これからの事
突然やってきたダニエルがノンナにプロポーズをしたことで、宿は一転お祭り騒ぎになりかけた。
着の身着のまま状態だったノンナは女将から見ても、どうしたってワケありだ。
そんなノンナを追いかけてきたダニエルだってそうなのだろう。
職業柄多くの人を見てきた女将はそう思ったものの、しかしそれ以上深入りはしなかった。
この二人は悪い人間ではない。それは間違いないと思う。
であれば、きっと何か――理不尽な目にでもあって逃げ出すような事になったのかもしれない。
女将はざっくりとそう予想して、ノンナに今日の仕事はいいからまずは二人でちゃんと話し合うように告げたのである。
人手が足りないのは確かだけど、迎えにきてくれた人がいるのならノンナだってずっとここにはいないだろう。それを無理に引き留めるつもりはなかった。
女将の言葉にダニエルは、深く頭を下げてそれからノンナと二人、部屋に向かった。
そうしてダニエルがとった部屋の中で。
お互いに色々な話をした。
三年。
ノンナが聖女として王都へ行って、その間は一切何の連絡もなかったのだ。
積もる話だってある。
「――はぁ!? 届いてない!?」
「うん……あれ、それじゃあ私が出したお手紙は」
「えっ? 知らない」
そうして積もる話の流れで。
お互い手紙を出していた事を知った。
そしてその手紙がお互いに届いていない事も。
「……間違いなく神殿で握りつぶされたな」
「うん。そうかも」
全く手紙がこないし出しても返事もこないから、最初のころは忙しいのかなとか思っていたし、それもどんどん時間が経過していくうちにもしかしてもう自分の事はどうでもいいのかもしれない……なんて落ち込む事もあったのだけど。
ノンナが出した手紙はダニエルに一通も届く事はなかったし、ダニエルが出した手紙もまたノンナの手元に届けられる事はなかったとお互いに知って。
「クソかよ神殿……あれだけノンナを連れていく前は丁重に扱うだとか、色々言ってたけど全部調子のいい事だったってわけか……捨てて正解だったなあの国」
「それなんだけどダニエル……本当に良かったの……?」
「いいんだよ。ノンナがいないところになんて意味がない。
ノンナが聖女として役立たずだとか、偽物なんじゃないかっていう噂はこっちにも届いてた。
届いてたけど、でもそんなの嘘だってずっとわかってた。だってノンナが偽物だっていうなら、俺がこうしてここにいるわけがないんだから」
「ダニエル……」
「ノンナの事ロクに知らないくせに好き勝手言う連中の事なんてどうでもいい。
実を言うとさ……結婚しようって言ってもし断られたら……って思ったりもしたんだ。
でも、もし断られてもノンナから離れたらきっと俺は以前みたいにちょっとした事で体調を崩して寝込む生活に逆戻りだ。
だから、もし断られてもノンナの近くにいる事だけは許してもらおうと思ってた」
「断らない。断らないよ……私だってダニエルとずっと一緒にいたいもの」
「うん……」
「ともあれ、追放で済んで良かった。これが処刑だ、なんて事になってたら俺でもどうにもできそうになかったし」
「それなんだけどね、流石に私にも聞こえてきた噂のほとんどは聖女としての力が弱いとか、そういう風にもっていかれてたから。
神託が下ったのは私が嘘をついたからじゃない。神殿にいる司祭様たちが確かに聞いている。
だから、私を処刑となると神託そのものが嘘になって、司祭様たちも死ぬ事になるかもしれなかった。
たとえば聖女として周囲を見下すような態度に出た、とかはあったけど、これが横暴な振る舞いをして誰かを傷つけたとかまでではなかったの。
神殿のお金を盗んだとか、そういう明らかに罰しなければならないような噂までは流されてなかった。
それなのに処刑しちゃうと、今後ちょっとした罪でも処刑しないといけないかもしれないから、だから追放で済ませたんじゃないかな、って思う」
「……神託は確かに下されて、聖女なのは事実。そんな聖女を害した場合、祝福を授けた神に敵とみなされるかもしれない、となれば下手な事はできないってところか……」
「うん、正しいかはわからないけど、でもきっとそうだと思う」
「なら、尚更あの国にはもう戻らないようにしないとな。
今更やっぱり実はちゃんとした聖女でした、もっかい戻って来てね、なんてあの国が許しても俺は許さんぞ」
「でも、私たちは平民だから、権力使われると厳しくない……?」
「追放したんだからそれを今更戻れとか、恥って概念あったらまず言えないだろうけど、それについては心配ない。
追放されたのがこの国だったのは良かった」
「? この国だと、何か違うの?」
どうやらノンナは何も知らないようだ。
ダニエルはノンナに手紙を出しても返事がこないし、ノンナからの手紙もこないせいで悶々とした日々の中、聖女とはそもそもなんぞや? と疑問に思って色んな伝手――主に両親の――を頼ってあれこれ調べたりもしたのだ。
メルバ国の周辺の国でも聖女は存在している。
