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【8巻4/15発売】転生陰陽師・賀茂一樹  作者: 赤野用介@転生陰陽師8巻4/15発売
第9巻 布引の竜宮城

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264/288

253話 海童

 薄曇りの空が港を覆い、湿った潮風が吹き抜ける6月2度目の土曜日。

 一樹と沙羅は、和歌山県の新宮港に立っていた。

 新宮港は、紀伊半島の南部、和歌山県と三重県との県境部に位置している。

 東京都の4.5倍以上という紀伊半島の大部分は、妖怪が支配する領域だ。海沿いの地域だけ、人間の領域となっている。


「新宮市の人口は少ないのに、港は物凄く広くて、大きいな」


 一樹が下調べしたところ、新宮市の人口は『市』の要件を満たす5万人の半数ほどだった。

 日本にある市の平均人口と比べれば、人口は少ないと言える。

 それにもかかわらず、港は非常に大きくて立派だった。

 首を傾げる一樹に、同行した沙羅が補足する。


「新宮港は、昔は捕鯨基地でした。江戸時代には、江戸や大坂に炭や木材を運ぶ新宮廻船もあり、長く栄えてきました」

「江戸や大坂の炭や木材を支えたのか」


 廻船とは、港と港の間を往来して旅客や貨物を運ぶ船のことだ。

 こんな田舎に、どうして巨大な港があるのかと不思議に思ったが、膨大な木という資源があり、炭や木材を得られるのであれば納得できる。

 勝手に生えてくれて、伐採して船に積んで運べば儲けられたのならば、人が集まっただろう。

 江戸時代に港が大きくなったのは、当然と言える。


「今も紀南地方唯一の外貿港湾として、三重県や奈良県も含めた地域の拠点港になっています」

「なるほどな。炭や木材の需要が落ちても、上手く切り替えられたわけか」


 奈良県民の沙羅に解説された一樹は、腑に落ちた様子で頷いた。

 新宮港沖には、いくつもの漁船や貨物船が揺れており、岸壁には係留柱がズラリと並ぶ。

 海面には油が虹色に輝き、小波が規則正しく打ち寄せている。

 港湾の奥に目をやると、背の低いクレーンがいくつかそびえ立ち、動きを止めたコンテナの山が薄暗い影を落としている。

 一樹の傍には、幽霊巡視船の一部である7メートル型高速警備救難艇も停泊していた。


 港には沢山の船が停泊し、人々が行き交い、クレーンが規則正しく動いている。

 そんな人々の動きに、後輩である九鬼隆士の姿が混ざっているのが見えた。


「ああ、来たな」


 隆士は、自信を欠いた表情を浮かべながら、台車を押してゆっくりと近づいてくる。

 台車には、二つの物が乗っている。

 一つは箱に入った大量の日本酒で、もう一つは底の抜けたひしゃくだ。

 隆士の歩みは重そうだったが、それでも足取りを止めることなく、一樹の前まで進んできた。


「賀茂先輩、五鬼童先輩、今日はありがとうございます」


 一樹と沙羅の前で足を止めた隆士が、深く頭を下げた。

 九鬼の分家が抱える長年の問題からか、隆士の言葉は硬い。


「問題ない。これまでに179人の後輩に式神を持たせた。それが180人になるだけだ」


 大したことではないと、一樹は軽く流した。

 これまで一樹は、呪力順で上の7人を除く後輩達に、先輩として指導する機会を作った。

 また上位7人のうち凪紗は、鬼神にして天狗から昇神した刑部姫の指導を受ける機会を得た。九条茉莉花とお付きの2人も、妖狐として九条本家を上回る香苗から、指導の機会を得ている。

 隆士に式神を持たせることは、後輩への指導実績が一つ増えるだけだ。


「俺の場合、使役の準備が必要という話ですが」


 隆士は、自身が運んできた日本酒の山に視線を投げた。

 それらは今回の使役に際して、前段階として必要な物だった。


「海鼠と化鼠の時は、神気が宿った角材を持たせた。そんなに気にするなら、一人で積み込め」

「分かりました」


 隆士は高速警備救難艇に、大量の日本酒を積み始めた。

 日本酒は1.8リットルの一升瓶が20本もあって、なかなかの量だ。それは高校生の一樹達が飲むわけではなく、三重県に由来する妖怪に飲ませるために持ってきた。

 酒を飲んで酔う伝承がある妖怪は、少なからず存在する。


「酒を手配した親は、酒呑童子や八岐大蛇でも倒すのかと言わなかったか」

「……言っていました。お前は、何を倒しに行くのだと」

「酒飲みの妖怪には、有名処が多いからな」


 工夫しなければ倒せない妖怪は、当然ながら強い。

 もっとも今回の一樹は、大妖怪を酒で酔わせて、隆士に使役させたいわけではない。

 供物奉納によって与力を願うほうだ。

 隆士が日本酒を積み込んだのを見届けて、一樹と沙羅は船に乗り込んだ。


「それじゃあ出港だ。まずは三重県熊野市の遊木町にある入り江を目指す」


 一樹が宣言すると、高速警備救難艇はゆっくりと新宮港の岸壁を離れ始めた。

 幽霊巡視船の一部である船は、エンジン音を上げず、静かに波間を切り裂いて進んでいく。

 岸壁から離れるにつれ、港湾施設や停泊する船の姿が徐々に遠ざかり、小さくなっていった。


 新宮港の周囲は、まだ朝靄が海面に漂い、遠くの風景がぼんやりと霞んでいる。

 背後には、和歌山の山々がうっすらと緑色のシルエットを見せ、港の喧騒が静かに薄れていく。

 隆士は手すりを握りしめ、船が安定して進む様子をじっと見つめていた。その表情は硬く、唇を引き結んだままだったが、どこか心の準備をしているようにも見えた。


「確認しておく。俺はA級の幽霊巡視船を使役しているが、それを出すと、隆士に使役させたい妖怪が近寄らないから、今回は出せない」

「はい」

「想定外の妖怪が現われた場合、沙羅は俺を掴んで飛ぶ。沙羅は俺の安全のために来たのであって、隆士のために来たわけではない。隆士は、俺が使役している絡新婦の妖糸を巻き付けて、引き上げることになる」

