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外伝・出逢い(六の2)


 ******

 そして当日。 どのバンドの誰もが緊張した面持ちで楽屋に待機していた。

どの楽屋も緊張を隠せず、タバコの煙が充満し、灰皿も山のように吸殻が積まれている。

あちこちで、気合を入れる掛け声がしている。

が、楽器の音は一切しない。

楽屋での演奏は禁止になっていた。

それが彼等の不安を更に募らせていた。

 が、ジュリエットの楽屋は至って穏やかだ。

紀伊也は隅の椅子に腰掛け、コーヒーを飲みながら本を読んでいるし、竜一は何やら辞書を広げて調べ物をしていた。時折、司を呼んで何か訊いていると、それに対して司も応えていた。

晃一とナオと秀也はトランプで遊んでいた。

「竜ちゃん、何やってんの?」

「んー、ドイツ語のレポート。明日までなの忘れててさ。良かったよ、司いてくれて」

「え、何で? 司、ドイツ語できんの?」

秀也はカードを出すと驚いたように顔を上げた。

「ああ、住んでたらしいからね。 俺もフラ語教えてもらってんの。フランスにも居たらしいよ」

ナオが自分のカードを一枚出して、素っ気無く応えた。

 トントン・・。

ドアがノックされ、祐一郎が顔を出す。

ドアの外はヤケに騒がしい。

「ずいぶんと余裕なんだな、お前等は。感心するよ。あ、秀也にお客さん」

そう言うとドアを開けて、三人を中へ入れた。

 ヒューっ と晃一が口笛を吹くと、ナオがやめろよと、それを制した。

メンバー全員が顔を上げて入口を見ると、陽子と健二、それにさらっとしたロングヘアに白いフレアスカートに淡いピンクのカットソーがよく似合う、色白でいかにも清楚な女の子が一人立っていた。

「秀也の彼女なんだって」

祐一郎はそれだけ言うと、奥から誰かに呼ばれ、慌てて出て行った。

秀也はカードを放り出すと、慌てて三人の所へ行き、小声で何か話し始めたが、皆はその子に釘付けだ。

 今まで彼等を取巻く女の子の中に、かつて一度もこういう、いわゆる清楚なお嬢様は見た事がない。

紀伊也でさえも目を丸くした程だ。

司に至っては、ふーんと興味なさそうに見ていたが、次にドアが開いて現れた人物の方に驚いた。

「恭介っ!?」

普段上げている前髪は垂らし、大きなサングラスに帽子を被り、黒いTシャツに黒い皮のパンツを穿き、アクセサリーを首から腕からげている恭介は、やはり皆と違ったオーラを発している。

「よぉっ、久しぶり。元気そうだな」

片手にカセットテープを持って司に近づいて行く。

今度はそこに居た全員が、恭介に釘付けだ。

特に陽子と健二は幾分興奮気味だ。

何せ今や、日本のロック界をリードする人気NO.1のヴィールスのボーカリストだからだ。

「何だ、冷やかしかよ。差し入れ位持って来てくれてもいいんじゃない?」

司はつまらなそうに言うと、とりあえず椅子から立ち上がった。

「んなもん要らねぇだろ。どうせ、取るつもりなんだろ?」

「まぁね」

「いよいよお前もメジャーの仲間入りか? そしたら手強いよな。ファンの半分は持って行かれそうだぜ」

「どうだか」

「それより、また頼みたいんだけどさ。どうせ、これ終わったら少しはヒマになるんだろ?」

「あのねぇ、あんたもプロなら、自分の歌くらい自分で書いてよ。オレだってこれからまだやる事いっぱいあるんだからさっ」

呆れたように人差し指で、恭介の胸を突付いた。

「どうせ試験勉強だろ。 んなもん、お前には関係ねぇんだからやめちまえよ。それより俺の方が煮詰まってんだから頼むよ」

「オレと恭介を一緒にしないでくれる? オレはまだ高校生なのっ。それに、こいつらだって、ちゃあんと大学生やってんだからっ」

「相変わらずインテリなのな」

「うるせェな。んな事言うと、ホントに拒否するよ」

「わぁったよ。じゃ、やってくれんだろ? とりあえず頼むよ。出来れば再来週までに」

「再来週っ!? ・・・」

言いかけて、差し出された大学ノートとテープを受け取った。

「それと、このテープ。 いつ渡そうか迷ってたんだけど、やっと思い出したから持って来たんだ」

「何、これ」

ノートを脇に挟み、テープを見つめた。

「亮のデモテープ」

「え?」

思わず顔を上げた。

「だいぶ前に、お前の出来かけの曲を亮がアレンジしたらしくて、俺にくれたんだけど、何となく使う気になれなくて、そのままにしてたら今日まで来ちまってな。とりあえずこれ、お前に渡しとくわ。じゃ、俺行くから。 お前等のはちゃんと聴いててやるよ。せいぜい楽しめ。じゃあな」