神が祝福を授けた相手、という意味でならそれこそ複数。
どの神が祝福を授けるかは異なるけれど、メルバ国と同じように聖女を王家に取り込む国はいくつかあった。
運が良ければ、聖女が生んだ子がまた神の祝福を与えられるかもしれない。実際、聖女が生んだ子もまた同じ神か、別の神かの違いはあれど神の祝福を与えられる、というのは過去何度かあった事で。
威光か信仰かはダニエルにとってどうでもいいが、とりあえずそういうのを権力者が欲している、というのはダニエルでも理解できる。
けれども同時に。
聖女と結婚するというのは諸刃の剣にもなりかねないのだ。
「この国――トラム国に追放したのは多分この国では他の国みたいに聖女を無理に権力者に嫁がせるっていうのがないからだと思う」
「ないの……?」
「あぁ、そこら辺についてはうちの近所の靴屋、ノンナ知ってる?」
「ベッケルさん……? あのおじさんがどうかしたの?」
「そのベッケルさんとこの爺さんが歴史学者だったらしくて、資料が残ってた」
靴職人のおじさんのお爺さんが歴史学者だとは流石にノンナも想像がつかなかった。
大抵どの家でも、子は親の職業を継ぐ事が多い。
ある程度裕福な家なら別の道に進みたいという子供に学ばせる環境を与えられるけど、そうじゃない家は大体親の仕事をそのまま子が継いでいくしかないので。
親から仕事の手ほどきを受ければ少なくともその仕事で生活はできる。
そうではない――それこそノンナのように幼い頃に両親が死んで、他に面倒を見る大人がいない場合は孤児院へ行ったり、それすら無理だった場合浮浪児となってスラムで暮らすしかない。
そうなった場合は、生きるために犯罪に手を出すしかなかっただろうし、そんなつもりがなくたってそういった犯罪に利用される可能性はあっただろう。
親が死んでいる子供なんて、何に巻き込んだところでその子供を守ろうとしてくれる親がいないのだから、それこそ自由に使い潰せる。
そうでなくとも最初にちょっと優しくして警戒心を取り去ってしまえば、助けてくれた恩人として利用する事だってあり得るのだから。
いくら警戒したところで、子供の警戒心をそれとなく解きほぐして懐柔できる大人や、その警戒心を薄める事ができる大人、警戒したところでそれすら無意味だと思わせる大人、様々な人がいるのは言うまでもない。
ノンナだってダニエルの家で面倒を見てくれなかったのなら、孤児院に行くしかなかったし、もしその孤児院がもう子供の面倒を見切れないくらい沢山の子がいたのであれば、ノンナは行くアテもなく彷徨って、最終的に悪い大人に捕まって売り飛ばされていたかもしれない。
ともあれ、歴史学者から靴屋とはまた随分な進路変更だな、と思いながらもノンナはダニエルの話に耳を傾けた。
トラム国も昔はメルバ国と同じように、王族や身分の高い貴族と聖女との婚姻を行っていたようではあるのだけれど。しかしその中の聖女の一人が好きな相手と無理矢理引き離されて好きでもない貴族との結婚を強要された事を切っ掛けに、一時期この国では聖女が現れないなんて事もあったらしく。
その聖女が貴族であるのなら、愛のない政略結婚であろうとも受け入れる事はあったかもしれない。
けれどその聖女は平民だった。
聖女になってしまったというただそれだけで、好きな相手と引き離され、好きでもない相手に無理矢理権力をもって妻にされたのだ。
しかし平民であるため、貴族の夫人としての役割をこなせないと早々に判断され夫は第二夫人として貴族の妻を迎え入れた。正妻のはずがその聖女は家での立場も奪われ、ほとんど妾のような扱いをされたらしい。
そんな聖女の嘆き悲しみといったものを、祝福を授けた神がどう受け取ったかはわからないが、その後トラム国では百年以上聖女が現れる事がなかった。
聖女がいなくても国はどうにかなるけれど、しかしやはり他の国のように加護があった方がいいというのは言うまでもなくて。
長年トラム国の王族たちは神に真摯に祈りを捧げ、聖女に望まぬ婚姻をさせない、というのを国の法律と定めた。
それ故に、この国では聖女は必ずしも王侯貴族に嫁がなくてはならない、というわけではないのだとか。
実際百年を過ぎてようやくこの国に再び聖女が現れた時は、お祭り騒ぎにもなったとかどうとか。
「……と、まぁそういうわけだから、ここでノンナが聖女だってバレても無理矢理権力者の嫁に、って事はない。とはいっても、俺たちはまだメルバ国の民扱いだ。向こうが我が国の民を返せとか言い出した場合、向こうに戻される可能性もあるっちゃある。
だから、なるべく早めにこの国の民になるための手続きをするべきだと思っているけど……ノンナはどう思う?」
「……うん、そうだね。そうした方がいいかも。
あっちが追い出しておいて、またやっぱり戻ってこい! なんて言われても私ヤだ」
「そうだな、俺もノンナの事大事にするって言って連れてったくせに追放するような国なんてごめんだ」
「でも……ダニエルは本当にそれでいいの?
