31話 戸籍を持つ氷柱女
「明日、一緒に温泉旅館に行くか」
晴也の話を聞いた一樹は、翌日には新幹線で現地へ赴く事にした。
依頼人は、秋田県湯沢市で温泉旅館を経営している亭主だ。
今回の依頼は、危険が皆無で依頼料が安い代わりに、依頼を受けている間は温泉旅館に無料で泊まれる条件も付いている。
そのため一樹は、高校受験が終了した小旅行を兼ねて、依頼に蒼依と沙羅を誘った。
「準備しますね。何時に出発でしょうか」
「いつでも行けますよ」
蒼依と沙羅は二つ返事で了承して、一樹に付いてきた。
旅館に八咫烏は連れて行けないが、昨年の8月に巣立ちの時期を迎えて以降、細かな世話は必要なくなった。
5羽は相川家の納屋を寝床として、大量に用意してある餌を漁り、水場で水を飲み、周辺の山々を気ままに飛び交っている。
鬼達で遊ぶのは習慣となっており、周辺の鬼達は、カラスの姿や鳴き声があれば、それが八咫烏であるか否かを問わず隠れるようになった。
そのため近隣の人々は、人里付近の鬼が出そうな場所には、案山子ならぬ精巧なカラスの模型を配置している。
また録音した八咫烏の声を流し、鬼を追い散らす事もしていた。
さらに小中学生には、「登下校中に鬼が出たらカラスの方に逃げるように」と、指導まで行っている。
おかげで八咫烏達は、周辺地域で守り神扱いされている。
人の所に行けば餌も貰えるので、おそらく一樹が放置したところで、一生食べるには困らないだろう。
新幹線での移動中、一樹はふと思い付き、沙羅の双子の妹である紫苑について尋ねた。
「そう言えば、紫苑は未だ受験期間中なのか」
「いいえ。紫苑は花咲高校にも受かりましたけれど、元々通っていた中高一貫の卿華女学院で、内部進学の予定です」
卿華女学院は、かつて由緒正しき家柄や、上流階級の令嬢向けに運営されていた学校だ。
今は時代の流れで、普通の私立女子校となっているが、過去のネームバリューで、相変わらず家柄の良い子女が集まっている。
所在地は京都府だが、隣県の奈良県を本拠地とする五鬼童家ならば、通える範囲内だ。
家柄の良い子女は、親からの寄付金も期待できるため、多少は配慮される。五鬼童家の子女であれば、公立中学に通うよりも良いかもしれない。
だが花咲高校は、五鬼童の地元からは離れている。
「紫苑も、花咲高校を受けていたのか」
沙羅とは異なり、紫苑は一樹に依頼を行っておらず、報酬も約束していない。
訝しんだ一樹に対して、沙羅は紫苑の受験理由を説明した。
「紫苑にも受験させて、私が落ちた時は、私が紫苑の名前で通学するつもりでした。その時には、紫苑が私の名前で公立に転校しました。見た目だけは誤魔化せても、性格が違うので、流石に同級生にはバレますから」
堂々と入れ替わりを宣言した沙羅に対して、一樹と蒼依は呆気に取られた。
「頑固そうな紫苑が、よく応じたな」
「あの子にとっても、一樹さんは命の恩人ですよ。紫苑は意地っ張りですけど、根が単純ですから、恩人への恩返しとか納得できる理由を示せば応じます」
紫苑を使ったと事も無げに話した沙羅に対して、一樹は空恐ろしさを感じた。それを誤魔化すべく、異なる質問で話題を変える。
「C級陰陽師で運動神経も良い紫苑は、女子校でモテそうだな」
「はい、紫苑はモテますよ。だからバレると思ったんです」
「……なるほど」
一卵性双生児の沙羅と紫苑は、髪型を変えれば見間違うほど、外見が瓜二つだ。但し性格は真逆で、沙羅が熟慮断行、紫苑が猪突猛進である。
性格とモテ度について一樹が思考を巡らせる間、新幹線は秋田県へと走り続けていった。
新幹線とタクシーを使った一樹達は、湯沢市の温泉旅館に辿り着いた。
依頼人の旅館は、最大で80室500名の収容人数を持つ地元の老舗旅館だ。料金設定に見合う立地、立派な設備、充実したアメニティ、質の良い温泉、見事な料理が揃う。
宴会場は団体客にも対応しており、喫茶店や土産物コーナーもあって、老舗旅館に求められる機能は十全に満たしていた。
晴也に案内された一樹は、旅館の一室で依頼人の亭主、妻である氷柱女、そして人間と氷柱女との半妖である娘2人と会った。
「B級陰陽師の賀茂一樹です。この度は、安倍陰陽師の補助で来ました」
「助手の相川です」
「C級陰陽師の五鬼童です」
一樹達が挨拶すると、顔に大きなシワのある総白髪の亭主は、ゆっくりとした動作で頷いた。
