19話 鬼猫島
夏休みの最中、一樹と蒼依は、南にある『鬼猫島』を訪れた。
これは『陰陽師国家試験に付き合わせた埋め合わせ』として、一樹が蒼依の要望を聞いた結果として行った旅行だ。
八咫烏達は、一樹の父である和則に預けている。
完全に2人きりで行う、泊まりがけのバカンスだった。
「わぁ、猫がいっぱいですね」
感嘆の溜息を漏らす蒼依に対して、一樹は「そういう次元か」と訝しんだ。
30匹を超える色取り取りの毛並みの猫達が、埠頭に着いた観光客達に迫ってくる。その奥からは、さらに多数の猫達が姿を現していた。
「上陸した時点で、既に包囲されているな」
これが敵地に潜入する作戦であれば、完全に失敗している。
猫達は、獲物……ならぬ観光客の姿を見定めながら、標的を絞って寄ってくる。
もっとも一樹達は、定刻通りに運行される渡し船に乗って、島の埠頭を訪れた。猫達に包囲されるのは、当然の帰結であった。
「うちはペット禁止でした。ずっと猫を飼いたいと思っていたんです」
「猫が好きなのか」
「だって、可愛いじゃないですか」
上機嫌な蒼依が語り、一樹は聞き手役となる。
鬼猫島に上陸した蒼依は、軽やかな足取りで舗装された道を歩き始めた。
その後ろに一樹が寄り添い、そんな2人の後ろからは、十数匹の猫達が追いかけて来る。
猫達は、蒼依が隠し持っている猫用の餌を認識しているらしかった。
鬼猫島は、5平方キロメートルほどの面積を持つ南の島だ。火山噴火で誕生した島は高さもあって、常緑広葉樹林が大部分を占めている。
日本人が移住した当初は、野ネズミ被害が深刻だった。
そのため沢山の猫を放って駆除を試みたのが、一樹達を追う猫達の祖先だ。
「50年ほど前までは、島民も住んでいたらしいな」
かつて漁業で栄えた島には、島民が200人ほど住んでいた。
人と猫が共存していた島には、猫の水飲み場が整備されている。
南国の猫達は、常緑広葉樹林の何処かで増えるネズミ達を狩ったり、島民から魚を与えられたりして、気ままに暮らしていた。
だが鬼猫島は、40年前からは無人島になっている。
10分以上も歩いただろうか。
他の観光客から離れた蒼依は、神社の跡地で猫の餌を配り始めた。
すると30匹以上に増えていた周囲の猫達は、一直線に撒かれた餌に群がった。
大半が素直に食べているが、蒼依の足元に擦り寄って鳴いて甘えたり、餌を食べようとする他の猫を威嚇したりする猫もいる。
「40年も無人なのに、人間を覚えているんだな」
「だって、観光客が沢山来ますから」
蒼依は餌を食べる猫を撫でたりはせず、優しげに見守った。
「背中くらい撫でても、大丈夫じゃないか」
「もう少し、ご飯を食べた後にしますね」
蒼依は『心ここにあらず』といった様子で、猫を無心に眺めていた。
それを一瞥した一樹は、神社の周囲を軽く歩き回って、一樹等を乗せてきた渡し船が彼方に消えていく姿を視界に捉えた。
そして、不意に脳裏を過ぎった妄想を繰り広げる。
(推理小説なら、これから殺人事件の始まりだな)
鬼猫島は、本土から20キロメートルも離れている。
その周囲には、流れの速い海流もあって、人間は泳いで渡れない。
埠頭は一カ所で、渡し船は朝10時、午後2時、夕方6時の3度。
渡し船は、旅行会社がチャーターした観光船では無く、『波が荒れる時は運行しない』条件付きで、県から委託された渡し船だ。
そのため観光客が残っていても、台風などでは欠航する事がある。
島には船便の欠航に備えて、放棄された民家を改装した県の宿泊場所があって、水道や電気、水洗トイレなどが用意されている。
だが40年前から無人島のため、携帯電話の基地局は存在しない。携帯電話もメールも、繋がらないのだ。
もしも台風が来れば、閉じ込められた島で殺人事件の始まりである。
