜空を見上げ、一息吐くと、止めてあったバイクにまたがり、キーを差し込んだ。
先程、三人が言っていた事が、不思議と遠いどこか違う世界で交わされた会話のような気がした。
確かに秀也の言っていた事は本当だ
だから否定する気にもなれなかった
皆が各々別の生き方を見つけたから、それに従えばいい
そんなのは、ただの奇麗事にしか過ぎない。
本当は、秀也とはやっていけない。 ただ、それだけなのかもしれない。
晃一の部屋の辺りを一度見上げると、ヘルメットを頭に乗せ、大きなエンジン音を一つ立てると、地面を蹴って走り出した。
******
黙って司の去って行くのを見送った紀伊也に、何か嫌な予感が走った。
一瞬皆を見渡したが、秀也に視線を送った時、諦めにも似たため息をつくと、背を向け、リビングを後にし、玄関へ向かった。
靴を履こうと、シューズボックスに手を掛けた時、何かが触れ、ふと見ると、小さなダイヤのついた指輪だった。
?
何故こんな所に、こんなものがあるのか、不思議に思った。
今夜、一番最後にここへ来た時には、なかったような気がしたが・・・
手にとって何気なく眺めていると、内側に何かイニシャルらしきものが彫ってある。
それを目にした時、紀伊也は全身に悪寒が走り、司の出て行った扉に釘付けになった。
気配に振り向くと、晃一が立っている
「紀伊也、司の事頼むわ。今の司じゃ、俺達はどうする事もできねぇよ」
「解ってる・・・。 晃一、司、言ってたよ。もうこれ以上お前らを縛る事は出来ないって。オレのせいでお前等の人生狂わせたって。途中で放り出して済まないが、自分の生き方を見つけてくれって。・・、特に秀也には・・・、アイツには本当に済まないって、言ってた。秀也の望む幸せには、自分では役不足だって。これ以上一緒に居たら、秀也を不幸にするだけだって。もう、これ以上秀也を苦しめたくないって。司のヤツ、そこまで秀也の事で悩んでたなんて・・・、俺、知らなかった。なのに、秀也・・・、あいつ・・っ、許せない・・・、司を追い詰めて・・・、あんな事言うなんて・・・っ・・。当てつけたのは、秀也の方だっ」
いつになく感情的な紀伊也に、晃一は首を傾げる。
「紀伊也?」
「晃一、俺、司が心配だから行くよ。秀也の事はお前に任せる。・・・それから、秀也には二度と司に会わないでくれって伝えといてくれ」
言いながら手にしていた指輪を晃一に渡すと、出て行った。
紀伊也の出て行ったドアを見つめていた晃一は、渡された指輪を不思議そうに見ていたが、内側に彫ってあるイニシャルを見つけると、諦めたようにため息をついた。
******
目の前の信号が、黄色から赤に変わろうとしていた。
グリップを握る手に力を込め、スピードを上げると、隣に走っていた中型のトラックが右へ曲がって行った。
それをやり過ごした時、目の前に強い光を受け、一瞬目を閉じた。
ガツンっ !
という衝撃と共に、頭に被っただけのヘルメットが飛び、体が宙に舞った。
体制を整えて着地すればいい、それだけの事だったが、司は敢えてそれをせず、宙に身を任せた。
そして、次の瞬間、激しい衝撃と共に何も聴こえなくなった。
っ!?
ピシっと、何かが脳を横切り、紀伊也はスピードを上げて、司の後を追った。
突然、車の列が目の前に迫った。
-渋滞?
しかし、車の窓から顔を出す人や、歩道を歩く人の視線が、その先の交差点に向けられている。
-事故?
まさか・・と思い、車の横をすり抜けて行くと、交差点の真ん中に大型のトラックが右を向いて、ライトをつけたまま止まっている。
その先に目をやると、バイクが一台転倒していた。
あのバイク・・・
息を呑んで、視線を移すと、誰かが倒れていた。
ヘルメットを取り、バイクを降りると、恐る恐る近づいて行く。
何処から現れたのか、亮が司の傍らに立っていた。
亮は目を閉じている司の顔をじっと見ていた。
そして、ゆっくりと手を差し出しながら屈むと、その白く透き通るような司の細い手を取ろうとした。
「司っっ!?」
その時、紀伊也が司を抱きかかえた。
呻き声一つ上げず、無言で目を閉じている司の顔を見るなり、息を呑んだ。
信じていたものを失った絶望と哀しみに満ちていた
何もかも全てから去りたい
もういい
もう何も要らない
そう言っているようだった。
******
晃一がリビングに戻ると、ナオと秀也は無言のままソファに座っていた。
ナオと目が合うと、無言で首を横に振る。
「秀也、司からの伝言だ。お前の望む幸せには、自分では役不足だとよ。・・・渡す相手を間違えたな」
そう言って、先程紀伊也から受け取った指輪を投げると、それが跳ねてナオの前に落ちた。
秀也は黙って晃一を見上げたが、諦めたようにため息をついたナオに指輪を渡され、それを受け取った。
この前、司に渡した指輪だ。
「これ・・・」
「お前それ、誰に渡すつもりだったの?」
「え・・・、司に・・・」
「司に? 司の頭文字はTだろ。よく見てみろ」
晃一に言われ、指輪の内側を見た秀也は、一瞬自分の目を疑った。
何でっ!?
確か、H,TO,T と注文し、受け取った時にも確認した筈だった。
がしかし、今ここに刻まれている文字は H,TO,Y となっていた。