「私が依頼を出した佐々木だ。よろしく頼む」
外見年齢が70歳ほどの亭主は、実年齢では45歳だそうである。
亭主が老け込んだ理由は、妻である氷柱女が人の気を吸うからだ。
(妖怪に取り憑かれて、生気を吸い取られた人間の典型的な例だな)
そのように認識した一樹自身も、山姫の蒼依に気を渡している。
一樹の場合は莫大な気を持つので問題ないが、亭主の佐々木は一般人であり、気が足りない分だけ生命力や寿命を削ってしまう。
半妖の娘も2人生まれて、そちらにも気を送らざるを得なくなった結果として、負担に耐え切れなくなった。
地元の陰陽師に、特別な気を籠めた呪符を卸して貰っていたが、昨年の夏頃に引退されて入手できなくなった。
そこで長女の同級生達が、協力して解決策を考えた。
彼ら彼女らは、昨年の陰陽師国家試験で三次に進んだ100名の所属を調べた。
同じ高校1年生の所在地をピックアップすると、同学年の塾や習い事、果てはSNSなどで伝手を辿り、やがて晴也に辿り着いて助力を依頼した。
なぜ陰陽師協会ではなく、同級生の伝手を使ったのか。
それは本格活動前の同じ高校生であれば、知り合いからお願いすれば依頼料を安くしてくれるからだ。
端的な例は、一樹による鉄鼠退治だ。
300万円で行ってしまったが、完全調伏したのであれば、30億円は取るべき仕事だった。
YouTuberが陰陽師を雇ってノリと勢いで乗り込み、930年振りに比叡山を解放してしまったのだから、管轄する滋賀県もビックリ仰天したはずだ。
比叡山のある滋賀県議会と大津市議会が、予定していた対策予算を引っ繰り返されて呆然としている様が、一樹には容易に目に浮かぶ。
そんな風に、伝手で陰陽師を引き込めば、価格を下げられる。流石に無料にはならないので、依頼人は父親になっているが。
そして晴也は、見事に引っ掛かった。
具体的には、長女である夕氷に魅了されてしまった。
色々と画策した同級生達が、夕氷の色香で晴也を惑わせる意図まで持っていたのかについて、一樹は充分に有り得る話だと思っている。
色香に釣られた晴也が本気を出した結果、陰陽師協会の県支部と上級陰陽師の一樹まで動かされて、現在に至っている。
協会を経由した他の陰陽師への協力実績を作りたい一樹は、晴也がアホな事は割り切って尋ねた。
「奥さんが氷柱女である事は、一緒になる前から分かっておられましたか」
「勿論だ。妻は、風呂に入れない。うちは温泉旅館だ。そんな事は直ぐに分かる」
一樹は大いに納得した。
風呂に入って融けたとも言われる氷柱女の伝承とは、流石に異なるらしい。
「妖怪は気を吸いますが、ご亭主は、それを分かって一緒になられたのですね」
妖怪被害に遭っていない事を確認するために、陰陽師の一樹が亭主と氷柱女との馴れ初めを確認したところ、少し悩んだ亭主は、やがて答えた。
「あの頃は、若かった」
亭主は説明を端折ったが、それでも一樹には理由が察せられた。
(晴也のように、氷柱女の色香に負けたのか)
一部の妖怪が美しいのは、人を惑わして気を吸うためである。
話し合いに同席している氷柱女は、その典型的な例の一つだろう。
充分な気を吸えずに弱っている今ですら、氷の結晶のようにきめ細やな肌をしており、髪は絹糸を束ねたように滑らかで美しい。そして儚げで、庇護欲をそそらせる。
そんな氷柱女の若い頃を彷彿とさせるのが、半妖の娘たちだ。
姉の夕氷は、一樹達の1学年上で、晴也とは同学年。
北欧系美女を思わせる、氷の彫刻のように美しく整った顔立ち。
淡い銀髪と白い肌には、ぷっくりとした薄桜色の唇が映える。
体型はスリムで、凜とすました表情をしているが、弱さも垣間見える。
妹の氷菜は、一樹達の1学年下。
黒髪の純和風少女であり、14歳くらいの芸妓が髪を下ろして、自然なあどけなさを出した印象だ。洋服より着物が似合いそうな顔立ちと体型で、日本人らしい外見を体現している。
そのうち夕氷に対して、晴也は完全に魅了されている。
だからこそ晴也は現状を解決したくて、一樹まで呼んだのだろう。
そのように中級陰陽師ですら魅入らせる氷柱女であればこそ、当時の亭主が色香に負けたのも無理からぬ話だった。
一樹は伝承と眼前の氷柱女との差異について、亭主に確認した。
