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第十二章・解散(四の2)

 ******


 喉の渇きで目が覚めた。

ぼやけた視界の先に誰かがこちらを見ている。

とても懐かしく温かい影だ。

一度目を閉じ、再び開けた。


 秀也・・・


そこには以前と同じように、優しく包み込んでくれる温かい瞳があった。

「司」

自分の名を呼ぶその声にも、変わらぬ温もりがある。

秀也の名前を呼ぼうとして口を開けるが、声にならない息が漏れた。

とたんに息が苦しくなり、胸が締め付けられて行く。

 ハァっ、ハァっ、必死で呼吸を整えながらも、視線は秀也に向けられていた。

くーっ、とその内に顔がゆがみ、相当の苦痛に耐え兼ねている様子に、紀伊也は慌てて雅を呼びに行った。

が、秀也は尚も自分から視線を反らさない司を、じっと見つめていた。

 

 ハワイの滞在先のホテルで、ゆかりから電話をもらった時、秀也は本当に、自分の中の一番大切なものが、音を立てて壊れて行くのを感じて震えが止まらなかった。

とにかく一秒でも早く司に会って、その姿を確かめたかった。

その気持ちは、あの日、手術室の前の通路のベンチに座り、司の無事を祈って待ち続けた、あの時と同じだった。

 急いで帰国すると、その足で病院へ向かった。

案の定、紀伊也も帰国しており、二人共に無事な姿を確認し、ホッとしたが、司の容態が思わしくない事を聞かされ、不安を隠し切れなかったが、何より、紀伊也のその思い詰めた表情の方に驚かされた。

あの冷静な紀伊也の顔色が青ざめ、微かに体を震わせる程、深刻な表情をしていたのだ。

時折唇を噛み締め、何か自分を責めているような感じも見受けられた。

雅がそれをなぐさめていたが、とにかく司の意識が早く戻って欲しいとそればかり言っていた。

秀也も同じ願いだっただけに、自宅へは戻らず一晩中起きて、司のかたわらに居た。


 その日の夕方に差しかかろうという頃だった。

司が目を覚ましたのだ。

じっと自分を見つめるその眼が、そばにいてくれと言っていた。

『もう少しだけでいいから、オレの傍に居て』

そうあのライブの前、司を抱いた時に言われた「あの目」と同じだった。

今はこの手で司を力いっぱい抱き締めたい、その想いが秀也を満たしていた。

「司」

もう一度、名を呼んだ。

「司、お前の傍に居るよ」

その言葉を聞いたのか、こくんと頷くと、安心したように司は目を閉じて深い眠りに陥ちて行った。

 紀伊也が雅を連れて病室に戻って来た時には、既に呼吸は安定しており、司の顔からも苦痛は消え、それより穏やかな表情で安心し切ったように眠っていた。

その傍らでは、秀也が黙ってじっと司の寝顔を見つめていた。


 -あれは夢だったのだろうか 

  確かに秀也の声を聴いたような気がした

  毒にやられて、幻でも見たのだろうか


再び目を覚ました時には、辺りは暗く、司は独りだった。

 もう終わった事なのだ

 呼んでも二度と振り向いてもくれないだろう

 『愛している』と言われた時に、それを拒んだのだ


 怖かった


本当に秀也が、心の底から自分を愛してくれているのか。

また何処かへ行ってしまうのではないかと一瞬でも疑ってしまった時、そう思った。

あの時、秀也に生きて会えた時、胸が押し潰されそうになった。

嬉しくて、あの胸に飛び込んで行きたい、そう思う反面、秀也がそこに居るのに、もう二度と手を伸ばす事も許されないのだ、というもどかしい切なさに、打ちひしがれそうになり、その二つの相対する「渦」が司の中で巻いていた。


 もうどうする事も出来ないのだろうか 

 ただ、抱き締めて欲しいだけなのに


余りに切なく苦しく、胸が押し潰されそうになって、思わずすすり泣いていた。

涙が止めどなく溢れて来る。

どうにもこうにも、自分を抑える事が出来なかった。

「秀也、愛している・・・」

すすり泣く声と共に聴こえた司の言葉を、ソファで横になっていた秀也は、暗い天井を見つめながら聞いていた。


 ******


 司が退院出来たのは、それからおよそ1ヶ月後の事だった。

毒による後遺症もほとんどなく、リハビリも何とかし、一人で歩く事が出来るようになって、しばらくは静養するという事が条件で、退院の許可が下りた。

 司もすぐには音楽活動の復帰は考えておらず、しばらくニースで静養する事にした。

一人になって、いろいろ考えたかった。

「戻って来たら、連絡する。だから秀也もやりたい事、思い切りやってくれ。オレも向方でのんびりと静養して、元の体に戻れるようにするから」

そう別れ際、笑顔で言うと、秀也は何か言いたそうな目で司を見ている。

「オレの事は気にしないで好きな事やってくれよ。オレは大丈夫、向方に行けばユリアがずっと看てくれるから。 ・・たまには連絡するよ」

「司、本当に大丈夫なんだろうな、もう心配かけんなよ。出来ればずっと一緒に居てやりたいくらいだ。・・ もう、お前から離れたりしないよ。司が大切だって分かったから。だから元のお前に戻って必ず帰って来いよ。俺も待ってるから」

《秀也、お前のその言葉、信じていいんだな》

そのセリフを呑み込んで秀也を見つめると

「ああ」

と一言返事をし、ニースへ発った。


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