「分かりました」

「海の戦いが得意な陰陽師は、滅多に居ない。俺も、陸に比べて海は不得手だ。だからこそ隆士が海の妖怪を使役すれば、引く手数多になるわけだが」


 島国である日本では、海の妖怪に関する依頼が多い。

 それらの依頼に対応できるようになれば、かつて水軍だった九鬼は、面目躍如だろう。


 港を完全に抜け出すと、視界には熊野灘の広い海原が広がった。

 空は相変わらず薄曇りだが、雲間から一筋の陽光が差し込み、海面に金色の光が揺れるように映っている。

 白波が船首をかすめるたびに、微かなしぶきが空気に舞い上がり、潮の香りを漂わせた。


「風が気持ちいいですね」


 船の縁に立った沙羅が、隆士の緊張感を解きほぐすように、穏やかな声を上げた。

 そして身体のバランスを保ちながら、縁の上を軽やかに歩く。

 突風でバランスを崩したとしても、沙羅は即座に黒翼を広げて、空に舞い上がれる。

 だから転落を恐れることなく、気楽に跳び回れるのだ。

 錚々たる陰陽大家が、どうやっても五鬼童家に勝てない所以である。


 ――空を飛べるのは、凄いアドバンテージだよなぁ。


 一樹達を乗せた船は速度を上げて、熊野灘の沖をまっすぐ進んでいく。

 海上には小型の漁船がちらほらと浮かび、遠くには山影が連なっている。

 紀伊半島の沿岸は、険しい岩壁が続き、その合間に入り江や集落が点在して見える。

 時折、岸辺の松林が風に揺れる様子が、遠くからでもはっきりと分かった。


 しばらくすると、三重県熊野市の遊木町が近づいてきた。

 入り江は穏やかで、波も小さく静かだ。

 岸辺には古びた漁港の建物が並び、遠くに木造の小さな神社が見え隠れしている。

 岩場の間には細い小道が続き、鬱蒼と茂る木々がその風景を包み込んでいた。

 船が徐々に速度を落とし、入り江の浅瀬へと近づいていった。

 そして船を繋ぎ、隆士に告げる。


「ここが目的地だ。今回は、隆士が式神を使役するために、先に海童うみわらわという妖怪に協力してもらう。酒は、協力の手間賃に必要な物だ」


 海童は、『於杉於玉二身之仇討』(1807年)に記される妖怪だ。

 ある時、紀の国の新宮(和歌山県新宮市)から、伊勢の九鬼(尾鷲市九鬼町)への船があった。途中、入り江に船を寄せて夜を明かしていると、どこからか声が聞こえて、人影が見えた。

 しばらくして静かになり、休んでいると、大きくて真っ黒なものが船の中に飛び込んでくる。

 慌てて目を覚まして灯りを付けたところ、異様な妖怪が浮かび上がった。

 それは子牛ほどの大きさで、頭に鳶色の毛が生えて腰まで伸びており、顔は猫のようで、目はきつく、両手に水かきがあり、爪は刀のように鋭く、両足は魚のようで歩くことは出来ず、背中には鱗があり、腹は蛙や魚のような姿の存在だった。

 船頭は、『この者は海童という海に住む妖怪である。人を傷付けず、渡る船を守り、鮫を食い殺すので、この海には鮫が棲まない。我々は海の神として扱っている』と語った。

 海童の好みが酒だと聞いた客が、振る舞ったところ、海童は一斗(18リットル)も飲んだ。

 人を守ることを褒めてみたところ、海童は嬉しそうにしながら、海へと帰っていった。

 於杉於玉二身之仇討の挿絵側には、海童が船底を突く悪魚のカジキを食うとも書かれている。


「隆士は船に残って、海童を待て。そして海童が現われたら、酒を振る舞って、与力を請え」

「分かりました。賀茂先輩は、どうされるので……」


 隆士の視線の先では、沙羅が一樹の左腕を両手で抱えて、しなだれかかっていた。

 常識的に考えれば、高校二年生の女子である沙羅は、隆士と一緒に小船で泊まれない。沙羅は、ホテルなどに滞在して待つことになるだろう。

 その際、一樹はどちらと一緒に居るだろうか。


「護衛として、絡新婦の式神を陸に置いておく」

「了解しました」


 無言で微笑みながら頷く沙羅を見て、隆士は沙羅が無償で手伝ってくれた所以を理解した。

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― 新着の感想 ―
褒められて嬉しくなってお酒呑んで気持ちよくなって帰ってくフラッと来ただけの猫顔妖怪、かわいい。素行が完全に猫。
香苗の攻勢に続き負けじと沙羅もぐいぐいいくなぁw 6巻発売日も近くなってきましたね。webに上手くプラスαした感じで、毎巻楽しませてもらってます。
カジキも妖怪がいるのか いつもながら面白い伝承が聞けてありがたい
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