247話 新たな使役
花咲市にも、初夏の匂いが漂い始めていた。
緑豊かな山々の上空では鳥達が飛び交い、衣替えの季節が近づく5月下旬の風が心地よい。
講師室から見下ろす浜辺は、柔らかな光を受け、穏やかな波音が聞こえてくるようだった。
「そろそろ2ヵ月ですね」
「左様でございますね」
模擬戦を行った翌日の放課後。
一樹はR棟の講師室で、春と前日の指導内容について振り返りを行っていた。
「昨日の模擬戦を以て、三次試験までの練習を一通り終えたことになりますね。本番まで半分未満の期間で終わるとは、流石に思っていませんでした」
本番とは、8月1日の二次試験のことだ。
5月下旬の時点で、二次試験の霊符作成と三次試験の模擬戦を体験済みというのは、一樹が想像していたよりも早いペースだった。
――入学した時点の後輩達は、ろくな指導を受けていない状態だった。
後輩達の大部分は、中学三年生の夏、一次試験に合格できた一般人だ。
だが一次試験の呪力検査と、二次試験の霊符作成の結果を踏まえた協会からは、元下級陰陽師の師匠を割り振られて、見込みが低いと判断された。
それから進学先を花咲高校に切り替えて、受験勉強を行い、春に合格してやってきた。
元下級陰陽師の指導は、本人達に彼らから教わる気が乏しい以上、手厚かったとは思えない。
そのため一樹は、高校受験のように前日まで詰め込む光景になるだろうと、想像していた。
だが現在のペースであれば、霊符作成や模擬戦を何度も繰り返して、質を高めていける。
「海鼠を使役していない者は、三次試験の練習は出来ておりませんが」
「それは使役の機会を与えた上で、本人が自分の意思で嫌だと断ったのですし、呪力的に三次試験までは進めないでしょうから、別に問題ないと思います」
後輩達から指導料を受け取っているわけではなく、師弟関係でもなく、あくまで同好会だ。
一樹の社会通念上の責任は、部活動の先輩が後輩に教える程度でしかない。
ある程度の体勢を整えるのは、同好会を創設した当事者の責任だと考える。
また後輩に教えて下さいと頼まれれば、その時の気分や後輩の態度で、可能な範囲を教えなくもない。だが、教えなくて良いですと言われれば、わざわざ押し付ける気はないわけだ。
そして意欲的な後輩達が行った模擬戦は、上々の結果だった。
「1年生の大半は、三次試験には進めないと思います。ですが年数を問わなければ、いずれ陰陽師には成れると思います」
「元々、呪力的には受かる範囲内でございますからね」
「そして妖狐の先生方から、霊符作成の指導も受けました」
妖狐達のほうが、大抵の人間よりも術に優れている。
研鑽を蓄積させた陰陽大家と比べると、流石にどちらとは言い難くなるが、元下級陰陽師の師匠などとは比べるべくもない。
しかも一樹が、絵馬の式神で手を貸している。
今年受からなくても、いずれ受かって陰陽師に成るだろう。
「今回負けた1年生達は、調伏の現場であれば死んでいました。あれは、とても良い経験でした」
「もしかすると、逃げ切れた者も居たかもしれませんよ」
春の指摘を受けた一樹は、各自が霊符を持っていると想定して、妖怪に追われて逃げ切れるかを想像してみた。
後輩達は、式神が戦闘不能に陥った状態で、呪力が尽きており、守護護符だけを所持している。なお神気を帯びた木材は、1年以上が経って神気が抜けている。
そして相手は、昨日の海鼠であれば、人間よりも早い速度で追ってくる。
猫ほどの大きさのネズミなのだから、猫と同等だと考えれば、時速48キロメートル。
はたして人間は、逃げ切れるのか。
「式神が相手の足を負傷させた状態であれば、逃げ切れるかもしれません」
あるいは相応に負傷させていた場合も、逃げ切れる可能性がある。
それらは互角に戦って削れた場合で、劣勢だった者の生存率は極めて低くなるだろうが。
「1年生達は、呪力が尽きる前に逃げようとか、複数人で調伏に赴こうとか、霊符は多目に用意しようとか、色々と考える機会に恵まれました。得難い経験です」
「地力も、上げてほしいところでございますが」
「もちろんです。それらについて考える機会となった模擬戦は、とても有意義でした」
後輩達は、花咲高校を卒業するまで2年10ヵ月もの猶予がある。
受かった後も学べるので、後輩達の前途は、暗くはない。
問題は、海鼠を使役しなかった者達のほうだ。一樹が一部の後輩達を思い浮かべていたところ、春が引き出しから紙の束を取り出して、一樹に差し出してきた。
「それは何でしょうか」
