256話 源平盛衰記
今日の一針、明日の十針。
今日なら一針を縫えば繕える綻びも、明日には十針を縫わなければならないという意である。
思い立ったが吉日と、今日は1年生の上位陣に割り当てている2部屋隣のB室に直行した。
一応ノックをして、私室でもないので返答を待たずに入っていく。
R棟7階のB室とD室は、部屋の造りや備品が殆ど同じで、座る人間だけが異なる。
湿気で僅かに曇りがかった窓際には、B級と目される凪紗と夢乃が向かい合って座っていた。
天気のせいか、部屋の中はどこか静かで落ち着いた雰囲気が漂っている。
「よう。揃っているな……勉強か」
凪紗の隣にC級中位の九条茉莉花、C級下位の鶴殿優斗と松園冬香。
夢乃の隣にC級中位の小倉達季、その横にD級上位の九鬼隆士。
九条の本家と分家、九鬼の本家と分家の並びはあるが、一樹が感知した実力順になっている。
――俺達のところを真似たのかな。
2年生の部屋も、最奥の窓際にはA級の一樹と小太郎が座っている。
昨年発足した伝統など無い同好会だが、無いなりに先輩である一樹達を真似たのかもしれない。
その並びで座った7人は、各々が勉強をしていた。
天気が良ければ海岸で術を使う事もあるし、沙羅や香苗が手を貸すこともあるが、今日は雨が降りかねないので全員が屋内に居るのだろう。
揃っている後輩達の1人、入口に近い隆士が、皆を代弁して声を掛けた。
「賀茂先輩、どうかしましたか」
「同好会の活動で、九鬼夢乃に用があってな。すまないが、隣のC室に来てくれないか」
「……承知しました」
指名を受けた夢乃は、珍しそうなものを見るような表情を浮かべた後、頷いて立ち上がった。
C室は、夢乃達の後輩用に空けている部屋だ。
先日は、隆士から大判小判を受け取るのに使っており、相談室として使い勝手が良い。
B室を出た一樹は、夢乃を連れてC室に入った。
C室の部屋の造りも、隣室と同じである。
席に座った一樹は、促して向かい側に座らせた夢乃に対して、さっそく本題に入った。
「俺達の同好会は、A級陰陽師である賀茂家の俺と、花咲家の小太郎とで立ち上げた。立ち上げておきながら入会した後輩者をほったらかすと、俺達の名誉に関わる。そういうわけで後輩達には、先輩らしく指導をしているわけだが、殆ど何も出来ていない後輩が2人居る」
「196人が入会しましたが、此方を含めて、もう2人だけですか」
194人に対して、わずか2ヵ月で陰陽師として有用な指導を行えるのは、非常識だ。
もちろん一樹達が行っていることについて、同好会に所属する夢乃が知らないわけではない。
1年生達は、自分達だけのSNSグループを作っている。
そこでは霊符作成の練習、海鼠や化鼠の使役について、上の7人以外が何らかの指導を受けた情報は共有していた。
内容を把握してなお、言語化すると呆れざるを得ない結果が出ている。
「二次試験に落ちた後輩は、沢山来ることを予想して、事前に指導の準備をしていた。妖狐を講師に招聘して、指導に使える式神も使役していた。F級以下なら、何人居てもそれで済む」
「1000人でも、教えられそうですね」
「そうだな。久瀬みたいにやらかす人間が、5倍に増えるのは嫌だが」
総数が増えると、やらかす人間も増える。
刑部姫からは得るものもあったが、怒れる神に謝罪するのは、懲り懲りだった。
「とにかくF級以下の連中は、用意した指導が進んでいる。九条の3人は祈理が教えてくれて、凪紗は沙羅がちょうど良い相手になっている。隆士は土日で終わったから、何も出来ていないのは、九鬼……夢乃と小倉達季の二人だけという状態だ」
九鬼と言いかけた一樹は、九鬼隆士のほうに式神を持たせたことから、夢乃と言い直した。
「左様ですか」
「左様だ。というわけで、同好会に入った目的があれば、先輩として叶えられる範囲で手伝うが」
単純に力を貸すと言っても、何が目的だと疑われる。
そこで一樹は同好会を立ち上げた賀茂家のA級として、自身の名誉の問題だと告げた。
「御身は、此方を警戒しておられませんでしたか」
