229話 鳴釜神事
桃太郎伝説の起源となった鬼神の居城『鬼ノ城』があるのは、岡山県総社市だ。
総社市は、県人口の約4割が集中する岡山市の西隣に位置しており、現在はベッドタウンとして機能している。しかし、かつては吉備国の中心地域として栄えた歴史がある。
その総社市は、珍しいことに海には面していない。
「古代の日本って、首都が内陸にあることが多いよな」
「飛鳥京、藤原京、平城京、長岡京、平安京、みんな内陸ですね」
思い付きで呟いた一樹に対して、沙羅がすぐさま応えた。
古代日本には、大和、吉備、筑紫、出雲という四大王国があり、それぞれ内陸に拠点を構えた。他の古代豪族たちもまた、川や山を頼りに内陸に拠点を築き、海沿いのリスクを避けた。
筑後国は上妻郡、出雲国は意宇郡がその例である。
「現代だと、内陸に首都があるのは珍しいよな」
「首都の大人口を支えるためには、海上輸送で効率よく物資を運ぶことが欠かせないですから」
「昔は、そうではなかったわけか」
総社市はかつての繁栄から、時代とともに役割が移っていった場所だ。
今も総社市内には、かつてこの地を守護した大国主神を祀る備中国総社があって、そこから市の名が取られている。
その備中国総社から約8キロメートル北に進んだ山の上に、鬼ノ城が聳え立つ。
総社市の人と妖怪の境界は、市中心部と鬼ノ城の中間地点にある砂川公園に広がっている。
支部の車で砂川公園に到着した一樹達は、そこから険しい山道を徒歩で登り始めた。
「流石に市内は落ち着いていたな」
一樹が軽く笑みを浮かべると、蒼依が少し眉を寄せた。
「自衛隊が来ていましたけど、特に緊迫感があるわけでもなくて、不思議な感じがしました」
総社市には、実際に自衛隊の姿が確認できた。
中部方面隊に属する第46普通科連隊で、迫撃砲や対戦車誘導弾を装備していた。
隣の岡山市にも第13旅団が展開しており、平時とは異なる雰囲気がある。
だが一樹は、自衛隊が温羅を殺害する目的で展開しているとは、考えていなかった。
「自衛隊の目的は、温羅が山から降りてきたら足止めすることだろう。温羅が怨霊化したら、自衛隊では手に負えなくなるからな」
もし復活した温羅を現代兵器で撃ち倒せば、温羅が怨霊化して、現代兵器が効かなくなる。
殺すと手に負えなくなるので、痛手を負わせて追い返すことを目的としている。
それは極論すれば、「山から熊が降りて来たら、痛い目に遭わせて追い返す」ようなものだ。
「だから緊迫感が、感じられないのでしょうか」
「そうかもしれない。そもそも協会は、自衛隊を派遣するよう依頼していない」
蒼依が疑問の声を上げた。
「自衛隊は、協会とは関係なく来ているのですか?」
「協会は、協力を要請していないぞ。恐らく、県知事の判断だろう」
神社が破壊されて、神主と巫女が殺害されれば、市民は警察へ通報する。
現場検証を行った警察が霊障と判断すれば、協会の岡山県支部に連絡する。
支部が「対応不能で本部に報告する」と判断すれば、警察は県に報告する。
県は、『国民保護法』第十五条に基づき、国に自衛隊の派遣要請を行う。
防衛大臣は、『自衛隊法』第七十七条に則り、総理の承認を得て派遣する。
総社市に自衛隊が展開しているのは、その一連の流れによると思われた。
「自衛隊は、市民の避難は行わせないのでしょうか」
蒼依が疑問を口にした。
「確かに獅子鬼の時は、大人数を避難させていたな」
「はい。今回は、どうして行わないのでしょう」
「温羅が移動した鬼ノ城は、妖怪の領域だ」
妖怪の領域には、妖怪が棲んでいるのが常識だ。
その状況を危険だと訴えれば、国土の3分の2を占める妖怪の領域も、残らず該当してしまう。対応しろと言われても対応できないから、現状に至っている。
妖怪の領域に居る相手については、「危険だ」と言われても、「そうだね」で終わるしかない。
「ですが温羅は、人間の領域の神社を破壊して、神官と巫女も殺していますけれど」
「温羅は動機が明確で、今のところ無差別に市民を襲っているわけではない。だから、市民を避難させる判断には、至っていないのだろう」
「どういうことですか?」
「温羅の伝承には、鳴釜神事というものがある」
かつて温羅は吉備津彦命に敗れ、首を刎ねられて犬に食われ、骨だけになった。
しかし怨念は残り、骨に宿った。
そこで吉備津彦命は、温羅の髑髏(白骨になった頭蓋骨)を竈の下深くに埋めた後、生前温羅が寵愛していた阿曽女に、朝夕と火を焚かせて食事の世話をさせて、怨霊を鎮めた。