「旅のしおりです」
一樹がパラパラと捲ると、海鼠の使役に参加しなかった33人の後輩を対象として、ほかの式神を獲得させる補習計画が記されていた。
後輩達は、中級以上の実力者と見なした凪紗達7人、おゆう班7人、海鼠を使役した148人、使役していない33人で、合計195人。
33人も、妖狐の春達から、一樹の式神・大根を用いた霊符作成の指導を受けている。協会が斡旋した元下級陰陽師の師匠には、指導内容で負けていない。
それで充分だと一樹は考えていたが、春は再チャンスを与える計画を用意していたようだった。
「式神を持っていない33人に、使役の再チャンスを与えるわけですか」
「何か問題はございますか」
「いえ、問題は有りません。立派な指導だと思います。ですが、意外だと思いまして」
「意外とは、何でございましょう」
「断った相手に再び手を差し伸べるのは、かなり手厚い指導だと思いまして」
「妖狐の印象に似合いませんか?」
「率直に申しますと、ご推察の通りです」
一樹が指導を手配した理由は、自分のためだ。
一樹が所属している陰陽同好会は、会の活動場所として、立派で便利なR棟を宛がわれている。そして同好会の会員が国家試験で合格することは、部活動が大会で出す結果に相当する。
つまり一樹が、R棟で気ままに過ごすためには、相応の結果を出す必要があるわけだ。
さもなくば、ほかの部活から「結果を出せないのに場所だけ立派だ」と妬まれてしまう。
それに安倍晴明の師匠であった賀茂家の末、現役のA級陰陽師として、自分達が立ち上げた同好会の後輩が悲惨な結果になれば、二大宗家の家名に傷を付けることにもなる。
『かつての賀茂家は、安倍晴明すら指導した。だが現代の賀茂家は、術者としてはA級だが、指導者としては力不足か』
『賀茂と花咲、A級が二人居ても、大したことは無いな』
そのように思われるのは、一樹としても心外だ。
だから一樹は、相応の結果を出して、周囲を黙らせる必要がある。
他所で学んでいた上の7人を除いて、5人以上が合格すれば立派。
10人以上が合格すれば、賀茂家の末であるA級陰陽師として面目躍如。
10人を大きく超えれば、「やはりA級陰陽師はおかしい」と呆れられる。
そのような状況で、相応の結果を出せそうな手応えも感じつつあった。
一樹は、全員を合格させる意思までは無くて、元下級陰陽師に学ぶよりは良い環境を提供して、10人以上が受かれば良いという考えでいる。
合格人数が増えるのは一向に構わないが、そのために駆け回って骨を折るほどでもない。
そんな一樹とは裏腹に、春はしっかりとフォローを考えていたらしい。
「最初から全員が、正しく判断できるとは思っておりませんでした。式神の有無による差を見せ、反省させて、改めて使役させる。それも指導の内でございましょう」
「この事態は、織り込み済みだったのですね。なるほど、感服しました」
クールな妖狐には似付かわしくない行動だと思ったが、春が付いて来られない者達を想定して、最初から第二弾も考えていたのであれば、予定通りに指導をしているだけだ。
一樹は妖狐の招聘に際して、相応の寄進を行った覚えがある。
報酬に見合う指導をするのは、むしろクールな妖狐の印象に似付かわしい仕事ぶりだと言える。
「守護護符は防御の手段で、攻撃には使えませんからね」
「左様でございます。このままでは33人の大半は、いずれかの調伏現場で命を落とすか、大怪我を負うことになるでしょう。何か持たせませんと」
「春先生が仰られるとおりです」
後輩達の殉職率が平均を上回れば、それはそれで一樹がケチを付けられかねない。
その際、「式神の使役にも付き合った」と言えば、充分に指導したのだと思われる。
それ以上のことは、師弟関係にある師匠でも出来ない。
「一度くらいは再チャンスを与えようというお話、良いのではないでしょうか。そもそも、指導はお任せしておりますし」
「是との由、ようございました」
椅子に深く座り直した一樹は、改めてしおりを読み始めた。
そして、気付く。
「次の候補も、ネズミなのですね」
「相手がゴネたからといって、要求を飲む必要はございません。要求を受け入れてしまうと、次もゴネますでしょう?」
「ごもっともです」
「むしろ素直だった148人のために、33人には多少の苦労をして頂きませんと……」
獲物をいたぶるような春の態度に、これは紛れもなく妖狐だと、一樹は納得した。




