「陰陽師ではなかった九鬼の末裔が、その年齢で統括陰陽師に成れるB級の力を持っているなら、違和感を抱くのは当然だろう」
陰陽師の力は、呪力が血筋で、術は教育だ。
統括陰陽師の中でも上位である九条家は、妖狐の血筋と術を受け継いでいる。その嫡子である茉莉花が現時点でC級中位。
B級は、陰陽大家の上位ですら難しい。
そして夢乃は、陰陽師ではなかった元大名、元華族の末だ。
分家の隆士がD級上位だが、それくらいが順当なはずである。九条よりも上になるわけがなく、常識的には有り得ない。
「だが自分が正体を知らないだけで、後輩を差別するのは良くない」
「そのようなものですか」
「そのようなものだ。そもそも、強い力を得る方法は、いくつもある」
陰陽師が呪力以上の力を行使する際には、不足する呪力を補う何かを要する。
勾玉や管玉などでの呪力補助、祭祀や供物奉納、憑き物、願掛けや断ち物。
豊川りんは、供物奉納で千体の霊狐を召喚している。香苗の歌唱奉納でも、召喚は叶うだろう。
花咲家は犬神が氏神化しており、安倍晴也はキヨが憑いている。
魔王戦において静岡県の堀河陰陽師は、願掛けや断ち物による祈願を行った。
「猫に関係する何かが憑いていると予想するが」
「それは何でしょうか?」
一樹の予想を聞いた夢乃は、試すように尋ねた。
その反応から、十中八九で何かが憑いており、残りは使役していると予想した一樹は、猫の妖怪を思い浮かべた。
「猫又や、中国の金華猫ではないな」
金華猫は、尿を混ぜた水を飲ませて状態異常にかける妖怪だ。
その水を知らずに飲んでしまった人物は金華猫の姿が見えなくなり、どんどん衰弱して、最終的には病床に伏して起き上がれなくなってしまう。
金華猫を捕らえることが出来るのは、猟犬だけだとされている。
厄介な妖怪だが、大鬼ほどの力は無い。
「兵庫県南あわじ市の赤猫は、綺麗な娘に化け、海坊主のようにひしゃくを借りて船を沈めるが、あれも大鬼ほどの力は無い」
「そうなのですか」
「海坊主は、D級程度だ。妖猫でも、中魔程度だろう」
猫の妖怪は弱いと思いかけた一樹は、浮かれ猫を思い出して気を引き締めた。
香苗を導いた弁才天の神使、元は白鳥だった小白の力は、一樹もよく分かっていない。
一樹を絵馬の世界に引き込んだことから、当人の性格はさておき、不意を突けば一樹を殺せるくらいの力は有りそうだ。
猫に見えるからといって、侮ってはいけない。
「大阪府の怪手は、まさしく猫の妖怪だが、あれも違う」
怪手とは、『絵本小夜時雨』(1801年)に記される怪異だ。
安永年間(1772年~1781年)に武士が夜明けまで兵法書を読んでいると、丑三つ時に障子から鬼のような腕が伸びてきて、髪を掴んで引っ張った。
武士がその腕を刀で切ると、化け物は逃げていき、夜明けに大きな猫の手が残っていたという。
その程度の妖怪であれば、200年以上経っても、大鬼には成らない。
「京都府西別院村の髪結び猫、兵庫県志方町の猫石……」
三田九鬼に由来のある、三重県から京都府近辺に現われる猫の妖怪。
その候補を思い浮かべては却下していった一樹の脳裏に、ある化け猫が閃いた。
内心では確信を得ながら、裏付けを取る。
「兵庫県の大名だった三田九鬼は、廃藩置県後に神戸市へ居を移して、神戸初の輸入商社を設立。不動産や金融業も行い、神戸港周辺を開発し、神戸女学院の前身の創設も支援した」
「よくお調べですね」
「後輩が三田九鬼だからな。ところで『源平盛衰記』には、兵庫県神戸市にある布引の滝で、平重盛の一行が化け猫に出会った記述がある」
「どのような化け猫でしょう」
それは八尺(240センチメートル)ほどもある、30歳ほどの女に化けた猫だった。
一樹は源平盛衰記にある言葉をなぞる。
「ここは何処か、何者の住処か」
「ここは布引の滝壺の底、竜宮城なり。あやしくも来る者かな」
夢乃の口から、源平盛衰記にある答えが返ってきた。
あやしく微笑む夢乃とは真逆に、一樹は血の気の引いた白い顔を浮かべていた。




























