40話 五鬼童の女達
「任務のため、海上保安庁の制服に着替えて貰う」
福岡県に到着後、一樹達は巡視船で現場付近の海域へ移動する事になった。
一樹が乗船したヘリコプター2機搭載型巡視船は、大型巡視船の中でも巨大だ。
全長は、捕鯨母船よりも大きな140メートル。トン数は6742トンで、幽霊船と化した『みやこ型巡視船』の3987トンも大きく上回る。
その船上にて、義一郎から海上保安庁の制服に着替えるよう指示された。
「それを着ていけば、幽霊巡視船に攻撃されないのですね」
「そうだ。依頼を受けている間だけだが、陰陽師協会から海上保安庁へ出向の形で、陰陽師のランクに相当する階級も付与される。それは幽霊巡視船にも、伝えられる事になる」
「階級まで与えられるのですか」
「成功率を上げるためだ」
驚く一樹に対して、義一郎は当然だとばかりに頷いた。
陰陽師は長い歴史を持つ職種であり、霊体に対応できる事から、自衛隊や警察と同様に目安となる格付けは行われている。
A級=将補、少将、警視長、一等海上保安監(乙)
B級=1佐、大佐、警視正、二等海上保安監
C級=2佐、中佐、警視、三等海上保安監
D級=3佐、少佐、警部、一等海上保安正
E級=1尉、大尉、警部、二等海上保安正
F級=2尉、中尉、警部補、三等海上保安正
海上保安官の場合、大型船の船長が大佐、中型船の船長が中佐、小型船の船長が少佐にあたる。
幽霊巡視船となった『みやこ型巡視船』は大型船で、船長は大佐にあたる二等海上保安監だ。
キャッチャーボートに乗り込む陰陽師のトップである義一郎が、船長以下の階級であった場合、妨害を行う懸念も拭えない。
そのためA級陰陽師の義一郎には、出向時の目安となる階級であり、船長より上位となる『一等海上保安監(乙)』が与えられた。
B級陰陽師の一樹は、一時的にだが、船長と同格の二等海上保安監となる。こちらも幽霊巡視船からの妨害を避けるためだ。
二等海上保安監は、本庁課長、管区本部部長、海上保安部長、交通センター所長、航空基地長、大型巡視船船長など、相応の立場にある。
一時的にであろうと、これほど高い階級を与えるのは好ましくないだろう。
だが政府も海上保安庁も、この問題を解決しなければならない。
ひと手間を掛けるだけで、任務の成功確率が上がるのだから、面子を理由として拒むことは出来なかった。
「分かりました」
一樹が着替える第三種制服は、海上保安官が冬季に着用する制服であり、3月は巡視船の船員が着用している。
一樹達は案内役の海上保安官に従って、男女別の船室へと案内されていった。
今回、作戦に参加するのは、次の陰陽師だ。
A級 1名 五鬼童義一郎
B級 3名 五鬼童義友 五鬼童風花 賀茂一樹
C級 2名 五鬼童沙羅 五鬼童紫苑
C級陰陽師の沙羅と紫苑は、三等海上保安監の階級を与えられている。
これは幽霊巡視船となった、みやこ型巡視船の船長よりも階級が低い。そのため調伏の際は、なるべく単独行動を避けるようにと指示された。
沙羅が着替える間、一緒に船室に入った従姉妹の風花が尋ねた。
「沙羅ちゃん、思い切った事をしたよね。新生活は、どんな感じかな」
思い切った事とは、親元を離れて、一樹と同じ高校と事務所に行った事だ。
近年の五鬼童家は、本家に長男と次男を置いて、長男が本家を継ぎ、予備の次男が分家を作る形を続けている。
そのため次代は、義一郎の長男が家を継ぎ、次男が分家を興し、長女の風花が陰陽師の大家に嫁ぎ、沙羅の父である義輔はお役御免となる。
人数を増やし過ぎれば、五鬼童家が古来より受け継ぐ土地や財物、秘伝の修法、教育の手間暇、他家とのコネクションなどは、いくらあっても足りなくなる。
そのため継承者は厳選しており、本家嫡流を除けば特に教育せず、並の天狗であるC級程度の力が精々となる。
義一郎の弟である義輔は、一代限りの分家なのだ。
義輔がお役御免となった時、沙羅や紫苑には、2つの道がある。
1つ目は、政略結婚。春日家に嫁いだ弥生のような形となる。
2つ目は、自由に生きる道。五鬼童家からの支援は無いが、束縛も無い。
沙羅の行動は、10年ほど早かったが、既定路線であった。
選択肢としては2つ目になるが、沙羅が掲げた「五鬼童家と春日家にとって命の恩人である一樹に恩を返す」という大義名分は、義理堅い五鬼童家にとって、否定できる内容ではない。
結果として沙羅は、2つ目を選びつつも、1つ目のような支援を受けられる立場となった。
もちろん五鬼童家も、借りの精算だけを考えているのではない。
一樹の呪力はA級であり、友好的な関係を結ぶ必要性も計算している。
そして沙羅を否定せず、自発的な行動を採らせる事こそが、最善の結果に繋がるであろうと考えての現状となったのだ。
「順調ですよ。一樹さんの事務所に所属する陰陽師になりましたし、同居しています。先月は旅行に行って、一緒に温泉にも入りました。混浴で」
「にゅわんですとっ!?」