そう言って、テープを見つめている司の肩をポンと叩くと出て行った。

 メンバーは黙って恭介を見送ったが、テープを片手に立ち尽くしている司に、心なしか不安を感じた。

 今、亮の話をしていいものかどうか。

このフェスティバルも、元々亮が司に出てみないかと勧めたものだ。

一年以上前からメンバーを応援してくれていた。

だから、このフェスティバルにはどうしても出なければならなかったし、優勝しなければならない。

それが亮に対する供養だと、秀也を除くメンバー全員が思っていた。

「司」

晃一が最初に声を掛けた。

「あ、ああ、大丈夫、ごめん。・・・・、でも、恭介もひっでェよな。何もこんな時に持って来なくてもいいのに」

半分怒ったように言うと、大学ノートを自分のバッグの方に投げたが、テープは手に持ったままだった。


 これに兄ちゃんのギターが入ってるんだ・・・。


ふと見ると、秀也と目が合った。

慌てて目を逸らすと、テープをポケットに入れた。

 館内アナウンスが流れ、バタバタと騒がしくなると、全員が楽屋を出て会場へ向かった。

 いよいよ始まるのだ。

しかし司にとってこれは、まだ序章にしか過ぎない。

明日からの方が、本番に向けての出発だと思っていた。


 ******


「やっぱりなぁ、分かってたけど悔しいよなぁ。けど、ホント最高だよな、ジュリエットは」

会場を後にする出場したバンドのメンバー達は、口々に今日の事を称えていた。

当然といえば当然だ。

コピーバンドよりオリジナルの方が断然有利だし、そのオリジナルも、恭介に提供する程の才能を持った司が作っているのだ。

殆んどプロと言っても過言ではないのだが、ただ、全員が正真正銘の学生だった。

このフェスティバルに勝てば、無条件でレコード会社と契約が出来る。

要はプロになる一つの登竜門だった。

「司」

楽屋で着替えを済ませ、やっと一息ついたところで、祐一郎が顔を出すと、一人の男性を伴って入って来た。

「この前話した都築つづきさん」

「ああ、光月です」

祐一郎よりは少し年上の男性だったが、疲れたように素っ気無く名乗ると、手を差し出した。

都築は、とある大手レコード会社の代理人だった。

「どう、考えてくれた? 今すぐでもいいんだけど」

「それは前にも言った通り、無理だよ。卒業するまで待ってよ」

「卒業って、あと一年半もあるんでしょ。 この勢い保つの難しいんじゃないの? 今ならヴィールスの作曲者って事で、簡単にウリ出せるのに」

「いやだね。それにオレはあと一年半で卒業するなんて言ってないぜ。まだ、やりたい事あるから」

「まさか、大学まで行くつもり?」

「いいだろ別に。オレの勝手だ」

何か言いたげな都築にうんざりすると、バッグを担ぎ上げた。

「祐ちゃん、せっかくだけど、ごめん」

苦笑する祐一郎に手を振ると楽屋を出た。

 全てが終わると、まずマスコミに囲まれ、取材を受けた。

そして次にファンに囲まれ、身動きが取れなくなった。

楽屋に戻る途中では、他のバンドの喝采を浴び、スタッフにも行く手を阻まれ、ようやく辿り着いたのだ。

ほとほと疲れ果てていた。

他のメンバーはと言えば、賞金を貰うと、さっさと楽屋に引き返し、店を決めて会場を後にしていた。

残されたメモを見て、ぐしゃっと潰すと、ポケットに突っ込んだ。


 外に出ると、見覚えのある大きな人影が、向方を向いて立っている。

誰かと話をしているようだ。

黙って通り過ぎようとした時、不意にその人影がこちらを向き、司に気が付いた。

「司っ」

「ああ、秀也、まだいたんだ」

見れば秀也は、先程楽屋を訪ねに来ていた三人と話をしていた。

その内の一人と目が合った。

女の子らしいフレアスカートを穿いたエリカという女性だ。

愛らしく微笑まれて戸惑ったが、頷くように軽く頭を下げた。

「今から行くんだろ? だったら一緒に行こうよ」

秀也が声を掛けた。

「え・・あ、ああ。悪いけどオレ、もう帰るよ」

「えっ、何で!?」

「このまま付き合ってたら帰れなくなっちゃうから。それに・・・」

言いかけて口をつぐんだ。

恭介から渡されたテープを早く聴きたかったのだ。

「そっか、そうだよな。じゃ、東京駅まで送ってくよ。どうせ都内に戻るんだ」

足元に置いてあったギターケースを担ぎ上げ、三人に別れを告げようとした。

「そいつらも連れてってやれば? まだ話があんだろ。それに、せっかく来てもらったのに」

顎で三人を指す。

「え、でも」

「いいじゃねェか。あんたらもいいんだろ?」

司と目が合った陽子は嬉しそうに「もちろん」と答えた。健二も同じだ。

 結局、司に言われるまま五人で電車に乗り込んだが、席が空いても司は入口付近の壁にもたれたままずっと黙って立っていた。

四人に遠慮しているのだろうと思い、そのまま放っておいたが、時折秀也は何か思い詰めた表情の司に気になり、そちらに視線を移していた。

 時々、思い出したようにズボンのポケットからカセットテープを出しては、それを見つめ、ため息をつくと窓の外に目をやり、テープをポケットにしまった。

それを何度となく繰り返していた。

 新幹線の改札の手前で二人だけになった時、司は秀也を見上げると、

「秀也、今日はありがとう。やっぱりオレにはお前のギターが必要だ。また、よろしく頼むよ」

そう言って目を伏せると、そのまま下を向いて「じゃあ、皆によろしく」と、呟くように言って背を向け、改札へ入って行った。

 何となく気になってその後姿を見送ったが、一度も振り向く事なく去って行く司は、どことなく寂しそうだった。


「ねぇ、須賀君、司君ってかっこいいわよねぇ。あんな人が彼氏だったら幸せよねぇ。ちょっとイヤな事あっても、あの顔で見つめられたらすぐ忘れちゃいそうっ」

皆の所へ戻ると、陽子がはしゃいだように言う。すると健二がじろりと横目で陽子を睨む。が、改札の方へ目をやり、

「あんな男がこの世に存在するんだなぁ」

と、まるで遠い国のおとぎ話を見ているかのように呟いた。

秀也はそんな二人の言葉を聞きながら、再び司の去って行った方を見つめた。

 あいつは男じゃない・・・。


 ******

 