だが話は、そこで終わらない。
いつしか人々は、髑髏を使って吉凶禍福を占う『鳴釜神事』を行うようになった。
「鳴釜神事とは、何ですか?」
蒼依が小首をかしげ、一樹が説明を続けた。
「阿曽女が竈の火を焚いたとき、釜が震えて、吉凶を告げられた。それを占いに利用されるようになったのが、鳴釜神事だ」
鳴釜神事は、神官と阿曽女役の巫女の二人体制で行われる。
儀式はまず、阿曽女役が釜に水を張り、湯を沸かすことから始まる。
その後、神官が祝詞を奏上して、阿曽女役が竈に座して甑(昔、強飯などを蒸すのに使った器。現代の蒸籠)に入れた玄米を振る。
その時、鬼が呻るような低い音が釜から鳴り響くので、音の大小や長短で吉凶禍福を占う。
なお阿曽女役は、総社市北東部の東阿曽・西阿曽一帯出身の巫女が務めてきた。
「もしも他人が、自分の頭蓋骨を使って勝手に占いをしたら、嫌だろう」
「それは、物凄く嫌ですね」
一樹の説明に、蒼依が強く同意した。
「だから温羅が、自分の頭蓋骨を占いに利用している神官と巫女を殺したのは、怨恨だ」
「そうですね」
「しかも温羅は、妖怪の領域に移動した。温羅が無差別に襲ってくるから、すぐに市民を避難させるべきだ……とは、現状では言えないだろう」
「そういうことなのですね」
一樹には、温羅の怒りが理解できた。
そもそもがヤマト王権による地方の平定で、吉備国に住んでいた温羅は、侵略された側だ。
その時は人間で、怨みが募って鬼神と化したのかもしれない。
寵愛していた阿曽女が食事を捧げる間であれば、温羅も怨念を静められた。
だが今の阿曽女役は、温羅が愛した阿曽女ではなく、自分の頭蓋骨で占いをする知らない女だ。
「ちなみに阿曽女役の募集は、55歳以上の女性限定だ」
「どうしてですか?」
蒼依は驚いた表情で聞き返した。
「温羅が寵愛した阿曽女の役だから、だろうな」
それとは対照的に、神社で募集している正職員の巫女は、18歳から23歳までの独身女性だ。
正月から節分までの短期アルバイトの巫女は、女子大生限定である。
温羅が怒りを募らせ、復活に必要な呪力が満ちて爆発に至っても、何ら不思議ではない。
一樹が温羅と同じ立場であれば、自分の頭蓋骨で占いをしている神社を叩き壊し、実行役の神官と巫女を踏み潰した後、蒼依姫命の神域に帰るかもしれない。
――最低限で済ませた温羅は、温厚なほうじゃないか。
温羅の行動に対して、一樹は深い理解と強い共感を覚えていた。
「総社市には、阿曽女の家族や親戚の子孫が住んでいるかもしれない。温羅がどこまで暴れるか、現時点では不明瞭だ。この状況で市民を避難させていたら、ハッキリ言ってキリがない」
「そこまで事情が分かっていて、よく調伏を引き受けましたね」
同行している香苗が、一樹を見つめて、溜息交じりに問いかけた。
すると一樹は山道の左手に視線を移し、指差した。
皆が向いた先には屋根が建てられており、その下に大釜が設置されている。
「例えば、あそこに大釜があるだろう。あれは温羅が、人を茹でて喰った釜だと伝えられている」
香苗が釜を見ながら、半信半疑に尋ねた。
「本物なんですか?」
「偽物らしい。だが温羅は鬼で、鬼は人を喰う存在だ。それなら人としては、調伏するしかない」
牛太郎のように人間側に立つ大鬼であれば、使役して、実績で神社に祀れるかもしれない。
だが温羅に関しては、人間側に立ちようがなく、調伏以外の選択肢は見出せない。
一樹は陰陽師が生業であり、経緯について思うところはあったが、鬼退治を引き受けた。
なお今回は、岡山県、神社があった岡山市、温羅が居る総社市が、岡山県支部に依頼料を支払う話になっている。
一先ず県が立て替えて、両市と話し合って負担割合を決定する予定だ。
――桃太郎関連の収入から出したらどうだ。
桃太郎関連の年商は、一体どのくらいだろうか。
そんなことを考えながら、一樹はさらに山道を登っていく。
足元の石がきしむ音に耳を澄まし、冷たい空気が漂う中を慎重に進むと、やがて鬼ノ城の跡地が近づいてきた。
蒼依が気配を察し、周囲を見渡して呟く。
「鬼達が働いていますね」
見れば、城の跡地に幾体もの鬼がいる。
鬼達は、城の残骸を整理したり、石材を運んだりと、建設現場の作業員のように働いていた。
山に棲んでいた鬼の群れを従えたのだろうか。
鬼達は、温羅の命令に従って、鬼ノ城の再建を行っているようだった。




