そんなドラマのような事を一樹は考えたが、実際に鬼猫島では、50年ほど前から殺人事件が始まった。
「こんな小さな島に、鬼が3度も出たら、島民は耐えられないな」
「絶海の孤島ですからね」
一樹の一人言に、夢見心地から戻ってきた蒼依が答えた。
50年ほど前、鬼猫島で殺人事件が発生した。
島民200人中8人が、次々と囓り殺されたのである。
遺体の傷痕から、犯人は鋭い牙を持つ鬼の仕業だと考えられて、当時の陰陽師達が捜索した。
だが鬼は、痕跡すら発見できなかったのだ。
『島の大部分を占める常緑広葉樹林に、逃げ込んだのだろう』
捜索した陰陽師達は、そのように考えた。
8人を殺した鬼が、狭い島内に隠れ潜んでいるなど、島民にとっては想像を絶する恐怖だ。
鬼が見つからずに3ヵ月が経ち、派遣された陰陽師が引き上げた。
陰陽師達が撤収した時点で、島民の半数以上が逃げ出した。郷土愛よりも、妻や子供、孫の命が大事と判断したのだ。
残る半数は、島外での仕事や生活基盤を整えられない人々だった。
残った人々は、島で戦々恐々と暮らしていたが、それから暫くは何も起こらなかった。
『鬼は、島から出ていったんじゃないか』
楽観論が生まれた理由は、そもそも鬼が突然現れたからだ。
鬼は移動手段が無くても、絶海を渡って出現した。
それなら鬼ないし妖怪は、陸上型ではなく、水中型や飛行型かもしれない。
人間という食べ物を食べて英気を養い、次の場所へ行った。あるいは陰陽師が来て、危険を感じて逃げ出した。
そのように判断されて、少しずつ島民が戻ってきた45年前、人々の行動を嘲笑うかのように、再び鬼が出て7人が殺された。
『3年間も食事をせずに、島に隠れ潜んでいたなど、有り得ない』
被害を受ける島民にとって、役に立たない見解など不要だ。
今度は島民の8割ほどが逃げ出した。
そして6年間、残った2割の島民には、何も起こらなかった。
島には家や土地、漁業などの生活基盤がある。何も起こらないのであれば、島民も戻らざるを得ない。
逃げ出した島民が戻ってきて、島民が畏れたとおりに3度目の鬼が出て、また7名が殺された。
今度は陰陽師協会も、『6年間も食事をせずに云々』とは言わなかった。
だが調伏もできず、最初の鬼が出てから9年で22人が殺されて、島は無人島と化したのである。
「この島の殺人事件。犯人は島民に嫁いだ女で、姑の嫌がらせにキレた、リアル鬼嫁だった……とか、諸説あるらしいな」
殺人事件は、女が嫁いだ後、そして逃がした本土から島へ戻らせた後だった。そして犠牲者には、姑も含まれていた。そんな絶妙のタイミングだったために、そういう噂話も生まれている。
『意地悪な姑だけを殺さなかったのは、犯行が露見するからだ』
『無差別殺人で嫁の実家に逃げるならば、実家に帰れると思ったのだろう』
それらの噂は、インターネットが普及した後に流れた。
ようするに都市伝説だ。50年も経ち、島が無人島と化した以上、今更言っても詮無きことである。
噂話が間違いで、鬼が島に潜んでいたとしても、流石に40年も絶食なら餓死している。
それなりに妖気を感じ取れる一樹も、十数人を殺すような妖怪の強い妖気は、島では察知できなかった。
無人島になる際、猫達は鬼猫島に放置された。
それは全ての猫を捕獲するのは不可能だったからだ。
だが鬼猫島は、雪が降らない常緑の島で、餌のネズミが尽きる事も無かった。そのため猫達は、しっかりと生き延びている。
もちろん人間達も、取り残された猫達を哀れに思い、餌を与え、やがて観光客として訪れるようになった。
鬼猫島を管理する県も、猫を置き去りにした若干の後ろめたさがあるからか、渡し船を維持し、猫島を広報して観光客を呼び、猫に餌を与えさせている。
結果として猫達は、人間に懐いている。