 店に入ると奥の部屋は貸切になっており、すでにメンバーとスタッフの何人か、それに他のバンドのメンバーで盛り上がっていた。

秀也達が顔を出すと、秀也はすぐに皆の所へ連れて行かれ、ビールを飲まされた。

司からはすでに連絡が入っていたのだろう、肝心な司がいない事に皆残念がってはいたが仕方がない。

が、それはそれで楽しんでいた。

「おお、そうだっ。秀也ぁ、今の内にカノジョ、紹介しといた方がいいぞぉ」

祐一郎が秀也の肩に手を廻し、ニヤつくとエリカを顎で指す。

「ああ、そうだな。公認にしておかないとカノジョ可哀そうだしな」

周りの者も同調する。

「何で?」

晃一が訊く。

「そりゃ、お前等、ただでさえ人気あんのに、フェスなんかに優勝しちゃったら、ちょっとした有名人だからなぁ。更にファンが増えて、争奪戦激しくなるからねェ」

祐一郎の友人がタバコを片手に目を細める。

「そうそう、恭介だって、それで別れたんだから」

別の者が言うと、祐一郎も頷いた。

「それに秀也さん、結構かっこいいって、俺らの高校でも噂んなってますよ」

高校生バンドのボーカルをしている男が言った。

彼等とはよく共演しているので、たまに打ち上げを一緒にやっていた。

「へェ、秀也くんモテるんだねェ」

晃一が嫌味を込めてつまらなそうに言うと、「ひがむな」と、ナオと竜一にたしなめられた。

「ほら、さっさと紹介しろよ。そしたらお前のファンが少しは減るだろ 」

晃一が秀也にタバコの煙を浴びせながら言うと、呆れたようにナオと竜一から頭をはたかれた。

「別に付き合ってる訳じゃないよ。ただの友達の後輩だよ」

エリカの事が嫌いな訳ではない。

むしろ付き合ってもいいとも思った。

しかし、何か自分の心の片隅に引っかかるものを感じ、素直に言えなかった。

ここで言ってしまえば、明日からのエリカとの付き合い方も変わるだろう。

自分の生活も変わる。

そして、週末の過ごし方も。

何が引っかかっているのか解らないが、何か変えたくないものがあった。

それが何なのか、今の自分にはよく解らなかった。

「何だ、そういう事か。だったら、俺が候補しちゃおっかなぁ」

安心したように言う晃一は、ナオと竜一から「やめとけ、彼女が気の毒だ」と口々に言われ、ムッとすると二人に煙を浴びせた。

 周りを囲んでいたファンの女の子達も安心したように、再び会話を始めた。

それに気付いた健二は、がっかりしたように俯いている陽子とエリカに耳打ちをした。

「あいつも恥ずかしがりやなんだよ。これだけ周りにファンの子達がいたら さすがに言えないだろ。気ィつかってんだよ、きっと。だから気にすんなって」

それに気を取り直した二人は、新しいグラスを持って来ると、再び飲み直し始めた。


 ******


 一人、部屋へ帰った司は灯りを付けると、ボストンバッグからクリスタルガラスで出来たギターの形をした優勝トロフィーを、サイドボードの上の亮の隣に置いた。

「兄ちゃん、約束通り取ったよ。これで一つ約束果たせたね。・・、それでね、今日、恭介がこんなもん持って来やがったんだ。 何だと思う? 兄ちゃんが入れたデモテープなんだってさ。オレも知らなかった。ね、今から聴いていい?」

渡されたカセットテープを写真の前にかざすと、ステレオにセットしてソファに腰掛けた。

スピーカーから懐かしいギターの音が流れる。

 聞き覚えのある曲だ。

確かに自分が作りかけた曲だった。

途中で気に入らなくなったのか、詰まったのかは分からないが、完成したものではなかった。