だっておじさんとおばさんは?」
「二人とも準備したらこっちに来るよ。ノンナがいなくなってからの三年間で、あちこちで結構色んな変化があってさ。
流石にご近所さん全員じゃないけど、何人かはあの国を出る決心をしたみたいだ」
「そうなの……?」
「うん。だって、ノンナの聖女としての力の重要さに気付いちゃったら、離れるなんて考えられないからね」
「私の……でも、本当に私の聖女の力ってそこまで役に立ってたのかな……?
ダニエルには効果抜群だったけど、他の人たちにそこまで効果を発揮してたかって言われると……」
「あったよ。気付かなくても、確実に」
ダニエルみたいに脆弱な人間は他にいなかったけれど、それでも確かにノンナの聖女としての力は発揮されていたのだ。ただ、ダニエルのように劇的な変化があったわけじゃないから気付かなかっただけで。
ダニエルだってノンナが追放されたという話を聞いて急いでノンナと合流しようと飛び出したけど、もしのんびりしていたら、きっと合流できなかったかもしれない。
元気に動けるようになってから、ダニエルはとにかく身体を鍛えた。万が一の事を考えたら、できる事はしておくべきだという考えで。
身体を動かして鍛え、健康に良いと言われる食べ物を好き嫌いせずに食べ、勉強も大事だけどだがしかし、だからといって睡眠を疎かにするような事はしない。
ダニエルは今までベッドの住人だったから、一日の大半をベッドの上で過ごしていたけれど、だからといって自由に動けるようになってからベッドに戻りたくないとばかりに夜更かしをするだとか、睡眠時間を削るような事はしなかった。
時々二度寝に洒落込む事もあったけれど、自由な時間をたっぷりと使うためにはやはり早寝早起きに限るので。
ノンナの加護もあって、ダニエルは他の皆と変わらぬ健康体になっていた。
けれども、ノンナが追放される少し前からなんとなく身体が重たいような気がしていたのだ。
ノンナ曰く、追放される前は聖女としてのお祈りも止められていたとの事で、重たい気がしたのは決して気のせいなんかではないとダニエルは確信した。
ノンナがいなくなって数日くらいはダニエルも普通でいられるけれど、しかし長期間ノンナの加護がないままだと間違いなくダニエルはかつてのような虚弱体質に戻る。
今まで鍛えたから、もしかしたら前ほど酷くはならないと思うけれど、しかしそれだってなんの保証もない。
鍛えたからといっても、それが焼け石に水状態でほとんど何の意味もない可能性の方が高いようにすら思えてくる。
むしろ、折角鍛えていたとしても、ノンナの加護が綺麗さっぱり消えた後は、今までの反動でもっと身体が弱くなっている可能性だってあり得るのだ。
自分の健康のためにもノンナから離れるつもりはない。
「ノンナがいないと生きていけない……」
「大袈裟ねぇ……って言いきれないのが悲しいところね」
「あぁ、でも健康面的な意味でもそうだけど、もしそうじゃなかったとしても。
ノンナが大切なのは本当だし、ノンナがいない人生に意味がない」
「なっ……そっ、や、うん……っ」
ダニエルの言葉にノンナは言葉にならない声を発して。
最終的に顔を真っ赤にさせて思わずそっぽを向いた。
それはあまりにもわかりやすすぎる照れ隠しで。
言ってからダニエルもまた顔を赤くして、ノンナから背けた。
今更のように照れがやってきたのだ。
「と、とにかく」
そんな風にお互い顔を赤くして背けていたのはほんの僅かな時間だった。
その空気を壊すべくんんっ、とわかりやすい咳ばらいを一つしてからダニエルは言う。
声は震えていた。
「真っ先にやるべきことは、とにかくこの国の住人になる事だ。
できれば父さんや母さんと合流してから、と言いたいけどできる限り急ぎたい」
「そっか……それじゃあ女将さんに明日で出るって伝えてくるよ」
「あぁ、そっか……世話になってたもんな。あ、じゃあ挨拶には一緒に行く。ついでに、今日だけになるけど手伝えそうな事は手伝うよ」
「いいの?」
「勿論。同じ宿の中とはいえできる限りは一緒にいたいから」
「も、もう……」
そんな事を言われたせいで、せっかく引いた顔の赤みはまた戻ってきた。
ノンナだけではない。一時たりとも離れたくない、みたいにしか聞こえない事を言ったも同然だと気付いたダニエルもまた顔を赤くしていた。
ダニエルの両親がこの場にいれば、きっと「離れてた時間が長いせいで何言っても告白になってる」と突っ込んだに違いない。