「氷柱女は、本体の氷柱が溶けると消えますよね。娘さんが生まれるまで、どうやって奥さんは現世に留まったのですか」
「本体の氷柱を業務用冷凍庫に入れて保護した。うちには大きいのがある」
「業務用……冷凍庫……」
素人が編み出した強引な解決方法に、一樹は茫然自失とした。
氷柱女を業務用冷凍庫に入れた男は、亭主が世界初ではないだろうか。
陰陽師であれば、陣を作って霊気を高め、身体を保つ手段を考えたはずだ。まさか業務用冷凍庫で解決させるとは、一樹も想像していなかった。
一樹が二の句を継げられずにいると、蒼依が質問を挟んだ。
「わたしもお聞きしたいのですが、娘さん達の出生届けは、どのようにされたのですか」
日本が戸籍や住民票を与えるのは、人間に益のある一部の妖怪に限られる。
人間に益があると認められるのは、五鬼童のように人を襲う他の妖怪を排除してくれる妖怪などであって、逆に襲う山姥は対象とされない。
人の気を吸う氷柱女も、難しいはずである。
はたして亭主は、手法を説明した。
「家庭裁判所にDNA鑑定の結果を出して、実子と認めてもらったな」
業務用冷凍庫に氷柱女を入れた時のように、亭主は軽く答えた。
(それで半妖が戸籍を持てたのか)
無茶苦茶な亭主に対して、一樹は頭の中が真っ白になった。
だが亭主の手順は、正しい過程を踏まえている。
DNA鑑定の結果を裁判所に持ち込めば、裁判所は実子と認めざるを得ない。
なぜなら、DNA鑑定の結果を否定する場合、これまで日本の裁判所が証拠採用してきたDNA鑑定の結果を全て否定する事になるからだ。
そして裁判所が認めれば、父親には親権が与えられるし、娘達には日本の戸籍が与えられる。
結果として娘達は、半妖でありながら戸籍を得られた。
「そんな方法があるのですね」
感心する蒼依に対して、当時を振り返った亭主は静かに微笑んだ。今は生気の薄い亭主も、かつては相当な情熱家であったらしい。
蒼依に続いて、沙羅もC級陰陽師として疑問を呈した。
「夏のプールや炎天下のグラウンドは、どうしていらっしゃるのですか」
学校には、炎天下で行うイベントが沢山ある。
体育の授業、運動部の部活動、運動会、マラソン大会、修学旅行、野球部の応援など。
半妖は半分人間であり、純血の氷柱女のように溶けて消えたりはしないだろうが、無事でも済まないだろう。
姉妹は顔を見合わせた後、先に姉から答えた。
「昔、プールに足を入れたら、皮膚が腫れてボロボロになったわ。それで陰陽師が気を籠めた御札で治してもらったけれど、それ以来は入らないわ」
語った姉が妹に視線を投げると、妹も答えた。
「水風呂と、冬の海には、入れます。外の気温も20度以下で、10月から5月くらいまでなら、外出できます。6月から9月までの4ヵ月間は、気温が低い朝夕に登下校します」
「全然、大丈夫ではありませんね」
暑い季節や時間帯に活動すると、プールに足を入れた時のように皮膚が腫れて、全身がボロボロになるのだろう。
綺麗な氷柱女が、ゾンビのような姿になる光景を想像した沙羅は、全然大丈夫ではないと冷静に結論を出した。
「逆に冬だと絶好調ですか?」
「絶好調というか、吹雪の晩なら無敵?」
妹が疑問符を付けながら答えると、姉も首肯した。
「お母さんだったら、死にかけていても、1晩で完全復活するわね」
「それは無敵ですね」
母親である氷柱女の妖怪としての格は、高いらしい。
人を無差別に襲わない氷柱女の強さは不明瞭だが、死にかけから1晩で完全復活するような妖怪は、滅多に居ない。
攻撃力ではなく、特殊性に能力が振れていると考えても、大鬼並のB級はあるだろう。
(一般人の亭主が氷柱女を養えたのは、氷柱女側の能力が高かったからかな)
氷柱女の格を理解した一樹は、娘達の力も準じて高いのだろうと想像した。
「ご亭主、依頼は奥さんと娘さん達が必要とする気について、安定的に得られる手段を講じる事でしたか」
一樹が依頼内容を確認すると、亭主は頷いた。
「今までは、秋田県の春日という陰陽師の大家に、気を籠めた呪符を卸して貰っていた。だが去年の夏にB級陰陽師が2人引退して、買えなくなった。3人とも、気を保つ最後のアテが無くなった」
枯れ木のようにやせ細った亭主が、説明を締め括った。
一樹達にとっては、物凄く心当たりのある話だった。


