それが、亮のアレンジで上手くまとまっている。

流れるようなポップなバラード。

司の曲の中で、亮が好きなメロディーだ。

『お前は性格のワリには、意外と温かい曲を書くんだな。優しいというかさ。何だか聴いてるとホッとするよ』

出来た曲をピアノで披露すると、決まって目を閉じながら聴いていた。

『司のラブソングは切ないな。・・守ってあげたくなる』

そう言いながら、まるで大切なものを包み込むかのように、優しく抱き締めてくれた。

 優しく司を包み込むように奏でられるギターの音色に、いつしか涙が頬を伝っていた。

テープが終わると、急いでステレオの所に行き、巻き戻して再生ボタンを押し、そのまま座り込んで聴いていた。

それを10回程繰り返しただろうか。

 突然、こらえきれなくなると、ボリュームをぐいっと最大に廻した。

ギターの音が部屋中に響き渡る。

「兄ちゃん・・・・」

片手をステレオにつけたまま呟いた。

が、次の瞬間両手を床につけると泣き崩れてしまった。

「兄ちゃぁーーーんっっ・・・!!」

涙をぬぐおうともせず、流れるままに任せ、一人部屋のステレオの前に座り、何回となくテープを巻き戻しては再生ボタンを押す司は、まるで壊れた操り人形のように同じ事を繰り返していた。


 ふと、気になって車を走らせて来た秀也は、マンションの部屋の辺りを見上げると、まだ明かりがついたままになっているのに、やはり、と不安気にため息をついた。

時計を見れば、深夜の2時を回っている。

 ドアの前に来てチャイムを鳴らそうか迷ったが、ノブに手を掛けて廻してみると、鍵は掛かっていない。

そっとドアを開けると、奥からギターの音が聴こえる。

かれるように靴を脱いで上がって行くと、居間へ入った所で足が止まった。 

そこには、ステレオの前で膝を付いて座ったまま、じっとステレオを見上げながら司が居た。

テープが終わると右手を差出してボタンを押して操作すると、再びギターの大きな音が部屋中に響き渡った。

 聴いた事のない曲だったが、どこか懐かしい温かみのある曲だ。

テープが終わると巻き戻され、再び曲が始まった。

同じ曲だ。

それを5回程繰り返したところで、秀也はたまらなくなって、司に近づくと後ろから思い切り抱き締めた。

 誰かに強く抱き締められたが、気にも留めずに再びテープを巻き戻し、再生ボタンを押す。

思わずその細い指を掴むと、秀也は停止のボタンを押した。

「司・・・もう、やめろ」

とたんに力なく腕を下ろすと、操られた糸が切れたようにそのままうな垂れてしまった。

目を伏せると涙が溢れて来る。

「秀也・・・」

無意識に、自分を抱き締めてくれた秀也の腕を掴んだ。

たくましく力強い腕が濡れる。

「秀也ぁ・・・っ」

泣き叫ぶ司の手に力が入り、秀也の抱き締めた細い肩が更に激しく震えていく。

不意に秀也は司をこちらに向かせると、その細く尖った顎を持ち上げ、その震える薄い唇に口付けをしていた。

司は抵抗する事もなく、優しく包み込むように、自分をなぐさめる口付けを受け入れていた。

それでも後から後から溢れ出て来る涙を拭い切れず、司を自分の胸の中に抱き寄せると、しばらく黙ってそこに居た。

 しゃくり上げる息もいつしか静かになっていた。

いつの間にか司は眠ってしまっていた。

涙に濡れた寝顔を優しく見つめると、そのままステレオに寄り掛かって、司の肩を抱くと、秀也もいつしか目を閉じていた。



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