「一体、何匹いるんだ」
神社には、60匹以上の猫達が集まっていた。
観光客が1日20人来るとして、大半が置き去りにされた猫が可哀想だからと大量の餌を持ち込めば、一体どうなるだろうか。
温暖な南の島で、外敵が存在せず、島民200人の空き家がある。県も餌を運ぶ事を止めないどころか、むしろ推奨している。
そのような環境では、猫が増えるに決まっていた。
「猫達が何匹居るのか、県も知らないそうですよ」
笑いながら答える蒼依に、一樹はおののいた。
事前に情報を仕入れていた蒼依は、猫が増えても気にせず餌を撒き続ける。
そんな中、黄赤の毛並みをした茶トラの猫が、新手の猫達に混ざってフラフラと近寄ってきた。
他の猫達と異なる点は、それが霊体であり、尾が二又になっている事だ。
「二又の猫は、猫又という妖怪だ。猫又には、人を助けるものと、襲うものが居るが、そいつからは、害意は感じ取れないな」
猫又を一瞥して気を感じ取った一樹は、蒼依に危険性の有無を伝えた。
「主様。この子に気を与えても、大丈夫でしょうか」
「そうだな。少しずつなら、良いだろう」
「はい、それでは少しずつ……」
フラフラと近寄った猫又に蒼依が気を送り始めると、猫又は蒼依の足元に額を擦り付け始めた。
『なぁーん』
蒼依は猫又の背を撫でながら、気を送り続ける。猫又は目を閉じて、気持ちよさそうな表情を見せた。
そんな猫又の姿を見た一樹は、不意に島の妖怪について閃いた。
「この島で人間を襲った妖怪は、鬼では無くて、旧鼠かもしれない」
「旧鼠って、何ですか」
「長生きしたネズミで、『窮鼠、猫を噛む』の諺にもなった妖怪だ。猫を殺して、人を襲う事もある。強い妖怪では無いが、寝込みを襲えば数人くらい殺せる」
もしも島の殺人事件の犯人が旧鼠であれば、全ての辻褄が合う。
・襲われた人間が、数人ずつと少数だった事。
・島中を探しても、鬼が見つからなかった事。
・数年間も人を食べなくても、生き延びた事。
相手が常緑広葉樹林に潜むネズミの妖怪ならば、全てに辻褄が合う。
「どうして主様は、猫又を見て、旧鼠を思い付いたのですか」
「民間伝承には、寺の住職が助けた猫が猫又になって、寺に住み着いた旧鼠を死闘の末に、撃退した話もある。猫又と旧鼠は、敵同士だ」
「この子は、良い子なんですね」
蒼依がご褒美とばかりに沢山の気を送ると、猫又は神社の石畳の上で、嬉しそうにゴロゴロと転がった。
島には、猫又の霊体に充分な気を与えられる人間が居ないのだろう。
一樹は考えた末、蒼依に告げた。
「観光客の気を吸わせないためにも、連れて行った方が良さそうだな。俺が陣を作って補助するから、蒼依が式神契約してみるか」
猫又が蒼依に懐いた様子を見た一樹は、猫又の連れ帰りを提案した。
鬼猫島の猫達は野良猫と同じ扱いで、誰かしらに所有権は発生していない。そもそも妖怪の霊体であるため、誰の管理下にも置かれていない。
そして猫又と争っていた旧鼠は、流石に生きていないと思われる。
なぜなら島民が去った後、県の管理者や観光客に被害が出ていない。猫又が死んで、旧鼠が生きていたのであれば、新たな犠牲者が出ていないはずが無い。
思いがけず提案された蒼依は、迷った様子を見せた後、猫又に尋ねた。
「うちに来る?」
『なぁーん』
猫又の霊は、蒼依の足に額を擦り付けて、付いていくと伝えた。
[その頃、相川家では]
中鬼
八咫烏「クワッ」( 〃 ❛ᴗ❛ 〃 )ノ⌒ ~~~ (||゜Д゜)グォォォ
和則「ぎゃああっ、生きた中鬼を、連れて来るなぁっ!」((( ;゜Д゜)))
中鬼 和則
~~~ (||゜Д゜)グォォォ ......((( ;゜Д゜)))ギャァァッ
( 〃 ❛ᴗ❛ 〃 ) ……クワッ?


