猫のように瞳を大きく見開いた風花は、大口を開けて驚きの声を上げた。
五鬼童風花は、由緒正しきお嬢様だ。
ラフな服装にミディアムボブの髪型で、その辺の大手ハンバーガーチェーン店で、週5でバイトをしていそうな雰囲気を纏っている。
だがA級陰陽師が定席となっている五鬼童家は、コネクションが凄まじい。
叔父は陰陽師として、陛下の護衛をしていた。母方の叔父は、総理と一緒に仕事をしていた。
そういう次元で方々と付き合いがあり、知り合いを数人挟めば、全く話を通せないところは基本的には存在しない。
コネクションの維持には、五鬼童家が引退後に作る霊符も大きく影響している。
A級陰陽師は最高位で、1位から3位が非人間かつ作らないので、五鬼童が作るものは国内最高だ。
納める先は上流階級でも由緒正しき家柄で、付き合いの無いところは地位や金があっても袖にしてしまえる。
風花は、知事でも出席者を配偶者までに制限されるパーティに参加できるし、有名な画家からは個展の招待状が届いて、行けば画家本人から案内される。
周囲のお嬢様が婚約者の話をしていたなら、さらに上と付き合いが有る風花は、子供達が無邪気に戯れる様子を微笑ましく眺める感覚になる。
超お嬢様の風花は、五鬼童家の女性に示される2つの道の『1つ目』が既定路線で、『彼氏いない歴=年齢』でもある。
面識を持つ婚約候補者は、大雑把に数人には絞られている。だが、未だ確定はしていない。
そんな乙女にとって、5歳年下の従姉妹が放った言葉は衝撃的だった。
「こっ、混浴温泉だったの?」
「部屋付きの露天風呂です。狭かったですけど、肩をくっつけて入りました」
「にぎゃああああっ!?」
ブンブンと首を激しく横に振りながら、風花は目を瞑って悶えた。
そんな風花に対して、沙羅は魅惑的な笑みを浮かべて見せる。
「嘘でしょ。沙羅ちゃんが、先に大人になっちゃった……」
風花が呆然としながら、5歳年下の従姉妹に敗北した事実を受け入れる一方で、話を聞いていた紫苑は不機嫌そうに訴えた。
「どうせ仕事で行って、タオルを巻いて入ったとか、一線は越えていない、とかでしょ」
従姉妹の風花を誤解させられた沙羅も、流石に双子の紫苑までは騙せなかった。
言葉の選び方や、あざとい言い回しが、紫苑には違和感を与えたのだろう。
指摘された沙羅は、舌を出して見せた。
「流石は紫苑、バレちゃうね」
「普通に分かるから」
不満そうな紫苑に対して、沙羅は軽く溜息を吐いた。
「ああ、良かった。びっくりした」
風花が懸命に落ち着きを取り戻そうとする中、不満げな様子を見せる紫苑に対して、沙羅は端的に尋ねた。
「紫苑は、一樹さんの傍に蒼依さんが居て、私も居るのが不満なんでしょう」
「別に。恩は恩だから、返せば良いじゃん。それ自体は否定してないし」
沙羅が風花の前で言及したのは、作戦を行うにあたり、仲間の一樹に対して紫苑が見せている不満を説明するためだった。
それを受けた紫苑も、作戦自体に支障は無いと補足した次第だ。
風花に対する説明を行った沙羅は、紫苑に向かって微笑んだ。
「紫苑も、右手と左足が無くなったら、理解出来ると思うよ。利き腕が無いと、霊符も書けない。左足と松葉杖を持つ右手が無くて、まともに歩けない。片手だと、車椅子も動かせない」
沈黙した紫苑に対して、沙羅は畳みかけた。
「紫苑も絡新婦に、手足を斬り落とすって言われたんでしょう。そうされる前に、一樹さんに助けて貰っただけ。紫苑が同じ立場なら、私と同じ事をするよね。それどころか紫苑なら、もっと凄い事でもするんじゃない」
「もっと凄い事って、何だにゃ!?」
聞き耳を立てていた風花が、自らの妄想に耐え切れずに叫んだ。
1人悶え始めた風花を放置した沙羅は、紫苑に訴えかけた。
「私が出した依頼の報酬は、私が払うから、紫苑は何もしなくて良い。でも助けられた紫苑は気にしているし、何もできないから不機嫌になっている」
「だから何」
内心を言い当てられたと感じた紫苑は、不機嫌さを露わにした。
そんな紫苑の反応など分かり切っていた沙羅は、紫苑の感情に対する解決方法を示すと共に、それに至るまでの問題点も挙げた。
「そんなに気にするなら、紫苑も一樹さんの事務所に来れば良いのに。でもネックは、お父さんだよね。『1人はやるが、2人はやらん』とか言いそう」
「あたしは行くなんて、言ってないんだけど」
微妙な否定をした紫苑に構わず、沙羅は大胆な解決策を示した。
「こうなったら一樹さんに、お父さんを倒して貰おうか。それで『絡新婦との戦いで、娘達は死んでいた。俺が守ってやるから、2人とも貰って行くぞ』って言って貰うの」
「脳筋のお父さんが、受け入れてしまいそうな提案を、しないで」
憮然とした表情と共に、紫苑は双子の姉に抗議した。
そして船室の外では、女性陣の着替えを待つ男達が、声を掛けて良いものかと頭を悩ませていた。


























